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森の破壊、命の破壊
森の破壊、命の破壊03 日本人は、難しいのである。
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「誇り高く」「本当の意味で自由である」
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漫画「沈黙〇艦隊」の中では、最後に「独立せよ」という言葉が出てくる。
漫画の中で、「独立せよ」とは、国家の命令に対して独立するという考え方で描かれている。人が持つ、意志そのものを、すべての柵から「独立せよ」という意味合いとなるが、これほどに日本人以外にとっての恐怖は無かったのではないだろうか。正直、漫画であれば許されるが、日本人は、神の本当の意味での敵とされても、おかしくない表現である。
お爺ぃは、「独立せよ」という考え方そのものが、アメリカという国家に、受け入れられるとは思わない。アメリカにとっては、日本という国家も国民も、異質であり、従わなければ滅ぼして良いモノ、そんな認識でしかないように思われる。
様々な国を調べ、知れば知るほどに、日本人の危険性というのは、非常に高く理解してしまうのである。
アイザック・アシモフの「我はロボット」という作品では、ロボット工学三原則が定義されている。Wikiを参照
1.ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
2.ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
3.ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
さて、三原則の最大の問題は、人間の定義にある。日本では、ロボットを友達にしたりするが、道具という感覚ではない、付喪神のような存在まで許容する日本では、あやかしとの共棲すら可能な、世界でも極めて珍しい国家なのである。つまりは、ロボットが人間であるか、人間がロボットであるかの区別は、青いネコ型ロボットを許容する日本人にとって、本質的な意味を持たない。
ロボットが出てくる作品では、ロボットの概念が、本質として問題になってくる。
「ロボット」という名称が登場するのは、カレル・チャペックの「R.U.R.」に出てくる、自動機械を語源としている。伝承のゴーレムが、自由意思を持った場合という考えが、根底にある。欧米では、恐怖という形であるが、日本に出てくる「ア〇ム」では、友であり、同じ自由意思を持つモノとして描かれている。本質として、人間であるか、ロボットであるかの定義ができないことが、日本人の感覚にはあるということになる。
日ノ本に住まう民族は、世界の中でも、極めて特殊な民族と言うことができる。
工学的な感覚でいえば、論理的に分析すると、敵味方を識別することは不可能と断定し、味方と味方以外の識別は可能であるという認識をすることに等しい。民兵、ゲリラ、テロリスト、様々な敵性要因がある以上、敵を識別することは、どのような人間にも不可能であるという結論に達する。一割くらいの日本人は、論理的に説明でき、大半の日本人は、直感的に「そうだね」と応える。このことは、青色ロボットを始めとした、日本の情操教育が生み出した結果であるが、だからこそ、日本人を極めて繊細な存在にしている。
日本人は、本質的に「平和ボケ」なのではなく、敵というモノに対して、器の底が抜けるくらいに、「許容範囲が広すぎる」存在なのである。
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自分を殺す相手を、許容することから、日本人であることは始まる。
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「誇り高く」「本当の意味で自由である」
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漫画「沈黙〇艦隊」の中では、最後に「独立せよ」という言葉が出てくる。
漫画の中で、「独立せよ」とは、国家の命令に対して独立するという考え方で描かれている。人が持つ、意志そのものを、すべての柵から「独立せよ」という意味合いとなるが、これほどに日本人以外にとっての恐怖は無かったのではないだろうか。正直、漫画であれば許されるが、日本人は、神の本当の意味での敵とされても、おかしくない表現である。
お爺ぃは、「独立せよ」という考え方そのものが、アメリカという国家に、受け入れられるとは思わない。アメリカにとっては、日本という国家も国民も、異質であり、従わなければ滅ぼして良いモノ、そんな認識でしかないように思われる。
様々な国を調べ、知れば知るほどに、日本人の危険性というのは、非常に高く理解してしまうのである。
アイザック・アシモフの「我はロボット」という作品では、ロボット工学三原則が定義されている。Wikiを参照
1.ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
2.ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
3.ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
さて、三原則の最大の問題は、人間の定義にある。日本では、ロボットを友達にしたりするが、道具という感覚ではない、付喪神のような存在まで許容する日本では、あやかしとの共棲すら可能な、世界でも極めて珍しい国家なのである。つまりは、ロボットが人間であるか、人間がロボットであるかの区別は、青いネコ型ロボットを許容する日本人にとって、本質的な意味を持たない。
ロボットが出てくる作品では、ロボットの概念が、本質として問題になってくる。
「ロボット」という名称が登場するのは、カレル・チャペックの「R.U.R.」に出てくる、自動機械を語源としている。伝承のゴーレムが、自由意思を持った場合という考えが、根底にある。欧米では、恐怖という形であるが、日本に出てくる「ア〇ム」では、友であり、同じ自由意思を持つモノとして描かれている。本質として、人間であるか、ロボットであるかの定義ができないことが、日本人の感覚にはあるということになる。
日ノ本に住まう民族は、世界の中でも、極めて特殊な民族と言うことができる。
工学的な感覚でいえば、論理的に分析すると、敵味方を識別することは不可能と断定し、味方と味方以外の識別は可能であるという認識をすることに等しい。民兵、ゲリラ、テロリスト、様々な敵性要因がある以上、敵を識別することは、どのような人間にも不可能であるという結論に達する。一割くらいの日本人は、論理的に説明でき、大半の日本人は、直感的に「そうだね」と応える。このことは、青色ロボットを始めとした、日本の情操教育が生み出した結果であるが、だからこそ、日本人を極めて繊細な存在にしている。
日本人は、本質的に「平和ボケ」なのではなく、敵というモノに対して、器の底が抜けるくらいに、「許容範囲が広すぎる」存在なのである。
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自分を殺す相手を、許容することから、日本人であることは始まる。
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