7 / 13
獅子宰相と呼ばれた男
強者の倫理06 「Lytton Commission」
しおりを挟む
<<<<<if年表>>>>>
昭和 5年(1928年)北京にアメリカ軍駐留キャンプが建設される
昭和 6年(1929年)アメリカ、株価の大暴落始まる。
アメリカと中華民国との間で、駐留軍について協定締結
昭和 8年(1931年)イギリス金輸出禁止
昭和 9年(1932年)アメリカ金輸出禁止
ソ連軍撤退と中共停戦協定交渉開始
昭和10年(1933年)アメリカ、国家資本として、上海に自動車工場建設
中共停戦協定締結
北京自治政府保安隊、アメリカ軍憲兵隊襲撃(公安門事件)
北京国民革命軍、アメリカ軍キャンプ襲撃事件発生(北平事件)
昭和11年(1934年)国民党と共産党の和解、国共合作
北京アメリカ移民居留地区で、大量虐殺事件(通州事変)
アメリカ軍による、北京占領
リットン調査団派遣「国際連盟米支紛争調査委員会」
<<<<<if年表>>>>>
アメリカによる、北京占領は、周囲の北洋軍閥を主体とした、中華民国軍との戦闘の火蓋を切ることとなった。国共合作後の戦闘のため、西涼の中国共産党軍も戦闘に加わったのである。アメリカ側にドイツが参戦したことで、米支戦争は、拡大の一途をたどった。
国際連盟からは、リットン伯爵を団長とする調査団が派遣された。
10000人を超える大量虐殺の証拠は、あまりにも多く発見されたが、事件の経緯そのものの究明は、困難を極めていた。
昭和10年(1933年)北京国民革命軍とアメリカ軍憲兵隊の衝突は、アメリカ軍による中国人少女強姦事件を発端としており、アメリカ軍側の対応にも問題があったことが確認されていた。また、アメリカ軍や市民による強盗や障害事件は、他にも何件も報告されていて、この結果として、革命軍と憲兵隊が交戦状態となっていた。
最終的な虐殺そのものは、非道であるとしながら、命令としての実施ではなく、暴動の結果から生じた虐殺である。
Lytton伯爵による報告は、虐殺を起こした、国民革命軍の行動は非道であるとし、アメリカ軍の虐殺後の行動は正しいとした。しかしながら、前年から続いている、アメリカ軍の行動と憲兵隊の対処には、偏りが大きく、暴動が起きやすい状況であったと報告された。
Lytton報告書に基づき、国際連盟では、アメリカ軍の虐殺事件以降の行動を肯定しながら、憲兵隊の行動について疑問が呈された。アメリカは、報告書の内容について、憲兵隊については、事実誤認の疑義があるとしながらも、虐殺後の行動について肯定されたことは評価するとしたが、北京の占領は継続すると宣言していた。
中華民国政府は、憲兵隊の行動が、このような結果を生んだとし、北京と天津および山東省の「特区」化には反対した。熱河省の湾岸地域を中心として、治水墾田開発に、中華民国が了承し、流民の受け入れ地区として「特区」へ参加した。皇泰島のイギリスへの租借は拒否したものの、中華民国の執政府とイギリス総督府の建設を認めたのである。皇泰島の港湾を中心とした地域は、イギリス連合王国領事館の敷地として、租界扱いとしたのである。市街地を貫くように走る山海関から天津までの鉄道路線を境界として、湾側がイギリス租界、山手側を中華民国管理地域としたのである。
イギリスやフランスは、山東省の「特区」化については、容認しつつ、北京や天津を含む河北省については難色を示していた。河北省までを対象とすると、ドイツの力が強くなりすぎることに懸念があったのである。
大陸利権に対して後発のイタリアは、青島から北京までの鉄道利権へ、参加を求めており、認められれば河北省の「特区」に賛成するとしていた。
日本は、天津までの鉄道および都市関連の利権について、イギリスと共に確保することを主としていた。イギリスが、皇泰島における港湾利権、イギリスへの租借交渉をおこなっていて、日本は中華民国と治水工事と共に、墾田開発と流民への貸与政策を進めていた。中華民国の参加を含めた、事実上の熱河省の「特区」化であった。熱河省は、承徳油田を含むところから、「特区」化については、アメリカや中華民国を含めて、国際連盟の承認を得ていた。
北京で発生した事変から、百万を越える避難民の多くが、熱河省に逃れてきたが、皇泰島の山側、市街地の外側に住み着いて、スラムと化していた。皇泰島駅には、1万の満洲鉄道都市警備局工務隊が、治安維持をおこなっていて、治水工事と市街地の警護をおこなっていた。熱河省一帯の治水工事は、発電所の建設や工務学校の建設を含めて、3万の工務隊を中心として、スラムの住民を大量に雇い入れて進められていた。スラムを潰して、発電所を建設し、住民の雇い入れを進める、工務学校を建設して、孤児を含めた子供達を寮へ収容して、読み書き算を教え始めていた。大陸での内戦が激化し、流民が多くなったことから、工務学校は、皇泰島だけでなく、山海関から天津東までの各駅に建設されていった。
昭和 5年(1928年)北京にアメリカ軍駐留キャンプが建設される
昭和 6年(1929年)アメリカ、株価の大暴落始まる。
アメリカと中華民国との間で、駐留軍について協定締結
昭和 8年(1931年)イギリス金輸出禁止
昭和 9年(1932年)アメリカ金輸出禁止
ソ連軍撤退と中共停戦協定交渉開始
昭和10年(1933年)アメリカ、国家資本として、上海に自動車工場建設
中共停戦協定締結
北京自治政府保安隊、アメリカ軍憲兵隊襲撃(公安門事件)
北京国民革命軍、アメリカ軍キャンプ襲撃事件発生(北平事件)
昭和11年(1934年)国民党と共産党の和解、国共合作
北京アメリカ移民居留地区で、大量虐殺事件(通州事変)
アメリカ軍による、北京占領
リットン調査団派遣「国際連盟米支紛争調査委員会」
<<<<<if年表>>>>>
アメリカによる、北京占領は、周囲の北洋軍閥を主体とした、中華民国軍との戦闘の火蓋を切ることとなった。国共合作後の戦闘のため、西涼の中国共産党軍も戦闘に加わったのである。アメリカ側にドイツが参戦したことで、米支戦争は、拡大の一途をたどった。
国際連盟からは、リットン伯爵を団長とする調査団が派遣された。
10000人を超える大量虐殺の証拠は、あまりにも多く発見されたが、事件の経緯そのものの究明は、困難を極めていた。
昭和10年(1933年)北京国民革命軍とアメリカ軍憲兵隊の衝突は、アメリカ軍による中国人少女強姦事件を発端としており、アメリカ軍側の対応にも問題があったことが確認されていた。また、アメリカ軍や市民による強盗や障害事件は、他にも何件も報告されていて、この結果として、革命軍と憲兵隊が交戦状態となっていた。
最終的な虐殺そのものは、非道であるとしながら、命令としての実施ではなく、暴動の結果から生じた虐殺である。
Lytton伯爵による報告は、虐殺を起こした、国民革命軍の行動は非道であるとし、アメリカ軍の虐殺後の行動は正しいとした。しかしながら、前年から続いている、アメリカ軍の行動と憲兵隊の対処には、偏りが大きく、暴動が起きやすい状況であったと報告された。
Lytton報告書に基づき、国際連盟では、アメリカ軍の虐殺事件以降の行動を肯定しながら、憲兵隊の行動について疑問が呈された。アメリカは、報告書の内容について、憲兵隊については、事実誤認の疑義があるとしながらも、虐殺後の行動について肯定されたことは評価するとしたが、北京の占領は継続すると宣言していた。
中華民国政府は、憲兵隊の行動が、このような結果を生んだとし、北京と天津および山東省の「特区」化には反対した。熱河省の湾岸地域を中心として、治水墾田開発に、中華民国が了承し、流民の受け入れ地区として「特区」へ参加した。皇泰島のイギリスへの租借は拒否したものの、中華民国の執政府とイギリス総督府の建設を認めたのである。皇泰島の港湾を中心とした地域は、イギリス連合王国領事館の敷地として、租界扱いとしたのである。市街地を貫くように走る山海関から天津までの鉄道路線を境界として、湾側がイギリス租界、山手側を中華民国管理地域としたのである。
イギリスやフランスは、山東省の「特区」化については、容認しつつ、北京や天津を含む河北省については難色を示していた。河北省までを対象とすると、ドイツの力が強くなりすぎることに懸念があったのである。
大陸利権に対して後発のイタリアは、青島から北京までの鉄道利権へ、参加を求めており、認められれば河北省の「特区」に賛成するとしていた。
日本は、天津までの鉄道および都市関連の利権について、イギリスと共に確保することを主としていた。イギリスが、皇泰島における港湾利権、イギリスへの租借交渉をおこなっていて、日本は中華民国と治水工事と共に、墾田開発と流民への貸与政策を進めていた。中華民国の参加を含めた、事実上の熱河省の「特区」化であった。熱河省は、承徳油田を含むところから、「特区」化については、アメリカや中華民国を含めて、国際連盟の承認を得ていた。
北京で発生した事変から、百万を越える避難民の多くが、熱河省に逃れてきたが、皇泰島の山側、市街地の外側に住み着いて、スラムと化していた。皇泰島駅には、1万の満洲鉄道都市警備局工務隊が、治安維持をおこなっていて、治水工事と市街地の警護をおこなっていた。熱河省一帯の治水工事は、発電所の建設や工務学校の建設を含めて、3万の工務隊を中心として、スラムの住民を大量に雇い入れて進められていた。スラムを潰して、発電所を建設し、住民の雇い入れを進める、工務学校を建設して、孤児を含めた子供達を寮へ収容して、読み書き算を教え始めていた。大陸での内戦が激化し、流民が多くなったことから、工務学校は、皇泰島だけでなく、山海関から天津東までの各駅に建設されていった。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説

我田引鉄だけじゃない? 原首相のまったり運営
Ittoh
歴史・時代
我田引鉄。
国内鉄道網整備を名目として、ひたすら各地の選挙民への利益供与を続けたことを背景として、圧倒的な支持基盤を持つ、立憲政友会総裁、原敬内閣が、大正7年に成立した。
我田引鉄で、票を稼ぎ、国際連盟による連合軍編成して、シベリア出兵し、ボリシェビキを撃破して、満洲利権と沿海州利権について、国際連盟の利権とした。日露戦争に勝利したことで、平和と安寧を貪る大日本帝国のまったり運営が始まった。

軟弱絵師と堅物同心〜大江戸怪奇譚~
水葉
歴史・時代
江戸の町外れの長屋に暮らす生真面目すぎる同心・十兵衛はひょんな事に出会った謎の自称天才絵師である青年・与平を住まわせる事になった。そんな与平は人には見えないものが見えるがそれを絵にして売るのを生業にしており、何か秘密を持っているようで……町の人と交流をしながら少し不思議な日常を送る二人。懐かれてしまった不思議な黒猫の黒太郎と共に様々な事件?に向き合っていく
三十路を過ぎた堅物な同心と謎で軟弱な絵師の青年による日常と事件と珍道中
「ほんま相変わらず真面目やなぁ」
「そういう与平、お前は怠けすぎだ」
(やれやれ、また始まったよ……)
また二人と一匹の日常が始まる
琉球お爺いの綺談
Ittoh
経済・企業
歴史ifの小説、異世界歴史ifについて小説を描いております。
琉球お爺ぃは、小説などで掲載している、背景事情なんかを中心に記述してたりしています。
朝、寝て起きない、知人を起こしに行って、ゆすっても起きなかったという話をよく聞くようになった。職場で、昼寝をした状態から、自力で起き上がることができない知人もいる。
そんな時代に生きるお爺の一考察
琉球お爺ぃは、世界がみんな日本になったら、平和になるとは思うけど、その前に、日本は滅ぼされるだろうな。そんな風に、世界を見ています。
他に、技術関連のお話なんかも描いてます。
返歌 ~酒井抱一(さかいほういつ)、その光芒~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
江戸後期。姫路藩藩主の叔父、酒井抱一(さかいほういつ)は画に熱中していた。
憧れの尾形光琳(おがたこうりん)の風神雷神図屏風を目指し、それを越える画を描くために。
そこへ訪れた姫路藩重役・河合寸翁(かわいすんおう)は、抱一に、風神雷神図屏風が一橋家にあると告げた。
その屏風は、無感動な一橋家当主、徳川斉礼(とくがわなりのり)により、厄除け、魔除けとしてぞんざいに置かれている――と。
そして寸翁は、ある目論見のために、斉礼を感動させる画を描いて欲しいと抱一に依頼する。
抱一は、名画をぞんざいに扱う無感動な男を、感動させられるのか。
のちに江戸琳派の祖として名をはせる絵師――酒井抱一、その筆が走る!
【表紙画像】
「ぐったりにゃんこのホームページ」様より
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
梅すだれ
木花薫
歴史・時代
江戸時代の女の子、お千代の一生の物語。恋に仕事に頑張るお千代は悲しいことも多いけど充実した女の人生を生き抜きます。が、現在お千代の物語から逸れて、九州の隠れキリシタンの話になっています。島原の乱の前後、農民たちがどのように生きていたのか、仏教やキリスト教の世界観も組み込んで書いています。
登場人物の繋がりで主人公がバトンタッチして物語が次々と移っていきます隠れキリシタンの次は戦国時代の姉妹のストーリーとなっていきます。
時代背景は戦国時代から江戸時代初期の歴史とリンクさせてあります。長編時代小説。長々と続きます。
【新訳】帝国の海~大日本帝国海軍よ、世界に平和をもたらせ!第一部
山本 双六
歴史・時代
たくさんの人が亡くなった太平洋戦争。では、もし日本が勝てば原爆が落とされず、何万人の人が助かったかもしれないそう思い執筆しました。(一部史実と異なることがあるためご了承ください)初投稿ということで俊也さんの『re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ』を参考にさせて頂きました。
これからどうかよろしくお願い致します!
ちなみに、作品の表紙は、AIで生成しております。

信長の秘書
にゃんこ先生
歴史・時代
右筆(ゆうひつ)。
それは、武家の秘書役を行う文官のことである。
文章の代筆が本来の職務であったが、時代が進むにつれて公文書や記録の作成などを行い、事務官僚としての役目を担うようになった。
この物語は、とある男が武家に右筆として仕官し、無自覚に主家を動かし、戦国乱世を生き抜く物語である。
などと格好つけてしまいましたが、実際はただのゆる~いお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる