悪魔の頁

kawa.kei

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第36話

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 佐田卦さだげ 鍔差つばさは苛々した気持ちで歩いていた。 
 服は魔導書の第四位階を使用した事で吹き飛び、残った布を腰に巻いている状態だ。
 苛々する。 彼はこの状況全てに苛立っていた。

 訳の分からない奴に誘拐された事も不愉快だ。 魔導書の力を知ってそこそこ気持ちは持ち直したが、遭遇した二人組には逃げられた事で一気にマイナスとなった。
 あの二人に対しては魔導書の第四位階を使わされて衣服を失った事もあって非常に腹立たしい。

 それなりに気に入っていた服という事もあったが、相手は第四位階を使わずほぼ無傷で切り抜けた。
 結果の差に彼は苛立ちを募らせる。 基本的に彼は舐められる、または他者より劣っていると言われる、感じさせられる事を嫌う。 その為、彼は服を失い、相手は失わなかった。

 当人は決して認めないがその事実が敗北感として彼の心に巣くっているのだ。
 この不快感はその感情の源泉を消し去る事でしか払拭できないだろう。
 その後に絡んで来た相手を始末して魔導書を奪う事が出来、それなりにいい気分にはなったがそれだけだった。

 本質的に彼は他人を攻撃し、捻じ伏せる事でしか自分を肯定できないのだ。
 コンプレックスの裏返しとも取れる行動原理だが、頭のあまり良くない彼は苛々するから発散したい程度の認識で行動している。 その為、暴力やそれに類する行動に対しての抵抗は驚く程に低い。

 他者に何故そんな事をしたのかと問われると彼はこう答えるだろう。
 自分は苛つくと抑えが利かなくなるからだと。 本人がそこで思考停止している事も大きいが、根本的に我慢する気がないので抑えなど利くはずがない。

 彼は迷宮を歩き続ける。 この苛々とした気持ちを吐き出す出口を求めて。
 明確な標的が居はするが、結局の所は自分が気持ちよくなれれば何でもよかったのだ。
 だから、闇の向こうに小柄な後姿が見えた事に内心でほくそ笑む。

 可能な限り足音を殺し、目視できる距離まで近づきその正体をはっきりさせる。
 高校の物であろう制服を着た娘。 女、最高だ。
 ちょうど苛々を吐き出せる場を探していた身としては非常に都合のいい相手だった。
 
 ギリギリまで近づき、相手が接近に気が付いた所で一気に駆け出す。
 女子高生はいきなり現れ、接近した佐田卦の姿に目を見開き逃げ出そうと走る。
 だが、遅い。 この距離では逃げる事は難しい。 魔導書を使って来た場合は『29/72アスタロト』の第四位階で捻じ伏せる手間が増えるのでできればやりたくなかった。

 手間もそうだが、うっかり殺してしまうと楽しめない。
 日本では犯罪だが、ここでは合法だ。 滅茶苦茶にして飽きたら殺せばいい。
 脳内でこの先の事をシミュレート。 追いついた後、肩を掴んで顔面に一発拳を叩き込んで大人しくしろと恫喝する。 恐らくそれで後は言いなりになるだろう。

 彼は他者を捻じ伏せる事に強い執着を抱いているだけあって、どうすれば相手を楽に屈服させる事ができるか実際の経験もあって精通していると言っていい。
 逃げる女子高生を完全に捉えた。 魔導書を使って来る気配はない。

 ならばと手を伸ばして肩を掴む。 そのまま引っ張って強引に振り向かせて拳を振り上げる。
 後は頬に向かって一撃を叩き込むだけだ。 ここまでは想定通り。
 だが、一点だけ想定とは違う事があった。 制服の首部分から何かが顔を出しているのだ。

 ――鳩?

 真っ先に抱いた印象は公園などによくいる鳥だ。 暇な老人が餌をばら撒いて周囲を糞まみれにしているので害鳥ではないのかと彼は思っていた。
 何故、そんな鳥がここにいるのか? 察しが良い方ではない佐田卦だったが、ややあってこんな所に鳩が居るのは不自然と思い至り、それが召喚された悪魔だと思い至るのにそう時間はかからなかった。

 だが、完全に想定外の事象に対応がワンテンポ遅れる。
 鳩の目が妖しく輝き、それを見た彼の視界がブラックアウト。
 まるで目を閉じさせられたかのように視界が真っ暗になった。 問題は瞬きをしても一向に回復しない。 何らかの手段で視覚を完全に奪われたのだ。
 
 「畜生! テメエ何を――」

 ――しやがると叫ぼうとしたが、不意に自らの声が途切れる。
 今度は喋れなくなったのか?と考えたが、それは違うと気が付いた。
 喋れなくなったわけではない。 自分の声が聞こえなくなったのだ。

 つまり聴覚が奪われた。 それでも触覚は生きている。
 目も見えず耳も聞こえないが、手の平にしっかりと体温を感じていた。
 つまり今自分はさっきと同じ態勢で女子高生の肩を掴んでいる。

 見えないが拳を振り抜けば当たった感触はするはずだ。 
 殴り飛ばした後は魔導書でとどめを刺してやる。 性的な暴行を働こうといった考えは消え失せ、舐めた真似をした生意気な女子高生を惨たらしく殺してすっきりしたい。

 彼の思考は怒りとそれを発散する事に塗り潰され――

 ――あれ?

 無意識だったが驚くほどに間抜けな声が漏れる。 それは当人の耳に入らなかったので言葉にした自覚すら生まれなかった。
 ――不意に疑問が浮かぶ。
 何故なら彼は自分が今、何をしようとしたのか分からなくなったのだ。

 確か掴んだ女を殴る。 そうだ、殴ってすっきりしなければならない。
 なら何故、殴らなければならないんだ? いや、だから女を殴るのは――何故だ?
 記憶が吹き飛んだわけではない。 自分が何をやっているのか理解できなくなったのだ。

 何故殴る? 苛ついているからだ。 何故苛ついている??
 何故? 何故?? 何故??? あれ、俺は何でこんな事をしているんだ?
 記憶と行動が直結しない。 今、自身が置かれている事象が理解できない。

 分かってはいるのだが、何をするべきなのかを失念してしまっている。
 女がいた。 追いかけて肩を掴んだ。 強引に振り向かせた。
 そこまでは既にやった事だ。 その後に何をするべきなのかが理解できない。

 殴ると決めていたが何故殴るのかが理解できない。
 そして自分が何やっているのかさっぱり理解できない。
 
 ――???

 皮肉な事に彼は周囲に対する認識力が極限に落ちたこの瞬間に全ての怒りを忘れた。
 そして首を何かが通り過ぎる感触。 斬られたといった言葉が浮かんだがそれが具体的に何を意味するのかが理解できない。 血液が噴出する感触がするが、他人事のように感じてしまう。

 気が付けば掴んでいた感触も消え失せ、地面に倒れ冷たい感触だけが全てとなる。
 そしてそれが何を意味するのかを理解できずに――彼の思考は永遠に停止した。
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