君のいる世界

高遠 加奈

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空港からタクシーで。

どんなに早く走らせてくれても、心のほうが早くて、座っているだけの自分がもどかしい。


信号まちの運転手さんに、「この先の看板がそうだよ」と教えられるなり、「ここで下ろして下さい!」と叫んでいた。

歩道側に座っていたあたしは、ドアが開くよりも早く自分で開けて降りていた。


「青木さん、後でお金払います」

ハザードを出したタクシーから降りると、信号は青に変わっていて道を渡ることが出来た。

走ろうとするのに、ロングワンピースが足に絡んで上手く走れない。

もどかしくても、必死に足を動かす。この一歩が、あの人に繋がっているのがわかっているから。


目指す店から出てきた伊部さんが、あたしの勢いに驚いて道を譲ってくれた。目をめいいっぱい開いた状態で、口もあんぐりと開けている。

「玲奈ちゃん!?」

「伊部さん、ごめんなさいぃ」

立ち止まることもなく走りさると、後ろから青木さんが伊部さんを呼んでいた。

「伊部さんいいところに! 玲奈ちゃんの荷物持って下さい」

トランクに入れたままのキャリーを取り出す音がする。そう意識しても、取りに戻ろうという気持ちにはならなかった。


早く、一刻も早くあいたかった。





 お店の前まで来て、決心が鈍らないように一回だけ深呼吸をした。

 もうここまで来て戻ることも、なかったことにも出来ない。ぎゅつと閉じていた瞼を開けると、思い切って引き戸をひき開けた。

 思いの外、軽い力で開いたので勢いが付きすぎてバタンと大きな音がした。

 一瞬で、お店の中の人全ての視線が自分に向けられたのがわかった。

 ……気にしない。すごく気になるけど、平気なふりをするから大丈夫……

 恥ずかしさにぎこちなくなりそうな自分に言い聞かせて、真っ直ぐにカメラマンの一団が陣取る席に向かう。

 憧れのカメラマンである山崎礼治さんも、目をみはってあたしを見ていた。

「明日からお世話になります、柏崎玲奈です」

 勢いよく頭を下げると、髪が地面につきそうになる。勢いよすぎて、おかしかったかもしれない。頭を下げたからだけでなく、顔に血が上ってきた。

 顔をあげると、垂れ目がちな瞳を細めて笑ってくれた。



「山崎礼治です。顔あげて。そんなに畏まられたら、俺も合わせなくちゃでしょ。楽にしてくれない?」

 いっぱいいっぱいなのは、あたしだけで礼治さんは落ち着いてる。どうしよう優しくって大人で格好いい…

 ずっと見ていたいけど、そんなの変に思われる……

「あたし礼治さんのファンなんです。今日も会えるのをすっごく楽しみにしてて、それで急いできて。やっぱり慌ててちゃおかしいんだけど…えーと…うれしくてにやけちゃいます」

 走って乱れた前髪を直しながら、さり気なく伺うと笑顔のままこちらを見ていた。

 憧れてきた人を前にして、いつか会えたなら聞いてみたいことのリストが頭のなかでくるくると勢いよく回っているのに、どれひとつ質問が出てこなかった。

「ゴメンね、礼治さん。玲奈ちゃん場所がわかったら突進していって、俺ら置いてきぼりよ」

 はあふうと息を切らせて、遅れた伊部さんとスタイリストの青木さんがやって来た。

「もータクシーの運転手さん置いて走ってくんだもの。支払いしてきたよ」

「あ、ごめんなさい。お金払います」

 慌ててバックを開けると、ポーチやスプレー、ヘアゴムなどが、ばらっと散らかった。

「やっ 、ごめんなさい」

 かあっと体が熱くなるのがわかった。あわててしゃがんでゴムやポーチをかき集める。

なんでいつも格好悪いんだろう。初めて憧れの人に会えたのに、『ああ、カバンぶちまけてた子だ』なんて覚えられちゃうの?





 そばにいた礼治さんと伊部さんも拾うのを手伝ってくれるけれど、恥ずかしくてたまらない。

「すみません、玲奈はほんっとあわてんぼうで」

 青木さんも、屈んで遠くにとんでいないかと探してくれる。

「いいんじゃないですかねぇ。元気があるのはいいですよ。年をとってくると余計です」


 穏やかに笑いながら礼治さんが、ゴムを渡してくれる。わずかに触れた手が温かくて、緊張で冷たくなった手を燃やすほどの熱を生み出す。

 会いたかった。

 あたしを見て欲しかった。

 そして話してみたかった。

 それは全て叶ったことになる。たとえどんな恥ずかしい出会いだったとしても、あたしは山崎礼治さんに会うことができたんだ。


 ずっと会いたかった人に。

 礼治さんの笑顔につられるように、自然に笑顔になることができた。

「ありがとう」



 そう言って受け取ることができた。
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