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戦国歴史if
宵闇戦国草創異聞 国際事情
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鎌倉政権の崩壊は、貨幣経済の浸透による活性化が、複雑化していた支配体制を突き崩したことで起きたようなものと考えられます。
鎌倉時代に守護や地頭が配置されても、国司が居なくなったわけではありません。荘園や国衙領といった領域における支配は、多重化される傾向にありました。権限や権威は、鎌倉幕府の武威を背景とした守護・地頭が強かったとしても、まがりなりにも主上に命ぜられた国司という立場は、無視できるものではありませんでした。
こういったお上の事情は、庶民にとっては関係ありません。多重支配を受ける側からすれば、納得のできることではないということになります。
「悪党」が生まれたのは、こういった時代背景があったのだと言われています。
鎌倉体制を崩壊に導いた「悪党」楠正成は、河内川並衆や地域の荷役衆への理不尽な行為に対する反発から生まれてきました。
あやかし達も多く、陸運を担う荷役衆は、関銭などを中心として非常に大きな負担を強いられており、鎌倉後期になると、守護地頭に悉く利権を奪われていった貴族衆が没落し、一介の荷役衆へ堕ちていくこともありました。海上荷役には調整役も多く、小競り合いや諍いが起きても、手打ちへの調整もでき、守護地頭が理不尽であれば、鎌倉幕府へ訴えることもでき、海上荷役については、幕府財政の基盤でもあったので、幕府も守護地頭への処罰を含めた対応をおこなっていました。
だが陸運の利権や川並の利権は、非常に多くの権益が錯綜し、なかなか調整することができなかったため、小競り合いや諍いが、殺し合いや戦に発展することも多く、「悪党」達の活躍する場が多かったことになります。
鎌倉幕府にしても、関東であれば、守護地頭の権益を頂点とした体制へ転換できたところも、関西は国司の力も強く、権益の錯綜を整理しきれる状況にはありませんでした。また、関西では、「悪党」と呼ばれる者達を暴れさせることで、利害調整を図ろうとする者達も居て、徐々に「悪党」達の力が無視できないものとなっていったのであります。
外憂として生じた、元寇の合戦では、鎮西探題の水軍衆を中心として摂津渡辺、肥後松浦、和泉松浦、伊予河野、博多山鹿といった連合水軍によって、五島列島や対馬列島周囲での海戦、博多湾といった九州全域での凄まじい海戦に勝利したこことで、幕府財政は一気に傾くこととなったのであります。侵略兵による対馬の虐殺や博多や肥後で起きた虐殺は、非常に大きな衝撃で在り、反撃による侵略軍への虐殺も凄惨を極めたものになっていました。
元寇は、外ツ国からの侵略であったため、奉公に報いるための恩賞を渡すことが幕府にはほとんどできませんでした。また、宋国が滅び、元による彼の国が一元支配されたことで、正規の渡航交易による利益が消滅し、密貿易や倭寇と呼ばれる、彼の国沿岸部への襲撃が繰り返されるようになったのは皮肉なことであります。
元寇による恩賞は、鎌倉府の収益を極端に悪化させたのであります。
和国は、様々な形で、宋国からの亡命を受け入れていましたが、流石に渡航して、宋の国威回復を図れるほどではありませんでした。また、幕府は、恩賞を得られない水軍衆の不満を減らすため、「勝手次第」という私掠船免状を発行して、那覇泊、運天港、坊津、肥後、博多、瀬戸内、大輪田、難波、岸和田といった関西一円の交易ルート以外では掠奪等をおこなっても、鎌倉は関知しないという印可状を発行したのであります。
「勝手次第」は、特に外つ国に対しては、戦争状態にあることもあって、無制限に実行されました。
彼の国の沿岸襲撃は、彼の国沿岸部全域で実行されたため、彼の国は結果的に外征する余力を失っていったということになります。特に、彼の国が保有する大型の唐船を、次々と襲撃しては掠奪し、沈めて行くことで、彼の国が持つ、外洋航行能力を奪っていったことになります。
しかしながら困ったことに、掠奪というのは、交易と異なり、さして儲かる物ではありません。
テムルが元帝国の皇帝になったあたりから、正規の交易に近い密貿易が実施され、利潤をあげるようになっていましたが、テムルの死後に内乱が多発するようになると、交易そのものが縮小していくこととなりました。
元帝国は、陸運国家であったこともあり、外洋航行能力は、宋国から奪ったモノでありました。掠奪によって富が奪われると、外洋での交易ではなく、大河を中心とした川筋の交易へと切り替えていくこととなります。
つまりは、掠奪というのは、成功すればするほどに、ジリ貧になっていくという性質のものです。
一時は、掠奪で財を為せても、徐々に財を成すことは難しくなっていきます。
私掠船による襲撃は、元朝の渡航能力を奪うと共に、旧南宋人の困窮をもたらしたのである。
元帝国が帝王テムルの死後、後継者争いの中で分裂していくと、周辺は荒廃していって、さらに掠奪の旨味が減っていくこととなります。
鎌倉時代に守護や地頭が配置されても、国司が居なくなったわけではありません。荘園や国衙領といった領域における支配は、多重化される傾向にありました。権限や権威は、鎌倉幕府の武威を背景とした守護・地頭が強かったとしても、まがりなりにも主上に命ぜられた国司という立場は、無視できるものではありませんでした。
こういったお上の事情は、庶民にとっては関係ありません。多重支配を受ける側からすれば、納得のできることではないということになります。
「悪党」が生まれたのは、こういった時代背景があったのだと言われています。
鎌倉体制を崩壊に導いた「悪党」楠正成は、河内川並衆や地域の荷役衆への理不尽な行為に対する反発から生まれてきました。
あやかし達も多く、陸運を担う荷役衆は、関銭などを中心として非常に大きな負担を強いられており、鎌倉後期になると、守護地頭に悉く利権を奪われていった貴族衆が没落し、一介の荷役衆へ堕ちていくこともありました。海上荷役には調整役も多く、小競り合いや諍いが起きても、手打ちへの調整もでき、守護地頭が理不尽であれば、鎌倉幕府へ訴えることもでき、海上荷役については、幕府財政の基盤でもあったので、幕府も守護地頭への処罰を含めた対応をおこなっていました。
だが陸運の利権や川並の利権は、非常に多くの権益が錯綜し、なかなか調整することができなかったため、小競り合いや諍いが、殺し合いや戦に発展することも多く、「悪党」達の活躍する場が多かったことになります。
鎌倉幕府にしても、関東であれば、守護地頭の権益を頂点とした体制へ転換できたところも、関西は国司の力も強く、権益の錯綜を整理しきれる状況にはありませんでした。また、関西では、「悪党」と呼ばれる者達を暴れさせることで、利害調整を図ろうとする者達も居て、徐々に「悪党」達の力が無視できないものとなっていったのであります。
外憂として生じた、元寇の合戦では、鎮西探題の水軍衆を中心として摂津渡辺、肥後松浦、和泉松浦、伊予河野、博多山鹿といった連合水軍によって、五島列島や対馬列島周囲での海戦、博多湾といった九州全域での凄まじい海戦に勝利したこことで、幕府財政は一気に傾くこととなったのであります。侵略兵による対馬の虐殺や博多や肥後で起きた虐殺は、非常に大きな衝撃で在り、反撃による侵略軍への虐殺も凄惨を極めたものになっていました。
元寇は、外ツ国からの侵略であったため、奉公に報いるための恩賞を渡すことが幕府にはほとんどできませんでした。また、宋国が滅び、元による彼の国が一元支配されたことで、正規の渡航交易による利益が消滅し、密貿易や倭寇と呼ばれる、彼の国沿岸部への襲撃が繰り返されるようになったのは皮肉なことであります。
元寇による恩賞は、鎌倉府の収益を極端に悪化させたのであります。
和国は、様々な形で、宋国からの亡命を受け入れていましたが、流石に渡航して、宋の国威回復を図れるほどではありませんでした。また、幕府は、恩賞を得られない水軍衆の不満を減らすため、「勝手次第」という私掠船免状を発行して、那覇泊、運天港、坊津、肥後、博多、瀬戸内、大輪田、難波、岸和田といった関西一円の交易ルート以外では掠奪等をおこなっても、鎌倉は関知しないという印可状を発行したのであります。
「勝手次第」は、特に外つ国に対しては、戦争状態にあることもあって、無制限に実行されました。
彼の国の沿岸襲撃は、彼の国沿岸部全域で実行されたため、彼の国は結果的に外征する余力を失っていったということになります。特に、彼の国が保有する大型の唐船を、次々と襲撃しては掠奪し、沈めて行くことで、彼の国が持つ、外洋航行能力を奪っていったことになります。
しかしながら困ったことに、掠奪というのは、交易と異なり、さして儲かる物ではありません。
テムルが元帝国の皇帝になったあたりから、正規の交易に近い密貿易が実施され、利潤をあげるようになっていましたが、テムルの死後に内乱が多発するようになると、交易そのものが縮小していくこととなりました。
元帝国は、陸運国家であったこともあり、外洋航行能力は、宋国から奪ったモノでありました。掠奪によって富が奪われると、外洋での交易ではなく、大河を中心とした川筋の交易へと切り替えていくこととなります。
つまりは、掠奪というのは、成功すればするほどに、ジリ貧になっていくという性質のものです。
一時は、掠奪で財を為せても、徐々に財を成すことは難しくなっていきます。
私掠船による襲撃は、元朝の渡航能力を奪うと共に、旧南宋人の困窮をもたらしたのである。
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