【完結】姫神子と王子

桐生千種

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第5章 姫神子と王子

第2話 思い出の悪夢

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 夢を見る。

 切なくて、苦しくて、幸せだと、思ってしまう夢。

 私はどこかの村にいて、女の子たちの噂話を耳にする。

「かっこいい」
「そこにいるだけでドキドキしちゃう」

 そんな噂の人と、私は川辺で会う。

 雪で真っ白になった川辺。

 夢の中での私は、毎日その川辺に行くのが日課になっていて、そこでその人に会う。

 大きな袋を抱えたその人は、私が運ぶ水瓶を強引に取り上げて、私の家まで運ぶ。

 その人が転んでケガでもしたらどうしようって、私はそんなことばかりを考えて気が気じゃなくて。

 それから、家に着くとその人は慣れたように料理や洗濯やお裁縫をして。

 そこでは私にも役割があって、その人と一緒に料理や洗濯やお裁縫をして。

 そうやって季節が変わっていく。

 雪が溶けて、春が近づいてきた季節。

 その人が私に言う。

「――には、恋人、いないよね?」

 私は答える。

「いないよ」
「じゃあ、俺の恋人になって?」

 そう言ったあと、すぐにその人は言い直す。

「――は今から俺の恋人。――が満足する以上に愛してみせるから」

 なにかの冗談じゃないかって思う私に、その人は強気で、意地悪で、綺麗な表情で私を見つめて……。

 そんな表情をしているとわかるのに、その顔には影がかかったみたいで私には見ることができなくて、そんな変な夢。

 なにも言えない私に、その人は続ける。

「ここに、誓いの口づけを」

 心臓が壊れるんじゃないかってくらいドキドキして、でも、イヤじゃない。

 イヤじゃないけど、胸が苦しくなる。

 その人の名前を私は知って、でも、わからない。

 その人は名乗る。

「――――」

 その人が並べる音を、夢の中の私は聞き取ることができないけど、それは夢だからなにも不思議じゃない。

 だってこれは夢で、ぜんぶ空想の話。

 どこにでもいる女の子が、ある日王子様のお迎えが来て……、なんて考える、ありがちな空想。

 夢の中のその人もやっぱりどこかの国の王子様で、私もそんな空想をするようなごくごく普通の一般的な女の子で。

「――が一緒に来てくれるなら、家族の生活は保障する」

 真剣に言うその言葉に、どうしてだか悲しくなって。

「約束するよ」

 そう言うその人の言葉に、夢の中の私はその人と一緒に村を出ることを決めるけど……。

 目が覚めた私は、どうしようもなく悲しみに飲み込まれてしまうんだ。

*****

「まら、悪い夢をみてしまったのですね」

 そっと涙をぬぐって、悲しみの渦に沈む私を引き上げてくれるのは已樹。

 いつもみる夢の中の私は、決して悲しいわけじゃないのに、その夢をみたあとの現実の私は悲しくて、苦しくて、どうしようもない。

 なにがそんなに悲しくて、苦しいのか、ぜんぜんわからない。

「大丈夫です。悪い夢は、ただの夢です」

 髪を撫でて、落ち着かせてくれる。

「ただの夢が姫神子様を脅かすなど、ありえません」

 已樹の手に撫でられていると、どこかぽやーっとして、悲しいことも、苦しい気持ちも、なにもかもが、なんでもないことのように思えてくるから不思議。

「已樹……」

「はい」

 ぽやぽやする頭で、已樹に話す。

「夢の中で、誰かが私の名前を言うの……」

 顔も名前もわからない、だけど必ず現れる夢の中のその人。

「でも、なんて言っているのかわからなくて……。変だよね……」

 私、なに言ってるんだろう……。

 でも已樹は、そんな私の話をなにも言わずに聞いてくれる。

「……姫神子様は、名前がほしいですか?」

 髪を撫でながら聞いてくる已樹。

「……ほしくない」

 「ほしい」と言えば、きっと已樹は名前をくれる。

 でも、私にはそんな気はなくて……。

「姫神子様でいい……」

 そうでないと、いけない気がした。

 そうしていないと、耐えられなくなりそうで。

 「私の名前」を呼んでくれるその声は、きっと私を虚しくするだけだってわかってる。

 私には、なにもない。

 ただの、「姫神子様」でいい。

「仰せのままに、姫神子様」

 私はただの「姫神子様」で、それだけ。

*****

 小鳥のさえずり。

 やわらかな陽射しが、木々の葉の間から射し込む。

 春の日だまりのような、緩やかな空間。

 平和な場所。

 なにもない。

 なにも起こらない。

 花を見て、風の音を聞いて、柔らかな葉に触れて、それだけ。

 世界のすべてが、それだけ。

 悲しくなることもない。
 苦しくなることもない。
 なにもないから、きっとシアワセ。

 それがきっと、シアワセ。

 シアワセ、なのに……。

 どうしてかいつも足りないと思ってしまう。

 心のどこかにぽっかりと穴が開いてしまっているような、物足りない感覚。

 満たされない気持ち。

 でも、それを埋めてしまうことが怖くて、これでいいんだと、自分自身に言い聞かせる。

「やっっっっっと!」

 声が、引き裂く。

「見つけたっっ!!」

 静かな世界が終わりを告げる。

 どこかで聞いたことのあるような声に、心がざわつく。

 蒼い、瞳。

 なにかを思い出しそうで、思い出せない。

 思い出したくない。

 心が、イヤだと拒絶する。

 それを思い出してしまったら、悲しいことを、苦しいことを、思い出してしまいそうで。

「おや、早かったですね。でも、もう遅いです」

 楽しそうに笑う已樹に、私は手を伸ばした。

「已樹……。助けて……」
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