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SIDE2-13 時間は戻らないから

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 レイモンドの独白にエイダンは息を殺した。
 
 プライドの高い青年だと思っていたから、人前でこんな風に嗚咽を漏らして泣くとは、夢にも思わなかった。

 レイモンドの抱えているのが、厄介な代物だとは想定していたが、思ったより闇が深くてエイダンは困惑した。

 泣きじゃくるレイモンドを宥めるのに三十分は掛かった。

 それから、ぼそぼそ観念したように話を始めたことにも酷く哀れみを感じた。

 学園に入学した頃、酷い虐めを受けたことも、それを誰にも言えずにいたことも、何故この青年がこんなに自信がないのか少しだけ理解できた。

 アデレードを嫌いだと告白された時も、何処か納得する部分があった。

 好きな子は虐めたいとか、嫉妬させたいとか、幼稚な考えを持つ男は割といるが、レイモンドのそれはもっと重くて暗かったから。

 あぁ、自分の中でいろんなわだかまりを抱えて、それを隠すうちに何処に何を隠したかわからなくなって、見るのが怖くなって、逃げ続けてきたのだな、と思った。

 まるでパンドラの箱だ。けれど、その一番底にあったものが、零れ落ちるような告白だったことは良かったと感じた。

 かといって、レイモンドのやってきたことは、酷く偏った自分勝手な言動で、アデレードが愛想をつかして別れを告げたことは、仕方ないことだとも思った。

 けれど、屋敷から叩き出す気持ちにはなれなかった。

 恐らく娘のセシリアなら話の途中で激昂して、この場からレイモンドを追い出すに違いない。しかし、エイダンはそこまでの非情にはなれなかった。 

 まず何より、卒業までに成果を出すからアデレードを嫁に欲しい、と膝を折ったあの日のレイモンドの宣言は、やはり嘘ではなかったし、その約束をきっちり果たしていることが大きい。

 勉強を頑張ったから何なのか。仕事が出来るからどうだというのか。アデレードを大事にしないなら意味がない。関係ない。そんな男は叩き捨てろ、と切り捨てることは簡単だが、それを言う権利があるのは、それを両立させた人間だけではないか、とエイダンは考える。

 かつてエイダンもまたステルス学園の特進科に通っていた時期があったから。

 残念ながら四年生に上がる前に脱落した。原因は、カリキュラムがハードすぎて遊ぶ暇がない、という浮ついた理由で自ら普通科へ編入したのだ。

 だから、実際あそこにいた人間として、レイモンドのやっていることは異常としか言いようがない。

 毎朝通学の一時間前に起きて勉強し、帰宅後は商会で働き、休みの日は一週間分の総復習をするために机に齧りついている。それを丸四年以上。できるか。できないか。考えるのも憚られる。

 それに、こんな風に自分の娘を好きだと泣く男を無下にする気になれない。馬鹿正直に気持ちを吐いたことにも絆された感がある。

 尤も、下手な言い訳をして取り繕ったらその場でお帰り願ったのだが。

 はーっとエイダンは大きく息を吐いた。

 
「もう泣くな。顔を上げなさい」


 レイモンドが赤い目をこちらに向ける。美男子がボロ雑巾のようになっている様はなんとも言い難い。

 自分の娘と同じ年の子供であるから特に。

 アデレードが今のレイモンドを見たらなんと言うだろうか、ということが脳裏に浮かんだ。

 あんなに好きだった相手が、自分を思って泣く様は心にくるものがあるに違いない。

 ただ、自分は父親として、レイモンドにアデレードを故意に傷つけてきたことの罰を受けて貰わねばならないとも思う。

 追い返したりはしないが、甘い顔でにこにこ許すつもりはない。第一今日嫁いだ花嫁をどう連れ戻すと言うのか。


「正直、親として君のしたことは腹が立つよ」


「っすみません」


「私に謝罪してもしかたないだろう」


「アデレードに……会わせて頂けるんですか?」


「アデレードは、君に会いたくないから隣国に嫁いだのだと私は思っている」


 思っているというかそれが事実なのだが。

 アデレードの嫁ぎ先のオーウェン侯爵家の現当主とは学生時代からの友人だ。

 一時期、交換留学生としてやってきて学園内で知り合った。非常に真面目な男で帰国後もずっと交流があったが、オーウェン侯爵が結婚してからしばらくは連絡が途絶えた。

 なんでも碌でもない女に振り回されていたらしい。

 今は笑い話のように語るが、金持ちの箱入り息子が、遊びなれた女によいように弄ばれた例の典型というのか。

 結局、結婚後、五年で破局した。別れて良かったと皆が言う中で、ただ一つ問題視されたのが残された息子だった。心に大きく打撃を受けて、その傷は癒えることなく成長した。

 祖父譲りの随分な美男子だというのに女嫌いで有名で、来る女性は全て手酷く袖にすると言う。

 金目当ての女というのが地雷で、結婚に消極的。どうしても結婚しろと言うのなら、オーウェン家の財産と同等の資産家の娘を連れて来いなどと無茶苦茶な注文をつけるのだ、とオーウェン侯爵からしばしば愚痴を零されていた。

 そしてその際、ちらちらアデレードを嫁に欲しそうな打診もされていた。

 尤も、オーウェン侯爵自身、レイモンドの存在を知っていたから、はっきり口にすることはなかったし、冗談めいて直接アデレードに「うちに嫁に来てくれないか?」と告げることがあったが、アデレードはけらけら笑って全く本気にしていなかったのだが。

 しかし、ある日突然、


「オーウェン侯爵様のご令息の花嫁ってもう見つかったの?」


 とアデレードが尋ねてきたので驚いた。

 レイモンドを諦めて結婚するという。

 一旦落ち着くように説得したが頑として譲らなかった。

 レイモンドと結婚しないことは分かったが、わざわざ隣国のオーウェン侯爵家でなくともよいのではないか。

 簡単に行き来できる距離ではない。

 他によい見合い相手を見つけてやると言えば、


「遠いからいいのよ!」


 とポロッと口を滑らせるので、意図することを把握した。

 そんな不純な動機で結婚を決める馬鹿がいるか、と当然猛反対した。

 が、変に行動力がある娘なので厄介だった。アデレードは自分で書いた釣書をオーウェン侯爵に送り付けたのだ。

 こちらがそれに気づいたのは、オーウェン侯爵が狂喜して、結婚の話を進めるためだけに入国してきた時なのだから、もうどうしようもない。

 先程、レイモンドには、さも熟考した上で結婚の了承をした体で話したが、実際はアデレードが親の有無を聞かずに勝手に進めたのだ。

 結局、白い結婚制度を活用して経歴に傷がつかないようにすることで、どうにか上手く纏めたというのが真実だ。

 今頃アデレードはオーウェン家の門扉を叩いているだろう。

 オーウェン侯爵は手放しにアデレードを歓迎してくれたが、息子のペイトンは結局一度も顔合わせに来なかった。

 アデレードの結婚の動機が動機なだけあって、こちらも強くは出れなかったが、一度は顔を出すべきではないかと憤る気持ちはあった。

 アデレードが住むという新居は、オーウェン侯爵の住むタウンハウスとは別宅にあるというのも心配になる。 

 冷たく追い出されたりしていないだろうか。
 

 アデレードの結婚話の顛末を思い返すと、目の前で鼻をシュンシュン鳴らしているレイモンドに対して急に申し訳ない気持ちが湧いた。

 レイモンドが結婚の許可を取りに来たとき「結果なんて不要だ。アデレードを幸せにしてくれればそれで構わない」と言ってやれば、何かが違ったのかもしれない。 
 
 起こらなかった出来事に思いを馳せても仕方ないのだけれど。

 エイダンは、眼前にいるレイモンドを見て、もっと早く動いてやればよかったと後悔に打ちひしがれた。

 アデレードに会いたい、と泣いて縋って来られると辛い。しかし、


「たとえアデレードが君と会っていいと言っても、私が許可しない。嫁いで行った娘に他の男と逢引きするような真似はさせない」


 敢えて厳しいことを言った。時間は取り戻せないから。一月あって何もしなかったのはレイモンド自身だ。

 エイダンの言葉に、レイモンドはぎゅっと口を結んだ。

 ギラギラしていて危うい。 

 このまま野放しにすれば、勝手に会いに行くのは間違いないと思えた。

 アデレードがつき返せば問題はないが、まさか二人で駆け落ちなどされたら、と考えてエイダンは血の気が引いた。

 いくらレイモンドが優秀といえ、流石に何もかも捨て一から生活などできるものか。

 路頭に迷って、生活に困窮して、身売りでもするようなことになったら……と元来アデレードに甘い父親の顔が出る。


「しかし、会わせないと言っているわけじゃない。ただ、君はこれまで君のしてきたことの罰を受けねばならない。だから、条件をつける。白い結婚期間が満了するまでアデレードには接触しないこと。期間満了後、アデレードが結婚を継続すると決めた場合、何も言わずに祝ってやってくれ。この二つの条件を呑めるなら、婚姻解消後、アデレードと会う機会を与える。その時は、私は君を許して応援するよ」


 エイダンは考えあぐねた末に言った。

 これは重い罰なのか、軽いのか。

 もし謝罪をして許しを乞い、思いを打ち明けるなら一秒でも早い方がよい。

 一年後では分が悪すぎる。

 だが、一年後アデレードが離縁して戻って来る可能性は非常に高い。元々戻って来る気の旅行気分で行っているのだ。

 だから、そこから新たに始めるのは悪くない提案の気もする。

 まだ二人とも十八歳。なんでも始められる年齢だ。今度こそちゃんと二人で手を取り合ってやり直すのもありなのではないか。 


「どうだい? 条件を守れるか?」


 エイダンが尋ねると、レイモンドはしばらく黙ったままでいたが、やがて静かに頭を下げた。


「わかりました。申し訳ありませんでした。宜しくお願いします」


 かくして、レイモンドの苦悶と焦燥と不安に喘ぐ一年が始まった。
 
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