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怨霊の祓いと鎮め
気の行方 瘴気と生気
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光あれば闇あり、闇あれば光あり
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世に満ちる気そのものは、色も形も無く、計測することもできない。しかしながら、気そのものには、光と闇があり、どちらも受容と発現がある。一般には、光の気を生気と呼び、闇の気を瘴気と呼ぶことが多い。
理解しやすい形で言えば、太陽と言う光を「受容」し、日焼けという現象を「発現」するようなモノである。
人体が熱を発している場合、熱の気を掌で受け入れて、解熱作用を生じさせるのは「手当」という呼び方となる。これは、逆も可能であり、熱の気を掌で発し、加熱作用を生じさせるのも「手当」である。
発する気には、心の動きから発するモノもあって、感情の変化が良き方向へ転がれば、気は正となり、感情の変化が悪しき方向へ転がれば、気は負となる。一般的に、ポジティブな感情は、正の気を生みやすく、ネガティブな感情は、負の気を生みやすい。
人は、正負の気をどちらにも傾かずに、平衡を保つことで、意識を維持することができる。正の気に傾き過ぎれば、還る術を失って、意志を正の気に喰われて正の気に同質化して、肉体も意識も失っていく。負の気に傾き過ぎれば、還る術を失って、意志を負の気に喰われて負の気に同質化して、肉体も意識も失っていく。
光と闇は、エネルギーそのものに変質することであり、極限まで達すれば、光も闇も無くなって、エネルギーへと還る。エネルギーそのものが、「無」の状態そのものであり、「無」の状態そのものには、光も闇も無く、「受容」し「発現」する方向の違いでしかない。生命体というのは、一個の宇宙そのものであり、宇宙そのものを生じさせるエネルギーを内包している。エネルギーをどのように「受容」し、「発現」させていくかは、個々の生命体そのものが選び得ることで決定される。
光も闇も過ぎれば、人の世に禍をもたらす。雨が降らなければ、旱魃となって、飢饉を呼ぶけれど、雨が過ぎれば、洪水となって被害をもたらす。
色彩とは、光があり闇がある狭間に、観るモノが居て初めて存在する。光強ければ、色彩は明るく消える。闇強ければ、色彩は暗く消える。光も闇も、色彩が消えることは変わらない。また、色彩は、観る主観者が在って、存在するモノであり、主観が無ければ、存在できないモノである。色彩の在り様は、観る者によって変化し、色彩をすべての人が、同じモノとして観ることはできない。
人の世とは、色彩が存在する世界にのみ、存在しうるモノである。
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生き物が、自分であることを保つには、光に溺れず、闇に堕ちぬ、心の強さを持たなければならない。
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光あれば闇あり、闇あれば光あり
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世に満ちる気そのものは、色も形も無く、計測することもできない。しかしながら、気そのものには、光と闇があり、どちらも受容と発現がある。一般には、光の気を生気と呼び、闇の気を瘴気と呼ぶことが多い。
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人は、正負の気をどちらにも傾かずに、平衡を保つことで、意識を維持することができる。正の気に傾き過ぎれば、還る術を失って、意志を正の気に喰われて正の気に同質化して、肉体も意識も失っていく。負の気に傾き過ぎれば、還る術を失って、意志を負の気に喰われて負の気に同質化して、肉体も意識も失っていく。
光と闇は、エネルギーそのものに変質することであり、極限まで達すれば、光も闇も無くなって、エネルギーへと還る。エネルギーそのものが、「無」の状態そのものであり、「無」の状態そのものには、光も闇も無く、「受容」し「発現」する方向の違いでしかない。生命体というのは、一個の宇宙そのものであり、宇宙そのものを生じさせるエネルギーを内包している。エネルギーをどのように「受容」し、「発現」させていくかは、個々の生命体そのものが選び得ることで決定される。
光も闇も過ぎれば、人の世に禍をもたらす。雨が降らなければ、旱魃となって、飢饉を呼ぶけれど、雨が過ぎれば、洪水となって被害をもたらす。
色彩とは、光があり闇がある狭間に、観るモノが居て初めて存在する。光強ければ、色彩は明るく消える。闇強ければ、色彩は暗く消える。光も闇も、色彩が消えることは変わらない。また、色彩は、観る主観者が在って、存在するモノであり、主観が無ければ、存在できないモノである。色彩の在り様は、観る者によって変化し、色彩をすべての人が、同じモノとして観ることはできない。
人の世とは、色彩が存在する世界にのみ、存在しうるモノである。
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