悪魔の頁

kawa.kei

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第52話

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 「……恐らく笑実が手に入れたのは『44/72シャックス』。 能力は感覚の剥奪です」
 「剥奪?」

 意味がよく理解できない櫻居が聞き返すと祐平は険しい表情で説明を続ける。

 「剥奪って小難しく言いましたが、要は対象から感覚を盗むんです。 視覚や聴覚などの分かり易い五感もそうなんですけど、こいつのヤバい所は倫理観や恐怖心とかも奪い取れる点にあります」
 「つまり潟来君の友人はその能力を自身に使ったと?」
 
 結論に辿り着いた御簾納の質問に祐平は小さく頷く。

 「はい、恐らくですが追い詰められた結果、自分に使ったんでしょうね。 倫理観と恐怖心を失った人間は一切の躊躇がないので、普通ならやれないような残酷な事を平気で実行できるメンタルになります」
 
 祐平はそうでもなければ笑実は他人を傷つけるような真似ができる娘じゃないと付け加える。
 『11/72グシオン』から得た知識は彼の脳に刻まれるので拭い去る事はできない。
 その為、彼は淀みなく得た知識を正確に理解し、言葉に変換する。

 「実際に見た訳じゃないのではっきりとは言い切れませんが、相当数の魔導書を持っているって事はあらゆる手を使い、合理的に殺して奪い取ったんでしょうね」

 この迷宮内のあちこちでは既に激しい戦闘が繰り広げられている。
 そんな中、笑実が単独で生き残る事は非常に難しい。 仮に他の魔導書を手に入れていた場合、あっさりと殺されていたかもしれない。 だから生きている事を素直に喜ぶべき所なのかもしれないが、彼自身が得た知識がそれを許さない。

 『44/72シャックス』の戦闘能力は七十二の悪魔の中でもそう高くはなく、寧ろ低いぐらいだ。 

 ――にもかかわらず、脅威度は最上位に位置する。
 
 それが意味する事は感情と倫理観を喪失した人間の恐ろしさは単純な力よりも高い脅威と認識されている事に他ならない。 倫理を失い合理を追求した人間はもはや人間とは呼べない程の残虐性を発揮する。
 文字通り手段を選ばないはずなので騙し討ち、色仕掛け、何でもありだ。 そして実行に対してのハードルは下がるどころか消え失せるので、逃げ延びた卯敷達は幸運だったと言える。

 「あの女――潟来サンの連れは魔導書の能力でおかしくなってるって事っすよね? だったら説得して能力を解除させればいいんじゃないっすか? 正気に戻ったら自分のやった事を自覚してどうなるのかはわかんねーっすけど、知り合いならワンチャン行けるんじゃ――」

 卯敷の言葉に祐平は小さく首を振る。

 「確かに能力は解除できるよ。 それにより盗まれた感覚は元に戻る。 ただ、条件が術者の死亡なんだ」
 「は? 術者の死亡ってそれ自分のもの取り返す時はどうするんっすか?」
 「どうしようもない。 笑実を正気に戻したいなら本人を殺すしかない」

 これが最大の問題で祐平が絶望した理由だ。
 術者が死亡した事によって奪われた全ては元に戻る。
 裏を返せばそれしか解除する方法がないのだ。 つまり奪われた笑実の正気を取り戻すには当人を殺すしかない。 

 「要は祐平のダチはもう殺すしかねぇんだよ」
 
 水堂はそうだろ?と確認するように視線を向けると祐平は辛そうに俯く。
 その通りだった。 仮に祐平が説得し、それに笑実が応じたとする。
 首尾よく脱出し、それぞれの日常へと戻ったとしよう。 笑実はもう元の彼女ではなくなっている。

 比喩抜きで彼女は爆弾のような存在だ。 何かの拍子に他人を殺し、それを周囲に悟らせないように振舞う事をやりかねない。 気を付ければいい、自分が監視してどうにかする。
 そう言えればどれだけ気が楽だろうか? 『11/72グシオン』の知識はそんな可能性を悉く否定する。

 ここで殺人を行う事の合理性を覚えた以上、日常に戻ったとしても彼女は殺しを止められない。
 気に入らない事、目障りな者を手っ取り早く排除する為にそれを平気で行うはずだ。
 はずとつけてはいるが、ほぼ百パーセントの確率で誰かを手にかける。 彼の質問に悪魔はそう答えた。 もう彼女を現代社会に放つ事は猛獣を放し飼いにする事と同義だ。
 
 彼の得た知識は絶対に社会に許容されない存在だと正確かつ無慈悲に告げる。

 「一応、聞いておくが、魔導書を取り上げても駄目なんだな? 持ってる奴をぶち殺す必要があるなら取り上げた後に黒幕に持たせて殺しちまうってのは無理なのか?」
 「無理みたいです。 あくまで笑実が奪ったものは笑実自身の死がトリガーで戻るみたいですね」

 そこに魔導書を有無は関係ない。 

 「ったく、面倒臭ぇ事になっちまったな。 祐平、お前のダチは俺がぶっ殺す。 手は貸さなくていいし、後で俺を恨んでもいい。 ただ、邪魔だけはするな。 ――できるな?」
 「…………はい」

 もうやる事は変わらないので水堂の決定に祐平は頷く事しかできなかった。
 
 「よし、取りあえずその笑実って娘は見かけたら仕留める事は決まったが、どうしたものかね。 卯敷、居場所は分かるか?」
 「戻れば居ると思うっすけど、流石に移動してると思うんで探す事にはなると思います」
 「お前等を追っかけて来る可能性は?」
 「あると思います。 その場合はここで待ってりゃ来ますね。 けど、そうじゃなかった場合はかなりヤバいっす」
 
 卯敷が何をヤバいと言っているかに真っ先に気が付いたのは御簾納だった。
 彼等は御簾納の仲間だった者達が同士討ちをしている場面を見た後、笑実に遭遇したのだ。
 距離はそこまで離れていない。 つまり、追って来ていない場合はそちらに行った可能性が高いのだ。

 「そういう事かよ。 って事は皆殺しにされてるって方向で考えた方がいいな」
 「ちょっと、御簾納さんの元お仲間って十人ぐらい居たんでしょ? 元々、十冊近く持ってるかもって話だったのに追加で十冊? 二十冊も持ってるって事? そんなの相手に勝てるの?」
 「数に惑わされんな。 魔導書を使うには寿命を削る必要がある。 その笑実って娘は一人、それだけの魔導書を使い分けるのは確かにヤベぇが、何を支払っているのかを知らないのなら派手に使わせて破産を狙ってもいい」
 「なぁ、トッシー。 どういう事?」
 「魔導書を使う為には寿命が要る、でもあの女は財布を一つしか持ってない。 でも俺らは人数がいるからそれだけの支払い能力があるって事だべ。 要はこっちのが金あるから札束の殴り合いで勝つって言ってんだよ」
 「なるほど! 流石トッシー!」

 感心する伊奈波に卯敷はこいつ本当に分かっているのかよと思ったが、いつもの事なので余り気にしなかった。 
 方針は決まったが、危ない橋を渡る事にはなるので気持ちは重かったが。
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