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傷だらけのエルフと迷いの森
34話 間引きの終わりに
しおりを挟む砂金色の大地が地平線彼方まで続き、太陽はそこにいる者をどこまで追い続けその灼熱で焼き払おうとしているかのようだ。
氷冷魔法を自分と、自分の十倍はあろう体躯の飛竜の皮膚にコーティングする。
「ごめんねバン、本当はあの森で終わりの筈だったんだけど。予定狂った、まさかお兄が居たとは……」
「ハハハ、主でも予定がくるうことがあるのだな。気にするな、我ら飛竜が数年に一度住処移動をする際には1万キロを飛行する事もある。それに比べればまだ7千と4キロ、この程度造作もない」
ミサはだがどうしても魔王の配下を兄の為、三体に調整しておきたかった。
全てを消し去ってしまうことなど簡単だがそれでは兄の為にならない。
兄には自分より強く、勇敢で、勇者のような存在になってほしいのだ。
ミサの持っている兄との記憶は少ない。
それどころか過去の記憶も。
それが恐らく何かしらの過去のトラウマか過度な刺激による一時的な記憶閉塞の類であることはミサにも解っていた。
そして兄は人族であるにも関わらず自分は精霊の類、#長耳族_エルフ_#だと言うことも。
少し前に自分の正体を知る為、エルフの大森林があるという大陸に足を運んだ事もある。
そこではどうやら自分はあまり歓迎されていない存在であり、数年前に姉であるリーファ・リヴァエリ・ロアラと共に大陸を出たエルフの異端児であったと言う事も分かっている。
数年前と言えば丁度自分の記憶がある辺り。
兄のリタや父、サンブラフ村の皆に武術や剣術、魔術に学問、世界政治まで様々なことを教えてもらい育った唯一の記憶。
賢いミサには大体予想がついていた、自分の本当の名前はメルティ・リヴァエリ・ルカ、エルフ大森林で生まれたエルフの一人だと。
だがそんな事はミサにとって大した話ではない。
自分の記憶にあるのは、大切に自分を育て、学ばせてくれたサンブラフ村の皆と兄のリタだ。
そしてそんな兄が魔王を復活させてしまったと悩み苦しむなら、自分の最善を持ってそれをフォローする。それが妹たる者の役目だろう。
だからこそ英雄譚から逸れ、魔王の配下が六体となってしまうイレギュラーは頂けない。
人知れず三体に戻さなければ。
それが今できるミサの仕事だ。
今回は近場を選んでしまったせいか、まさか兄と鉢合わせになるとは思ってもみなかった。
まだ魔王の配下が六体であると言うことは完全にバレていないようだが、兄のリタも流石に何か勘付きそうではあった。
急がねばならない。
しかし問題はそれよりも。
「主の兄と言うからにはと、恐ろしきものを想像していたが、我には殆どその気を感じなかったが」
「お兄の奴……内包魔力をナチュラルに隠せるようになってる。これは厄介」
飛竜がふとミサにそう話すが、ミサにとってはそれが今回の問題だったのである。
大きな気は全て把握しているつもりのミサだ、兄の気配に気づかない筈はない。
つまりそれは兄が魔王を警戒し、自分の力を最大限抑える魔力隠蔽をマスターしていたと言う事。
これがミサにとっての計算外であった。
兄も成長している、それ自体は本来兄を凌駕してしまったミサ自身も望んでいる事。
だが実際に、自分のいない所で兄の成長を感じてしまうとそれはそれで寂しさと、自分の負けず嫌いがむくむくと鎌首をもたげていた。
ワイバーンは砂漠地帯に一つの街、オアシスを見つけそこへ向けて滑空を開始する。
「瘴気は感じんが、本当にあそこでいいのか?」
いつもであれば瘴気を辿って魔王の配下の元へ飛び込んでいくミサ。だが今回は特に何の異変も感じない街の中へ入るようであった。
ミサは構わずワイバーンに「また後で宜しくね!」と声を掛けるとそのまま宙を舞った。
◯
ここは砂漠の王が治める黄砂の大地、クランバドル。
その西端部にある街は広大な海に接しており、入り江のオアシスともなっている。
入り江状になった地下地層には細孔が多く、生物の死骸や鉱物が圧縮され新たな資源を創り出す。
それはマテリアル溶鉱炉や工場を多く持つ隣国カルデラ帝国へ、貴重な動力源として多く輸出されていた。
砂漠の油田オアシス、クロッカスはクランバドルでも重要な資源生産地であった。
そういった場所には多くの魔力溜まりが出来上がり、それを吸って瘴気にする悪魔のような存在には最適の住処。
クロッカスの住民は既に、ここに数日前から現れた悪魔。六体の魔王配下の一人、機神グォーシオンによって既に支配下に置かれていたのだった。
「ウキャ、グォーシオンしゃま! 街の人間は全て操ってきましたキャ。お次は何すればいいんですキャ!?」
一匹の黒い猿は機神グォーシオンの悪魔召喚によって現れた新たな配下である。
猿は戯けた様子で入江の岩場と一体化する主君の周りを飛び跳ねながらそう尋ねる。
岩場がゴゴゴと音を立て、僅かな落石を見せる。一部の岩が変色し、二つの石が目のように緑色の輝きを纏い出した。
「魔飢魔飢よ……次は本格的に大きな召喚を行う。街の人間全てをこの入江に集めよ、その贄を持って低級悪魔霊を大量にこの国へ放出するのだ、そして先ずは此処を我の帝国とする。それを手土産に新王ラーヴァナの側近となり、その後は魔界で新たな六代魔に座するのだ……あのような影の魔王ベリアルにその地位は渡さん」
「ウキャキャ!? 流石ですき、グォーシオンしゃま!! あんな陰険野郎ベリアルに負けちゃダメですキィ!」
影の魔王と呼ばれる現黒の魔王ラーヴァナの側近、ベリアル。先刻グォーシオンの元にはベリアルは名の通りその影を現し忠告してきたのだ。
この世界へ共に降り立った同志である魔導のドゥルジー、魔工のダンタリオン、風のパズーズが既に何者かによって消されたと言う情報。
この世界に悪魔へ対抗するほどの力があるなどとはとても思えないが、数百年前にも一度どこぞの悪魔がこの世界の人間に封印されていたと聞く。
機神グォーシオンは油断しなかった。
どんな相手であろうが最善を持って、地道に、ゆっくりとだが確実に自らの思い通りに事を運ぶ。
それが最も物事の近道であると言うのがグォーシオンのアフォリズムだ。
刹那グォーシオンの頭部にある種の魔力反応機が警戒音を鳴らす。
街の人間は既に配下である#魔飢魔飢_マキマキ_#によって支配されている。
つまり異物の接近であった。
「むむ……この内包魔力、ただならぬな。もしやこやつが先の悪魔等をやった勇者とやらではないだろか」
「グォーシオンさま! どうするきゃ、どうするきゃ! やばいキャ、凄い気キキキャ、おラッチみたいな中級悪魔じゃ消し飛ぶッキャ」
中級悪魔霊ともあれ、魔飢魔飢はその躁命魔術でのし上がっただけの力無い悪魔であった。
近づくその内包魔力総量と、話に聞く三体の悪魔を葬ったと言う話が相まって魔飢魔飢は身体を震え上がらせた。
「案ずるな魔飢魔飢よ……考えてはいた。召喚は一時取り止める。我等の瘴気を流したこの黒き油石を街の中心部へ祀らせよ、民を操りそれが破壊された後躁命術を一度解除するのだ」
「ウキゃ!? どういう事でスキャ?」
マキマキのどういう事? と言う疑問の顔にグォーシオンは大丈夫だと一つ応え、また入江の岩場へと馴染んでいった。
◯
クロッカスに着くなりミサは街の異様な雰囲気に不審感を抱いていた。
街そのものはそれなりに活気に満ちている。店はどこも開き食材を熱心に眺め値切る者や、青い空を眺めながら呑気に散歩する者も見られた。
実に平和、この何処かに魔王の配下である悪魔が居るなどとは到底思えない。
ミサは頭を捻る。
今回の間引き対象は、ミサが過去の文献や悪魔大辞典で調べる限り機神のグォーシオンか炎王フェニクシア、若しくは覇皇ロマリエ辺りが悪魔序列、派閥等を鑑みて妥当と考えていた。
だがどの悪魔も幻想を見せて隠れる等の妖術、躁術系の力は持たない筈である。
しかしその瘴気は確かにこの街に今も尚漂い続けていた。
ミサは訝しみつつもそんなクロッカスの街を歩く。
「おっ、お嬢ちゃん! 若いのに冒険者かなんかだろう、オジサンにはわかるんだなぁ」
道すがら住民であろうターバンを巻いた男に声をかけられるミサはあたふたと動揺を隠せなかった。
ミサはサンブラフ村の人間、飛竜等の神獣や獣の類としか話したことが無いのだ。
そう、ミサは極度のコミュニケーション障害持ちであった。
「クロッカスは初めてかい? この街はイイぞ、海も近いし飲水や食い物にも困らねぇ。それどころかたまには嬢ちゃんのような観光目当ての冒険者さんも来るしな、全ては油田の神マキマッキ様のおかげだ」
「ま、まままきまっき!? え、は、あい、や、そのえと」
ミサの返事も待たず男は壊れたラジオの様に街の良さを話し、この街で蒸留した水だとミサに瓶から注いだ一杯の水を差し出す。
「後で金取ったりしねぇよ、砂漠歩いて喉乾いたんじゃねぇのか? ほれ、こりゃクロッカスの第二目玉ミネルラ天然水さ。くぃーとやってくれや」
「え、あ、あ、ら、はぃ」
ミサは困惑しながらも、何がなんだか分からなくなって男から渡された一杯の水をグイっと飲み干した。
男はケラケラと笑いながら「どうだ、上手いだろ?」と言いながらその場を立ち去っていった。
ミサはだがそこで勇気を振り絞り男を呼び止める。
「あ、あの! さっきのまきまっき様って」
男はんん? とミサを振り返ると笑顔で街の中心部を指差し、あそこで祀ってるんだと教えた。
ミサはその男に頭を下げるとそのまま男に教えられた街の中心部へと赴く。
そこには艶々とした巨大な黒岩が安置され、その周りには数人の住民が黒岩に感謝の念を捧げている所だった。
「こりゃ困ったなー、明らかにアレなんだけど壊したら皆から#顰蹙_ヒンシュク_#間違い無しだょ」
安置される黒岩は明らかに、ミサを此処へ誘った瘴気で間違いなかった。
となればこれはまだ孵化前の悪魔の卵か何かだろうか。
否、そんな訳はない。
これはこの地帯で発掘されたであろう油塊だ、それに魔力が篭り、更にそこへ誰かしらが瘴気を混ぜた。
そう、これは悪魔の仕業。
これで人々を惑わせ、何れこの街を瘴気に満たそうとしているかもしれない。
どちらにせよここでこの油塊を焼却するのは祭り上げる人々がいる以上躊躇われた。
少し頭を冷し、作戦を立て直そうとミサは海岸沿いに出て潮風を感じる。
「…………」
入江には青い水とエメラルドグリーンの水が一線を画して交わり、周りの岩壁がその一帯を神秘的に感じさせていた。
肌を薙いでいく風をふと浴びたくなったミサは自らへの外気調整魔法を解除し、全身に自然を感じながら一度深呼吸した。
「…………」
潮風が砂漠側と違ってどこか冷たく肌に気持ちいい。潮の満ち干きによって砕けた貝殻が砂浜に残される。
この辺りはやはり魔力溜まりになっているのか、貝殻にもその残渣が滲み、陽の光を反射してキラキラと幻想的に輝いている。
「……」
岩壁は波飛沫を浴びたのか、まるで岩自身が汗をかいているかのようだ。
「ん…………んー…………」
ミサは首を捻りながら、さぁてどうしたもんかと思考を巡らせる。
「…………」
「んー、んー」
あ、え、まだ? そ、空には青々と雲一つ無く、まるでここが砂漠地帯などと言うことを忘れさせてしまう。相も変わらず潮風はミサの頬や腕を撫でて行く。
「…………」
そろそろ――――
「…………まだ!」
み、ミサはそう一人呟き若干のベタつきが気になるのか首周りをペタペタと触りながら岩壁を凝視している。
それは何か、その岩壁に新たな鉱物でも見つけたのか、はたまた街の中心部で祀られるあの黒い塊の処分法を考えているのか。
「…………」
「語彙力不足………あと少し」
な!?
く……ま、まるでさざめく妖精達の戯れか、そう思えるほど白銀の髪はその一本一本までがさやさやと潮風に靡かれ、その刹那岩陰から全身に墨を被ったような黒猿が顔を出す!!
「ウギィィィ!! いい加減にどっか行けっき、このガキンチョ娘! さっきからしょうもない地文がダラダラとつまんないったらないっキ、いつまでもこんな所で何をしてるんだっキィ!?」
ち、汗だか海水だか知らねぇが、薄汚えドブ猿がビービと独りぼっちで馬鹿みてぇに喚く。
「テメェコラァ、今『っち』って言ったッキー! 地の文が悪口になってるッキー! 俺は中級悪魔だっキー、人間ごときが舐めんなっキキー!!」
「むむ、黒い猿。中級悪魔霊、魔飢魔飢だ。予想外、そんな気配じゃなかったと思うんだけどなぁ……」
ミサは岩陰から顔を出すその糞ザルに懐疑の目を向ける。
じーっと、目を細め口をへの字に結びゴミザルの隣の岩壁に視線を移していく。
「や、ヤメろっキー! そっち見るなキキー」
「もうよい、魔飢魔飢。仕方ない、わざわざ街の中央に瘴気を込めた油石を置いてそれを破壊させてとっとと幕引きさせようと画策したのだが、大幅に予定が狂ったようだ」
ミサが視線を向けていた岩壁がゴゴと砕石を砂浜に降らせながら動く。
岩壁の一部にポッカリと人型の大穴が空き、一体の巨大な岩石巨人がミサを見下ろした。
岩石巨人を覆う岩が突如砕け、中から銀色のプレートでその身を覆った機神が双緑の眼光を灯らせた。
「あ、やっぱり機神グォーシオン。間引きまーす」
「ま、待つっキ!! 止めろキ、お前さっき街の人間から渡された水を飲んダッキー?」
魔飢魔飢と呼ばれた黒猿は、今にもその手に込めた魔力剣で主君であるグォーシオンを叩き斬ろうとしていたミサを呼び止める。
ミサも反射的にその手を止めていた。
「クククッ、キーキッキー! 馬鹿め、アレは海水を蒸留したただの水なんかじゃないっキー。グォーシオン様の瘴気を多分に取り込んだ魔元素水なんだッキャ、もうお前の体は邪気に侵され、体内魔力は腐り死ぬ運命なんだッキー! ウキャキャ、ざまぁないき、躁術使いの中級悪魔を舐めんなッキー」
「ほほう! 魔飢魔飢、よくやった。褒めて遣わすぞ」
「ウキャキャ」
そう、ミサはあの時見知らぬ街人のゴリ押し接待によってあの水を口にした。
コミニケーション能力皆無であったミサにそれを断る弁力は無かったのだ。
「そろそろ効いてくる頃ダッキー!?」
「間引きまーす」
ミサは魔飢魔飢の言葉を耳に入れいつも通り一言そう言うと、そよ風を残してその場から姿を消す。
直後機神グォーシオンの身体からパシパシと紫電が走り、腹部から真っ二つに分かれてその巨体を海に沈めた。
更にミサは容赦なく海水をも瞬時に蒸発させるほどの火炎でそれを焼き払う。
大量の海水が気化し、辺りは白い水蒸気の靄に包まれていく。
「バン!!」
「う、ウキキぃぃっ!?」
直後ミサの呼び声に答えた飛竜が入江に飛び込んでくる。黒猿は刹那その足をミサに捕まえられ共に大空へと舞う羽目になった。
「う、ウキキィィィ!! ナンジャラホイヤッキー!」
「主よ、なんだその薄汚い魔猿は」
「あ、これ。お兄が無駄な殺生はダメって言うからグォーシオンだけ間引いて来たの。これは多分型式一軸贄の偽召喚でグォーシオンが呼んだ中級悪魔霊だと思う。私に変な水飲ませたからちょっとイラッとして連れてきた」
「な、何だその理由わぶッキー! お、おばえ、あの水の、のぶぁ、飲んで何でナントモナイッキー!」
黒猿は片足をミサに掴まれたまま激しい風に晒されている。だが苦し紛れに必死でミサに毒水を飲ませた事をアピールをしていた。
ワイバーンがそんな中級悪魔の黒猿をハハと笑う。
「低俗で矮小な生物め、我が主にその様な小細工が通るものか」
「な、なんでっぎゃ!」
ミサは僅かに首を傾げる。
今までも実験的に瘴気に満ちた木の実を食べてみたりもしたが、特にこれと言って身体異常はなかった。
「んー、お兄の丸薬スムージー毎朝飲んでるから」
「フハハハ! やはり主の兄は魔力を感じさせずともイイモノを造る」
「んー! お兄の魔力だって凄いよー、魔王なんて秒、マイクロ秒、ううんシェイクで終わるよ」
「な、何なんだっキー、このブラコン頭おかしいッキー!!!」
油田オアシスの国、クランバドルはこうしてひっそりと悪魔の手から守られていた。
一人のブラコンの手で。
「……語彙力」
くっ。
銀髪のエルフ、どこか抜けた少年リタの最強妹は飛竜の背で猿を振り回しフフと笑った。
空はその微笑みに応えるよう、今日も晴天だ。
三章 傷だらけのエルフと迷いの森 完
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