強者の倫理、獅子宰相と呼ばれた男

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獅子宰相と呼ばれた男

強者の倫理06 「Lytton Commission」

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 昭和 5年(1928年)北京にアメリカ軍駐留キャンプが建設される
 昭和 6年(1929年)アメリカ、株価の大暴落暗黒の木曜日始まる。
           アメリカと中華民国との間で、駐留軍について協定締結
 昭和 8年(1931年)イギリス金輸出禁止
 昭和 9年(1932年)アメリカ金輸出禁止
           ソ連軍撤退と中共停戦協定交渉開始
 昭和10年(1933年)アメリカ、国家資本として、上海に自動車工場建設
           中共停戦協定締結
           北京自治政府保安隊、アメリカ軍憲兵隊襲撃(公安門事件)
           北京国民革命軍、アメリカ軍キャンプ襲撃事件発生(北平事件)
 昭和11年(1934年)国民党と共産党の和解、国共合作
           北京アメリカ移民居留地区で、大量虐殺事件(通州事変)
           アメリカ軍による、北京占領
           リットン調査団派遣「国際連盟米支紛争調査委員会」
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 アメリカによる、北京占領は、周囲の北洋軍閥を主体とした、中華民国軍との戦闘の火蓋を切ることとなった。国共合作後の戦闘のため、西涼の中国共産党軍も戦闘に加わったのである。アメリカ側にドイツが参戦したことで、米支戦争は、拡大の一途をたどった。

 国際連盟からは、リットン伯爵を団長とする調査団が派遣された。

 10000人を超える大量虐殺の証拠は、あまりにも多く発見されたが、事件の経緯そのものの究明は、困難を極めていた。

  昭和10年(1933年)北京国民革命軍とアメリカ軍憲兵隊の衝突は、アメリカ軍による中国人少女強姦事件を発端としており、アメリカ軍側の対応にも問題があったことが確認されていた。また、アメリカ軍や市民による強盗や障害事件は、他にも何件も報告されていて、この結果として、革命軍と憲兵隊が交戦状態となっていた。

 最終的な虐殺そのものは、非道であるとしながら、命令としての実施ではなく、暴動の結果から生じた虐殺である。

 Lytton伯爵による報告は、虐殺を起こした、国民革命軍の行動は非道であるとし、アメリカ軍の虐殺後の行動は正しいとした。しかしながら、前年から続いている、アメリカ軍の行動と憲兵隊の対処には、偏りが大きく、暴動が起きやすい状況であったと報告された。

 Lytton報告書に基づき、国際連盟では、アメリカ軍の虐殺事件以降の行動を肯定しながら、憲兵隊の行動について疑問が呈された。アメリカは、報告書の内容について、憲兵隊については、事実誤認の疑義があるとしながらも、虐殺後の行動について肯定されたことは評価するとしたが、北京の占領は継続すると宣言していた。

 中華民国政府は、憲兵隊の行動が、このような結果を生んだとし、北京と天津および山東省の「特区」化には反対した。熱河省の湾岸地域を中心として、治水墾田開発に、中華民国が了承し、流民の受け入れ地区として「特区」へ参加した。皇泰島のイギリスへの租借は拒否したものの、中華民国の執政府とイギリス総督府の建設を認めたのである。皇泰島の港湾を中心とした地域は、イギリス連合王国領事館の敷地として、租界扱いとしたのである。市街地を貫くように走る山海関から天津までの鉄道路線を境界として、湾側がイギリス租界、山手側を中華民国管理地域としたのである。

 イギリスやフランスは、山東省の「特区」化については、容認しつつ、北京や天津を含む河北省については難色を示していた。河北省までを対象とすると、ドイツの力が強くなりすぎることに懸念があったのである。

 大陸利権に対して後発のイタリアは、青島から北京までの鉄道利権へ、参加を求めており、認められれば河北省の「特区」に賛成するとしていた。

 日本は、天津までの鉄道および都市関連の利権について、イギリスと共に確保することを主としていた。イギリスが、皇泰島における港湾利権、イギリスへの租借交渉をおこなっていて、日本は中華民国と治水工事と共に、墾田開発と流民への貸与政策を進めていた。中華民国の参加を含めた、事実上の熱河省の「特区」化であった。熱河省は、承徳油田を含むところから、「特区」化については、アメリカや中華民国を含めて、国際連盟の承認を得ていた。
 北京で発生した事変から、百万を越える避難民の多くが、熱河省に逃れてきたが、皇泰島の山側、市街地の外側に住み着いて、スラムと化していた。皇泰島駅には、1万の満洲鉄道都市警備局工務隊が、治安維持をおこなっていて、治水工事と市街地の警護をおこなっていた。熱河省一帯の治水工事は、発電所の建設や工務学校の建設を含めて、3万の工務隊を中心として、スラムの住民を大量に雇い入れて進められていた。スラムを潰して、発電所を建設し、住民の雇い入れを進める、工務学校を建設して、孤児を含めた子供達を寮へ収容して、読み書き算を教え始めていた。大陸での内戦が激化し、流民が多くなったことから、工務学校は、皇泰島だけでなく、山海関から天津東までの各駅に建設されていった。
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