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Lithium
第二十一話 女心はカフェインで
しおりを挟む真は朝が早い。
と言うよりも寝る習慣が無いのだから仕方ないのだ。
外はまだ薄暗く夜の暗闇に朝と言う白んだ光が葛藤し、薄い群青色が窓の向こうを埋め尽くしている。
最初に訪れた街では神経阻害薬でも飲んだかの様な勢いで寝てしまったが、この世界にも慣れてきたのか熟睡と言う事態はもう真の中では起こらなかった。
「早いな兄さん、眠れなかったか?」
何処からか出てきた熊のような男が腰に前垂れを着けながら階下のテーブルに腰掛ける真へそう声をかけて来た。
「いや、そういう訳じゃ……」
「朝飯まではまだ時間がかかる、これから仕込むからな……何だったらカフェインでも飲むか?」
「カフェ、イン?」
カフェインを飲むとは一体どういう事か、溶けやすい神経刺激薬を飲み物にしたと言う事なのかと一瞬疑念に駆られたが、此処での世界の言語と地球での言語は同じであっても真の知るカフェインがこの世界と同様とは限らない。
それに地球でもカフェインが含まれる珈琲等の趣向品があったのは推して知るべし事である。
「ん?兄さんカフェインを知らんのかい、もしかしてここらの人間じゃないね?ちょっと苦いが一回飲むと癖になる、ファンデル王国にしか生えないカフェインの木から採れる実を煎って煮出すんだ。色はちょっと黒いがな、カフェインの実は着火材にも使われるからファンデル王国じゃ名産品だよ」
そういいながら厨房に入った熊のような店主は湯気の立つ白い陶器を持って真のテーブルへとそれを置いた。
芳ばしい香りが鼻腔から脳へと直接届き、真のぼやっとした目を醒まさせる。
見た目はその白い陶器といい、茶黒色の液体といい、まさに地球でもはるか昔より存在を霞めない珈琲さながらだ。
ただ匂いだけに関しては香ばしい中にも香草系にある独特の刺激臭が漂う。
「飲んでみな、目が冴えるぜ」
店主にそう推され、真はその熱いカフェインを一口入れて毒味するよう咀嚼し喉へと流し込む。
口一杯に広がる苦み、鼻から抜ける爽やかなハーブの香り、それを感じると共に頭の中にあった靄が晴れていく様な気分になる。
まるで一種の麻薬じゃなかろうかと感じた時には既にもう一口飲みたいと言う衝動に駆られていた。
「……体には悪くないのか、これ」
「はははっ、大丈夫さ。別に違法のもんって訳じゃあるまいし他の国にも出荷してるんだ、ただ飲みすぎるとあれが近くなるから気をつけろよ」
あれと言うのが恐らく利尿作用の事だろうと勝手に地球の珈琲を想像しながら真は納得し、カフェインを再び口にしながら白む外の世界に目を向けた。
暫くしてから出された固めのパンにサラダ、白いクリームシチューの様なスープを啜って真は一人朝食を取っていた。
宿泊は朝食込みで一泊銅貨五十枚と言われた時は驚いた。
結局フレイから銀貨十枚を借り入れた真の頭では宿泊相場が一泊銀貨一枚程度だと考えていたので、ここに来た時に銅貨五十枚と言われてそれを銀貨五十枚だと勘違いし若干の焦りを感じたのは記憶に新しい。
あたふたと銀貨をカウンターに撒き散らし、その場でフレイから相場は教えたろうと言われたが宿泊の相場までは聞いていなかったのだ。
銀貨一枚で銅貨百枚の価値があるらしいこの世界、ワイドの街の宿がどれだけ適当だったかと言うのが今ならよく分かる。
「……はっ、シン様!お、おはようございあまさっ、つ……お、お早いのですねっ!こ、こんな格好で、そ、すみませんんっ!!」
「…………はんらったんら?」
肌の透けるようなキャミソールを纏ったルナは、真の姿を視界に留めるなり跳ねた自分の青い髪を必死に押さえながら真にそう言うと再び慌てて階段を駆け上って行った。
真は固いパンを口に頬張りそう一人呟いた。
「……ん、おおシン。相変わらず朝が早いな。さっきルナが慌てて部屋に入っていったが…………ふっ、そう言う事か」
「……なんろころら」
ルナと入れ違いで二階の部屋から降りてきたフレイは真と同じテーブルへ腰かける。
既に格好は整っていていつでも戦闘へ赴ける様相だ。
「……女心には鈍感だなお前は。と言うかシン、口、入れすぎだ。そんなに焦ることは無いだろう?」
フレイは背もたれに腕をかけながら真にそう指摘した。
やがて店主がフレイの存在に気づき真と同じメニューの朝食を運んでくる。
「……はみひれらいんら」
「はぁ……これはこうやって食べるんだ」
フレイは真の言わんとする事を察したようで、固いパンを千切ってスープにとぷんと漬け込みそれを自らの口へと放る。
なるほど、液体を染み込ませればこの固い物も柔らかくなって食べやすいのかと思った真だが既に全てを口に入れ終えている真はそのままスープを更に口に入れ咀嚼するに終わった。
真はまともな料理と言う名の物など食べた記憶は殆んどない。
地球で真より幼い人間は寧ろ全く無いと言ってもいいだろう。
栄養固形食、それが全ての食事と言う概念を賄う世界だ。時間が許すなら血液中に直接栄養源を注入するのがもっとも望ましいが争いの渦中に身を置いていた真にとって口に頬張りながらも戦闘出来る栄養固形食は限り無く効率が良かった。
一口で、素早く、動きながら、体内に必要な栄養が摂取出来るのだから。
どうにもその癖は今もまだ治らない真であった。
「……で、今日はどうするんだ?私はギルドへ行くつもりだが」
カフェインを口にしながら真にそう問いかけるフレイ。
「あぁ、俺もそうしようと――――」
「お、おはようございますっシン様!あ、フレイさん!」
思ったとフレイに返事を返そうとした所で慌ただしく階段を降りてきたルナが、昨日と同じ民族衣装の様なローブに身を纏い杖を片手にそう発声した。
「おぉルナ、お早う」
「……さっきから何を慌ててるんだ?」
「ぇ、あぅ……えと、その」
俯きながら口ごもるルナは、何やらもじもじと恥ずかしそうにしながらも真達の着くテーブルへと腰を下ろした。
「お前がそれを言うかシン、女心だ」
その言葉にまるで自分が女心を分からない様な言い方だなと反論したくなった真だったが、敢えてそれを言う気にも成らなかったので所在なくカフェインに口を付けた。
◆
昨日と同様ファンデル王都城下町に建つ白一色のギルドへと足を運ぶ真一行。
まだ日が上って僅かだと言うのにギルド内は混雑を極めていた。
受け付けには物々しい格好の男達が並び、二階のロビーからもガヤガヤと多くの人の声が聞こえてくる。
「わぁ……」
「凄い人だな……」
「あぁ、朝は大体こんな物だ。ギルド側も常に開けているとは言え受付の人員をこの時間帯だけは増員させている」
見れば朱色の制服を着こなした受付には昨日フレイと話していたネイルも何処か疲れきった表情で対応に追われている。
「で、どうするんだ」
とりあえず何から始めればいいのか他力本願にもフレイに尋ねる。
「そうだな、お前達はどうしたい?私とパーティを組んで危険な仕事で一気に稼ぐか、それともゆっくり自分の階級の仕事をこなしてみるか……と言ってもパーティは5人以上いなければならないし、金も必要だ」
ギルド規約でも説明された事だが、依頼は一人ではなくパーティを組んで行う事も出来る。
パーティは5人以上いなければならず、それを作るに当たって代表者はギルドに金貨一枚を預けなければならないのだ。
その理由は定かではないが、パーティのメンバーは階級関係なく組む事が出来るのでまだ実践経験が浅い者にとっては実力のある者のパーティに入りいい報酬を手に入れる事の出来る何とも都合のいい制度でもある。
フレイは金貨一枚なら何とか出せると言ったが問題は後二人をこの中から見つけなければならないと言う事。
真にとって他人に地球の科学技術をあまり見せたくない現状、パーティを組むと言うのはあまり気乗りしない行為に他ならなかった。
「いや、いい。ゆっくりと自分に合った仕事でもしてみるさ」
「……ん、そうか。私はシンの腕前を見たい所でもあったんだがまぁ仕方ないな、じゃあ――――」
「――――よく見たらフレイじゃねぇか!」
ふと二階のロビーから酒がれしている様な掠れた声の男が、恐らくフレイを見下ろしながらそう声を荒げていた。
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