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9章 価値ある戦い

308話 ハンナ・ウルリカ・グリーンの嘆き

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 わたくしめは、久しぶりにレックス殿と再会しました。ミュスカ殿やルース殿と共に、ミーア様の用意したお茶会で。

 そんな中で、しばらくは感じていなかった穏やかな気持ちというものを、確かに実感していました。ただ、あまり中身のない話をしていただけでしたが。とはいえ、レックス殿が良くない状況ではあるので、心配はしていました。

 わたくしめの友人が、命を狙われている。湧き上がる怒りはありました。実際、木剣を折ったこともあります。強く握りすぎて、つい砕いてしまいました。

 もしレックス殿に見られていたら、恥ずかしい思いをしたでしょうね。なにせ、レックス殿を考えていたのですから。それに、はしたないですし。

 とはいえ、元気な姿を見られて安心しました。敵に対する恐れも、それほど無いようでしたね。

「レックス殿の顔を見られて、良かったですね」

 レックス殿だって喜んでくれましたし。それは、顔や声で分かります。わたくしめ達との時間を、間違いなく楽しんでいましたから。そのおかげで、わたくしめも楽しめたと言って良いでしょう。

 わたくしめを必要としてくれる存在は、とても幸せを運んでくれます。そう実感させられましたね。友人が求めてくれるのは、本当に嬉しいのです。

「やはり、親しい人との時間は心を癒やしてくれます」

 レックス殿のことを考えて用意された場ですが、むしろわたくしめの方が元気づけられたかもしれません。立場が逆転していますよね。

 ですが、助け合うのが友人だと、レックス殿は考えているはずです。いえ、正確には違いますね。わたくしめが元気づけられたという事実があるのなら、それそのものを喜ぶ方なのです。

 わたくしめを大切にしてくださるからこそ、わたくしめに良いことがあれば嬉しいと思う。たとえ自分が苦境にあったとしても。あまりにも友人を大切にしすぎていますから、もう少しわがままでも良いと思いますが。

 とはいえ、レックス殿は友人の幸せを望むことというか、友人と共に過ごすことをワガママと捉えているように見えますからね。どうにも、無欲というか。いえ、欲の全てが、親しい人に向けられていると言うべきでしょうか。

 いずれにせよ、わたくしめを心から信じ、他のものより大事にしていることは事実なのです。素晴らしいとは思いますが、見ていてもどかしいと思う瞬間もあります。

「レックス殿、少しわたくしめの様子を心配していましたよね……」

 目を見れば、分かるものです。わたくしめを視界の中心に入れながら、目線をさまよわせていましたから。正直に言って、気づいてくれたという喜びがありました。やはり、わたくしめを見てくれているのだと。

 わたくしめは、きっと暗い顔をしていたのでしょうね。自分の状況を考えれば、当たり前ではありますが。

 とはいえ、あの場で言葉にすることは、ためらっていたようでした。せっかくのお茶会を、悪い空気にしたくなかったのでしょうね。わたくしめとしても、楽しい時間として過ごせた方が嬉しかったですし、ありがたい配慮です。

 あるいは、わたくしめの問題に踏み込もうと思えなかったか。そうだとしても納得はできるのですが、少し寂しくはありますね。あくまで、単なる想像でしかないのですが。

「彼も彼なりの問題を抱えていますから、あまり口出しする余裕はないのでしょうが」

 というよりも、本来は他人のことを気にするべき状況ではないのでしょうね。レックス殿は圧倒的な力を持っていますから、比較的ラクに対処ができるだけで。

 だからこそ、わたくしめの悩みを聞くという決断はできなかったのかもしれません。同時に複数の問題を抱えていたら、潰れてしまうでしょうから。

「それでも、嬉しいです。やはり、お優しい方ですよね」

 自分が苦しんでいるとしても、人の心配をしてしまう。そんな姿が、隠せていませんから。かつてレックス殿を疑っていた頃のわたくしめは、申し訳ないことをしていたものです。

 当時のわたくしめは、ハッキリ言って迷惑をかけていたでしょうに。それでも、わたくしめを大切にしてくださった。レックス殿の方から、大事にしてくださった。それが、わたくしめの心を溶かしたのです。おそらくは、ルース殿も。

 だからこそ、ずっと大切にしたい人なのです。どんな未来が待っていたとしても。

「わたくしめの、数少ない味方ですからね……」

 今となっては、数えるほどしか居ない。あれほど騎士を目指せと言っていた父は、今ではわたくしめの足を引っ張ろうとしている。わたくしめの悪い噂を流していることは、知っているんですよ?

 レックス殿に媚を売って味方にしただの、薄汚い売女だの、好き勝手言ってくれましたものね。

 その理由も、おそらくは嫉妬なのでしょう。父は何者にもなれなかった。ですが、わたくしめはそれ以上の才を持ってして、近衛騎士にまでなった。父は、単なる凡夫に過ぎなかったのに。

 わたくしめに道を押し付けておいて、ずいぶんと勝手なものです。ですが、もう良いです。父に認められたいという気持ちは、完全に消えてしまいましたから。もう、ただの敵だと思えるのです。いつでも、切り捨ててあげられますよ。

 レックス殿は違いますよ。わたくしめは、ずっと敵視していた。それなのに、わたくしめを支え続けてくださったのですから。

「ですが、そんなレックス殿を、近衛騎士達は軽視している。嫌になるものですね」

 レックス殿とは比べ物にならないほどに弱くて、低俗で、好かれてもいない存在が。その程度の人たちが、レックス殿を見下しているのです。単に、ブラック家の人間というだけで。

 今となっては分かります。近衛騎士など、所詮は血筋だけの存在。だからこそ、わたくしめの居場所など無かった。実力で認められたわたくしめには。単純な話に過ぎないのです。

「レックス殿のような友人たちとは、何もかもが違う……」

 共に高め合うことなどできません。信頼を預けることなど、もってのほか。もはや、単なる邪魔者でしかないのです。

 わたくしめを侮辱しながら、わたくしめの足元にも及ばない存在。そんなガラクタに、どんな価値があるのでしょうか。

 レックス殿は、わたくしめを導いてくれましたよ。ルース殿は、全身全霊をかけて努力していますよ。ミュスカ殿は、人に真摯に向き合っていますよ。

「近衛騎士と比べて、どれほど輝いていることでしょうか。自覚してほしいものです」

 近衛騎士などという存在は、もはやくだらないものでしかないのだと。ミーア様とて、認めてはいないのだと。リーナ様など、視界にも入れていないのだと。

 レックス殿は違いますよ。ミーア様にもリーナ様にも、大切にされているんですから。

「転じて、近衛騎士は……。あんなザマで、ミーア様やリーナ様のお力になれるとは……」

 ただ馴れ合いを繰り返し、まともな実力も持っていない。連携とて、わたくしめ個人に踏み潰される程度。その程度の存在に、どれほどの価値があるのでしょうか。

 もはや、近衛騎士すべてよりも、わたくしめ一人の方が優秀なのですよ。それを、誰一人として認めない。何度も負けていても、ヘラヘラと笑っているだけ。いっそ、骨でも折ってやりましょうか。血反吐にまみれさせてあげましょうか。

 そうすれば、嫌でも自分の立場を自覚するでしょうに。もはや、近衛騎士でなくなることなど、脅しとしては通じないのですから。

「誰も彼もが、愚かでしかない。わたくしめより弱くて、それでも自惚れる。ふざけています」

 あんな存在に憧れていた、わたくしめも愚かでした。もっと、現実を知っているべきだったのです。情報収集を怠ったのは、わたくしめの落ち度ですね。

「ただ、わたくしめとて、その愚かな近衛騎士の一員でしかないのです。もはや、汚れたも同然なのです」

 本当に、くだらない存在です。レックス殿とは比べ物にならないでしょう。今のわたくしめは、本当にレックス殿の友人としてふさわしいのでしょうか。そんな疑いすらも、浮かんできます。拳を握る気すら、起きません。

「本当に、嫌ですね……。皆さんと同じように生きられたら、どれほど良かったでしょうか」

 いっそのこと、レックス殿のように父を殺してみせるべきでしょうか。傷ついた彼の前では、言えないことですが。

 レックス殿にとっては、悪人だとしても父は大切な存在だったのでしょう。ですが、わたくしめは違います。だから、レックス殿に本当の意味で共感することはできないのです。悲しいことでしかありません。

 わたくしめは、近衛騎士の立場など捨ててしまえば良い。いえ、違いますね。近衛騎士になどならなければ良かったのです。

「いえ、ミーア様やリーナ様を守る役目は、わたくしめにしか果たせないでしょう」

 惰弱な近衛騎士では、ミーア様やリーナ様に危機が訪れた時に、何もできない。だからこそ、わたくしめは両殿下のお側に居なければならないのです。

「それにしても、近衛騎士……。いっそのこと……」

 滅んでしまえばいいのに。そんな考えが浮かんでいるわたくしめを、確かに自覚したのです。
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