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戦国歴史if
宵闇戦国草創異聞 日元戦争が御家人達にもたらしたもの
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御家人達の不満についても、同じような状況となります。鎌倉期の御家人にとって、戦場へ行くのは、自弁や荷駄に積み込んで、戦場に行くと、荷駄を食べ終えたら、戦争終了で帰る。そんな戦場であり、戦争を継続しようとすれば、相手から掠奪するのも当たり前であった。
しかしながら、日元戦争のように、何時来るか判らない相手を迎え撃つためには、常時臨戦態勢を維持する必要があるが、御恩には、そのようなコストは考慮されていない。日元戦争の結果として、御家人衆にとって、奉公した結果で得られる御恩という褒賞金で、奉公で失ったものが取り返せないという状況が生じた。
特に、元に上陸され戦場となった、五島列島、対馬、壱岐、肥前といった地域は、住民の大半が虐殺されるような状況であり、島を奪還したとしても、まずは労働力すら無い状態からの復興ということになります。
また、畿内や坂東から動員された御家人衆にしても、自弁で出かけて行って、一族郎党の大半を死なせたのでは、恩賞がどんなにあっても割り切れない結果となります。戦争という行為は、本来的にはビジネスとして儲かるものではなく、大量消費による経済負担の増大という結果を招いたのです。
御家人衆の鎌倉への不満は、外ツ国が何時侵略するかわからない状況での、国を防衛する体制の確立と維持という膨大なコストがかかる状況にありました。御家人たちの不満が、鎌倉への不満へと繋がっていくことになります。
対外戦争は、日宋交易という莫大な利益をもたらした貿易収入が、消滅したことを意味します。博多から瀬戸内、畿内の御家人衆は、なんらかの形で、日宋交易で流れる膨大な利益が還元されいました。しかしながら、日宋交易の消滅は、これらの御家人衆の収益を激減させたことになります。
結果として、収入を増やすには、今まで手を入れなかった、国司や貴族衆、新興の町衆が保持していた既得権益を、守護地頭の権限で搾取していくということになっていきます。特に、新興の町衆からの搾取は、かなり酷い状況を国内にもたらしたと考えられます。
日元戦争がもたらした御家人への影響は、戦場における集団戦闘の浸透です。元帝国が、集団戦闘をおこなうのに対し、御家人は個人戦闘を主としていました。また、異民族との戦闘で生じる虐殺は、一定のルールを戦場に持ち込んだ和国側にとって非常に衝撃的なものでありました。特に、非戦闘員に対する虐殺行為が生じた地域は、極端な人口減少を招いていて、当該地域の生産力が回復するには、十年以上の歳月がかかる状況までありました。
また、対外戦争で防衛戦争であったため、経済的な収益は無く、鎌倉の財政は危機的な状況に追い込まれていました。
これは、実際に闘った御家人衆にとっても同じで、一族郎党に大きな被害が生じたにも関わらず、得られた恩賞は少なく、満足のいくようなものではなかった。
集団戦闘の浸透は、「悪党」の跳梁跋扈を許す状況を生み出してしまいます。「悪党」の勢力が拡大すれば、御家人衆の勢力は、相対的に低下するということになります。日元戦争までは、御家人側の戦闘力が高く、「悪党」の活動は、かなり限定されたものでありましたが、日元戦争以降は、「悪党」が御家人の家を襲撃して、略奪するということも起きる様になっていました。
日元戦争時、騎馬一騎に対して、十数人で取り囲めば、雑兵でも倒せるということが、情報として流れたこともまた、御家人の地位低下を招いていました。
こういった状況に対して、守護や地頭が対処できた地域では守護地頭の権益が拡大し、対処できなかった地域では、「悪党」の勢力が守護地頭に対抗できるくらいの権益を得る様になりました。この傾向は、勢力の大きな御家人が少なく、領地における権益が様々な勢力によって奪い合いの状況となっている地域で顕著に表れるようになりました。山城や河内は、その代表的な地域となります。
「悪党」の活動が活発な地域では、「悪党」による治安維持をおこなう地域まで現れるようになります。これは、平安期に武士が生まれた理由と一致します。つまりは、新たな統治政府として、鎌倉幕府に求められた最大の機能は、安定した治安維持能力です。
鎌倉末期は、「悪党」達による、強訴や強盗、掠奪といった事件が頻発していきます。時には、地方の守護地頭あたりでは抑えられない程の規模になることもあり、征伐しても草の根のように何処からか現れるという状況となりました。
本来、武家の役目である、荷役の護衛といった任務を、御家人が対応できなければ、「悪党」に荷役の護衛を頼むようになります。御家人頼むに足らずとの噂が流れれば、御家人の領地では、物流が滞って困窮していくという状況になります。
鎌倉幕府の崩壊理由
日宋交易の終焉
日元戦争による荒廃と集団戦術への転換
守護地頭と国司の並立といった支配の多層構造を打破できなかったこと。
守護地頭の権力の確立と、貴族勢力の貧困化
京洛や難波といった巨大消費地における、経済活動の増大と、新興勢力の台頭。
主上と鎌倉府の不和
しかしながら、日元戦争のように、何時来るか判らない相手を迎え撃つためには、常時臨戦態勢を維持する必要があるが、御恩には、そのようなコストは考慮されていない。日元戦争の結果として、御家人衆にとって、奉公した結果で得られる御恩という褒賞金で、奉公で失ったものが取り返せないという状況が生じた。
特に、元に上陸され戦場となった、五島列島、対馬、壱岐、肥前といった地域は、住民の大半が虐殺されるような状況であり、島を奪還したとしても、まずは労働力すら無い状態からの復興ということになります。
また、畿内や坂東から動員された御家人衆にしても、自弁で出かけて行って、一族郎党の大半を死なせたのでは、恩賞がどんなにあっても割り切れない結果となります。戦争という行為は、本来的にはビジネスとして儲かるものではなく、大量消費による経済負担の増大という結果を招いたのです。
御家人衆の鎌倉への不満は、外ツ国が何時侵略するかわからない状況での、国を防衛する体制の確立と維持という膨大なコストがかかる状況にありました。御家人たちの不満が、鎌倉への不満へと繋がっていくことになります。
対外戦争は、日宋交易という莫大な利益をもたらした貿易収入が、消滅したことを意味します。博多から瀬戸内、畿内の御家人衆は、なんらかの形で、日宋交易で流れる膨大な利益が還元されいました。しかしながら、日宋交易の消滅は、これらの御家人衆の収益を激減させたことになります。
結果として、収入を増やすには、今まで手を入れなかった、国司や貴族衆、新興の町衆が保持していた既得権益を、守護地頭の権限で搾取していくということになっていきます。特に、新興の町衆からの搾取は、かなり酷い状況を国内にもたらしたと考えられます。
日元戦争がもたらした御家人への影響は、戦場における集団戦闘の浸透です。元帝国が、集団戦闘をおこなうのに対し、御家人は個人戦闘を主としていました。また、異民族との戦闘で生じる虐殺は、一定のルールを戦場に持ち込んだ和国側にとって非常に衝撃的なものでありました。特に、非戦闘員に対する虐殺行為が生じた地域は、極端な人口減少を招いていて、当該地域の生産力が回復するには、十年以上の歳月がかかる状況までありました。
また、対外戦争で防衛戦争であったため、経済的な収益は無く、鎌倉の財政は危機的な状況に追い込まれていました。
これは、実際に闘った御家人衆にとっても同じで、一族郎党に大きな被害が生じたにも関わらず、得られた恩賞は少なく、満足のいくようなものではなかった。
集団戦闘の浸透は、「悪党」の跳梁跋扈を許す状況を生み出してしまいます。「悪党」の勢力が拡大すれば、御家人衆の勢力は、相対的に低下するということになります。日元戦争までは、御家人側の戦闘力が高く、「悪党」の活動は、かなり限定されたものでありましたが、日元戦争以降は、「悪党」が御家人の家を襲撃して、略奪するということも起きる様になっていました。
日元戦争時、騎馬一騎に対して、十数人で取り囲めば、雑兵でも倒せるということが、情報として流れたこともまた、御家人の地位低下を招いていました。
こういった状況に対して、守護や地頭が対処できた地域では守護地頭の権益が拡大し、対処できなかった地域では、「悪党」の勢力が守護地頭に対抗できるくらいの権益を得る様になりました。この傾向は、勢力の大きな御家人が少なく、領地における権益が様々な勢力によって奪い合いの状況となっている地域で顕著に表れるようになりました。山城や河内は、その代表的な地域となります。
「悪党」の活動が活発な地域では、「悪党」による治安維持をおこなう地域まで現れるようになります。これは、平安期に武士が生まれた理由と一致します。つまりは、新たな統治政府として、鎌倉幕府に求められた最大の機能は、安定した治安維持能力です。
鎌倉末期は、「悪党」達による、強訴や強盗、掠奪といった事件が頻発していきます。時には、地方の守護地頭あたりでは抑えられない程の規模になることもあり、征伐しても草の根のように何処からか現れるという状況となりました。
本来、武家の役目である、荷役の護衛といった任務を、御家人が対応できなければ、「悪党」に荷役の護衛を頼むようになります。御家人頼むに足らずとの噂が流れれば、御家人の領地では、物流が滞って困窮していくという状況になります。
鎌倉幕府の崩壊理由
日宋交易の終焉
日元戦争による荒廃と集団戦術への転換
守護地頭と国司の並立といった支配の多層構造を打破できなかったこと。
守護地頭の権力の確立と、貴族勢力の貧困化
京洛や難波といった巨大消費地における、経済活動の増大と、新興勢力の台頭。
主上と鎌倉府の不和
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