家に帰りたい狩りゲー転移

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5章

(56)離れていても

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 それは浦敷博士たちがまだ現実世界で生活していた頃のことだった。

「藍空君。君に第二保護施設の設計とサーバーの建設を頼みたい。できるね?」
「はい。……はい!?」

 思わず大きな声を上げてしまい、研大は慌てて口を塞いだ。時刻はとっくに夜の二時を回って、ほとんどの人が寝静まっている。部屋の中が防音で、この場にはシモン博士と自分しかいないとしても騒音は憚られた。

 避難民保護施設の一角にある寺田木てらだぎ研究所。核戦争が始まる前、この研究所では生物科学研究が行われていた。今では菌糸融合手術を受けられると聞いた人々が訪れる避難所となり、隣接する大学の敷地を保護施設として利用している。

 研大もまた、世界中に蔓延するウイルスから命からがら逃れた避難民の一人だった。この研究所で親友と再会したのは本当にまぐれで、しかも親友が菌糸融合手術を行っているなんて、ここに来るまで知りもしなかった。

 毎日問診と手術に追われる親友の手助けがしたくて、研大は手術を受けてもなお研究所に留まっていた。そしてついこの間、民間の仮想世界構築プロジェクトを終え、精神を転送するためのポッドも完成させた。

 これで菌糸に適合できなかった人──非適合者たちは別の世界で生きながらえることができる。そう安堵していた矢先に、この依頼だ。

 挙動不審になる研大をしり目に、シモン博士は淡々と話を続けた。

「君が完成させてくれた仮想世界は、五百人の非適合者しか収容できない。これから随時増やすとしても限りがある。これからますます増えていく非適合者をウイルスから逃すには、新たなサーバーと保護施設が必要になるのは明々白々だ」
「だから、別の場所にもう一個保護施設を作りましょうって? そりゃあ建設ぐらいできないこともないですけど、なんでまたいきなり? 一号機を作ったばっかりで、まだ試運転もしてないのに」

 研大が疑問を口にすると、シモン博士は黄色いスポンジがはみ出た背もたれに寄りかかり、天井を見上げた。

「公企業の仮想世界プロジェクトが始まってすぐのことを覚えているかい?」
「そりゃもう。金と人脈があるヤツ、将来性のある人ばっかりが先に選別されて、選ばれなかった人たちが連日抗議デモやってましたよね。それでも何も変わらないと気づいたら、今度は残りの席を奪い合うちょっとしたデスゲームになって……いやぁ、酷いもんでしたね」
「君……たとえ本当の事でも、茶化すような言い方はよろしくない」
「はい、すんません!」

 あまり感情の籠っていない謝罪を口にしながら敬礼する。シモン博士はジト目で研大を見つめた後、仕方がなさそうに肩をすくめた。

「ともかくだ。それと同じようなことがこの保護施設でも起きると私は確信している。ならば食料がまだ十分にあるこのタイミングで、次の計画を進めるのが最善だ。君の意見を聞かせて貰おう」
「……シモン博士が最近開発したっていう、万能物質があればすぐにでも用意できますよ」

 声を潜めながら告げると、シモン博士は挑戦的な笑みを浮かべた。

「無論、君にその扱い方を伝授しよう。だがこの物質は新たな争いを生み出す火種になる。仮想世界にいる人々に決してバレないようなセキュリティを必ず完備しなければならない」
「となると寺田木てらだぎ町の近くじゃ危ないっすね。留戸ると港あたりに戦時中にほっぽり出された海洋研究所の施工計画があるので、それを丸ごと転用できるかもしれません」
「それなら渡りに船だな。しかしここからではかなり遠いだろう?」
「はは、実はあの辺り、俺と良甫の地元なんすよ。土地勘なら完璧です。それに骨を埋めるなら、やっぱ生まれ育った場所の方がいいでしょ」

 戦前、研大は地元で建築士として働いており、海洋研究所の施工計画にも一枚噛んでいた。海底からガラス越しに海洋生物を観察するという、かなりの資金をつぎ込んだロマンある計画だっただけに、頓挫したのが歯がゆくて仕方なかったのだ。

 もちろん施工計画を用意しただけで建材が生えてくるわけではない。それに菌糸能力があったとしても大規模な建設となるから、生きている間に再び寺田木研究所に戻ることは叶わないだろう。自分はきっと第二保護施設のポッドを見守りながら死ぬのだと、研大はすでに覚悟を決めていた。

 口調ではふざけた態度を取っていたのだが、シモン博士は研大のすべてを見通しているような目つきで、心傷気味に笑っていた。

 そして、シモン博士は分かり切った質問を、あえて研大へと投げかけた。

「聞かないんだな。私たちが一体何をしようとしているのか。なぜ浦敷博士がこの場に来ないのか」
「信じてますもん。シモン博士は良甫の友達なんだし。シモン博士だって俺を信じてるから、ダアトを託してくれるんでしょう?」

 研大が歯を見せて笑うと、シモン博士はカルテに目を落としながら薄く口角を緩めた。



 ・・・───・・・



「シモン博士のいた寺田木……今はテララギって呼ばれてる保護施設には、毎日避難民が集まっていた。世界中に蔓延したウイルスから逃れるために。衣食住を手に入れて、少しでも長生きするために」

 大切な思い出をほぐすように、研大は語り続ける。

「仮想世界に行くギリギリまで、良甫たちは避難してくる人々に菌糸融合手術を施してきた。けれど、全員が菌糸に適合できるわけじゃないから、非適合者も増えていくばっかりでさ」

 人が増えれば、それだけ保護施設にある食料の減りも早くなる。俺達のような菌糸持ちと違って、非適合者は死んだドラゴンの肉を食べるだけでもウイルスに侵される危険があった。なので、彼らが口にできるのは戦前に用意された食料しかない。

 その打開策として、物質から菌糸を消滅させる薬も開発されたが、生産量は限られており、とても供給が間に合っていなかったそうだ。どう転んでも、非適合者には未来が用意されていなかった。

「このままじゃ、ポッドに入れなかった非適合者は死ぬしかない。そんで、まずは俺たちで仮想世界を一から作り出すことになった」

 研大はテーブルの上で、数えるように右指を折り曲げていった。

「テララギのサーバーには、シモン博士が作った旧式ポッドで五百人ぐらいの人を一気に送った。その後はポッドが完成次第、順番に人を送り続けた。そしてサーバーの容量が満杯になるギリギリで、やっと博士たちも仮想世界へ送ることができたんだ」

 浦敷博士の話題が出た途端、レオハニーがぴくりと眉を顰める。研大はそれに気づくことなく言葉を紡いでいる。

「博士たちがいなくなった後、俺は協力してくれる適合者を集めて、非適合者たちを守りながら留戸港──ヨルドの里を目指した。途中で何人か帰らぬ人になってしまったけど、途中で別の避難民を保護しながらなんとか辿り着いて、早速第二保護施設の建設を始めた」

 非適合者は、外で活動するときは菌糸を織り込んだマスクを装着しなければならない。だがそのマスクも完璧ではなく、長時間の外出はドラゴン化の危険があった。

 だからなおのこと、外で問題なく活動できる適合者たちの存在はありがたかったそうだ。

「建設には十年以上もかかった。その間に家族ができたり、人が増えたりして、気づいたら集落になっていた。それがヨルドの里の始まりだよ。後は君たちの知っての通りだ。海底に保護施設が完成して、俺達は無事に仮想世界に移住した。適合者たちはそれからもずっと、ヨルドの里で暮らしながら保護施設を守り続けてきたんだ」

 そうして、研大はこれ以上語ることはないと言わんばかりに口を閉じる。いつの間にか研大の姿は三十代前後のものではなく、六十代後半の白髪交じりの外見へと移り変わっていた。戦争が起きてから仮想世界へ逃れるまでの人生は、口と目じりの溌溂とした皺の数が物語っていた。

 俺は目の奥に熱が籠るのを感じながら、テーブルの上に置かれた研大の手を見つめた。

「……一つ気になることがあるんだが」
「なんだ?」
「研大は、適合者だったのか?」
「ああ。そうだよ」
「だったらなんで、仮想世界に?」

 口にしてはたと、考えごとをするあまり配慮に欠ける物言いだったと気づいた。

「いや、別に責めてるわけじゃない。ただ、現実世界に未練はなかったのか気になっただけだ。その、お前にも家族とかいたんじゃないかと思って……」

 もごもごと言い訳を連ねると、研大はみるみる若返りながら無邪気に笑った。

「俺も最初はね、現実世界で寿命を終えるつもりだった。だけど、他の適合者の皆に言われたんだよ。先生はまだやり遂げたいことがまだまだあるって顔してるってさ。恥ずかしかったけど図星でさ」

 研大は一度高校生の顔に戻ってから、浦敷博士と同い年程度の外見となる。

「人間らしく死んで、ヨルドの里で死んでも良かったけれど、俺はまだ死にたくなかった。良甫や他の博士たちがまだ何かをやり遂げようとしてるのに、俺だけ一抜けしてもいいのか迷ってたんだ」

 不安そうな目つきで研大が浦敷博士とミモナ博士を見やると、二人は背中を押すように小さく頷いた。研大は微笑みながら頷き返すと、両手を祈るように握りながら言葉を紡いだ。

「それにさ、もし遠い未来で、どうしても適合者たちだけじゃ解決できない問題にぶち当たった時、手を貸せるのは俺達だけだろ。そうなった時、やっぱサーバーに詳しい奴がいた方が助かるはずだから」
 
 研大は一度目を伏せ、それから双眸に強い光を宿しながら俺を真っすぐと射貫いた。

「リョーホ。今がその時なんじゃないか」

 頼もしい顔つきに、沈黙を保っていたクライヴとレオハニーから微かに息をのむ気配がする。俺はできるだけ期待を抱かぬよう自分を宥めながら、研大の言葉に耳を傾け続けた。

「仮想世界に入ってから聞いたよ。シモン博士が亡くなって、レオナが行方不明になったことを。もちろん、ベートが裏切ったってことも。俺だけでも現実世界に戻るべきなんじゃないかって何度も迷ったけど、俺はダアトの研究を引き継いでしまったから、もし敵に捕まったら最悪の事態になるって博士たちに止められた。テララギのサーバーから、わざわざ俺が脱走しないように見張りに来るぐらいにね」

 早口でまくし立てた研大はやがて焦りに耐え切れなくなり、椅子から立ち上がって俺の方へ前のめりになった。

「俺はずっと、ずっとこの時を待ってたんだ。リョーホ。助けが欲しいならそう言ってくれ。俺が全部何とかする。恩を返したいんだ。適合者だったヨルドの皆に!」

 微かな賑わいを見せていたカフェテリアが、研大の気迫に当てられて静まり返る。邪気を吹き飛ばすような研大の声は部屋の隅々まで残響していた。

 俺は大きく息を吸った後、沈鬱な面持ちを見られぬよう顔を伏せた。

「その気持ちはすごくありがたい。だけど研大はともかく、菌糸に適合できなかったポッドの人たちは、目覚めてもドラゴン化して……」
「それについては、解決策がある」

 浦敷博士から言葉を遮られ、俺は呆けたまま顔を上げる。すると研大よりも黒い瞳に出迎えられた。

「リョーホ。君が海底施設の電子機器を目覚めさせるとき、モニターに菌糸を提供したはずだ。その菌糸は今、施設内で培養を進めている」
「まさか……ポッドに眠っている身体に、その菌糸を植え付けるつもりか?」
「その通りだ」

 自分の知らないところで勝手に菌糸を培養し始めた浦敷博士に俺はドン引きした。例えるなら、眠っている間に自分の臓器を売買された気分である。

 俺が真っ白になっているのをしり目に、浦敷博士は単調に話を続ける。

「肉体と菌糸が拒否反応を起こしてしまう原因は、魂と肉体に刻まれた経験が異なるからだ。だが、無数の人生を歩み、あらゆる菌糸と適合できるようになったリョーホの菌糸ならば拒否反応を起こさない。魂を器に戻しても、NoDのように暴走することも、ドラゴン化することもないはずだ」


「──じゃあ、目覚めることができるんですね!?」

 聞き覚えのない声が乱入してきて、俺とクライヴはぎょっとした。レオハニーと博士組だけは、大した驚きも見せずに声の主を見上げた。

 声を上げたのは、俺のちょうど後ろの席で、たった今立ち上がったばかりの職員だった。

「盗み聞きしてしまう形になってすみません博士。でも今の話が本当なら、私たちはようやく……!」

 よく見れば、その職員の後ろにも大勢の職員が集まってこちらに注目していた。誰も彼も、期待に胸を膨らませ、半ば懇願するように眉を歪めている。

 浦敷博士はたっぷりと間を置いて、彼らが欲しかった言葉をついに口にした。

「ああ。彼らの子孫に会うことができる。共に暮らすことも、人らしく生きることも」

 瞬間、職員たちから歓声が沸き上がった。年明けのカウントダウンにも似た熱狂がカフェテリアに燃え広がり、理知的な雰囲気がかなぐり捨てていく。

 が、先ほどと全く同じ声が水を差した。

「ただし、それを決めるのはここにいる少年だ」

 抱き合い、感涙していた職員たちのテンションがフェードアウトし、無数の視線が俺へと突き刺さる。下手なことを答えればこの場で脅迫されそうな、崇められそうな、綱渡りの緊張感が俺を支配した。

「ここから先は込み入った話になる。オフィスに戻ろうか。五人とも」

 とん、と浦敷博士に背中を叩かれ、俺は慌てて立ち上がる。それから全員で逃げるようにエレベーターに入った後、俺は浦敷博士を睨みつけた。

「……ずるいだろ、さっきの」
「何が?」
「わざと職員に聞こえる場所に連れ出して、現実世界に戻れる希望を抱かせただろ。しかも俺にすべての責任を押し付けるようなことまでして」
「そうすればお前は断れなくなる。だろう?」

 にっこりと、アンリにそっくりなアルカイックスマイルを向けられて俺は沈黙した。代わりにクライヴが敵意剥き出しの形相で掴みかかろうとしたが、レオハニーに制されて舌打ちをした。

 言われなくても分かっている。俺は浦敷博士の計画を遂行するために生み出されたNoDに過ぎない。だが……。

「こんな搦め手を使わなくたって、俺はアンタに協力するつもりだった。俺は旧人類と新人類が戦わなくて済む方法を探しに来たのに……」
「なら、彼らに罪悪感を抱く必要はない。彼らは君たちの為なら兵士になる覚悟だってあるぞ」

 悪魔のように口を吊り上げる浦敷博士を見て、俺は暗い影へ突き飛ばされたような軽い失望に胸を刺された。俺の顔を見て、浦敷博士は何故か満足そうにうなずく。

 ぽーん、とエレベーターが到着の合図を鳴らし、ステンレス製の扉がゆっくりと開かれる。一足先にエレベーターを降りた浦敷博士は肩越しに振り返りながらこう言った。

「私たちも必死なんだ。いつまでも手をこまねいていたら、望まない復活を遂げることになってしまう。それだけは何としても避けたいんだ」

 本音を付け加えられても、こちらの機嫌を伺うための言い訳にしか聞こえない。

「やっぱアンタ嫌いだ」
「はは。そりゃどうも」

 俺は深くため息を吐くと、レオハニーたちと共にやたらと広いエレベーターから外に出た。
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