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18-2 悪く足掻く

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「取り敢えず、顔を洗って朝食を取ってください。死相が出ていますよ」


 ジェームスはそう言い残して部屋を出て行った。なんて軽い男なんだ、とペイトンは思った。

 昨夜は、アデレードの結婚の理由が頭から離れず明け方近くまで寝付けなかった。まさかあんな答えが返ってくるとは思わなかった。ならばどんな返答を期待していたのか。

 寝台に仰向けになって闇に目を凝らし、ここ数ヶ月のことに思いを巡らせた。

 このまま結婚を続けてよいと思っていた。最初から白い結婚になどにしなければ、とも。

 つまり、自分はアデレードを気に入っている。他のどの女性と比較しても圧倒的に嫌いじゃない。全く嫌いじゃない。全然少しも。つまりそれはどういうことか、……とそこまで考えてペイトンはいつも思考を止めてきた。

 その先のことは、ちゃんと確証が得られてからにしよう。確証とは何か。結婚を継続させる確証だ。一年間ではなく、死が二人を分つまで共に歩んでいく法的拘束。それが確保できてから考える。

 だから、アデレードに契約変更を打診する機会を狙っていた。結果は、提案を持ちかける前に惨敗した。


「物凄く好きだった人に手酷く振られて、自分の中の恋する力が底を尽きたからです」


 がんっと頭に巨石でも載せられたかと感じるくらいの衝撃だった。

 でも一方で、良かった、と感じる自分もいた。ほら、良かった。先走らなくて良かった。何も問題ない。良かった良かった。

 落胆と安堵の奇妙な感覚。延々下らないことをぺらぺらしゃべり続けるくらい混乱していた。

 部屋に戻っても、胸の中が騒がしくて眠れなかった。

 失恋したのに結婚するなんて、と段々騙し討ちにあった気になってきた。けれど、


「調査書とか読んでないんですか?」


 とアデレードの言葉を思い出し、ぐっと喉の奥が鳴った。

 そして、今度はジェームスに怒りの矛先が向いた。

 ジェームスは、アデレードが嫁いでくる前、快適に過ごせるようにとあれこれ調べていた。

 アデレードの幼馴染の男云々と語っていたことも甦ってきた。

 その男がアデレードの失恋した相手に違いない。

 知っていたなら、教えてくれたら良かったのに。

 自分から遮断して聞かなかったことを棚に上げて、ペイトンは強い憤りを感じた。

 それで朝からジェームスを責めたが、返ってきた答えが、


「別に人を好きになるのは一度と決まっているわけじゃないですし」


 だったことに、また喉が詰まった。

 ジェームスが学生時代、いろいろな令嬢と逢瀬を重ねていたことを思い出した。

 ジェームスに対しては全幅の信頼を寄せているが、女性関係だけは違った。

 くっついたり離れたり頻繁に繰り返すことが理解出来なかった。

 ジェームスは気軽に恋愛を楽しめる人間だった。

 しかし、そうでない人間も世の中には多くいる。

 現に父は離婚後独身を貫いている。ジェームスの言葉が万人に当てはまるならば、父は再婚しているはずだ。

 何故、今だに独り身なのか。母を思っているからではないか。

 ならばアデレードも同様かもしれない。本人が言ったことが真実。


「好きな女性は自分で口説かないと振り向いてくれませんよ」


 ジェームスの倫理観ではそうかもしれないが、アデレードははっきり拒絶したのだ。

 そして、こちらから縋るつもりは毛頭ない。

 そもそもまだアデレードを好きになっていない。好きになってくれない相手を好きになることもない。

 だから、アデレードとの関係はやはり当初の契約通り一年で終える。

 ただ愚痴を吐きたくてジェームスに当たり散らしただけで、あんな馬鹿なことを言われるとは思わなかった。

 だが、ペイトンはジェームスに口に出して反論はしなかった。

 音にしたら色んなことが動き出してしまう気がした。

 父のこともアデレードのことも人に触れられたくないし、自分で見たくない領域だ。

 「奥様のこと好きになっちゃったんですか?」とジェームスに聞かれて「馬鹿言うな」と簡単に返答できた時とは確かに変わってしまった。

 しかし、それはなかったことにしなければならない。まだ間に合う。また昔みたいな、あんな思いをするのは避けなければならない。絶対に。絶対にだ。


(大体、変な女じゃないか)


 ペイトンは、全て払拭するように思った。

 アデレードは、はっきり言ってまともじゃない。変な契約は持ちかけてくるし、酒癖は悪いし、喧嘩っ早い。嫌なことはすぐに顔に出すし、気分屋すぎて会話に困る。美人でもないし、優しくもないし、黒魔術までやる。


(全く僕の好みじゃない)


 ペイトンは、恋愛などする気はなかったが、周囲からうるさく、口喧くちやかましく、しつこく、何度も何度も何度も結婚の打診をされて、万が一、億が一、もしも、まさかの確率で自分が女性を好きになるなら、と考えたことが過去に二回だけある。

 貞淑で穏やかで控えめで無口で大人しい女性を望んだはず。

 アデレードは対極線にいるようなタイプだ。嫌いじゃないと思ったのは、契約のせいで色眼鏡で見てしまっていただけ。妻なんだから、と贔屓目で見てしまう強制力が働いただけ。


(そうだ。僕は何をやっていたんだ。らしくもない)


 ペイトンは自分の言動を振り返り羞恥した。

 真面目に契約を守ろうとするあまり自分を見失っていた。

 だが、それも終わりにしよう。この契約はポイントが多い方が負け。

 ジェームスが容赦なく自分にだけポイントを加点していくので、既に勝負は決まったも同然。

 どうせ負けなんだから、頑張っても意味がない。


(勝手に加点させておけばいい)


 愛するふりをしなくてよいなら、遠慮することもない。

 契約のフィルターを外してアデレードを見れば、いかに自分が血迷っていたか分かるだろう。

 ペイトンは、振られた腹いせに掌を返して相手を罵る、というこれまで自分が令嬢達にやられてきた言動をなぞるように歪んだ思考に落ちた。

 がしがしと洗面台に向かい顔を洗って身支度を整えると、まるで決闘にでも向かうかのように、


(今日からはがつんと厳しく接してやろう)


 と意気込んで食堂へ向かって行った。


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