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4章
(34)逸脱者 2
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ぴう、と糸が切れるような音を立ててトトの頬が浅く裂ける。その傷はプラスチックの人形のような断面を晒したが、ものの数秒で完全に消滅した。もはや出血すらしないトトの肉体は、外見は人間を保っているが中身は完全にドラゴンと化しているのだろう。
ベアルドルフは牙を剥くように片頬を緩めながら、セスタスで空間を黒く引き裂き『圧壊』の影響範囲へトトを引きずり込んだ。
「──焦っているな」
時間の流れから隔絶された空間の中心でベアルドルフは挑発する。その額からは真っ赤な血が顎まで滴り、身体のあちこちも『斬空』で肉を抉られて百孔千瘡であった。しかしアドレナリンが全開になったベアルドルフの目つきは銀色の軌跡を描くほどに鋭く、敗勢と思えぬほどの迫力を纏っていた。
「不可解なのだろう? オラガイアの心臓がいつまで待っても破壊されぬのが」
言葉で追い詰めながら、セスタスを前方に突き出して特大の衝撃波を放つ。トトは空中を蹴ってそれを回避したが、景色が曲がるほどの質量を持ったそれはスレスレのところでトトの袖を巻き込んだ。たったそれだけで空間と時間軸が捩じれ、恐ろしい力でトトの腕が肩まで引きちぎられる。普通ならショック死してもおかしくない威力だったにも関わらず、一つ瞬きをした時には既に、トトは無傷のまま全く別の場所に立っていた。
アンジュの『星詠』は数秒先の未来を読み、または事象を書き換える力のはずだ。しかしトトは事象を書き換えると同時に『瞬間移動』まで行っているように思えた。通常、人間が持てる菌糸能力は一つのみ。稀に二つの菌糸能力を先天的に得る者もいるが、NoDならば特殊な体質を利用して肉体改造を施すことも不可能ではない。
それに、トトの『瞬間移動』は通常のそれとは少々効果が違うようだ。ベアルドルフの『圧壊』は空間ごと対象と自分の周囲を隔離するもので、長距離を一瞬で走破する『瞬間移動』では脱出できるものではない。だが実際にトトは何度も脱出に成功しているため、もっと別の能力だと仮定するのが妥当だ。
だとすると、トトの瞬間移動はベアルドルフと同じく空間系の能力に由来しているのかもしれない。空間系同士の戦闘はいわば後出しジャンケンのようなもので、先に能力を発動した方が不利になる。必然的に持久戦となるが、このまま戦ってもオラガイアが先に崩壊してしまえばベアルドルフの負けだ。
トトもそれを理解しているからこそ、ベアルドルフを生かさず殺さず、オラガイアを戦闘に巻き込むような立ち回りで時間稼ぎをしている。相手が勝負に乗り気ではない状態で無暗に『圧壊』を発動するのは自殺行為。ここから挽回を図るのは至難だ。──普通ならば。
りぃ……ん。
激しい上空の気流に紛れて、微かな鈴の音がベアルドルフの脳髄に滑り込む。エラムラでミカルラの近衛を務めていた時によく耳にしていた機密連絡だ。
音を経由して脳を極細の針で刺すような刺激が伝わる。その意味を十全に理解したベアルドルフは、紫色の瞳から光の尾を引きながらトトに突っ込んだ。
「馬鹿の一つ覚えね」
トトは無表情のままカトラスを閃かせ、ベアルドルフの進行方向に『斬空』の地雷を仕掛ける。それらを『圧壊』で起爆させながら、ベアルドルフは両手に漆黒の歪みを収束させ、大剣の形状を象りながらトトへ振り下ろした。
外見より遥かに体積を持ったその大剣はトトの目測を誤らせ、避け切れなかった彼女の肩口に直撃する。その直後、紙芝居から一枚抜いたかのように時間の流れが飛び、再びトトの姿が数百メートル遠くへと消え失せる。
りぃぃ……ん。
二度目の鈴の音がベアルドルフへ合図を送る。
ベアルドルフはそれに応えるべく、右の肩甲骨を引き絞るように大きく腕を振り上げ『圧壊』による黒い狼煙を解き放った。
急激に大気が圧縮されたことで、亜空間の周囲で青白いスパークが生じ、稲光のような爆音が解き放たれる。その瞬間、ベアルドルフは己の残像を置き去りにし、一瞬でトトに肉薄した。
「また同じ手を──……!?」
セスタスの刃がトトのカトラスと交わる寸前、彼女の鼻と目から勢いよく血が噴き出した。どうにかカトラスを滑らせてベアルドルフの攻撃をいなしたものの、すべての衝撃を逃がしきれずにトトはのけ反りながら苦し気な声を漏らす。
「ま、さか!」
トトがオラガイアを見下ろせば、大聖堂の前で鋭く銀色の光を放つものがいた。黒い牧師の衣装を風に靡かせながら、輝く鈴を真っすぐとトトへ掲げているのは、ダアト教幹部のロッシュであった。
「幹部ともあろうものが、予言をないがしろにするなんて」
予言書に選ばれた人間からの裏切りはトトにとって予想外の出来事だったらしい。
「あいつはお前に従う理由がなくなっただけだ。人の皮を被っただけの化け物が、人間を思い通りにできると思ったか?」
そう嘲笑ってやれば、無機質なトトの表情に影が差した。
「こんなもの──」
菌糸模様を煌めかせながら、トトは能力を発動しようと腕に力を込める。だが、コンマ数秒の空白が生じるのみで、事象が書き換わることも、彼女の姿が遠くへ運ばれることもなかった。
ロッシュの『響音』は脳に直接ダメージを与えることができ、それを応用すれば、能力を発動するために必要な脳神経を破壊することも可能だった。それは初対面の人間相手では絶対に使えない奥の手だったが、皮肉にも、ロッシュと長い時間を共にしたアンジュの肉体だからこそ可能だった。
菌糸能力が不発に終わり、トトが愕然と目を見開いた瞬間、
──圧壊・王手。
カタパルトに匹敵するほどの猛烈なエネルギーが、亜空間の矢となって具現化し、トトの胸部目掛けて強襲する。トトはカトラスの『斬空』を立て続けに発動し、何十もの斬撃を重ねて分厚い壁を一瞬で構築した。しかし空間そのものを歪める『圧壊』のエネルギーはすべての斬撃をねじ伏せ、僅かに先端を撓めながらいとも簡単にトトの表皮へ到達した。下からえぐり込むような軌道で突き進んだ『圧壊』は、トトの胸部を握りつぶし、内部の臓物を完膚なきまでに蹂躙した。
「ぐッぇ!」
えずくような潰れた悲鳴を上げ、トトは鞠のように天空へと蹴り上げられた。そして彼女が飛ぶ先には既にベアルドルフが先回りしていた。
「終わりだ、化け物」
『圧壊』を纏ったセスタスが黒々とした炎を放ち、エンジンにも似た激しい音を立てながらトトの頭部へ打ち出された。トトの頭蓋が破壊されると同時に、接触面から肌を叩く様なパルスが発生し、キィン、と鋭い耳鳴りが鼓膜を裂く。
トトはもはや悲鳴を上げる余裕すらなく、頭から血を吹き出しながらオラガイアの東区域へ叩きつけられた。墜落した衝撃により東区域の石畳に蜘蛛の巣のような罅が入り、遅れて血があちこちに飛び散る。意外なことにトトはまだ原型を残しており、白目を剥きながらはくはくと口を動かしていた。
「あ……が……」
トトは口から血を吐きながら、臍の当たりにある菌糸模様を白く光らせた。だがそれをセスタスの三枚刃が貫き、そのまま地面へと縫い付けた。
「なるほど。ロッシュの言った通り、貴様は『瞬間移動』の使い手ではなかったようだな」
ベアルドルフはトトの薄い腹を容赦なく踏みつけながら、より深くセスタスを潜らせる。その間に蒸気を上げながら傷口の修復を終えたトトは、顔にかかる血まみれの髪の隙間から赤い瞳でベアルドルフを見上げた。重傷を負っているにも関わらず彼女は無表情のままで、まだ余裕が感じられた。
トトが瞬間移動のように見せかけていた能力は『時間停止』。ロッシュの傍に居るシュイナが『保持』という時間系の能力を持っていたおかげで判明したものだ。『時間停止』は文字通り自分以外の物質の動きを止める力で、その間は敵の攻撃を受けても無傷ですり抜けることができる。ベアルドルフの『圧壊』の範囲から逃れられたのも『時間停止』中の無敵を利用して亜空間をすり抜けたからだったようだ。
『時間停止』を止めるには、ロッシュの『響音』で直接脳を破壊する以外に方法はなかっただろう。ベアルドルフだけではトトをここまで追いつめることすらできず、オラガイアの陰謀を止めることもままならなかった。縁を切ったかつての友に救われたのだけは、甚だ遺憾ではあるが。
「この状況で時間を止めようと、未来を視ようと、貴様には何もできまい」
獰猛に笑うベアルドルフの顎から血が滴る。その下でトトは血の雨を浴びながら無機質な笑みを浮かべた。
「いいの? この身体を破壊すれば、二度とアンジュは帰ってこないわ」
「その器は貴様に乗っ取られた時から赤の他人だ。二十一年前、ノンカの里を滅ぼした時からな!」
紫色の目をカッと開きながら、ベアルドルフは鋭くアンジュだったものを睥睨する。
二十一年前、ベアルドルフはアンジュと共にノクタヴィスへと向かい、彼女が暴走する瞬間を目の当たりにした。魂を見る瞳を持つベアルドルフは、その時になって初めてNoDが意図的に暴走する仕様になっているという浦敷博士の話を真の意味で理解した。
NoDの暴走の原因は、外部から別人の魂を入れられたせいだった。NoDの肉体にはバーコードが刻み込まれており、それは個体を識別すると同時に機械仕掛け側から魂のデータを受け取るための受容体でもあったのだ。
ノクタヴィスにて、アンジュはトトの魂に肉体を乗っ取られたことで暴走した。二つの相反する魂は最終的にアンジュの消失によって安定し、代わりに救済者トトが誕生した。故に、肉体が残っていたところでアンジュは戻ってこない。まして外見だけ人の形を保っているだけの肉体ならば猶更だ。
ベアルドルフは犬歯を剥き出すように食いしばり、トトの胸倉をつかみ上げながら怒鳴った。
「オレの質問に答えろ、機械仕掛けの民よ。貴様がアンジュを狂わせ、オレにミカルラを殺させた張本人か、否か」
殺意を隠し切れない大喝がびりびりと空気を震わせる。トトの『支配』の力が消えたのか、オラガイアの周囲からドラゴンの群れは消え去っており、死人のように冷たい風が廃墟の隙間から甲高い声を上げるだけで、人の気配は全くない。
何もかもが死に絶えたように錯覚する静かな広場のど真ん中で、トトはだくだくと腹から血を流しながらうっそりと笑った。その笑い方はあまりにもベート・ハーヴァーにそっくりだった。
「……ねぇ、どうして私が救済者と呼ばれているか知っている?」
「機械仕掛けの世界の呼称であろう。ダアト教の人間は予言書に書かれているから貴様をそう呼んでいるだけだ」
予言書の未来から外れぬよう工作し、終末を引き起こそうとする救済者トト。滅ぼされる側の現実世界の人類たちにとって、トトは救済者ではなく死神でしかない。
しかし、トトの笑い声がそれを否定した。
「私は紛れもなく救済者よ。ドラゴンに滅ぼされるのを待つだけの人類を選別し、楽園へ導くための神の遣い。そのためだけに生み出された存在でしかない。貴方だって身に覚えがあるでしょう? 『私』と一緒に中央都市の討滅者の間に入った時、その目で見たでしょう」
寡黙そうな雰囲気から一転して、トトはやけに饒舌で楽し気だった。ベアルドルフは沈黙を返しながら思考を巡らせ、とあることに思い至って息を詰める。
マガツヒを討伐した狩人は、リデルゴア国の国王から召集され、討滅者の間で石碑に名を刻まなければならない。しかしその石碑には、狩人ではない人間の名も刻まれているのがベアルドルフには見えた。普通の刻銘ではない、魂を使った裏帳簿のようなものだったため、あの場で石碑の意味を理解したのはベアルドルフだけであったろう。
討滅者の石碑は、ただ討滅者の功績を未来に残すためのものではない。機械仕掛けの世界から特別に生き残っても良いと評された証だ。そして先ほどのトトの言い分も踏まえれば、あの石碑に名を書かれた者だけが終末の日を生き延びられるのである。
「ねぇ、ベアルドルフ。せっかく貴方は討滅者になったのに、どうして私たちの邪魔をするの? こんな世界、一度滅びてしまった方が貴方のためにもなる。人類はもう一度進化するべき段階に来たの」
「ほざけ。貴様らがやっているのはただの略奪だ。自らこの地で生きる術を捨てておきながら、いざ人間が生き残れる環境だと知れれば、我々先祖が積み重ねた努力ごと奪おうとするなど、吐き気がするわ!」
「貴方達こそ、誰のおかげで今までドラゴンと戦えたと思っているの」
冷気を帯びたようなトトの声が、ベアルドルフの首筋をひやりと撫でる。トトは血で赤く濡れた頬に笑みを刻みながらさらに続けた。
「浦敷博士がいなければ、この世界で人類が生き残ることなんて不可能だった。私たちはただ、貸していたものを返してもらうだけ。機械仕掛けの世界が未来の技術を齎せば、この世界からドラゴンを絶滅させることだってできるのよ。なのに貴方は、この世界がこのままで良いと思っているの?」
「ククク……ハハハハハ!」
背中をのけ反らせ、すべての狂気を絞り出すような高笑いがベアルドルフの喉を駆け上がる。
「揃いも揃って、二言目には浦敷博士の為だなんだと……貴様らNoDは自覚がないようだが、それはただの言い訳だ。結局は己が望みを叶えたいだけで、浦敷博士に責任を押し付けたいだけの厚顔無恥な餓鬼ではないか!」
「何を言っているの? 博士はこの世界を救うために『私』を生み出したのよ? 『私』だけがあの人の事を真の意味で理解しているのよ!?』
「化けの皮が剥がれているぞ。ベート・ハーヴァー」
「──!」
トトが息を呑むと同時に、彼女の赤い瞳が急速に濁っていく。同時にアンジュの面影が完全に消え失せ、怜悧なベート・ハーヴァーの顔立ちが露になった。ベアルドルフはそれを冷酷な目つきで見下ろしながら片頬で笑う。
「分魂……いや、貴様らの言葉を使うなら、人格データのコピー、だったか? この程度の駆け引きで演技を忘れるとは、所詮は人の皮を被った古代の残留データに過ぎんな」
ぐり、とトトの腹を踵で抉りながら、ベアルドルフは低く呼びかける。
「最後の質問と行こうか、化け物よ。貴様はなぜ二十一年前、アンジュの身体を奪ったのだ」
「……いいわ。『私』の正体を見破ったご褒美に教えてあげる」
トトはへらへらと笑い、それから首を傾けて流し目になった。
「……アンジュの肉体に目印を付けて『私』を呼んだのは──」
言い終わらぬうちに、極細の糸がトトの首に絡みつき頚椎を断った。吹出した鮮血がベアルドルフの顔を汚し、ゴロゴロと分離した頭部が遠ざかっていく。
ベアルドルフは石畳に残された血の轍を眺めた後、トトの死体からセスタスを引き抜いた。そして緩慢な動作で立ち上がり、首の転がった方向へと目を眇める。
すると、トトの生首が音もなく空中へ吊り上がり、男の手の中にぽすりと収まった。間もなくトトの首の断面から真っ赤な菌糸があふれ出し、男の手のひらへと吸い込まれ始めた。まるで本来の持ち主へと還っていくかのように。ベアルドルフはその様子を睨みつけながら、消えかけていた闘志を再び全身に滾らせた。
「……俺にとっては二十一年ぶりだが、貴様にとっては何年ぶりだ?」
トトの首から菌糸を回収したその男は、ゴミのようにそれを投げ捨てて仄暗い笑みを浮かべた。色素の薄い瞳や毛髪は、どこからどう見てもドクター・ドミラスその人であった。
・・・───・・・
時間にして数分。しかし体感では数時間にも思える上空の激闘が、ロッシュの目の前でついに終わった。暗雲の向こうから、銀髪の女性が弾丸のような速度で地面に衝突し、遅れてベアルドルフの禍々しい閃光が彼女にトドメを刺す。そこから先の光景は大聖堂から見ることは叶わなかったが、オラガイアから逃げていくドラゴンの群れを見れば決着は明らかであった。
「救済者が、敗れた……のか」
一人の狩人が魂の抜けたような声を上げ、一人、また一人と地面へ座り込む。誰もが戦いが終わったと確信してよいものか迷っているようだ。そして、ダアト教幹部の目の前で、救済者の敗北を喜んでも良いものか考えあぐねているようだった。
が、その迷いはロッシュの行動によってあっという間に振り払われた。
「……やった。勝ちました。僕たち勝ったんですよ、シュイナ!」
噴きこぼれるほどの喜びに生き生きと目を輝かせ、ロッシュは側近の女性の手を取って大声で叫んだ。それに応えるようにシュイナがロッシュに抱き着いた瞬間、緊張から解放された狩人や憲兵たちから轟くような大歓声が巻き起こった。無茶苦茶な驚りを披露する者や手を繋いで回る者、互いに強く抱き合いながら号泣する者たちが入り乱れ、大聖堂の前は大騒ぎである。
ロッシュはシュイナの後頭部に手を添えながら、涙を堪えつつ彼女を労った。
「ありがとう。君にまた無茶をさせてしまいましたね」
「いいえ。私はようやく、貴方の本心に従うことができただけで、それだけで……っ」
シュイナは声を震わせながら、ロッシュの背中を掻き抱いて顔を伏せた。外見は大人びていても、シュイナの精神年齢はレブナと同じ十四歳の子供だ。そんな子供を死地に連れ出し、命まで懸けさせてしまった不甲斐なさにロッシュは苦々しい思いが込み上げてくる。だがそれ以上に、彼女と共に死ぬ未来を回避できた安堵と喜びが溢れていた。
トトの生死は不明だが、救済者が予言を遂行できなかったとなれば、この先の未来がどうなるか完全に未知数だ。また因果の揺り返しによってどこかに不幸が訪れるのか、それとも予言書が破綻して終末から逃れられるようになったのか、ロッシュには分からない。だが、最悪の事態にはならないだろうという予感があった。
──グルアアアアアアアア!!
静まり返っていた空に禍々しい咆哮が響く。
ベアルドルフたちの戦いが終わってもなお、トルメンダルクは未だ存命らしい。完全に油断していた狩人たちは一瞬で気を引き締め直し、武器を構えながらロッシュの方を振り返った。ロッシュも即座にシュイナから身体を離し、憲兵式の敬礼をしてから腹の底から声を張る。
「動ける者はレオハニー様の援護へ。負傷者は無理せずここで待機を。僕は結界を修復した後に戦闘部隊へ合流します。では、散!」
ロッシュが手を振り下ろすと同時に、狩人たちは一斉に走り出す。ロッシュは結界の外側に座り込む狩人たちを安心させるよう声をかけ、憲兵に治療の指示をしてからシュイナに向き直った。
「シュイナ。貴方はここに残って、少しの間だけ結界を維持していてください。僕は結界を解除するついでに、地下のトゥアハ様たちの無事を確認してきます」
「ええ。お待ちしています」
柔らかく微笑むシュイナの頬を撫で、ロッシュはすぐに踵を返した。
ベアルドルフは牙を剥くように片頬を緩めながら、セスタスで空間を黒く引き裂き『圧壊』の影響範囲へトトを引きずり込んだ。
「──焦っているな」
時間の流れから隔絶された空間の中心でベアルドルフは挑発する。その額からは真っ赤な血が顎まで滴り、身体のあちこちも『斬空』で肉を抉られて百孔千瘡であった。しかしアドレナリンが全開になったベアルドルフの目つきは銀色の軌跡を描くほどに鋭く、敗勢と思えぬほどの迫力を纏っていた。
「不可解なのだろう? オラガイアの心臓がいつまで待っても破壊されぬのが」
言葉で追い詰めながら、セスタスを前方に突き出して特大の衝撃波を放つ。トトは空中を蹴ってそれを回避したが、景色が曲がるほどの質量を持ったそれはスレスレのところでトトの袖を巻き込んだ。たったそれだけで空間と時間軸が捩じれ、恐ろしい力でトトの腕が肩まで引きちぎられる。普通ならショック死してもおかしくない威力だったにも関わらず、一つ瞬きをした時には既に、トトは無傷のまま全く別の場所に立っていた。
アンジュの『星詠』は数秒先の未来を読み、または事象を書き換える力のはずだ。しかしトトは事象を書き換えると同時に『瞬間移動』まで行っているように思えた。通常、人間が持てる菌糸能力は一つのみ。稀に二つの菌糸能力を先天的に得る者もいるが、NoDならば特殊な体質を利用して肉体改造を施すことも不可能ではない。
それに、トトの『瞬間移動』は通常のそれとは少々効果が違うようだ。ベアルドルフの『圧壊』は空間ごと対象と自分の周囲を隔離するもので、長距離を一瞬で走破する『瞬間移動』では脱出できるものではない。だが実際にトトは何度も脱出に成功しているため、もっと別の能力だと仮定するのが妥当だ。
だとすると、トトの瞬間移動はベアルドルフと同じく空間系の能力に由来しているのかもしれない。空間系同士の戦闘はいわば後出しジャンケンのようなもので、先に能力を発動した方が不利になる。必然的に持久戦となるが、このまま戦ってもオラガイアが先に崩壊してしまえばベアルドルフの負けだ。
トトもそれを理解しているからこそ、ベアルドルフを生かさず殺さず、オラガイアを戦闘に巻き込むような立ち回りで時間稼ぎをしている。相手が勝負に乗り気ではない状態で無暗に『圧壊』を発動するのは自殺行為。ここから挽回を図るのは至難だ。──普通ならば。
りぃ……ん。
激しい上空の気流に紛れて、微かな鈴の音がベアルドルフの脳髄に滑り込む。エラムラでミカルラの近衛を務めていた時によく耳にしていた機密連絡だ。
音を経由して脳を極細の針で刺すような刺激が伝わる。その意味を十全に理解したベアルドルフは、紫色の瞳から光の尾を引きながらトトに突っ込んだ。
「馬鹿の一つ覚えね」
トトは無表情のままカトラスを閃かせ、ベアルドルフの進行方向に『斬空』の地雷を仕掛ける。それらを『圧壊』で起爆させながら、ベアルドルフは両手に漆黒の歪みを収束させ、大剣の形状を象りながらトトへ振り下ろした。
外見より遥かに体積を持ったその大剣はトトの目測を誤らせ、避け切れなかった彼女の肩口に直撃する。その直後、紙芝居から一枚抜いたかのように時間の流れが飛び、再びトトの姿が数百メートル遠くへと消え失せる。
りぃぃ……ん。
二度目の鈴の音がベアルドルフへ合図を送る。
ベアルドルフはそれに応えるべく、右の肩甲骨を引き絞るように大きく腕を振り上げ『圧壊』による黒い狼煙を解き放った。
急激に大気が圧縮されたことで、亜空間の周囲で青白いスパークが生じ、稲光のような爆音が解き放たれる。その瞬間、ベアルドルフは己の残像を置き去りにし、一瞬でトトに肉薄した。
「また同じ手を──……!?」
セスタスの刃がトトのカトラスと交わる寸前、彼女の鼻と目から勢いよく血が噴き出した。どうにかカトラスを滑らせてベアルドルフの攻撃をいなしたものの、すべての衝撃を逃がしきれずにトトはのけ反りながら苦し気な声を漏らす。
「ま、さか!」
トトがオラガイアを見下ろせば、大聖堂の前で鋭く銀色の光を放つものがいた。黒い牧師の衣装を風に靡かせながら、輝く鈴を真っすぐとトトへ掲げているのは、ダアト教幹部のロッシュであった。
「幹部ともあろうものが、予言をないがしろにするなんて」
予言書に選ばれた人間からの裏切りはトトにとって予想外の出来事だったらしい。
「あいつはお前に従う理由がなくなっただけだ。人の皮を被っただけの化け物が、人間を思い通りにできると思ったか?」
そう嘲笑ってやれば、無機質なトトの表情に影が差した。
「こんなもの──」
菌糸模様を煌めかせながら、トトは能力を発動しようと腕に力を込める。だが、コンマ数秒の空白が生じるのみで、事象が書き換わることも、彼女の姿が遠くへ運ばれることもなかった。
ロッシュの『響音』は脳に直接ダメージを与えることができ、それを応用すれば、能力を発動するために必要な脳神経を破壊することも可能だった。それは初対面の人間相手では絶対に使えない奥の手だったが、皮肉にも、ロッシュと長い時間を共にしたアンジュの肉体だからこそ可能だった。
菌糸能力が不発に終わり、トトが愕然と目を見開いた瞬間、
──圧壊・王手。
カタパルトに匹敵するほどの猛烈なエネルギーが、亜空間の矢となって具現化し、トトの胸部目掛けて強襲する。トトはカトラスの『斬空』を立て続けに発動し、何十もの斬撃を重ねて分厚い壁を一瞬で構築した。しかし空間そのものを歪める『圧壊』のエネルギーはすべての斬撃をねじ伏せ、僅かに先端を撓めながらいとも簡単にトトの表皮へ到達した。下からえぐり込むような軌道で突き進んだ『圧壊』は、トトの胸部を握りつぶし、内部の臓物を完膚なきまでに蹂躙した。
「ぐッぇ!」
えずくような潰れた悲鳴を上げ、トトは鞠のように天空へと蹴り上げられた。そして彼女が飛ぶ先には既にベアルドルフが先回りしていた。
「終わりだ、化け物」
『圧壊』を纏ったセスタスが黒々とした炎を放ち、エンジンにも似た激しい音を立てながらトトの頭部へ打ち出された。トトの頭蓋が破壊されると同時に、接触面から肌を叩く様なパルスが発生し、キィン、と鋭い耳鳴りが鼓膜を裂く。
トトはもはや悲鳴を上げる余裕すらなく、頭から血を吹き出しながらオラガイアの東区域へ叩きつけられた。墜落した衝撃により東区域の石畳に蜘蛛の巣のような罅が入り、遅れて血があちこちに飛び散る。意外なことにトトはまだ原型を残しており、白目を剥きながらはくはくと口を動かしていた。
「あ……が……」
トトは口から血を吐きながら、臍の当たりにある菌糸模様を白く光らせた。だがそれをセスタスの三枚刃が貫き、そのまま地面へと縫い付けた。
「なるほど。ロッシュの言った通り、貴様は『瞬間移動』の使い手ではなかったようだな」
ベアルドルフはトトの薄い腹を容赦なく踏みつけながら、より深くセスタスを潜らせる。その間に蒸気を上げながら傷口の修復を終えたトトは、顔にかかる血まみれの髪の隙間から赤い瞳でベアルドルフを見上げた。重傷を負っているにも関わらず彼女は無表情のままで、まだ余裕が感じられた。
トトが瞬間移動のように見せかけていた能力は『時間停止』。ロッシュの傍に居るシュイナが『保持』という時間系の能力を持っていたおかげで判明したものだ。『時間停止』は文字通り自分以外の物質の動きを止める力で、その間は敵の攻撃を受けても無傷ですり抜けることができる。ベアルドルフの『圧壊』の範囲から逃れられたのも『時間停止』中の無敵を利用して亜空間をすり抜けたからだったようだ。
『時間停止』を止めるには、ロッシュの『響音』で直接脳を破壊する以外に方法はなかっただろう。ベアルドルフだけではトトをここまで追いつめることすらできず、オラガイアの陰謀を止めることもままならなかった。縁を切ったかつての友に救われたのだけは、甚だ遺憾ではあるが。
「この状況で時間を止めようと、未来を視ようと、貴様には何もできまい」
獰猛に笑うベアルドルフの顎から血が滴る。その下でトトは血の雨を浴びながら無機質な笑みを浮かべた。
「いいの? この身体を破壊すれば、二度とアンジュは帰ってこないわ」
「その器は貴様に乗っ取られた時から赤の他人だ。二十一年前、ノンカの里を滅ぼした時からな!」
紫色の目をカッと開きながら、ベアルドルフは鋭くアンジュだったものを睥睨する。
二十一年前、ベアルドルフはアンジュと共にノクタヴィスへと向かい、彼女が暴走する瞬間を目の当たりにした。魂を見る瞳を持つベアルドルフは、その時になって初めてNoDが意図的に暴走する仕様になっているという浦敷博士の話を真の意味で理解した。
NoDの暴走の原因は、外部から別人の魂を入れられたせいだった。NoDの肉体にはバーコードが刻み込まれており、それは個体を識別すると同時に機械仕掛け側から魂のデータを受け取るための受容体でもあったのだ。
ノクタヴィスにて、アンジュはトトの魂に肉体を乗っ取られたことで暴走した。二つの相反する魂は最終的にアンジュの消失によって安定し、代わりに救済者トトが誕生した。故に、肉体が残っていたところでアンジュは戻ってこない。まして外見だけ人の形を保っているだけの肉体ならば猶更だ。
ベアルドルフは犬歯を剥き出すように食いしばり、トトの胸倉をつかみ上げながら怒鳴った。
「オレの質問に答えろ、機械仕掛けの民よ。貴様がアンジュを狂わせ、オレにミカルラを殺させた張本人か、否か」
殺意を隠し切れない大喝がびりびりと空気を震わせる。トトの『支配』の力が消えたのか、オラガイアの周囲からドラゴンの群れは消え去っており、死人のように冷たい風が廃墟の隙間から甲高い声を上げるだけで、人の気配は全くない。
何もかもが死に絶えたように錯覚する静かな広場のど真ん中で、トトはだくだくと腹から血を流しながらうっそりと笑った。その笑い方はあまりにもベート・ハーヴァーにそっくりだった。
「……ねぇ、どうして私が救済者と呼ばれているか知っている?」
「機械仕掛けの世界の呼称であろう。ダアト教の人間は予言書に書かれているから貴様をそう呼んでいるだけだ」
予言書の未来から外れぬよう工作し、終末を引き起こそうとする救済者トト。滅ぼされる側の現実世界の人類たちにとって、トトは救済者ではなく死神でしかない。
しかし、トトの笑い声がそれを否定した。
「私は紛れもなく救済者よ。ドラゴンに滅ぼされるのを待つだけの人類を選別し、楽園へ導くための神の遣い。そのためだけに生み出された存在でしかない。貴方だって身に覚えがあるでしょう? 『私』と一緒に中央都市の討滅者の間に入った時、その目で見たでしょう」
寡黙そうな雰囲気から一転して、トトはやけに饒舌で楽し気だった。ベアルドルフは沈黙を返しながら思考を巡らせ、とあることに思い至って息を詰める。
マガツヒを討伐した狩人は、リデルゴア国の国王から召集され、討滅者の間で石碑に名を刻まなければならない。しかしその石碑には、狩人ではない人間の名も刻まれているのがベアルドルフには見えた。普通の刻銘ではない、魂を使った裏帳簿のようなものだったため、あの場で石碑の意味を理解したのはベアルドルフだけであったろう。
討滅者の石碑は、ただ討滅者の功績を未来に残すためのものではない。機械仕掛けの世界から特別に生き残っても良いと評された証だ。そして先ほどのトトの言い分も踏まえれば、あの石碑に名を書かれた者だけが終末の日を生き延びられるのである。
「ねぇ、ベアルドルフ。せっかく貴方は討滅者になったのに、どうして私たちの邪魔をするの? こんな世界、一度滅びてしまった方が貴方のためにもなる。人類はもう一度進化するべき段階に来たの」
「ほざけ。貴様らがやっているのはただの略奪だ。自らこの地で生きる術を捨てておきながら、いざ人間が生き残れる環境だと知れれば、我々先祖が積み重ねた努力ごと奪おうとするなど、吐き気がするわ!」
「貴方達こそ、誰のおかげで今までドラゴンと戦えたと思っているの」
冷気を帯びたようなトトの声が、ベアルドルフの首筋をひやりと撫でる。トトは血で赤く濡れた頬に笑みを刻みながらさらに続けた。
「浦敷博士がいなければ、この世界で人類が生き残ることなんて不可能だった。私たちはただ、貸していたものを返してもらうだけ。機械仕掛けの世界が未来の技術を齎せば、この世界からドラゴンを絶滅させることだってできるのよ。なのに貴方は、この世界がこのままで良いと思っているの?」
「ククク……ハハハハハ!」
背中をのけ反らせ、すべての狂気を絞り出すような高笑いがベアルドルフの喉を駆け上がる。
「揃いも揃って、二言目には浦敷博士の為だなんだと……貴様らNoDは自覚がないようだが、それはただの言い訳だ。結局は己が望みを叶えたいだけで、浦敷博士に責任を押し付けたいだけの厚顔無恥な餓鬼ではないか!」
「何を言っているの? 博士はこの世界を救うために『私』を生み出したのよ? 『私』だけがあの人の事を真の意味で理解しているのよ!?』
「化けの皮が剥がれているぞ。ベート・ハーヴァー」
「──!」
トトが息を呑むと同時に、彼女の赤い瞳が急速に濁っていく。同時にアンジュの面影が完全に消え失せ、怜悧なベート・ハーヴァーの顔立ちが露になった。ベアルドルフはそれを冷酷な目つきで見下ろしながら片頬で笑う。
「分魂……いや、貴様らの言葉を使うなら、人格データのコピー、だったか? この程度の駆け引きで演技を忘れるとは、所詮は人の皮を被った古代の残留データに過ぎんな」
ぐり、とトトの腹を踵で抉りながら、ベアルドルフは低く呼びかける。
「最後の質問と行こうか、化け物よ。貴様はなぜ二十一年前、アンジュの身体を奪ったのだ」
「……いいわ。『私』の正体を見破ったご褒美に教えてあげる」
トトはへらへらと笑い、それから首を傾けて流し目になった。
「……アンジュの肉体に目印を付けて『私』を呼んだのは──」
言い終わらぬうちに、極細の糸がトトの首に絡みつき頚椎を断った。吹出した鮮血がベアルドルフの顔を汚し、ゴロゴロと分離した頭部が遠ざかっていく。
ベアルドルフは石畳に残された血の轍を眺めた後、トトの死体からセスタスを引き抜いた。そして緩慢な動作で立ち上がり、首の転がった方向へと目を眇める。
すると、トトの生首が音もなく空中へ吊り上がり、男の手の中にぽすりと収まった。間もなくトトの首の断面から真っ赤な菌糸があふれ出し、男の手のひらへと吸い込まれ始めた。まるで本来の持ち主へと還っていくかのように。ベアルドルフはその様子を睨みつけながら、消えかけていた闘志を再び全身に滾らせた。
「……俺にとっては二十一年ぶりだが、貴様にとっては何年ぶりだ?」
トトの首から菌糸を回収したその男は、ゴミのようにそれを投げ捨てて仄暗い笑みを浮かべた。色素の薄い瞳や毛髪は、どこからどう見てもドクター・ドミラスその人であった。
・・・───・・・
時間にして数分。しかし体感では数時間にも思える上空の激闘が、ロッシュの目の前でついに終わった。暗雲の向こうから、銀髪の女性が弾丸のような速度で地面に衝突し、遅れてベアルドルフの禍々しい閃光が彼女にトドメを刺す。そこから先の光景は大聖堂から見ることは叶わなかったが、オラガイアから逃げていくドラゴンの群れを見れば決着は明らかであった。
「救済者が、敗れた……のか」
一人の狩人が魂の抜けたような声を上げ、一人、また一人と地面へ座り込む。誰もが戦いが終わったと確信してよいものか迷っているようだ。そして、ダアト教幹部の目の前で、救済者の敗北を喜んでも良いものか考えあぐねているようだった。
が、その迷いはロッシュの行動によってあっという間に振り払われた。
「……やった。勝ちました。僕たち勝ったんですよ、シュイナ!」
噴きこぼれるほどの喜びに生き生きと目を輝かせ、ロッシュは側近の女性の手を取って大声で叫んだ。それに応えるようにシュイナがロッシュに抱き着いた瞬間、緊張から解放された狩人や憲兵たちから轟くような大歓声が巻き起こった。無茶苦茶な驚りを披露する者や手を繋いで回る者、互いに強く抱き合いながら号泣する者たちが入り乱れ、大聖堂の前は大騒ぎである。
ロッシュはシュイナの後頭部に手を添えながら、涙を堪えつつ彼女を労った。
「ありがとう。君にまた無茶をさせてしまいましたね」
「いいえ。私はようやく、貴方の本心に従うことができただけで、それだけで……っ」
シュイナは声を震わせながら、ロッシュの背中を掻き抱いて顔を伏せた。外見は大人びていても、シュイナの精神年齢はレブナと同じ十四歳の子供だ。そんな子供を死地に連れ出し、命まで懸けさせてしまった不甲斐なさにロッシュは苦々しい思いが込み上げてくる。だがそれ以上に、彼女と共に死ぬ未来を回避できた安堵と喜びが溢れていた。
トトの生死は不明だが、救済者が予言を遂行できなかったとなれば、この先の未来がどうなるか完全に未知数だ。また因果の揺り返しによってどこかに不幸が訪れるのか、それとも予言書が破綻して終末から逃れられるようになったのか、ロッシュには分からない。だが、最悪の事態にはならないだろうという予感があった。
──グルアアアアアアアア!!
静まり返っていた空に禍々しい咆哮が響く。
ベアルドルフたちの戦いが終わってもなお、トルメンダルクは未だ存命らしい。完全に油断していた狩人たちは一瞬で気を引き締め直し、武器を構えながらロッシュの方を振り返った。ロッシュも即座にシュイナから身体を離し、憲兵式の敬礼をしてから腹の底から声を張る。
「動ける者はレオハニー様の援護へ。負傷者は無理せずここで待機を。僕は結界を修復した後に戦闘部隊へ合流します。では、散!」
ロッシュが手を振り下ろすと同時に、狩人たちは一斉に走り出す。ロッシュは結界の外側に座り込む狩人たちを安心させるよう声をかけ、憲兵に治療の指示をしてからシュイナに向き直った。
「シュイナ。貴方はここに残って、少しの間だけ結界を維持していてください。僕は結界を解除するついでに、地下のトゥアハ様たちの無事を確認してきます」
「ええ。お待ちしています」
柔らかく微笑むシュイナの頬を撫で、ロッシュはすぐに踵を返した。
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