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Fluorine
第百十五話 光拳のベルク
しおりを挟む「っが……はっ!」
「ヨーゼフ!」
「オホホホ、脆いですわねぇ。折角苦労して結界まで破って来ましたというのに……何ですかこれは。人間とはこうも脆いのですか」
「サキュバス、いつまで遊んでんじゃねぇ」
「あらなによ、いいじゃない少し位ゆっくりしたって。ここの結界を抜けたのは私の力でしょ?大体あんたみたいな筋肉バカと一緒にいるだけでもストレスなのに」
妖艶な黒き革装備に身を包む女、そしてそんな女を咎めるのは剛胆な体躯を持つ青い短髪の男。
「あれが魔王セレスの居城。闇は感じない、どうやら結界だけのせいではなかったか」
そんな二人の背後に悠然と立ち、ワンキャッスル中心部に聳える朽ちかけた城を見てその男は一つ呟いた。まるで目の前で仲間が人間をいたぶっている事など興味が無いような態度で。
彼方此方から上がる阿鼻叫喚もその男の耳には何一つ入っていないように見える。
ワンキャッスル、その中心街に突如姿を現した二人の男と女は我が物顔でその国の民が培った物を蹂躙していた。
最初に犠牲となったのは露天で果物を売っていた民だろう。ふざけた態度で店を物色し、試食の果実が三人の口に合わなかったとの理由で店主は有無を言わさずその命を散らされた。
だがそんな状況を、街を隈なく徘徊するこの国で自分達が一番強いと豪語している者達が黙っているわけもなかった。
ブラック・ナイツ、平和な世界が作り出す副産物とも言うべき素行の悪き者達。今やその人数は数十。窃盗、地上げ、無遠慮な獣殺しと好き放題する彼らだが、掲げるのはいつかこの国から出て他の国で名を挙げると言ったごく自然なもの。
だがこの国から出るには近海の荒波を越えなければならない。それが出来ないからこそこうして燻っている、そんな井の中の蛙が彼等ブラック・ナイツなのだ。
だが事ここに於いて、民は突如現れた見知らぬ三人組に食って掛かるブラック・ナイツを内心で声援を送っていた。
力の無い民には見知らぬ危険よりも見慣れた危険の方が安心なのだ、そしてこの危険をブラック・ナイツの連中ならばと言う淡い期待を抱いていた。
「おい、何だこりゃあ!どうなってやがる!?」
「団長!こ、コイツがブランとヨーゼフを」
「あら、まだいたの?」
「ぞろぞろとザコがお出迎えだぜ!」
ブラック・ナイツを取り纏める団長は仲間から受けたおかしな知らせに慌ててその現場へ駆けた。だが待っていたのは仲間が無残にも地に伏している姿。異常事態であった。
自分達に反抗する者などこの国には存在しない、ましてやられる等。
確かにかつてこの国を伝説の勇者と共に創ったと言われる獣族のベルクには灸を据えられる事もあるが、本気でやればそんなベルクも自分は勝てると団長は信じて疑わなかったのだ。
この国で生まれ育ち、齢15にして自分が苦戦する相手等この島国にはベルク唯一人位である筈だと。
「貴、様……殺し、たのか?」
ブラック・ナイツの団長は、目を広げたまま血を吐き倒れる仲間を視界に入れ思わずそう呟いていた。
「え?何?聞こえなかったわよ、坊や」
「っく!ブランを殺したのかって聞いてんだぁっ!!」
「ブラン?あぁ、これ。さぁ?自分で確かめたらどう?大丈夫?足が震えてるわよ坊や」
「貴様ぁぁっっ!!」
団長の脳内は黒く染まっていた。
それは坊やと馬鹿にされた事ではない。
その程度の挑発に乗るほど子供ではないのだ、だが仲間が殺されたと言うその事実を受け止める事は出来無い。
殺し、短い生涯で初めて経験するその現実。
昂る怒りと憎しみに任せ、団長は腰から一振りの直剣を抜き放つと、初めて人間を斬り殺してやろうと思いながらそれを振るっていた。
だがその剣筋は何事もなく妖艶な格好をした女に躱され、気付けば団長の身体はくの字になって上空へと舞い上がる。
「いいわねぇ、若いとすぐに怒るから」
「そろそろ纏めてやっちまうか」
瞬時に横からブラック・ナイツの団長の腹を蹴り上げた張本人である青い短髪の男は興味なさげに仲間の女へそう告げたと同時、宙へ蹴り上げられた団長の体が地面に叩きつけられた。
「団長ぉ!!」
「どうするの、ロード?」
サキュバスと呼ばれた妖艶な黒き女は背後でただ状況を景観する一人の男に声をかける。
「どうやらセレスの居城はもう使い物にならん。要らぬ心配だったな、もう此処には用もないだろう」
「あら残念」
「ふん!とっとと次だ」
伸びる漆黒の外套を纏い、紫檀色の長髪を持つ優男は二人の部下にただそう呟く。
蹂躙が始まろうとしていた。
平和、安寧、かつての勇者が望み、救ったこの地に、再度の厄災は今、舞い降りたのだ。
「――おいおい、こりゃマジかよ」
刹那、そんな凄惨な場には不釣り合いな男の声。それにそこにいた皆が振り返る。
怯え、腰を抜かしていた民も。
恐れ、動けないでいたブラック・ナイツも。
苦しみ、地につけられた団長も。
そしてこれから一遊びしようとその一歩を踏み出した異常人物、サキュバスとオーガも視線をその声に向けていた。
「ソイツは、殺したんだな、マジに」
「べ……ル、クっ」
「ああ、いい喋んな。お前も結構ギリギリだな、これに懲りたら大人しくしろよ」
紅き髪を立ち上げ、使い込んだであろう手甲を両手に付けたその男は、苦しみながら自分の名を呼ぶ団長にそう優しく声をかけていた。
「ベルクさんだっ!!」
「ベルクだ……」
「助かったぞ!」
「でも団長が一瞬でやられたんだぞ……いくらベルクだって」
辺りの住民から歓声が上がると同時にベルクに目を付けられていたブラック・ナイツの連中は戸惑いを隠せない。
それと同時にブラック・ナイツの皆は思っていた。
いくらベルクが強いと言っても本気になった団長と互角の男が、このおかしな三人組を相手に出来るのかと。
何かの不意打ちでやられた団長、油断していたとはいえそんな奴が三人。とてもベルクでどうにかなるとは思えなかったのだ。
「何?まだいたの。でもいいわ、貴方の闇も引き出してあ・げ・るぅぐふぉ」
閃光。
それは誰の目に見えたであろう、一筋の光の様に迸るベルクの拳であった。
妖艶な笑みで微笑むサキュバスは腰を折り曲げ、更なる追撃で振り落とされたベルクの踵によって石造りの路面にクレーターを作った。
「!?」
「なっ……」
「はぁ……やっぱり平和ボケだわ、昔だったら完全に土底に埋められたのによ。一城がいたら呆れられちまうぜ」
「なっ、何だお前は!!」
顔を石畳に突っ込み、静かになったサキュバスは黒き翼を背から生やし、ほぼ全裸の姿になってそのまま動かなくなっていた。
そして面食らったオーガは理解できない事態に、反射的にただそう声を上げる。
だがそれ以上に民は怯えた。先程までただの妖しい女だった人間の姿が化物に変わったのだ。事態が理解できず、見た事も無い獣に、或いはかつてに見たあの魔物に、消し去れない過去を思い出していた。
「あぁ?そりゃこっちの台詞なんだよ。てかやっぱり魔族か……クセェ匂いがぷんぷんするから嫌な予感はしたけどよ。どうやって入りやがった」
「貴様、獣族か」
「ほほぅ、魔族となったサキュバスが相手にもならんとは……さては」
今まで傍観に徹していた長髪の優男は何やら面白そうな笑みを溢してベルクへ歩み寄る。
ベルクはそんな優男へ一閃の拳を瞬速で振り抜くと、そのまま後ろへ一旦飛び退いていた。
「私の顔に、傷」
「へ、俺を知らねぇか。ちょっと前にてめぇ等の親玉をぶっ殺してやった勇者パーティの一人、光拳のベルク。ベルク=ヒューイナス様だぜ?」
「ベルク、勇者……なるほど。やはりか、だが感謝はしておこう……魔王セレスを葬ってくれた事。そして覚えておけ、次の魔王は悪鬼族ヴァンパイアロードのこの私だと言う事を」
そう言い、優男は漆黒の外套を跳ね上げた。
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