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{ 皇太子編 }

69. 呼ばれた名

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ー神剣ー
男の発したその言葉に、記憶の一端が渦を巻いて蘇った!

身体の機能が停止したように、身動きもできず……喉の奥が痙攣し、呼吸の仕方さえ分からない。

それは……前世で、私がただ思いつくままノートに書き綴った物語の一場面、その暗褐色の文字列から浮かび上がった映像は……今まさに眼前で繰り広げられる悲惨な光景と重なった!

物語の終盤、突如この世界に訪れた終末。その大きな要因となった……竜人族の王子の死! 
巨大な竜となり、死地に飛び込み荒れ狂い、幾千もの敵を倒し、戦況を一挙に覆すも……やがて力尽き、この障壁に囚われて……神剣で逆鱗を突かれ命を落とした!
その死は……余りにも虚しかった。その鼓動が止まると同時に肉体は崩れ、全てが塵のように霧散して、後には遺体さえ残らなかった……!
これは、この状況は……たった一人で皇城に乗り込むなんて……!
物語の幕開けとなる私の死を回避してから、全く違う道を辿るこの世界……!なのになぜ?なぜ今になって?!
何より回避したいその一幕が……目前に差し迫る……!

「ぁぁっ! あ”あ”あ”あ”あ”あ”」

あらゆる音が混じり合う轟音の中、自身の叫びが身体を貫く!

違う! 違う! 頭で否定するも虚しく、単独で敵地に乗り込み、窮地を迎えたこの状況……!
今目の前で、頭を地に擦り付け苦しげに悶える竜の……その瞳は……私だけを……ただ私だけを見つめて離さない。

「…………!」

その眼差しは……彼がこの場に至った理由を……嫌と言うほど告げていた!
我が身を呪う程の後悔が身を襲う。
彼を、ここに導いた諸悪の根源……それは私だ!

私は……初めから、知っていた……! 物語を綴りながら感じた、彼の人間性。人々から恐れられながらも……あなたは常に、弱者に寄り添い、正義を貫いた! 家族を失った主人公の支えになり、生きるしるべとなった。
非情に振る舞いながらも……苦悩して……。そして最後には……亡くなった人々へのあがないに……その命をして、戦争を終結へと導いたんだ……!

だから私は……初めてあなたに会った時、その慈悲に賭けた! なりふり構わず縋り付き、その同情を得ようとした……!

弱さにつけ込まれた?策略にはまった?
違う!
彼の人となりを知っていて、その情に訴えて、彼の優しさにつけ込んだのは……私だ!
いつの間にかあなたの全てが、何物にも代え難いほど愛しくなって……あなたから愛される事を切望した……。

私があなたに縋り付かなければ、あなたの愛を乞わなければっ!
私のせいだ!私がっ、全ての元凶だ……。
悔恨が心を狂わせて、贖罪の念が胸に渦巻く。

私の弱さが、あなたの命を奪う……。
そんな、そんな事は、耐えられないっ……!

「いやーーー!!!!!」

足掻き、暴れ、全力で男の腕を振り解こうとするも叶わず、ただ胴をしばりつける力が増していく。

黒く艶めき光る鱗は、焦がれ続けた彼の黒髪を想起させ……それは障壁の下で、苦痛を訴えるように軋み音を立てる。
苦しげな呻きに合わせて砂埃が舞い上がる……!

「カイラス様! カイラス様!」

狂騒の中、その名は虚しくかき消され……。
竜は、力尽きていくように……徐々に瞳が細められていく、その時だった……まるで最後の力を振り絞るように、首をもたげて……その瞼が大きく開かれた!

黄金の瞳が、私を射抜く!

「カイラス様ーーーーーーー! にげてーーー!」
身体の奥底からの叫び!
喉を裂き、鼓膜を震わせ、全身が砕けそうな程の痛みをこらえ、叫び続けたその瞬間! 黒い瞳孔が膨れあがり、全ての音と空間を吸い込むように弾け飛んだ!
辺りは暗闇に包まれて……無音の世界が広がった数秒後、吹き荒ぶ風が、光りをもたらした……。

その中心に……彼がいた……。
たなびく黒髪から垣間見える瞳孔は、未だ獣のように細長く……身に纏う鎧は、竜そのもの。……その外殻からは、いく筋もの魔素がゆらめき立ち昇る。
周囲に霧散する魔素が、まるで意志を持つように……右手に大きなうねりを作り集まって、それはやがて、強固に輝く長剣となった。

「カイラス様!」

その表情は固く険しく、ただ口元だけがゆっくりと形を変える。

(ル)(ミ)

溢れる感動が全身を飲み込んで……! ただ彼に駆け寄りたい一身で、無我夢中で手を伸ばした……その時! 視線の横を何かが掠めた!
その閃光は、すんでのところで剣に弾かれるも……砕け散った無数の破片が、鎧を裂いて肉を抉る!

「っ!」

瞬間我が事のように痛みを感じ、恐怖におののくも、彼は顔色ひとつかえず、足を踏み出した。
傷口を、魔素が鎧となって覆い隠す。

「下等種族が……!」
憎々しげなその声に、見上げれば……男は怒りを露わに頬を引き攣らせ、その手をかざす。

「ここで、死ね!」
振り降ろされた手の先から、神性の矢が軌跡を残し彼に向かう!
次から次へと放たれる無数の光矢は、剣で弾かれるたび破片となって、身体を貫く。
にもかかわらず、その表情は何も変わらず……その歩みは、乱れる事も怯むこともなく、確実に距離を縮める!

「いやっ! 駄目ぇぇえーーー! カイラス様! やめてっ逃げてーーーー」

……向こうから、薙ぎ倒された木々を乗り越え駆けつける衛兵や、精人族の家臣達の姿が見える!
このまま人が集まれば……数多の障壁に囚われてしまう! カイラス様は、竜になって逃げなければ……!

「どうかっ! お願い! 逃げてくださいっ……!」

あと数歩駆け寄るだけでその身に触れられそうな距離……だが近づく程に、神性の攻撃は強さを増して、容赦なくその身体を切り刻み、血が噴き出す! 地面に出来た血溜まりが、命の危機を報せるように赤く光る……!

「いやぁーーー! 駄目っ! 来ては駄目ー! 逃げて! 逃げてっ! 私なんて置いて、カイラス様! 逃げてーー!」

確実に彼に届いたその言葉! なのに……その表情は更に険しく、瞳に強固な決意を滲ませる……!

助けなくては! でも、どうやって? 私にいったい何ができるの?!
片腕に囚われて、抜け出すことさえ叶わない。
なぜ? なぜ、こんな事に!?
なぜ、あなたは……そうまでして、彼を傷つけ……殺そうとするの?!
その男の横顔は、全ての仮面をかなぐり捨てて、ただ敵意を剥き出し、怒りに歪む。
腰に回された男の腕は……一才緩まることなく、私を強固に繋ぎ止める。

なぜ……? なぜ、あなたは私を逃してくれないの?

その頬にある一閃の傷は、逃れようともがいた私の爪が掠めたものだ。
白い肌から滴り落ちる鮮血は、その内に秘めた苛烈な性質を表すようだ……。
この男が私にだけ見せた、残忍な本性と異様な執着。そしてこの皇城で目を覚ましてから、様変わりしたその態度……。
もしそれら全てが、男の言った通り……愛ゆえのものだとしたら……?!
理解し難い男の行動の一つ一つが……パズルのピースのようにはまっていく。
そこから浮かび上がった……一つの歪な感情。

あぁっ……!
あなたが言った事は本当なんだ……! 私を、本当に愛しているんだ!
それは………この男らしい、暴力的で支配的な愛だった……。


手を伸ばし……男の頬に触れる。
その僅かな希望に縋って。

「……イ……グニス」

掠れた声に嗚咽が混じり……言葉にならない。

「イグニス……どうかお願い、こちらを見て」

激しく動悸を打つ胸を押さえ、絞り出した、小さなささやき声……。
瞬間、憎悪に歪んだ瞳はそのままに、目の端に私を映す。
繋がったその細い糸を、たぐり寄せるように……両腕を伸ばし、うなじに回す。
男は私の顔を覗き込むようにその身体を傾げて……動揺と、困惑が混在するその表情。

「イグニス……お願い。私を愛しているのでしょう……」

喉元には血の味が広がって……溺れるような苦しさが続く中……必死に言葉を紡ぎ出す。

「許しますから……。愛しますから。あなたが……望むなら…………」

男の手の内から光矢が放たれるも、続く構えはせず……こちらを凝視するその瞳を見返しながら、真っ直ぐに……引き寄せた。
それは……たった一瞬……たった一瞬でありながら……変化をもたらすには……十分な時間だった……。

口内に流れ込んだ、熱い吐息。
同時に視界の端を横切る黒い影…………呻き声が、私の唇を震わせて…………男の腕の力が抜けて、隙間が生まれ……身体が次第に、離れていく……。

男は、放心したようにこちらを見つめながら、ゆっくりと膝を降り崩れ落ちた。

何の作為もない、私の、衝動的な行動が招いた、この顛末……。
膝をついた男の……その姿の意味を理解して、堪えきれず悲鳴をあげた!

「イグニスッ!」

男の左肩を貫いた魔剣。……それは主の手を離れ、空気に溶けるように消えゆくも、その傷口からは魔素が黒煙のように立ち昇る!

「……スティー……リア」

苦痛に顔を歪ませて……縋るように呼ばれたその名!

「……っ!」

血の気を失った唇を震わせながら……こちらに手を伸ばす。

「行く……な……! スティー……リア」

……突如身体に力がかかり、後ろに引き寄せられていく。
男に駆け寄った数多の兵士が皆一様に手をかざしたその瞬間……障壁がこちらに押し寄せたっ! 身構える間も無く、ただ吹き飛ばされる衝撃を覚悟して目を瞑る!

凄まじい衝撃音が響き渡るも……身体には何の変化も無く……薄く開いた視界の先……漆黒の壁が全てを覆い尽くし広がっていた。
そこに添えられた手は、私のすぐ真横に伸びる腕から続く。

『ルミリーナ』
重く耳腔を震わせたその声に、振り向き、思わず息を呑んだ……。
肉が裂け、痛々しく血が流れ落ちる、目尻と首元。
縦に細く狭まる瞳孔は……自分の知るものとはまるで違う。
その表情は……どこまでも凍てついたように冷たくて……。

(カイラスさまっ……)
「あっ……ぅっ」

声を発するも、それは無情にも言葉を成さない。

今まで目にした事のない、彼の冷たい眼差しに……言い様のない焦りがつのる。心の底まで見透かすようなその瞳。
必死に見つめ返して、その頬に触れようと手を伸ばしたその時、ゆっくりと唇が動いた。

『帰ろう……』

その言葉を最後に黒い霧が視界を覆い、巻き上がった旋風で、身体が宙に浮く!
堪えきれず膝を折るも、倒れ込んだその場所は地面ではなかった。
焦る心を落ち着け、必死に暗闇の中、手を伸ばす……。金属のような冷たさを指先に感じたその時、触れた場所に突如生じた亀裂……! 眩い光が差し込んで……。そこから覗く光景は、ありえないものだった。

遥か遠くの地平線には万年雪を頂く山脈が連なるも……見下ろす先には平野が広がり、点在する街や田畑が一瞬で後ろに流れ去っていく。

時折、その景色をぼかす白い水蒸気の塊が……今いる場所を雄弁に物語っていた……。

差し込んだ陽の光に晒されて……無数の鱗が、青紫の光沢を放つ。洞窟のようなこの空間は……カイラス様の、竜の手の中にいるんだわ。

ここは……空の上。
誰の手も届かない……はるか上空……。

途端、力が抜け、膝から崩れ落ちた。
息を吸い込むと、最後の嗚咽が、涙の名残と一緒に喉元に流れ込む。

私たちは……助かったんだ……。

極度の緊張から解き放たれるも、身体は未だ恐怖の最中にいるように……自制が効かず全身が小刻みに震え出す……。
大丈夫……私たちは、もう大丈夫だから……。
心で言い聞かせながら、震える膝を抱え、その指の腹にもたれかかった。
やぎて隙間が閉じ合わされて……完全な暗闇と静寂が訪れた……。
先程より小さくなったその空間は……まるで私を包み込むようだ。
身体を横たえ……そっと鱗を撫で、頬を寄せると……冷たく滑らかな感触が心地良い。
激しく打つ鼓動も、荒い呼吸音も、徐々に落ち着き……身体が本来の熱を取り戻していく。

「カイラス様……」

呟いた言葉は、鮮明な音を響かせて、静寂の空間に満ちていく。

その掌中に身体を委ねて……時折その名を口にしながら……やがて訪れるだろう時を待ち続けた。










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みんなの感想(1件)

ジャムおばさん

表現がシンプル的確で情景がすんなり頭に入ってくるのでとても読みやすかったです。
ドアマット系ヒロイン、囲い込み系ヒーローが大好物なのでそこもツボでした。
ヒーローの繊細な心理描写、じわじわ進展をもどかしく感じながら悶えております。

どうやら作者さまの術中に見事に嵌められたようです。

自分は耐性が強めなので嗜虐心強めの惨たらしい描写も嫌いではないのですが、賛否両論あるんだろうな、手厳しいコメントが来ないといいなと、そんな事を案じています。

作者さまの思い描く世界観がそのまま表現されますように。楽しい時間をありがとうです。

hyakka
2024.05.31 hyakka

この度は、お読み下さり、また心温まるご感想まで頂き誠にありがとうございます。
心理描写に悶えて頂けたなんて嬉しい限りです。

初めての執筆と投稿で、好き勝手書いてしまい、あまり読者様の事を慮れずにおりましたので、残酷描写のある話には※印表記しようと考えております。
お気遣いのほど、心から感謝申し上げます。

これから先、新たな男性キャラ2名登場して、三者三様の愛の形と、苦悩と妄執を描いていきます。
もどかしく感じられる場面も多々あるかと思いますが、お楽しみ頂けましたら幸いです。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

解除

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