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{ 騎士編 }

45. 騎士との生活

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その男は、躊躇せず、寝台に腰を下ろした。

身を固くし、睨みつけたが……貼り付けたような笑顔のまま、私の手を取ると、自分の頬にすり寄せた。
静寂の中で、まるで時間が止まったように……身じろぎもせず。

いつの間にか、その顔から笑顔はなくなり、窺い知れない表情を浮かべたまま……
ただ射抜くような男の瞳が、次第に色を増した、次の瞬間……一筋の涙が男の頬を伝った。

まるで何かを訴えるように、私を見つめ、涙を流すこの男は……私を愛していると言う。

その時、またその口元に笑みが広がった。
思わず顔をしかめ、否定するように、目を逸らした。



苦しい……。身体を虫が這うような、不快な感触に目覚めると、まだ部屋は真っ暗闇だった。
もう、あの日から何日が過ぎただろう。
よく眠れない日が続いている。
全身は、凝り固まったように怠く重たい。
日中もぼんやりとして、思考を手放す時間が増えた。
なのに、夜ひとりになると目が冴えて眠れず、眠れたとしても、深夜に目が覚めて、そこからぐるぐると思考が湧き上がり、眠れなくなる。

王城での日々と、最後の彼との口付けを思い出し……唇に触れる。
今頃、彼は何を考えどうしているのだろう。
私のことを探してくれているだろうか。
このまま、ここに閉じ込められて、永遠に、彼に……カイラス様に会えなかったらどうしよう。
会いたい。会いたい。助けて欲しい。
ここに囚われ続けて、やがて逃げる事が出来たとしても、もう彼が私の事を忘れてしまっていたら、どうしよう。
そんなことは、耐えられない。
辛くて、苦しくて、いつも涙が込み上げて……
いや、諦めてはダメ!……敷布に顔を強く擦り付ける。
王城で、死を回避できたように、なんとかこの現状も変えられるはず。
考えて……もっと考えて……
自分でなんとかしなくては!

カーテンの隙間から徐々に陽の光が差し込み、部屋の輪郭を露わにしていく。
連日繰り返される、儀式のような生活を思い出す。
そろそろあの人が起こしにくる頃だ。
身を丸め、掛布を頭までかぶる。
ドアが開く音がした。
足音が聞こえ、カーテンが開けられると、陽光が掛布の隙間に差し込んだ。
目を一層きつく閉じる。

「お目覚めですね」

そう言いながらゆっくりと掛布が下ろされた……。
嫌々ながらも目を開けると、いつもと変わらぬ笑みを浮かべたその人と眼が合う。
私の頭を撫で、眩しそうに目を細め、その言葉を口にする。

「ルミリーナ様、おはようございます」

無言で顔を逸らし上半身を起こす。
湯に浸したタオルで顔を拭かれたあと、鏡台の前に座らされ、長い時間をかけて、ブラシで髪を梳かれる。
最後に髪の束を手に取り、滑らかに流れ落ちる様を確認すると、満足気に微笑みかけられる。
毎日……毎日……。

鏡の中に映る自分は、やつれ、疲れ果てた顔をしている。
だが、その横に映る男は、日を追うごとに肌艶が良くなっているようだ。

「お着替えを手伝いますか?」

ため息が漏れる。
これも毎日の決まったやり取りの一つだ。

黙ったまま首を振ると、その男はワゴンを残し、部屋から立ち去った。

ワゴンの上のバスケットには、ドレスが綺麗に畳まれ置かれている。
これもいつもと変わらない、柔らかなガーゼ生地の、ゆったりとしたその純白のドレスは、胸元の紐を締めるだけで、難なく1人で着ることが出来た。

そして着替えが終わる頃、また迎えにきた男に案内され階下の広間に向う。

簡素だが趣のある広間には、暖炉を囲むようにソファが置かれている。
窓辺の、小さな円卓には、いつもの通り、湯気の立つスープ、数種類のパンにサラダ、美しく盛り付けられた果実が置かれていた。

椅子を引かれ腰掛けると、男が向かいに座る。

カップに熱い紅茶とミルクが注がれる。

おそらく、召使がいるだろうに、彼以外の人をこの屋敷で目にしたことがない。
窓辺から、砂と岩だけの荒涼とした景色に目を向けた。
屋敷の玄関脇には、馬車が停められている。
ここに来るまで御者もいたはずだ……。

だが、まるで今はこの世界に彼と私しかいないような……異常な状況に、言い知れない不安に襲われる。

そんな事あるわけ無い! 必死に心の中で否定する。
昨日は、テーブルの花器には極彩色の花が活けられていた。今朝は真っ白な小花が飾られている。

新鮮な果実や毎日変わる花々……
それらを届ける人もいるだろう。彼以外の誰かが、この生活の為に、手を貸しているはずだ。

せめて、誰か他の人と話すことが出来れば……縋りついて助けを願うのに。

「お召し上がりになる量が増えましたね」

柔らかな微笑みを浮かべた男を見る。
授業の最中、何度も向けられた、その笑顔……。

あの皇城で、直ぐに死ぬと分かっていながら受ける教育はとてもうつろなものだった。
しかも教育とは名ばかりで、目的はただ外面そとづらを整えるためだけの物ばかり……礼儀作法に食事作法、ダンスや閨に至るまで……言葉通り、鞭打つ指導で身体に教え込まれた。

そんな中で唯一、この人だけは……私に知識を与えてくれた。
国の神話から、大陸を二分するに至った歴史、皇国と王国の関係性まで……あらゆることが興味深く、面白く、この世界で、初めて知的好奇心が湧き、満たされた時間だった。
それはとても心地の良い時間で……穏やかな口調で、難解な言葉を口にするその口元に……その聡明な瞳に……魅力を感じた。

だが今は……その瞳は明らかに狂気を宿し、口を開けば、呪いのように愛を伝える。

歳のころは20代後半だろうか……精人族は、成長は早いが、成人以降その老化は緩やかだ。
思っているより歳上かもしれない。
歴史家として、そして騎士としても……今まで努力し、研鑽を積んできたはず。
それがなぜ?

彼は、私に思いやりを持って接してくれた。
だがそれは、憐憫の情から来るものだと知っていた。
不快には思わなかった……。そう思われて当然なほど、憐れで惨めな女だと思っていたから。

理解できない。
いつから?なぜ?
私に抱くその感情はどこからきたの?
聞きたいことは山ほどあるが、聞くのが恐ろしくもあった。

当たり前のように、告げられる愛。それは、決して受け入れられるものではなかったから……。
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