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お爺ぃ、よもやま噺
読み書き#算盤__ソロバン__#
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江戸時代の教育は、読み書き算盤と、実務に即した教育が、寺子屋で行われていた。
識字率という考え方からすると、絵草紙の悪役に使われる「悪」という文字や、屋号なんかは、読める人が多かったと考えられる。推定では、庶民でも、50%以上だったとも言うそうだ。
瓦版という通俗誌が、普通に売れたことを考えても、読める人は、かなり多かったのだろうと思う。
これは、南北朝時代にも、楠正成のような「悪党」が、一定の教養を持っていたことから、百姓の識字率も高かったとも推定されている。
当時、口減らしを兼ねて、働いている間、寺に預けられた子供達が、手習いを習うように、読み書きを習ったと推定されている。天下を統一した秀吉も、子供の頃に寺へ預けられています。こういった活動は、平安末期くらいから、寺や社で、徐々に子らを教える雰囲気が生まれて、最終的に江戸時代に寺子屋という形になったのだろうと思います。
寺子屋の師には、様々な経歴があったと考えられます。怪我などで戦えなくなった武士や没落していった貴族なんかが、読み書き算盤、武術を教えることで、糊口を凌ぎ、食にありついていたとも言えるのでしょう。
源氏物語絵巻のように、非常に高価な絵巻物が、読まれた時代から、江戸期の庶民が貸し本屋から本を借りて読んでいた時代まで、日ノ本は庶民レベルでの教育が、非常に進んだ国であったと考えられています。
子供用の教科書としては、平安末期に「実語教」という教科書が完成していたみたいである。『図書寮本類聚名義抄』(康和4年(1103年)までに成立)に掲載されているそうで、平安末期までに、一定の範囲で使用される教科書のように使われていたモノと推定される。
著者不明となっているが、内容から仏教関係者だろうと推定されている。
内容としては、
山高きがゆえに貴からず、木有るをもって貴しとす。
山が高いから、偉いのではない。木が有るからこそ尊いのだ。
人肥たるがゆえに貴からず、智あるをもって貴しとす。
人は裕福だから、偉いのではない。知恵があるから偉いのだ。
老いたるを敬うのは、父母の如し。幼きを愛するのは、子弟の如し。
年寄りは、両親のように敬いなさい。幼い子供は、自分の子や弟妹のように愛しみなさい。
まぁ、当時の一般常識を基準として、道徳や倫理を含めた教育内容となっている。
読み書きは、繰り返し話し覚えること、書いて書いて書き取って覚えることが、教育方法として採用されていました。
日ノ本での教えるのは、教科書をそのまま使うのではなく。独自に改変すように教えていたことが、記録に残されている。です
算盤では、「塵劫記」が江戸時代に執筆されて、寺子屋などで教科書として使われていたと記録されています。
貨幣経済の浸透と、算盤の普及によって、算術に関する教育は非常に進んだと推定される。しかしながら、円周率やルートなどの計算については、演算方法ではなく、数表のような形式で教えられていたと考えられる。
つまり、最初の教育段階では、計算結果を出すための技法が優先され、証明や論理については、教える側の考え方に一任されていたようである。
算盤によって、暗算や概算など、実務計算については、非常に高度なレベルで教育が行われたと推定されるが、論理問題や証明などは、教える側教わる側の力量によって変わったと推定される。
税の計算や徴収には、数学が必要でした。これは、律令から普遍の考え方であり、建築や治水土木についても、数学は必須でもあったのです。
平安時代の数学は、渡来人や留学によって学んだと考えられ、独占的に扱われていたようです。そのため、学術体系の項目では、「古典」「陰陽」「薬」といった項目に「数学」は入っていなかったようです。
平安から鎌倉期には、「算師」呼ばれる、計算に長けた人が、税務計算を担当していたようです。
Computorの語源である、「計算する人」のような算術担当者が、数多く雇われていたと推定されます。
算術計算が、庶民でも必要とされたのは、貨幣経済が発展浸透した、江戸期の寺子屋で、算盤が普及利用することで、急速に発展していったと推定されます。
実務計算の浸透が優先されすぎて、数学そのものは、算額に代表されるように趣味の領域として発展していったとも考えられます。
識字率という考え方からすると、絵草紙の悪役に使われる「悪」という文字や、屋号なんかは、読める人が多かったと考えられる。推定では、庶民でも、50%以上だったとも言うそうだ。
瓦版という通俗誌が、普通に売れたことを考えても、読める人は、かなり多かったのだろうと思う。
これは、南北朝時代にも、楠正成のような「悪党」が、一定の教養を持っていたことから、百姓の識字率も高かったとも推定されている。
当時、口減らしを兼ねて、働いている間、寺に預けられた子供達が、手習いを習うように、読み書きを習ったと推定されている。天下を統一した秀吉も、子供の頃に寺へ預けられています。こういった活動は、平安末期くらいから、寺や社で、徐々に子らを教える雰囲気が生まれて、最終的に江戸時代に寺子屋という形になったのだろうと思います。
寺子屋の師には、様々な経歴があったと考えられます。怪我などで戦えなくなった武士や没落していった貴族なんかが、読み書き算盤、武術を教えることで、糊口を凌ぎ、食にありついていたとも言えるのでしょう。
源氏物語絵巻のように、非常に高価な絵巻物が、読まれた時代から、江戸期の庶民が貸し本屋から本を借りて読んでいた時代まで、日ノ本は庶民レベルでの教育が、非常に進んだ国であったと考えられています。
子供用の教科書としては、平安末期に「実語教」という教科書が完成していたみたいである。『図書寮本類聚名義抄』(康和4年(1103年)までに成立)に掲載されているそうで、平安末期までに、一定の範囲で使用される教科書のように使われていたモノと推定される。
著者不明となっているが、内容から仏教関係者だろうと推定されている。
内容としては、
山高きがゆえに貴からず、木有るをもって貴しとす。
山が高いから、偉いのではない。木が有るからこそ尊いのだ。
人肥たるがゆえに貴からず、智あるをもって貴しとす。
人は裕福だから、偉いのではない。知恵があるから偉いのだ。
老いたるを敬うのは、父母の如し。幼きを愛するのは、子弟の如し。
年寄りは、両親のように敬いなさい。幼い子供は、自分の子や弟妹のように愛しみなさい。
まぁ、当時の一般常識を基準として、道徳や倫理を含めた教育内容となっている。
読み書きは、繰り返し話し覚えること、書いて書いて書き取って覚えることが、教育方法として採用されていました。
日ノ本での教えるのは、教科書をそのまま使うのではなく。独自に改変すように教えていたことが、記録に残されている。です
算盤では、「塵劫記」が江戸時代に執筆されて、寺子屋などで教科書として使われていたと記録されています。
貨幣経済の浸透と、算盤の普及によって、算術に関する教育は非常に進んだと推定される。しかしながら、円周率やルートなどの計算については、演算方法ではなく、数表のような形式で教えられていたと考えられる。
つまり、最初の教育段階では、計算結果を出すための技法が優先され、証明や論理については、教える側の考え方に一任されていたようである。
算盤によって、暗算や概算など、実務計算については、非常に高度なレベルで教育が行われたと推定されるが、論理問題や証明などは、教える側教わる側の力量によって変わったと推定される。
税の計算や徴収には、数学が必要でした。これは、律令から普遍の考え方であり、建築や治水土木についても、数学は必須でもあったのです。
平安時代の数学は、渡来人や留学によって学んだと考えられ、独占的に扱われていたようです。そのため、学術体系の項目では、「古典」「陰陽」「薬」といった項目に「数学」は入っていなかったようです。
平安から鎌倉期には、「算師」呼ばれる、計算に長けた人が、税務計算を担当していたようです。
Computorの語源である、「計算する人」のような算術担当者が、数多く雇われていたと推定されます。
算術計算が、庶民でも必要とされたのは、貨幣経済が発展浸透した、江戸期の寺子屋で、算盤が普及利用することで、急速に発展していったと推定されます。
実務計算の浸透が優先されすぎて、数学そのものは、算額に代表されるように趣味の領域として発展していったとも考えられます。
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