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倒幕異聞
鎌倉崩壊異聞7 日本は、いにしえより続く、最長寿国家です
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資本主義経済は、商業を守ることであり、生産者と消費者の困窮と搾取が基本となります。
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日ノ本は、公式では紀元前660年より続く、世界最長寿国家だったりします。
延々と人々が温故知新を繰り返した中で、世界で一番古くから続く会社もまた、日本にあったりします。
組織体制というものは、そう簡単には変わらないし、変化させることで、問題が次から次へと噴出する結果ともなります。世界最古の国の宿命でもありますが、日本の法律というモノは、かなり難しいモノとなっていて、成文法でありながら慣習法のような運用をされています。
新しい法律が制定された場合に、過去に制定された条文と整合性が取れなかったとしても、法律の条文が変更されることはありません。
日本の相続で、嫡男相続が基本となったのは、江戸時代くらいからだったりします。古代日本では、末子相続、徐々に指名相続に代わって鎌倉時代に入ります。史実の鎌倉時代は、分割相続の結果として、御家人の困窮が酷くなり鎌倉幕府が崩壊していきます。「田を分ける=タワケ」という言葉が、「ばかげたことをする」になったのが、鎌倉時代なのです。
現行法における財産を分与する形は、「田を分ける=タワケ」をする法律となりますので、世代が進めば進むほどに、田畑での収益で家族が維持できなくなります。これは、会社組織のビジネスでも同じで、株式保有者が、相続にあたって株を「田を分ける=タワケ」ように分与すれば、相続の結果として収益が低下することになります。
不労所得が年収500万の家庭があり、夫婦と子供が1人居た場合、片親が亡くなった場合に片親と子供に半分づつ250万250万となる。年収500万であれば生活できるとしても、250万ではかなり厳しい結果となります。子供が2人になれば、子供の年収は125万となり、生活が困窮することになります。
鎌倉時代は、親の財産をどのように分与するかは、親の権限となっていました。初期の鎌倉幕府は、源平合戦、奥州征伐、承久の乱と戦を繰り返すほどに、恩賞給与される土地が増えて収入が増加していきました。堆肥の利用など、農業技術も向上していて、単位面積当たりの収穫高も向上していた時代でもあります。
こういったインフレーションの時代は、子供に分割して相続させたとしても、子供達がさらに活躍すれば、分割後であっても収益向上が望めたのです。
「承久の乱」の後は、鎌倉幕府は敵が無くなり、恩賞給与の相手が消えます。おそらくは、恩賞給与が消えて、財産分与が生じるとなれば、未来の収入に不安が発生します。これが、北条家をして、有力御家人を次から次へと生贄にして、独裁政権を築いていく結果となったのです。
北条家による独裁政権が確立してしまえば、今度は北条家への不満が高まり、北条家内部の権力闘争から、得宗家という流れが生まれています。それが終われば、今度は独裁権力となった北条家が、狙われる側へと変わっていきます。
元寇は、こういった経済の流れを加速させただけで、本質的な原因ではありません。
鎌倉時代は、あくまでも財産について家長によって、指名して分与されることが基本であり、理不尽な分与が行われたときに、鎌倉幕府に訴え出て裁決を受けていたのです。指名が複数である必要はなく、指名を単独相続とすれば、分与されることは無く、「田を分ける=タワケ」ということも無くなります。
権利者である家長に財産譲渡の決定権があり、不服が生じた場合、鎌倉幕府に対して問注所への申し立てができる。鎌倉幕府の時代であっても、単独指名は可能であり、家長の権限を絶対化することで、一家一門に対する求心力を低下させず、一家一門の機能を強化することが可能となる。しかしながら、家長の権限が絶対化することは、相続争いを激化させることになる。家長は、相続争いを嫌えば、分家を増やす分割相続にして、お茶を濁すことになる。日本の場合は、温情が先に来ることが多いので、財産は分与されることが基本で、集中することで血族同士が争う方を嫌うことが多い。
鎌倉時代は、嫡子に権限を集中させるようになっても、分家を作ることを否定しているわけではないので、「田を分ける=タワケ」を行う家長が減らない。結果として、分割相続が増加して、困窮する御家人はやっぱり増加するのです。
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