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第6話 アポストル

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 荒癇は無言でミュリエルの顔面を掴むと片手で持ち上げる。
 ミュリエルが何とか振り払おうとしているが荒癇の腕はピクリとも動かない。
 ゆっくりと掴まれたミュリエルの頭が軋みを上げる。 さっきまでの美しさは何処へ行ったのが、ミュリエルは涙と鼻水を垂らし、止めて放してと叫ぶだけだ。

 朱里はどうすればいいんだろうと戸惑だけで頭が回らない。 止めるべき?
 日本の倫理観に照らし合わせればそうなのだろうが、この状況で止める? 
 下手をすれば自分も同じ目に遭うかもしれないのに? 

 他も似たような考えのようで何もできずにいた。 
 何もできないので朱里は心の冷めた部分でこう思ってしまう。

 ――あぁ、あの姫様も死ぬんだろうな、と。

 「――お、お助けを。 力神プーバー様、そのお力を、お示しください……」

 いや、こんな状況で神頼みとか無理だろと思ったが、そうでもなかったようだ。
 ミュリエルがそう呟いた瞬間、光が爆発するように空間に満ちる。 
 ただ、発生源はミュリエルではなく朱里から離れた位置に固まっていた日本人の一人だ。
 
 高校生ぐらいの少女だったが、彼女は自分の身に起こった事に理解が及ばず「何? 何なの??」と困惑を露わにする。 

 「す、ステータス! え? 何これ? スキルが――」

 それが最期だった。 少女の瞳がぐるりと裏返り、全身から力が抜ける。
 白目を剥いて完全に脱力しているが、見えない糸で吊られているかのように不自然な姿勢で立っていた。 荒癇は僅かに目を細めるとミュリエルをゴミのように投げ捨てる。
 
 さっきのように何かを言うのかと思ったが、無言で姿勢を低くした。 
 明らかに少女を警戒している。 そして裏返っていた少女の瞳が戻った。
 だが、さっきまでのような黒ではなく真っ赤に輝きを湛えている。 水のようでもあり、炎のように揺らめいているようにすら見えた。 同時に全身から真っ赤な光が立ち上る。

 両者の距離は十数メートル。 朱里は嫌な予感しかしなかったので慌てて近くの柱の陰へと避難。
 
 『<Va où tu peux, meurs où tu dois>』

 少女が何かを呟い――いや、アレは何かを使ったのか?
 感覚的なものだったのではっきりとはしないが、恐らくはスキルか何かを使ったのだろう。
 その効果は凄まじく、朱里が一度瞬きしただけで少女は既に荒癇を拳の間合いに捉える距離に移動していた。 まるで映像のコマ落ちのようだ。

 距離があって全体を見れたから分かったが、あの距離であんな速さで動かれたら何が起こったのか理解すらできないだろう。 拳を一閃。 
 少女の拳から繰り出された一撃は朱里の常識を軽々と無視して荒癇を破壊するだろう。

 ――が、荒癇は体を傾けて回避。 

 振り抜いた拳は衝撃だけで背後の壁に巨大な穴が開ける。 荒癇はそんな少女の攻撃に何ら怯む様子も見せずに左手を僅かに開くと掌底をがら空きの腹に叩きつけた。
 同時に荒癇の手の平が僅かに輝くと少女の腹が大きく陥没し、その体が吹き飛んだ。

 恐ろしいのは放物線を描かずに地面と平行に飛ぶという漫画のような軌跡を描いた事だった。
 少女の体は巨大な扉を突き破り部屋の外へ。 荒癇は開いた手を突き出して握ると少女の飛んでいった辺りの空間が歪み、炎で埋め尽くされた。 余波の熱が扉から空いた穴からこちらに流れ込む。

 肌を焼く熱波に朱里は思わず顔を顰める。 余波だけでこれなのだ。
 廊下は地獄だろう。 少女は間違いなく死んだ。 これまでの朱里ならそう思うが、そうでもなかったようだ。 熱で溶けかけている扉に開いた穴から少女が現れる。

 全身が炭化して人型の炭の塊にしか見えなかったが、表面が剝げ落ちその体が修復されていく。
 その裸体が余す事なく晒されるが、そんな事は問題ではない。 朱里が気になったのは少女の全身に光る文様のようなものが浮かんでいる事だ。 

 「あ、あれは力神プーバー様の聖印! アポストルである証! おぉ、神よ。 ありがとうございます!」
  
 ミュリエルは感極まったかのように涙を流しながら地面に跪いた。
 よく分からないが、彼女に起こった変化は力神プーバーとやらの干渉によるものらしい。
 だけど、少女の意思は欠片も残っていないように見える。 場合によっては自分もあんな有様にされるのだろうか? そう考えると背筋が寒くなる。

 荒癇は特に表情を変えずに僅かに目を細めた。 

 「信仰の自由は全ての人に平等に与えられた権利。 だから俺は何を信仰しようとそれを可能な限り尊重します。 だが、信仰の強要は許容できない。 何より、その鼻に突く傲慢が気に入らない。 貴様らのような存在とズヴィオーズ様が同じカテゴリーとして括られる事が我慢できないな。 力神プーバーといったな。 お前は今から俺の敵だ。 ズヴィオーズ様、どうか俺を見守っていてください」

 荒癇の言葉に反応したのか少女は無言で突っ込んでいく。 技巧も何もない、フィジカルに物を言わせた突進攻撃。 一歩、二歩目で既に間合い。 次の瞬間には拳を振り上げている。
 文字通りの神速ともいえる拳の一撃――だが、振り切る前に荒癇は既に少女の懐。 朱里には何が起こったのかまるで見えなかった。 少女が拳を振り切る前に荒癇の掌底が腹を捉え、その小さな体を打ち上げた。 さっきと同様にそのまま吹っ飛ばすのかとも思ったが、それよりも早く荒癇が上半身を大きく傾けて足を振り上げての蹴りを一閃。 上半身を大きく傾けた事によりほぼ真上から降り下ろされた蹴りは少女の脇腹を捉え、その体をくの字に曲げる。

 曲がった角度が凄まじかったので明らかに背骨まで砕けた一撃だ。 
 少女の体が床に叩きつけられてバウンドした所を荒癇が拳を一閃。 吹き飛んで壁に叩きつけられるが、何かに引っ張られるように荒癇の方へと引き寄せられる。 荒癇は駆け出しながら拳を握ると、拳から紫電が迸った。

 途中で停止し、小さく呼吸。 そして地面を踏み砕く勢いで踏みしめると飛んできた少女の腹に力の籠った掌底を叩きこむ。 少女の全身から絞った雑巾のように血液などの体液が飛び散る。
 荒癇の攻撃はそれだけでは終わらず、打ち込んだ掌底を中心に電撃のようなものが少女の内部で荒れ狂う。 少女は悲鳴も上げずに凄まじい痙攣を起こす。

 荒癇はもう一度、地面を踏みしめる。 
 床に放射状の亀裂が走り、空いた手による一撃が繰り出され少女の体が炎が上がった。
 普通の人間であるなら何度も死んでいるような有様だが、力神プーバーの加護を得たらしい少女の肉体は人類の限界を軽々と超越して駆動しようとするが――

 「終わりだ」

 荒癇がそう呟くと少女の体が内側から発光し、大きな爆発が起こった。
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