上 下
100 / 139
Oxygen

第九十七話 神無き夜に映るは

しおりを挟む
 月明かり照らすファンデル王都。
 家屋を縦横無尽に跳び移り移動するそのフード姿は最早常人のそれとは思えない。
 どこか人体改造でも施されているのかと思えるような一人のフードを背後から真は早くも掴んでいた。


 だがその手に残るは灰色の布切れ一つ。
 そしてフードを取られた人間は諦めたように家屋の屋根上で一旦飛び上がると真に相対していた。



「……貴様、本当に人間か」
「お前には言われたくないな」


 真に関しては地球の過度な科学技術によって割増された運動能力である。だが対して目の前の人間は地でここまでの動きが出来る、それは賞賛に値するどころか地球で言えば獣にも値するレベルだろう。

 灰色のフードケープを取り払われた男・はウェーブした黒い前髪で顔こそよく見えないものの、闇夜でも爛々と輝くその瞳にはまだ諦めの色は伺えなかった。
 真はこの男に、少し聞きたい事もあるが果たしてと手を拱くのだった。


「アニアリトってのは大した事もないのか」
「……ちっ」

「おっと!」



 男は真の言葉を無視して素早く脇から二本の投げ短刀を向けるが、真はそれを最小の動作で躱す事に成功した。と言っても月明かりにギリギリ反射し光る刃のスピードは、一歩間違えば簡単に真へと突き刺さるだろう。

 投げ短刀を真が避ける事を見越していたのか、男は既に次の行動へと移っていた。
 一瞬出来た隙を見逃さず瞬時に側頭蹴りを一発、そのまま空中で更に一回、二回と続け様に蹴りを放つ。
 どうしたらそんな身軽な動きが出来るのかは全く疑問であるが、真は投げ短刀よりも隙無く放たれる三撃目の蹴りをその腕で受けざるを得なくなっていた。


 衝撃を逃す為に足を宙に浮かせ、蹴りの反動で屋根の端まで吹き飛ぶ真。
 あまり距離を開けたくはなかったが、腕に残る痺れにまともにその蹴りを受けていなくて良かったと思わされたのだった。



「これが無手流か……」
「くっ――退避する」


 黒髪の男は誰に言ったのか、真と距離が開いたとみるやそう呟き身を翻す。
 恐らくロードセルによる仲間への通信、だがここでみすみす逃がしてやる真でもない。自ら作ったアニアリトとの接触、情報を聞き出せないにしても生かしておくのは得策ではない。

 そう判断した真は開いてしまった距離に、歯噛みする間も惜しんでデバイスを起動させていた。


「神経信号拡張パルスオーバー、10」


 脳内神経に埋め込まれたチップへデバイスがSS速度の電波を飛ばし続け、真のあらゆる神経を過剰に働かせる。
 脊髄、視神経、筋神経等への神経伝達が通常より速い物となる言わば体のギアチェンジであるパルスオーバー。

 ザイールトーナメントで一度これを使用した時は思わず対アンドロイドキルラー用の癖で30%も拡張してしまった事を反省し、次に使う事があるなら少し下げると決めていた拡張率は10%。


 だがそれでもやはり一般の人間相手にはそれで十分のようであった。
 行き遅れする世界で真は一人家屋を駆ける。
 たった一瞬にも関わらず、男が二棟も移動している最中だった事にはなかなかの驚きを感じた。だが今眼前で動く男のスピードは、パルスオーバーした真にしてみれば子犬と百メートル走をしているレベルでしかない。

 パルスオーバーによって別領域レベルの疾さで動く真に、暗殺者であろうがその男は最早何の脅威もないのだ。 
 だがあまり長時間これをしている訳にもいかない。時間に比例して酷くなる激しい目眩と頭の重さは遠慮したい所。

 真は早々に男へと追い付くと、その頚椎をへし折ってパルスオーバーを解除したのだった。



「っひぴぷ」

 戻る時間軸、男は目を見開いてその場に力なく横たわるが辛うじて息は出来ているようだった。
 頚椎を折ると言ってもその程度で人間は簡単に死んだりはしない。
 しかし動いてもらっては困る相手にこの手段は最良であり、四肢を一つ一つ再起不能にするよりも一撃で相手を戦闘不能に出来る簡易技。だがそうであると同時に一歩加減を間違えれば本当に殺してしまいかねない荒技でもある。


 水面に浮かぶ魚が必死で酸素を求めるが如く様相で、男は目と口を大きく開きながら僅かな呼吸を繰り返していた。


「ぐふ……ぎざ、ま……なにを、し、た」
「動けない所悪いがな……拠点を教えれば元に戻してやってもいい」


 真は必死に口を開く男へとそう問いかける。
 だが相手は曲がりなりにも暗殺者の端くれ、ならばこういった所で簡単に口を割るようなこともないだろうがと思いつつ真は男を見下ろしていた。



「の……ノルト、きょう、かい」
「あ?」


 そんな矢先だった。
 男は必死の形相でそんな言葉を絞り出す。
 ノルトとはここファンデル王都ノルト地区の事だろうが「きょうかい」とは何か。
 そして何より簡単にそんな情報を出してくる事自体一体どんな裏があるのかと真は一瞬の戸惑いを感じた。
 本当に命が欲しいのか、それとも罠。
 誘いだした場所にて仲間が真を殺れると考えての事か。


「境界ってのはどことの境だ、イルトか?ウェルトか?」


 だが罠であれ、真にしてみればアニアリトを殺れるのだからそれは逆に好都合とも言える。
 男は激しい痛みからか未だ微動だに出来ない身体へ歯噛みし、再び言葉を紡いだ。


「教会ッ……だ、はっ……は……」
「ノルトの……教会」



 漸く男の伝えたい情報を手に入れた。
 どうやらノルト地区の教会に何かしらの罠が張ってあるらしい。真はそれを聞き終えた所で早速ノルト地区へと向う事に決めた。


 今だに動きもしない男を去り際に一瞥し、応急処置でもしてやろうかと考えたがそれも必要ないだろう。
 真が男を殺さない理由はもうこの男が暗殺者等と言う大層な事は出来ないと判断したからである。

 頚椎を中途半端に折られた男は恐らくもう二度と元には戻らない。
 巧く関節部分を嵌め込めば少しはマシになるだろうが、身体を駆使する無手流など最早雲の上の動きになってしまったのだ。それに暗殺者相手にそこまでしてやる義理もないと、真は男を捨て置く事にした。


 情報を提供してくれた見返りを与えないのは約束違いか。
 行き先が教会なだけに、もし神がいるのなら是非とも罰を与えてみろと真は誰も助けてはくれなかった過去を思い出しながらそんな皮肉を居るはずのない神へと向けたのだった。

















 夜の蚊帳もすっかり馴染んだファンデル王都に人気は無い。
 時計としての用途を無くしたデバイスだが、今となれば体感でどれだけ遅くなっているかは大体の見当がついていた。

 僅かにポツポツとオレンジ色の暖色が灯るのはギルドのあるサルト地区位だろうか。
 真の目指すノルト地区はその九割が背の低い住居ばかりで犇めきあっていた。
 道を尋ねるにも人が居ないのでは仕方無く、多少会いたい気持ちはあれどフレイやルナ、アリィをこんな現状で尋ねる訳にも行かない。


 だが幸いにして教会は居住区の隅にひっそりと、それでいて高さがあり形も地球のものと大差なかった為に労せず見つける事が出来ていた。


(……教会に暗殺者か)


 誰一人として手を差し出すことの無い世界で力のみが全てとして生きてきた真には今更神の存在等敬う気は更々無いが、そんな教会に力で物事を支配するような輩が集まるのならばそれはやはり神とは力であり、力が全てだと言う何よりの証になるのではないかとそんな皮肉を思う。
 真は月灯りに薄っすらと影なす教会を見てふと笑いが込み上げていた 。




 パルスオーバーによる弊害もそこまで長時間では無かったからか殆ど感じず
、合金製ブーツによる反発応力で加速された真の足は月夜の家屋屋根を次々と飛び越えていく。

 網膜の裏側に移植された光源反射板により暗闇でも何の問題無く見える視野。
 そして真はついに目的の場所、教会と思しき建造物を眼前に捉えていた。
 家屋の屋根から丁度正面に見えるモニュメントは教会のモチーフとなるものだろうか、金色に輝く女性が小さな赤ん坊に手を差し伸べる様子を模したそれはここが教会だと否応なく見る者へと伝えてくる。


 こんな場に一体何が待っているというか、真は片膝に腕を載せたまま 暫くの間そんな教会をただ眺めていたのだった。

 雲の切れ目から偶に差し込む月の妖艶な光、それを受けて煌めく黄金の女と赤子。微笑ましくも見えるその女がもし神だと言うならば真はその女に言いたかった。





――お前は目に見える者しか助けてはいない。助かった者の陰で生きる事に絶望した者はお前にとって一体何なのかと。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

獣の国~獣人だらけの世界で僕はモフモフする~

雅乃
ファンタジー
獣人達とモフモフする話が多いです。 バトル重視かまったり重視か悩み中。 希望や意見があればよろしくお願いします。 ~あらすじ~ 突如現世から飛ばされた主人公の青年、猫山静一 辿り着いたのは獣人が数多く暮らす世界「ラミナ」 かつて縄張りを争い、幾度も戦いを繰り返した誇り高き獣達 この世界の全ての住人にはその獣の血が流れている しかし何度も繰り返された虐殺により、亡骸の数だけ怨念が生まれた 怨念は大地を彷徨い、やがて魔物として形を得た 無差別に戦闘を繰り返す魔物による被害は甚大 そこに終止符を打つべく集った12種の獣 全ての障害を力で捻じ伏せた虎や竜 知恵で欺き、相手を翻弄する猿や戌 気配を消し、虎視眈々と隙を狙う蛇や酉 死を恐れぬ特攻で敵を怯ませた鼠や猪 危険察知能力を駆使して敵陣を闊歩した兎や羊 大群で行動し、強い団結力を誇った牛や馬 彼らは十二支と崇められ、全ての獣達従えた 団結した獣たちは凄まじく、一部の縄張りから魔物を駆逐することに成功する しかし、魔物が消え去る事はなく、戦いはまだ終わらない 時を重ねるごとに獣同士で争った記憶が忘れ去られてゆき やがて獣達は似た姿の魔物と別れを告げるように、獣人へと進化した 新たな力を手に入れ、仮初の安息を手に入れた獣人達 そこに人間が出会うことで、新たな時代が幕を開ける

僕の兄上マジチート ~いや、お前のが凄いよ~

SHIN
ファンタジー
それは、ある少年の物語。 ある日、前世の記憶を取り戻した少年が大切な人と再会したり周りのチートぷりに感嘆したりするけど、実は少年の方が凄かった話し。 『僕の兄上はチート過ぎて人なのに魔王です。』 『そういうお前は、愛され過ぎてチートだよな。』 そんな感じ。 『悪役令嬢はもらい受けます』の彼らが織り成すファンタジー作品です。良かったら見ていってね。 隔週日曜日に更新予定。

側妃に追放された王太子

基本二度寝
ファンタジー
「王が倒れた今、私が王の代理を務めます」 正妃は数年前になくなり、側妃の女が現在正妃の代わりを務めていた。 そして、国王が体調不良で倒れた今、側妃は貴族を集めて宣言した。 王の代理が側妃など異例の出来事だ。 「手始めに、正妃の息子、現王太子の婚約破棄と身分の剥奪を命じます」 王太子は息を吐いた。 「それが国のためなら」 貴族も大臣も側妃の手が及んでいる。 無駄に抵抗するよりも、王太子はそれに従うことにした。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

M.A.T 対魔法筋肉特殊奇襲部隊

海王星型惑星
ファンタジー
日本中のマッチョが集まるボディビル大会に挑んだ竹月 力(たけつきりき)。 しかし、竹月は最高のコンディションで挑んだにも関わらず、ライバルである内田垣内(うちだかいと)に敗れる。 自分の筋肉に自信を失った竹月だったが、大会後2人は謎の光に包まれ... 彼らは魔法が支配する世界に転送された。 見慣れない街、人々、文化、そして筋肉。 戸惑う2人は王国突如招集を受け、魔王軍の進軍に抗う為の特殊部隊に配属される。 そこには筋骨隆々のゴリ、細、ソフト、ガリ、様々なマッチョで溢れかえっていた。 部隊の名は「対魔法筋肉特殊奇襲部隊」 (anti-Magic muscle special Assault Team) 通称M.A.T。 魔力がすべてのこの世界で己の肉体のみで戦う超特殊な部隊だった。

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

「7人目の勇者」

晴樹
ファンタジー
別の世界にある国があった。 そこにはある仕来たりが存在した。それは年に1度勇者を召喚するという仕来たり。そして今年で7人目の勇者が召喚されることになった。 7人目の勇者として召喚されたのは、日本に住んでいた。 何が何だか分からないままに勇者として勤めを全うすることになる。その最中でこの国はここ5年の勇者全員が、召喚された年に死んでしまうという出来事が起きていることを知る。 今年召喚された主人公は勇者として、生きるためにその勇者達に謎の死因を探り始める…

処理中です...