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{ 皇太子編 }

56. 訊問と待遇

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開いた本の、文字列を目で追いかけるも、やがてぼんやりと意識が飛んで……我に返って記憶の途絶えた箇所を探す。
これはもう何度目の事だろう。
椅子の背に寄りかかり……両目をこする。
もう数刻経てば……ステンドグラスに陽がさして、部屋が極彩色に染められる。その時間に、あの男は連日この部屋を訪れた。
そう会う事もないと思っていたのに……。

この部屋で目覚めた翌日……壁面に備えられた大きな書架から、本をとろうと背伸びして手を伸ばした時、被さるように伸びた手に驚き振り返ると、その身体にぶつかって……反射的に目を瞑り身構えるも、手を取り渡されたのはその本だった。
あの一瞬でどれだけ寿命が縮んだかっ!
そして促されるままソファに座らされて、幾つかの質問を受けた。……というより訊問だ。答えなければ酷い目に合わされるのは明白なのだから。

その問いかけの中心となったのは、竜の王国での暮らしについて。

……良い思い出は全て覆い隠して、慎重に言葉を選んで答えた。
失言はしていない……はず……でも、あの質問だけは、思い出すたび胸がざわつく。

「お前は竜王を、どのような人物だと感じた?」

「……あまり、お話ししていないので、分かりません……一見、無愛想に見えます。ですが……誠実な方だと思います」

その答えに男は足を組み替え、無言になる。

「わ、わたしは……精人族の姫として、誠心誠意……竜王陛下に、礼儀を尽くしました。……ですから、きっと精人族に対して失礼のないように取り計らってくれたのだと思います……」

その瞳は、獲物を追い詰めるような鋭さで、常にこちらを注視する。
でもその時だけは、顔を逸らして、長くため息をついた……。
あの態度は一体何だったのだろう。
なぜ思い出す度こんなにも、不安になるのか……。

やがてその問いかけは、私に対するものに変わり……更に答えに窮した。

「竜の国では何をして過ごしていた?」

「……読書です」

「どのような書を読むのだ」

「歴史書……神話……詩文……他は旅行記も……」

「特に好きな書は?」

「……マレ・モッリスの、西域紀行が……好きです……」

「どのような話だ?」

「……マレ女史とその夫ラピス氏の、未開の地の冒険譚?見聞録と言った方が相応しいでしょうか……。こことは様相の異なる動植物群と、異文化の民たち……料理からその生き様まで……。とても美しい言葉で綴られて……まるでその地の香りまで感じられるような……素晴らしいしょせ……き」

説明の途中、顔を上げて言葉が詰まった。
不快なものでも見るように……眉を顰めたその表情が、否定を意味する事は安易に理解できたからだ。

「……お前は…………」

「も、申し訳…………」

「いやいい」
そう言うなり、席を立ち……出ていった……。

あの男は!……私を部屋の主と言うが! その主の許可なく立ち入り、挨拶もなく出て行って……あれじゃこの部屋の主はあの男じゃないか!
バタンッ!
苛立ちのままに、読みかけの本を閉じてしまった……。


その翌日も、またその翌日も質問は容赦無く飛んできた。
食や衣類について聞かれても、碌に答えられず。
「何も問題はありません……」
「好みなどはありません……」
その言葉の繰り返し。

挙句あの最後の問いかけ……。

「望む物はないか?ここに滞在する間に、やりたい事でも良い……何かひとつでもいい、今答えられないか」

それは、質問ではなく命令だった。
冷や汗を流しながら、必死に頭を捻り、悩み、なんとか絞り出したは……「刺繍」だった。

そしてつい先程、届けられた重厚な木箱。螺鈿細工の花で飾られた引き出しを開けると、そこには刺繍糸が美しい色のグラデーションを描き並んでいた……。裁ち鋏やまち針には、宝石が嵌め込まれ……繊細な彫りが施された刺繍台……籠には、幾重にも布が畳まれ積まれていた……。

一体どういう事なのか……。
何から何まで、過剰に感じるこの待遇。
この部屋で目を覚ましてから、用意される食事やドレスは、まるで皇族や賓客に対するものだ。
毎日小間使いに囲まれて、新品のドレスに袖を通して、食べ切れない料理を供されて……。

ドレスの袖にそっと触れる……。その滑らかな肌触りの空色のドレスも……まるで自分の為に仕立てられたように身体を心地よく包む。

そして、あの日の言葉通り、誰からも手荒な扱いは受けていない……。
召使はまだしも……かつての暴虐さを微塵も感じさせない皇太子。……聖人君主のように振る舞う彼の、裏の顔を私はよく知っている。
本当は私をおとしめ痛ぶりたいだろうに……だから尚、この平穏と待遇が怖い。
考えすぎだろうか?
それとも、竜の国から何か言われたのだろうか?
そもそも私の誘拐は、竜の国から皇国にどのように伝えられたのだろう?
この皇国が私ごときの捜索に乗り出したのだ……よほどの理由があったに違いない。
報酬を提示されたのだろうか……。
ここでは私は無価値だ。むしろ皇族の品位を貶める存在だ。
喜んで、また竜の国に送り出すだろう……。それなのに、竜の国がその代償を支払うとしたら……申し訳なさすぎる。
でも!……それでも……カイラス様に、会いたい……。


「……ここを立つのは、いつ頃になりますか?」

この3日間、そう尋ねても……いつも決まって、同じ答えが返ってくるだけだった。

「焦るな。先方からの回答もまだ来ぬうちに、お前を送り出すことはできない」

回答?なぜそんなに時間がかかるのか?
転送装置を使用すれば一瞬で国境なのに。
何かあったのだろうか……。
途端、陰鬱とした不安が湧き上がる。

大丈夫。大丈夫……。
今まで何度もそうしたように……最後の夜の、彼の言葉を、心で唱える……。

ーーこれから先、何が起きようとも……お前へのこの気持ちが変わる事はないーー

カイラス様は必ず待っていて下さる。
会えるはず……きっともうすぐ会えるはず……。
なのに……この歯痒い時間。気を抜くと、悪いことばかり考えてしまう!
本当は……不安で不安でたまらない。

目頭が熱い……。
胸が苦しくなり……窓辺に近づき、小窓を開けた。
あぁ、もう夏が始まる……。
開け放たれた窓からは……記憶に残る、白い花の甘い匂いが運ばれてきた……。
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