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20 油断ならない男

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▽▽▽
 食堂に入ると、いつもは先に座っているペイトンはいなかった。

 アデレードが席に着くと、有無もなくどんどん朝食が運ばれてくる。

 ペイトンの席に配膳がないのは、既に出掛けたからなのか。



「旦那様は?」


「まだのようです」


 メイドがチャキチャキ答える。まだなら待った方がよいのでは? と思うものの、眼前にある絶妙なとろけ具合のスクランブルエッグを見ていると、すぐに食さないのは卵に対する冒涜のような気がしてくる。

 それに運んで来たのはこの屋敷の使用人なのだから、オーウェン侯爵家の意向と考えて問題ないはずだ。

 アデレードは、フォークを握ろうとしたが、


(やっぱり、五分だけ待とうかな)


 と珍しく殊勝に思い直した。バーサには「約束なんてしていない」と言ったものの、一応毎朝一緒に食べている者として、配慮は必要な気がする。

 壁掛け時計できっちり五分だけ測ることにした。

 カチカチカチ、と長針が動く音だけする。手持ち無沙汰でぼんやりしている時間は長く感じる。

 五分経ってもペイトンは姿を見せない。あと一分、あと一分、と待って八分経過した。


(これは完全に向こうの落ち度でしょ)


 ジェームスにでもメイドにでも「少し遅れると言っておいてくれ」と頼むことがそれほど難しいことなのか。

 たかが五分されど五分。いや刻々と長針は働き続けてもう少しで十分になる。


(馬鹿馬鹿しい)


 アデレードはおもむろにサラダに手をつけた。

 アデレードは時間を厳守する質なので、何の連絡もなく十分遅れてくることは充分な過失だ。

 だったら、代わりにこっちも好きに食事を始めさせてもらう。

 しかし、新鮮なトマトにフォークを刺して頬張ったところでペイトンはやって来た。ほんの数十秒差だった。

 特に慌てた様子も見受けられない。目が合うと、


「……先に食べていたのか……」


 とペイトンが誰に言うともなく、しかしはっきり聞こえるように嫌味ったらしく言った。


「五分以上も待っていたんですが!」


 アデレードが瞬時に返すと、


「いや、違うんだ……その、すまない」


 とペイトンは謝罪したが、遅れて来ておいてその言い様はなんだ、と腹の虫が治まらなかった。

 アデレードは無言のままロールパンを引きちぎり口へ運んだ。

 スクランブルエッグが固まってきつつあることと、元々機嫌が良くなかったことも相まって非常に気分が悪い。

 しかし、契約上の妻であり、ほぼ居候状態の自分が屋敷の主人に突っ掛かるのもどうか。

 遅れて来たのはお前ではないか、と言いたいところを耐えて、大人しく食事に集中した。

 待たされるのは嫌いだ。

 「待つ」という行動自体にじゃなくて、遅れてくる人間が自分をどう思っているのか如実に分かる行為だと思うから。

 学生時代の五年間は待つばかりの生活だった。でも文句を言えば「別に頼んでない。先に行ったらよいだろう」と返事が返ったに違いない。

 しんとした空間。

 メイドがペイトンの食事を運んで配膳していく。居心地は悪い。

 しかし、アデレードは早く食べて席を立つことはせず、あくまでマイペースを守った。自分は悪くないから、堂々としているべきだ、と。


「……君、」


 ペイトンが声を発する。顔を顰めているのが視界に入った。まだ何か文句を言うつもりなのか、と


「何!」


 と、こちらも臨戦態勢に入ってしまう。

 ペイトンは、契約があるから、こちらに不躾な態度を取らないだけで、元々は初対面のあの一言が本性だろう。

 待遇良くはしてもらっているが、先程の嫌味な発言で目が覚めた気がした。

 ジェームスが言うように、ビジネスなら嫌いな女性とも上手くやるのだそうだし、実際サシャ達にも感じよく接しているのは見ている。

 騙されたらいけないな、と思った。好きな人には甘くなるから、非常に危険。

 ペイトンを異性として好きなわけではないが「人として」でも同じことだ。

 友達に急に冷たくされたら、自分が悪いと思ってしまう思考に陥ったりしないように、舐めた態度をとる奴にはきっちり反撃せねばならない。自分は自分で守らねば。

 バシッと言い返したおかけで、顔を顰めていたペイトンは意気消沈したようになり、アデレードは溜飲が下がった。

 ただ、理不尽な対応をされなければ普通にしてくれてよいので、


「なんですか?」


 と一応再度、普通に尋ね返した。

 怒りのボルテージの下降と共に、嫌味を言われたことに対して強く噛みつきすぎた、という感覚が急激に襲ってきたせいでもある。

 最近夜会でも売られた喧嘩は片っ端から買いまくっているせいで喧嘩っぱやくなってしまっているかもしれない。


「なにか言いかけたでしょう?」


 繰り返して尋ねると、


「あ、あぁ、前に君が続編を見たいと言っていた観劇のチケットが手に入りそうなんだ」


 とペイトンはやっと答えた。

 さっき言い掛けた発言は絶対それではなかったですよね? と思ったが険悪な空気に引き戻したくはないので、


「え! 本当ですか?」


 となるべく感じ良く返した。


「あぁ、初日の昼間の公演になるが……」


 夜の公演はザ・デートみたいになるから嫌悪感があるのだろう、と暗に想像できて、前回の観劇でも密室を嫌がっていたことが甦った。

 こちらがブチ切れた後に、気遣いを見せられると、十分の遅刻に大激怒した自分が人間失格みたいに思えて落ち込んでしまう。

 アデレードは、混沌とした心中を整理するように一呼吸した。


(初対面と今回で二度目なのだし、がつんと言ってやったし、さっきの嫌味は取り敢えず一旦忘れよう)


 演技でもなんでもよいのだが、兎に角、舐めた態度を取られなければ何の問題もないのだ。他人に軽んじられるのだけは、二度と御免なのだから。


「ということは本当の初回公演ってことですよね。有難うございます。お礼しますね」


 単純に演劇を楽しみに感じた部分も大きいが、アデレードは気持ちを切り替えてペイトンに笑顔で礼を告げた。

 ただ、気を抜いていたが、やはりこの男は油断ならないな、と改めて思った。
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