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5章
(36)五大属性
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デッドハウンド。情報通信機器がほとんどないこの世界で、あらゆる情報網を持つとされる組織の名だ。
デッドハウンドが扱う情報は多岐に渡る。相応の金さえ積めば、個人情報から組織の裏金までなんでも用意できる。その性質はダークウェブに近い。俺がノースマフィアに所属していた時も、犯罪目的で何度も世話になった。
しかし、デッドハウンドがスキュリア陣営に拠点を持っているとは初耳である。以前にベアルドルフがエラムラの里を襲撃できたのも、もしかしたらデッドハウンドのおかげだったのかもしれない。
そのような憶測を巡らせていると、シュレイブが顔を真っ赤にしながらクライヴに掴み掛かった。
「おいクライヴ! そんな機密情報を軽々と教えるな!」
「カミケン様は鍵者と協力しろとは言ったが、敵対しろとは一言も言っていないぞ。こういう時こそ情報を共有した方がお互いの為だ!」
「お前は真面目過ぎるのだ!」
「お前のは真面目ではなく石頭なんだよバカが!」
「バカではなぁい! もう知らん!」
と、シュレイブは腕を組んだまま芋虫のように砂に寝転がった。めんどくせぇ拗ね方である。
気を取り直して、俺は話題に戻った。
「それで、なんでお前はデッドハウンドに俺のことを探らせたんだ?」
「スキュリア陣営はダアト教とさほど関わりがない里でな。鍵者や予言書といった与太話を詳しく知っているのは、カミケン様とベアルドルフ様だけだった。……つい最近までな」
クライヴは一度話を区切り、俺から目を逸らすように視線を落とした。
「お前がミヴァリアに現れるまで、俺は鍵者のことを災いを呼ぶ化け物としか考えていなかった。そんなものがカミケン様と対話するのは危険だと焦りもした。しかし、あの方が危険を冒してまでお前と親しげに接するのには理由がある。だからその理由を知りたかった」
「……理由は知れたか?」
俺が問うと、クライヴは苦々しい面持ちで頷いた。
「鍵者が災いを齎すのは、終末の日。しかし実際の記録を見ると、鍵者は新人類に知恵と技術をもたらすだけで、災いを呼ぶようなことはしていなかった。ならば少なくとも、終末の日までは敵になり得ない。そうだろう?」
「まぁ、そうだな」
過去の自分の行いが多少なりとも認められた気がして、俺はなんだかこそばゆい気持ちになった。感情のままに鍵者を殺してきた人たちとは大違いだ。
が、それはそれとして一言言いたいのも事実。
俺はにっこりとアンリ譲りのアルカイックスマイルを浮かべ、ぎゅっとクライヴの胸ぐらを掴んだ。
「あんま言いたくないけどさ、次からは個人のプライバシーに踏み込むんじゃねぇぞ? 犯罪だからな! 普通に怖いんだよ!」
「それは保証できない。カミケン様の命が掛かっているのだ」
「そこは嘘でもうんって言え! 真面目過ぎるんだよ!」
クライヴの頭をゆっさゆっさと揺らしていると、シュレイブから「いいぞもっとやれ」と野次が飛んできた。あいつはどっちの味方なのか。
クライヴはシュレイブを睨みながら舌打ちし、俺の手を叩きながら仕方なさそうに頷いた。
「ああ分かった分かった。次からはお前に直接聞くことにするよ」
「最初からそうしろ! ったく」
呆れながらクライヴを解放すると、シュレイブがハイトーンボイスで俺を非難した。
「あ、この意気地なし!」
瞬間、クライヴの平手がシュレイブの右頬に炸裂した。甲高い悲鳴を上げ、シュレイブが数メートル先の砂に転がる。
クライヴは咳払いをして俺に向き直ると、改まった表情で話題を戻した。
「随分と話が逸れてしまったが、俺が気になったのはお前の経歴だ」
「経歴って、俺が討伐したドラゴンのことだよな?」
「ああ。お前の持っている菌糸属性と、お前が遭遇したドラゴンとの経歴。この二つを擦り合わせると違和感があるんだ」
クライヴは胡座をかくと、指折り数えながら語り出した。
「お前はこれまで火、雷、土の順に属性を揃えていったわけだが、おかしいと思わないか? 採集狩人がたったの数ヶ月で、都合よく上位ドラゴンを討伐できるものなのか? しかも、すべて異なる属性で、だ」
話が全く見えてこず、俺は眉を顰める。クライヴは俺の反応を見てため息を吐くと、砂に指を置いて図を描き始めた。
「お前が最初に討伐した、上位ドラゴンのソウゲンカはまだいい。ソウゲンカの討伐実績がやたらと多い狩人が同行していたからな。だが、次にお前が討伐したクラトネールはなんだ? どっから来た? なぜエラムラに現れた?」
「そりゃあ、ニヴィが『支配』の能力を使って、どっかから連れてきたんだろ」
「違うな。もっと深く考えろ。クラトネールは滅多に現れない上位ドラゴンで、しかも禁忌種だぞ? なぜニヴィはそこら辺にいる上位ドラゴンではなく、希少なクラトネールを選んだんだ?」
……答えられなかった。
思考停止する俺の前で、クライヴは一言一言、こちらの反応を確かめるように続ける。
「俺が思うに、そのニヴィという女は、お前に『雷光』を手に入れさせるためにクラトネールを連れてきたんじゃないか? ヤツカバネの襲撃だってそうだ。北方にいるはずの竜王が、なぜガルラ環洞窟を越えてまでバルド村を目指したんだ?」
「い……いやいや。どっちも偶然だって。クラトネールを連れてきたのはニヴィで、ヤツカバネをけしかけたのはベートだぞ? 二人とも別人……」
そこまで口にした途端、無意識に言葉が途切れた。
形容し難い恐怖が、俺の背筋を一瞬で粟立たせる。自分の肩に巨大な虫が乗っていると気づいてしまったような、猛烈な嫌悪と恐怖が脈拍を乱した。
俺は震える手で口元を押さえ、顔を俯ける。
「……エラムラで会った時のニヴィは、ほとんどベートの人格に侵食されてた。ヤツカバネと一緒にいたトトだって、ベートの人格だ……」
俺がドラゴンの菌糸を手に入れてきた過程、その全ては、ベートに仕組まれたことだったのか?
ベートならやりかねない。あいつは俺の記憶を改竄し、死の記憶から得た知識をただのゲーム知識だと勘違いさせたのだから。あいつは手段さえあれば非倫理的であっても実行できる女なのだ。
顔色を悪くする俺に、クライヴは静かに質問を重ねた。
「悪いがもう一つだけ答えてくれ。オラガイアで、トルメンダルクを連れてきたのは誰だった?」
「……それは、正確には分からない。でも、ニヴィをキメラに仕立て上げた誰かがいる。オラガイアにはトトもいたから、ベートも関わってるだろうな」
これまでの仮説が正しければ、ベートはおそらく、オラガイアで俺にトルメンダルクの菌糸を奪わせようとしたのだろう。しかし、レオハニーが核ごと燃やし尽くしてしまったため、彼女たちの計画は失敗に終わった。そう考えると、最悪な気分が少しだけ晴れた。
俺が考え込んでいる間に、クライヴは砂上の図面を描き終えたようだ。砂上には四体のドラゴンと、その下に俺を模した棒人間が並んでいた。
クライヴはトルメンダルクの上に大きなバッテンを刻むと、三体のドラゴンと棒人間とを線で結びつけた。
「やはりトゥアハ派は、鍵者に五大属性を与えようとしている可能性が高いな。しかしその理由が皆目見当がつかないな。鍵者をドラゴン化させたいのだろうか?」
「逆だ。トゥアハ派はノクタヴィスで、人工的に鍵者を作り出すための実験をしていた。だからドラゴン化に耐えられる肉体が欲しいはずだ」
「そうか。では、ドラゴンの菌糸に耐えられる人間が、鍵者になるのか?」
「おそらくはな」
「──いいや違うぞ」
よく通るシュレイブの声が、凛とした響きを持って俺たちの結論を遮った。
「全ての菌糸の依代になる者、それが鍵者だ!」
「依代……?」
「そうとも! ドラゴンを取り込み続ければ全知全能の神になれる! だから鍵者は終末を呼ぶ厄災なのだよ!」
一瞬だけ静まり返り、クライヴが鼻で笑った。
「それはちょっと違うだろ」
「なにィ!? どこが違うというのだクライヴよ! はっ、俺の類稀な推理力に嫉妬したか!?」
「違う! 黙れ!」
興奮して近づいてくるシュレイブを、クライヴの手のひらがグイグイと押し留める。
そのやりとりをどこか遠いもののように感じながら、俺は脳裏に閃いた一筋の光を手繰り寄せた。
「……菌糸は、魂が具現化したもの。その全てを受け入れられる器は、あらゆる魂を内包できる素質がある」
「菌糸が、魂だと……? っじゃあ、トゥアハたちがノクタヴィスで人体実験をしていた理由は!」
「機械仕掛けの世界に住まう人々の、魂の移植。トゥアハたちは、旧人類専用の肉体が欲しかったんだ」
通常、異なる魂が一つの肉体に入るのは不可能だ。ベートがNoDの身体に入った時も、ドラゴン化の進行を抑えきれないほどの拒否反応があった。
だが鍵者は違う。ドラゴンの菌糸を入れても肉体は変形することなく、自我を保ち続けている。それが人間の菌糸であっても問題ないのは、ニヴィの『支配』を継承できたことからも明らかだった。
奇しくも俺は、ニヴィの菌糸を手に入れることで、自分が器に相応しいのだと仮想世界の住人へ証明してしまったのだ。
そうと自覚した途端、俺はそら恐ろしくなった。もし俺がトゥアハ派に捕まれば、機械仕掛けの門が開かれるだけでなく、旧人類たちが肉体を得て現実世界に復活してしまう。
もし俺がベートに捕まっていたら、終末の日は予定よりも早く訪れていたかもしれない。
俺が息を呑むと、クライヴは眉間に深い皺を刻みながら「おい」と俺に呼びかけてきた。
「軽率な行動は控えろよ。お前の行動次第で、俺達の世界は滅びてしまうんだからな」
「……ああ。肝に銘じておく」
正直俺は、旧人類の復活によってバッドエンドを迎えるとは断言できずにいた。旧人類たちが新人類のことをどう思っているかなんて、漠然とした想像しかできないのだから。
旧人類の中には、ベートのように永遠の命に飽きて肉体が欲しくなった人もいるだろう。一方で、変わらず仮想世界で暮らしていきたいと思っている人もいるかもしれない。そもそも現実世界のことを気にしていない人だっているやも。
数多の可能性を考えると、旧人類と新人類には共存できる余地があるんじゃないかと思ってしまう。それは間違いなく、かつての同胞を殺したくないという俺の我儘からくるものだった。
俺たちの本当の敵は誰なのか。妥協点を探る余地はあるか。それを知るためにも、俺は鍵者として、浦敷博士のクローンとして、旧人類の意志を確認したかった。
その役目は同時に、俺がこの世界の命運を担わなければならないことも示していた。俺の行動で新人類の存続が決まると言っても過言ではない。
いつのまにか背負わされていた重責は、俺が思っている以上に大きいだろう。臓腑の隅々まで錘を乗せられたように苦しく、誰かにこの人生を投げ寄越してしまいたいほどだった。
無意識に二の腕を握りしめながら、俺は鋭く息を詰める。
すると、シュレイブが唐突にクライヴを突き飛ばし、俺の額に向けてパンチしてきた。
「いってぇ!」
「おい、まさか怖気付いたんじゃないだろうな!」
「は、はぁ?」
シュレイブはガニ股で立ち上がると俺を偉そうに見下ろした。
「ユダラナーガを打ち倒し、バルド村を救えるのはお前だけだ! クライヴの言ったことを間に受けるなバカモノめ!」
「お……お前にだけはバカって言われたくねぇんだけど!」
思わず俺も立ち上がり、怒鳴り返さずにはいられなかった。
「俺は別にビビってない! お前に言われなくたって、バルド村のみんなは俺が絶対に助け出すんだよ!」
「なら後ろを振り返るなバカめ!」
「一言多いんだよアホ!」
「バカ!」
「うっせぇアホ!」
「やかましい!」
クライヴに一喝され、俺とシュレイブは揃って縮こまった。いそいそと地面に座り直すと、先ほどの知能指数の低い罵り合いを思い出してしまい、俺は内心で悶絶した。
それにしても、シュレイブもたまには良いことを言う。バルド村の仲間の安否も分からぬ状況で、遠い未来を憂いている暇はないのだ。
かといって、五大属性とドラゴン化のリスクを放っておくつもりはない。
ベアルドルフの言っていたことが本当ならば、ドミラスの日記にベートの目的や鍵者についてが書かれているかも知れない。憶測ばかり重ねてウジウジするより、さっさと答えを見に行ったほうが遥かに効率的だ。
やるべきことが定まると、俄然やる気が湧いてくるものだ。左手に拳を打ち付けながら、俺は気合を入れ直した。
「まずは明日、ユダラナーガをぶっ殺す。話はそれからだ」
「そうだそうだ!」
謎の野次を飛ばすシュレイブの横で、クライヴだけは気難しい顔で黙り込んでいた。
デッドハウンドが扱う情報は多岐に渡る。相応の金さえ積めば、個人情報から組織の裏金までなんでも用意できる。その性質はダークウェブに近い。俺がノースマフィアに所属していた時も、犯罪目的で何度も世話になった。
しかし、デッドハウンドがスキュリア陣営に拠点を持っているとは初耳である。以前にベアルドルフがエラムラの里を襲撃できたのも、もしかしたらデッドハウンドのおかげだったのかもしれない。
そのような憶測を巡らせていると、シュレイブが顔を真っ赤にしながらクライヴに掴み掛かった。
「おいクライヴ! そんな機密情報を軽々と教えるな!」
「カミケン様は鍵者と協力しろとは言ったが、敵対しろとは一言も言っていないぞ。こういう時こそ情報を共有した方がお互いの為だ!」
「お前は真面目過ぎるのだ!」
「お前のは真面目ではなく石頭なんだよバカが!」
「バカではなぁい! もう知らん!」
と、シュレイブは腕を組んだまま芋虫のように砂に寝転がった。めんどくせぇ拗ね方である。
気を取り直して、俺は話題に戻った。
「それで、なんでお前はデッドハウンドに俺のことを探らせたんだ?」
「スキュリア陣営はダアト教とさほど関わりがない里でな。鍵者や予言書といった与太話を詳しく知っているのは、カミケン様とベアルドルフ様だけだった。……つい最近までな」
クライヴは一度話を区切り、俺から目を逸らすように視線を落とした。
「お前がミヴァリアに現れるまで、俺は鍵者のことを災いを呼ぶ化け物としか考えていなかった。そんなものがカミケン様と対話するのは危険だと焦りもした。しかし、あの方が危険を冒してまでお前と親しげに接するのには理由がある。だからその理由を知りたかった」
「……理由は知れたか?」
俺が問うと、クライヴは苦々しい面持ちで頷いた。
「鍵者が災いを齎すのは、終末の日。しかし実際の記録を見ると、鍵者は新人類に知恵と技術をもたらすだけで、災いを呼ぶようなことはしていなかった。ならば少なくとも、終末の日までは敵になり得ない。そうだろう?」
「まぁ、そうだな」
過去の自分の行いが多少なりとも認められた気がして、俺はなんだかこそばゆい気持ちになった。感情のままに鍵者を殺してきた人たちとは大違いだ。
が、それはそれとして一言言いたいのも事実。
俺はにっこりとアンリ譲りのアルカイックスマイルを浮かべ、ぎゅっとクライヴの胸ぐらを掴んだ。
「あんま言いたくないけどさ、次からは個人のプライバシーに踏み込むんじゃねぇぞ? 犯罪だからな! 普通に怖いんだよ!」
「それは保証できない。カミケン様の命が掛かっているのだ」
「そこは嘘でもうんって言え! 真面目過ぎるんだよ!」
クライヴの頭をゆっさゆっさと揺らしていると、シュレイブから「いいぞもっとやれ」と野次が飛んできた。あいつはどっちの味方なのか。
クライヴはシュレイブを睨みながら舌打ちし、俺の手を叩きながら仕方なさそうに頷いた。
「ああ分かった分かった。次からはお前に直接聞くことにするよ」
「最初からそうしろ! ったく」
呆れながらクライヴを解放すると、シュレイブがハイトーンボイスで俺を非難した。
「あ、この意気地なし!」
瞬間、クライヴの平手がシュレイブの右頬に炸裂した。甲高い悲鳴を上げ、シュレイブが数メートル先の砂に転がる。
クライヴは咳払いをして俺に向き直ると、改まった表情で話題を戻した。
「随分と話が逸れてしまったが、俺が気になったのはお前の経歴だ」
「経歴って、俺が討伐したドラゴンのことだよな?」
「ああ。お前の持っている菌糸属性と、お前が遭遇したドラゴンとの経歴。この二つを擦り合わせると違和感があるんだ」
クライヴは胡座をかくと、指折り数えながら語り出した。
「お前はこれまで火、雷、土の順に属性を揃えていったわけだが、おかしいと思わないか? 採集狩人がたったの数ヶ月で、都合よく上位ドラゴンを討伐できるものなのか? しかも、すべて異なる属性で、だ」
話が全く見えてこず、俺は眉を顰める。クライヴは俺の反応を見てため息を吐くと、砂に指を置いて図を描き始めた。
「お前が最初に討伐した、上位ドラゴンのソウゲンカはまだいい。ソウゲンカの討伐実績がやたらと多い狩人が同行していたからな。だが、次にお前が討伐したクラトネールはなんだ? どっから来た? なぜエラムラに現れた?」
「そりゃあ、ニヴィが『支配』の能力を使って、どっかから連れてきたんだろ」
「違うな。もっと深く考えろ。クラトネールは滅多に現れない上位ドラゴンで、しかも禁忌種だぞ? なぜニヴィはそこら辺にいる上位ドラゴンではなく、希少なクラトネールを選んだんだ?」
……答えられなかった。
思考停止する俺の前で、クライヴは一言一言、こちらの反応を確かめるように続ける。
「俺が思うに、そのニヴィという女は、お前に『雷光』を手に入れさせるためにクラトネールを連れてきたんじゃないか? ヤツカバネの襲撃だってそうだ。北方にいるはずの竜王が、なぜガルラ環洞窟を越えてまでバルド村を目指したんだ?」
「い……いやいや。どっちも偶然だって。クラトネールを連れてきたのはニヴィで、ヤツカバネをけしかけたのはベートだぞ? 二人とも別人……」
そこまで口にした途端、無意識に言葉が途切れた。
形容し難い恐怖が、俺の背筋を一瞬で粟立たせる。自分の肩に巨大な虫が乗っていると気づいてしまったような、猛烈な嫌悪と恐怖が脈拍を乱した。
俺は震える手で口元を押さえ、顔を俯ける。
「……エラムラで会った時のニヴィは、ほとんどベートの人格に侵食されてた。ヤツカバネと一緒にいたトトだって、ベートの人格だ……」
俺がドラゴンの菌糸を手に入れてきた過程、その全ては、ベートに仕組まれたことだったのか?
ベートならやりかねない。あいつは俺の記憶を改竄し、死の記憶から得た知識をただのゲーム知識だと勘違いさせたのだから。あいつは手段さえあれば非倫理的であっても実行できる女なのだ。
顔色を悪くする俺に、クライヴは静かに質問を重ねた。
「悪いがもう一つだけ答えてくれ。オラガイアで、トルメンダルクを連れてきたのは誰だった?」
「……それは、正確には分からない。でも、ニヴィをキメラに仕立て上げた誰かがいる。オラガイアにはトトもいたから、ベートも関わってるだろうな」
これまでの仮説が正しければ、ベートはおそらく、オラガイアで俺にトルメンダルクの菌糸を奪わせようとしたのだろう。しかし、レオハニーが核ごと燃やし尽くしてしまったため、彼女たちの計画は失敗に終わった。そう考えると、最悪な気分が少しだけ晴れた。
俺が考え込んでいる間に、クライヴは砂上の図面を描き終えたようだ。砂上には四体のドラゴンと、その下に俺を模した棒人間が並んでいた。
クライヴはトルメンダルクの上に大きなバッテンを刻むと、三体のドラゴンと棒人間とを線で結びつけた。
「やはりトゥアハ派は、鍵者に五大属性を与えようとしている可能性が高いな。しかしその理由が皆目見当がつかないな。鍵者をドラゴン化させたいのだろうか?」
「逆だ。トゥアハ派はノクタヴィスで、人工的に鍵者を作り出すための実験をしていた。だからドラゴン化に耐えられる肉体が欲しいはずだ」
「そうか。では、ドラゴンの菌糸に耐えられる人間が、鍵者になるのか?」
「おそらくはな」
「──いいや違うぞ」
よく通るシュレイブの声が、凛とした響きを持って俺たちの結論を遮った。
「全ての菌糸の依代になる者、それが鍵者だ!」
「依代……?」
「そうとも! ドラゴンを取り込み続ければ全知全能の神になれる! だから鍵者は終末を呼ぶ厄災なのだよ!」
一瞬だけ静まり返り、クライヴが鼻で笑った。
「それはちょっと違うだろ」
「なにィ!? どこが違うというのだクライヴよ! はっ、俺の類稀な推理力に嫉妬したか!?」
「違う! 黙れ!」
興奮して近づいてくるシュレイブを、クライヴの手のひらがグイグイと押し留める。
そのやりとりをどこか遠いもののように感じながら、俺は脳裏に閃いた一筋の光を手繰り寄せた。
「……菌糸は、魂が具現化したもの。その全てを受け入れられる器は、あらゆる魂を内包できる素質がある」
「菌糸が、魂だと……? っじゃあ、トゥアハたちがノクタヴィスで人体実験をしていた理由は!」
「機械仕掛けの世界に住まう人々の、魂の移植。トゥアハたちは、旧人類専用の肉体が欲しかったんだ」
通常、異なる魂が一つの肉体に入るのは不可能だ。ベートがNoDの身体に入った時も、ドラゴン化の進行を抑えきれないほどの拒否反応があった。
だが鍵者は違う。ドラゴンの菌糸を入れても肉体は変形することなく、自我を保ち続けている。それが人間の菌糸であっても問題ないのは、ニヴィの『支配』を継承できたことからも明らかだった。
奇しくも俺は、ニヴィの菌糸を手に入れることで、自分が器に相応しいのだと仮想世界の住人へ証明してしまったのだ。
そうと自覚した途端、俺はそら恐ろしくなった。もし俺がトゥアハ派に捕まれば、機械仕掛けの門が開かれるだけでなく、旧人類たちが肉体を得て現実世界に復活してしまう。
もし俺がベートに捕まっていたら、終末の日は予定よりも早く訪れていたかもしれない。
俺が息を呑むと、クライヴは眉間に深い皺を刻みながら「おい」と俺に呼びかけてきた。
「軽率な行動は控えろよ。お前の行動次第で、俺達の世界は滅びてしまうんだからな」
「……ああ。肝に銘じておく」
正直俺は、旧人類の復活によってバッドエンドを迎えるとは断言できずにいた。旧人類たちが新人類のことをどう思っているかなんて、漠然とした想像しかできないのだから。
旧人類の中には、ベートのように永遠の命に飽きて肉体が欲しくなった人もいるだろう。一方で、変わらず仮想世界で暮らしていきたいと思っている人もいるかもしれない。そもそも現実世界のことを気にしていない人だっているやも。
数多の可能性を考えると、旧人類と新人類には共存できる余地があるんじゃないかと思ってしまう。それは間違いなく、かつての同胞を殺したくないという俺の我儘からくるものだった。
俺たちの本当の敵は誰なのか。妥協点を探る余地はあるか。それを知るためにも、俺は鍵者として、浦敷博士のクローンとして、旧人類の意志を確認したかった。
その役目は同時に、俺がこの世界の命運を担わなければならないことも示していた。俺の行動で新人類の存続が決まると言っても過言ではない。
いつのまにか背負わされていた重責は、俺が思っている以上に大きいだろう。臓腑の隅々まで錘を乗せられたように苦しく、誰かにこの人生を投げ寄越してしまいたいほどだった。
無意識に二の腕を握りしめながら、俺は鋭く息を詰める。
すると、シュレイブが唐突にクライヴを突き飛ばし、俺の額に向けてパンチしてきた。
「いってぇ!」
「おい、まさか怖気付いたんじゃないだろうな!」
「は、はぁ?」
シュレイブはガニ股で立ち上がると俺を偉そうに見下ろした。
「ユダラナーガを打ち倒し、バルド村を救えるのはお前だけだ! クライヴの言ったことを間に受けるなバカモノめ!」
「お……お前にだけはバカって言われたくねぇんだけど!」
思わず俺も立ち上がり、怒鳴り返さずにはいられなかった。
「俺は別にビビってない! お前に言われなくたって、バルド村のみんなは俺が絶対に助け出すんだよ!」
「なら後ろを振り返るなバカめ!」
「一言多いんだよアホ!」
「バカ!」
「うっせぇアホ!」
「やかましい!」
クライヴに一喝され、俺とシュレイブは揃って縮こまった。いそいそと地面に座り直すと、先ほどの知能指数の低い罵り合いを思い出してしまい、俺は内心で悶絶した。
それにしても、シュレイブもたまには良いことを言う。バルド村の仲間の安否も分からぬ状況で、遠い未来を憂いている暇はないのだ。
かといって、五大属性とドラゴン化のリスクを放っておくつもりはない。
ベアルドルフの言っていたことが本当ならば、ドミラスの日記にベートの目的や鍵者についてが書かれているかも知れない。憶測ばかり重ねてウジウジするより、さっさと答えを見に行ったほうが遥かに効率的だ。
やるべきことが定まると、俄然やる気が湧いてくるものだ。左手に拳を打ち付けながら、俺は気合を入れ直した。
「まずは明日、ユダラナーガをぶっ殺す。話はそれからだ」
「そうだそうだ!」
謎の野次を飛ばすシュレイブの横で、クライヴだけは気難しい顔で黙り込んでいた。
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