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4章
(2)祈り
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最下層まで階段を下り、ドミラスの研究所、兼診療所に入る。長い洞窟の廊下は、意識のない主人を出迎えるようにクリーム色のキノコライトが灯されており、複数人の泥の足跡がリノリウムの床にこびりついていた。ギルドに居残っている狩人たちもハインキーの知り合いばかりなので、本当ならもっと足跡があってもいいくらいなのだが、おそらく今日はアメリアに気を使って夜まで降りてこないだろう。騒がしくなるのはきっと明日以降だ。
アメリアたちは先に診療所に入っているようで、スライドドアの隙間から数人の密やかな会話が聞こえてきた。
俺はシャルの手を引きながらスライドドアの前まで来ると、短く息を止めながら引手に指をかけた。
隅々まで掃除が行き届いているからか、スライドドアはほとんど音を立てることなく、診療所の内部を曝け出した。会議室のような縦長の部屋には十台のベッドが二列で並び、レビク村の住人とハインキーが寝かされている。眠っているレビク村の住人の傍には、ヤツカバネ討伐の知らせを聞いた他のレビク村の人々が集まっており、俺を一瞥することなく熱心に祈りを捧げていた。
俺はレビク村の人たちの邪魔をしないよう、足音を気にしながら一番奥のハインキーのベッドに向かった。枕元にはアメリアとカーヌマが膝をついて座っており、側ではミッサとゼン、エトロが静かに彼らを見守っていた。
ミッサは近づいてくる俺とシャルに気づくと、どこかほっとしたような笑みを浮かべた。
「来たかい、リョーホ」
「はい……まだ目覚めてないんですね」
予想通りではあったが、いざ現物を見ると鉛を飲み込んだかのように息が苦しくなる。ハインキーの姿は昨日と変わり映えせず、全く目覚める気配もなかった。
俺の顔色を見て、ゼンが逞しい腕で優しく肩を叩いてくれた。
「焦らなくていい。ヤツカバネを討伐すれば、捕食された人の魂は戻ってくる。過去にも同じ事例があったのだ。あまり気負い過ぎるものではない」
「……ありがとうございます。ゼンさん」
力なくお礼を述べると、再びスライドドアが開かれ、アンリとバルド村の守護狩人二人が入ってきた。あの狩人二人は確か、階段を下りている時にドミラスを背負っていた人たちである。なんとなく三人がこちらに来るのを待っていると、アンリは俺の眉間の辺りを眺めながら小さく手を振った。
「やあ、遅かったね、リョーホ」
「ちょっと眠くてさ。ドクターは?」
「隣の部屋に寝かせてきた。ついでにベートの方も見てきたけど、笑顔のまま何にも喋らなくて不気味だったよ」
「それはなんというか、大変だったな」
「はは。尋問はまた今度だね」
「……だな」
苦笑にもならない息を零した後、俺は消毒液の匂いで鼻に皺を寄せた。
ベートの襲撃を受けた時は気づかなかったが、あの時ドミラスが一人でベートと対峙したのは、最初から彼女を捕まえるためだったらしい。討伐が終わった後にミッサから教えてもらったのだが、ミッサとゼンだけは、事前にベートの襲撃の可能性をドミラスから伝えられていたという。だが「確実に来るとは限らないから皆には黙っていろ」と口止めされていたので、俺たちは全てが終わるまでそのことを知らされなかったのだ。
大事なことを教えてもらえなかったからか、アンリは苛立ち混じりにこう吐き捨てた。
「あのやぶ医者が説明してくれないのは今に始まったことじゃないけど、流石にさぁ、今日は誰か死ぬかもしれなかったんだよ? 一発殴ったって文句は言われないよね」
「はは、ドクターの目が覚めたらきつい一発やっちまえよ。俺の分まで」
「言われなくとも」
アンリはパキパキと拳を鳴らした後、辟易とため息を吐きだした。なんだかんだ言って、ドミラスと付き合いが長いアンリからすれば、体よく利用されたのが不満で仕方がないのだろう。しかもそんな人に命懸けで守られてしまったのだから余計に苛立っているらしい。
会話が途切れ、俺たちの視線は自然と眠っているハインキーへと向けられる。まだ誰も目覚める気配のない診療所は、まるで霊安室のように冷たかった。
俺たちができることは全てやり遂げた。タイムリミットにも間に合った。あとはもう待つことしかできない。
どれぐらいそうしていただろうか。診療所には窓も時計もないため、十秒数えるだけでも時の流れが果てしなく感じる。体感では何時間も経過した頃、鐘楼から六時を告げる鐘楼の音色が渓谷の底まで響いて来た。一日を洗い流すような残響が遠ざかった後、アメリアはついに不安に耐え切れなくなり、ハインキーの手を握りしめながらベッドに額を押し付けた。
「う……うぅ……」
涙を堪える声は痛々しく、咄嗟にカーヌマが彼女の肩を抱いて寄り添った。
「アメリア、大丈夫だから」
「カーくん……」
二人とも目を潤ませながら見つめ合い、沈鬱な表情のまま眠るハインキーへ顔を向ける。
ハインキーの体温は戻っており、呼吸も再開されているため、少なくとも肉体は死んでいない。肉体を保存していた一週間の間も床ずれを起こさないように毎日身体を清めたし、腐敗しないように『保持』の菌糸能力を入れた保存用の機材も診療所に持ち込んである。加えて俺の『雷光』も毎朝浴びせていたから、身体は意識を失う前のまま維持されているはずだ。
ここまでやっても、ハインキーも、レビク村の人たちも助からないのだろうか。己の無力さに歯噛みしながら、俺は傍のシャルに声をかけた。
「シャル。俺は外の空気吸ってくるから……」
シャルは俺の言葉に首を振ると、裾の辺りを掴んで力なく笑った。
「……ああ、一緒に行くか」
これ以上重苦しい診療所の中にいると、そのまま窒息してしまいそうだった。俺はシャルの手を引きながら逃げるようにハインキーに背を向け、足音を殺すようにして歩き出した。
「……あ」
声が上がった。無意識に漏れ出たような、驚きのこもったアメリアの声だ。
俺は勢いよく振り返り、ベッドの上を凝視した。先ほどまで固く閉じられていたハインキーの瞼が、今ははっきりと持ち上げられている。短い睫毛に囲われた瞳はゆっくりと瞬きを繰り返すと、ベッドの周りにいる顔ぶれを不思議そうに見渡した。
「は、ハインキーさん!」
カーヌマが飛び上がりながら覗き込むと、ハインキーは身体を起こそうと右腕を動かし、すぐにベッドに沈んで苦笑した。
「なんだか、身体が怠いなぁ……それにどうしたんだお前ら……泣きそうな顔して……」
「もう忘れたのかい? あんたはヤツカバネに魂を喰われて、ずっと眠ってたんだよ」
ミッサが呆れたように説明すれば、覇気のない声がぽつぽつと言葉を紡いだ。
「ああ……そうだった……確実に死んだと、思ったんだがなぁ」
「魂さえ取り返せば大丈夫だって、そこのリョーホが言い出したから、つい数刻前にぶっ飛ばしてきたよ。ここにいる全員と、他の仲間たちでね」
「そうか……そうかぁ……」
ハインキーはくしゃりと泣き笑いを浮かべると、声もなく涙を流すアメリアとカーヌマをまとめて抱きしめた。
「ありがとう、ありがとうなぁ……またお前たちに会えるなんて、嬉しくてよぉ!」
「私も……お父さんにもう会えないと思って……よかったぁ、本当によかったよぉ!」
「ごめんなさい、ハインキーさん! 俺を庇ったせいでこんなことになって……俺がもっと強かったら、ハインキーさんが死にかけずにすんだのに! ごめん! もっと強くなるから、もうあんなことしないでくれよ!」
子供のように声を上げながら泣きじゃくる三人に、俺はつられて泣きそうになった。ハインキーが目覚めたのを皮切りに、意識不明だったレビク村の住人も次々に目覚めたようだ。あちこちから名前を呼び合い咽び泣く声が上がり、静まり返っていた診療所がだんだんと賑やかになっていく。
もう彼らは大丈夫だろう。しばらくは三人だけでゆっくりしてもらったほうがいい。俺はエトロと目配せをしたあと、彼らの邪魔をしないように踵を返した。
「リョーホ、一言だけ言わせてくれ」
ふと、俺の背中にハインキーの声が投げかけられた。予想外のことに驚きながら振り返ると、ハインキーはアメリアとカーヌマに支えられながら身体を起こし、瞳を真っすぐと俺に向けていた。
「ヤツカバネに喰われた後、俺は少しだけ意識があったんだ。冷たくて空っぽで、土の中に生きたまま埋められちまったような場所で、苦しくて仕方がなかったんだ。そしたら、誰かが闇の中で手を伸ばしてくれてよ。その手を掴んだら、ようやくここに戻って来られたんだ」
ハインキーは難しそうな表情で胸を押さえると、泡を掬い上げるような慎重さで俺に問いかけた。
「なぁ……あの時俺を助けてくれたのは、リョーホなんだろう?」
俺は、何も言えなかった。
俺一人でできたことじゃない。勝てるかも分からないのに集まってくれた討伐隊の皆や、何度も窮地を救ってくれた守護狩人たちがいなければ、ヤツカバネを討伐することすらできなかった。俺の力なんて些細なもので、胸を張って感謝を受け止められるほど偉くない。
「リョーホ兄ちゃんは、もっと自信持っていいっす」
「カーヌマ?」
「竜王討伐で一人も死者が出なかったのは、リョーホさんのお陰です。ゼンさんから聞いたっすよ、塔が足りなくてもヤツカバネを倒せたのは、リョーホ兄ちゃんの作戦があったからだって。だから、ハインキーさんの言葉をちゃんと受け止めてください。俺たちはもう村の仲間なんすから」
真剣に語られた意味を咀嚼して、ゆっくりと嚥下してみる。それから俺は、今にも泣き出してしまいそうな顔でハインキーを見つめた。
ハインキーはそれに応えるように、詰まりそうになる声を振り絞ってくれた。
「リョーホ。何度でも言わせてくれ。死を覚悟していた俺を家族にまた会わせてくれてありがとう。お前がいなかったら、俺はここにいられなかった。本当に、感謝してもしきれねぇ……」
一拍間を置いて、俺の目からぶわりと涙が溢れ出した。
俺はただの高校生で、戦争に出たこともない弱虫だ。漫然と学校で勉強をサボって好きなことだけをして、将来の夢もないつまらない人間だった。これから先ずっと生きていても、誰かに心から感謝されるようなことはないと思っていたのだ。
周りに英雄の卵だと言われても、俺がそんなものになれるわけがないとずっと否定してきた。けど今は、ハインキーは俺を認めてくれた。俺は成長していたんだ。俺はちゃんと、生きていて価値のある人間だった。大事な人やその家族を守れたんだ。
誇らしさで胸がいっぱいになり、俺はぐしゃぐしゃに泣きながら、詰まりそうな喉を広げて精一杯に声を上げた。
「俺の方こそ……助けられてよかった……っ!」
アメリアたちは先に診療所に入っているようで、スライドドアの隙間から数人の密やかな会話が聞こえてきた。
俺はシャルの手を引きながらスライドドアの前まで来ると、短く息を止めながら引手に指をかけた。
隅々まで掃除が行き届いているからか、スライドドアはほとんど音を立てることなく、診療所の内部を曝け出した。会議室のような縦長の部屋には十台のベッドが二列で並び、レビク村の住人とハインキーが寝かされている。眠っているレビク村の住人の傍には、ヤツカバネ討伐の知らせを聞いた他のレビク村の人々が集まっており、俺を一瞥することなく熱心に祈りを捧げていた。
俺はレビク村の人たちの邪魔をしないよう、足音を気にしながら一番奥のハインキーのベッドに向かった。枕元にはアメリアとカーヌマが膝をついて座っており、側ではミッサとゼン、エトロが静かに彼らを見守っていた。
ミッサは近づいてくる俺とシャルに気づくと、どこかほっとしたような笑みを浮かべた。
「来たかい、リョーホ」
「はい……まだ目覚めてないんですね」
予想通りではあったが、いざ現物を見ると鉛を飲み込んだかのように息が苦しくなる。ハインキーの姿は昨日と変わり映えせず、全く目覚める気配もなかった。
俺の顔色を見て、ゼンが逞しい腕で優しく肩を叩いてくれた。
「焦らなくていい。ヤツカバネを討伐すれば、捕食された人の魂は戻ってくる。過去にも同じ事例があったのだ。あまり気負い過ぎるものではない」
「……ありがとうございます。ゼンさん」
力なくお礼を述べると、再びスライドドアが開かれ、アンリとバルド村の守護狩人二人が入ってきた。あの狩人二人は確か、階段を下りている時にドミラスを背負っていた人たちである。なんとなく三人がこちらに来るのを待っていると、アンリは俺の眉間の辺りを眺めながら小さく手を振った。
「やあ、遅かったね、リョーホ」
「ちょっと眠くてさ。ドクターは?」
「隣の部屋に寝かせてきた。ついでにベートの方も見てきたけど、笑顔のまま何にも喋らなくて不気味だったよ」
「それはなんというか、大変だったな」
「はは。尋問はまた今度だね」
「……だな」
苦笑にもならない息を零した後、俺は消毒液の匂いで鼻に皺を寄せた。
ベートの襲撃を受けた時は気づかなかったが、あの時ドミラスが一人でベートと対峙したのは、最初から彼女を捕まえるためだったらしい。討伐が終わった後にミッサから教えてもらったのだが、ミッサとゼンだけは、事前にベートの襲撃の可能性をドミラスから伝えられていたという。だが「確実に来るとは限らないから皆には黙っていろ」と口止めされていたので、俺たちは全てが終わるまでそのことを知らされなかったのだ。
大事なことを教えてもらえなかったからか、アンリは苛立ち混じりにこう吐き捨てた。
「あのやぶ医者が説明してくれないのは今に始まったことじゃないけど、流石にさぁ、今日は誰か死ぬかもしれなかったんだよ? 一発殴ったって文句は言われないよね」
「はは、ドクターの目が覚めたらきつい一発やっちまえよ。俺の分まで」
「言われなくとも」
アンリはパキパキと拳を鳴らした後、辟易とため息を吐きだした。なんだかんだ言って、ドミラスと付き合いが長いアンリからすれば、体よく利用されたのが不満で仕方がないのだろう。しかもそんな人に命懸けで守られてしまったのだから余計に苛立っているらしい。
会話が途切れ、俺たちの視線は自然と眠っているハインキーへと向けられる。まだ誰も目覚める気配のない診療所は、まるで霊安室のように冷たかった。
俺たちができることは全てやり遂げた。タイムリミットにも間に合った。あとはもう待つことしかできない。
どれぐらいそうしていただろうか。診療所には窓も時計もないため、十秒数えるだけでも時の流れが果てしなく感じる。体感では何時間も経過した頃、鐘楼から六時を告げる鐘楼の音色が渓谷の底まで響いて来た。一日を洗い流すような残響が遠ざかった後、アメリアはついに不安に耐え切れなくなり、ハインキーの手を握りしめながらベッドに額を押し付けた。
「う……うぅ……」
涙を堪える声は痛々しく、咄嗟にカーヌマが彼女の肩を抱いて寄り添った。
「アメリア、大丈夫だから」
「カーくん……」
二人とも目を潤ませながら見つめ合い、沈鬱な表情のまま眠るハインキーへ顔を向ける。
ハインキーの体温は戻っており、呼吸も再開されているため、少なくとも肉体は死んでいない。肉体を保存していた一週間の間も床ずれを起こさないように毎日身体を清めたし、腐敗しないように『保持』の菌糸能力を入れた保存用の機材も診療所に持ち込んである。加えて俺の『雷光』も毎朝浴びせていたから、身体は意識を失う前のまま維持されているはずだ。
ここまでやっても、ハインキーも、レビク村の人たちも助からないのだろうか。己の無力さに歯噛みしながら、俺は傍のシャルに声をかけた。
「シャル。俺は外の空気吸ってくるから……」
シャルは俺の言葉に首を振ると、裾の辺りを掴んで力なく笑った。
「……ああ、一緒に行くか」
これ以上重苦しい診療所の中にいると、そのまま窒息してしまいそうだった。俺はシャルの手を引きながら逃げるようにハインキーに背を向け、足音を殺すようにして歩き出した。
「……あ」
声が上がった。無意識に漏れ出たような、驚きのこもったアメリアの声だ。
俺は勢いよく振り返り、ベッドの上を凝視した。先ほどまで固く閉じられていたハインキーの瞼が、今ははっきりと持ち上げられている。短い睫毛に囲われた瞳はゆっくりと瞬きを繰り返すと、ベッドの周りにいる顔ぶれを不思議そうに見渡した。
「は、ハインキーさん!」
カーヌマが飛び上がりながら覗き込むと、ハインキーは身体を起こそうと右腕を動かし、すぐにベッドに沈んで苦笑した。
「なんだか、身体が怠いなぁ……それにどうしたんだお前ら……泣きそうな顔して……」
「もう忘れたのかい? あんたはヤツカバネに魂を喰われて、ずっと眠ってたんだよ」
ミッサが呆れたように説明すれば、覇気のない声がぽつぽつと言葉を紡いだ。
「ああ……そうだった……確実に死んだと、思ったんだがなぁ」
「魂さえ取り返せば大丈夫だって、そこのリョーホが言い出したから、つい数刻前にぶっ飛ばしてきたよ。ここにいる全員と、他の仲間たちでね」
「そうか……そうかぁ……」
ハインキーはくしゃりと泣き笑いを浮かべると、声もなく涙を流すアメリアとカーヌマをまとめて抱きしめた。
「ありがとう、ありがとうなぁ……またお前たちに会えるなんて、嬉しくてよぉ!」
「私も……お父さんにもう会えないと思って……よかったぁ、本当によかったよぉ!」
「ごめんなさい、ハインキーさん! 俺を庇ったせいでこんなことになって……俺がもっと強かったら、ハインキーさんが死にかけずにすんだのに! ごめん! もっと強くなるから、もうあんなことしないでくれよ!」
子供のように声を上げながら泣きじゃくる三人に、俺はつられて泣きそうになった。ハインキーが目覚めたのを皮切りに、意識不明だったレビク村の住人も次々に目覚めたようだ。あちこちから名前を呼び合い咽び泣く声が上がり、静まり返っていた診療所がだんだんと賑やかになっていく。
もう彼らは大丈夫だろう。しばらくは三人だけでゆっくりしてもらったほうがいい。俺はエトロと目配せをしたあと、彼らの邪魔をしないように踵を返した。
「リョーホ、一言だけ言わせてくれ」
ふと、俺の背中にハインキーの声が投げかけられた。予想外のことに驚きながら振り返ると、ハインキーはアメリアとカーヌマに支えられながら身体を起こし、瞳を真っすぐと俺に向けていた。
「ヤツカバネに喰われた後、俺は少しだけ意識があったんだ。冷たくて空っぽで、土の中に生きたまま埋められちまったような場所で、苦しくて仕方がなかったんだ。そしたら、誰かが闇の中で手を伸ばしてくれてよ。その手を掴んだら、ようやくここに戻って来られたんだ」
ハインキーは難しそうな表情で胸を押さえると、泡を掬い上げるような慎重さで俺に問いかけた。
「なぁ……あの時俺を助けてくれたのは、リョーホなんだろう?」
俺は、何も言えなかった。
俺一人でできたことじゃない。勝てるかも分からないのに集まってくれた討伐隊の皆や、何度も窮地を救ってくれた守護狩人たちがいなければ、ヤツカバネを討伐することすらできなかった。俺の力なんて些細なもので、胸を張って感謝を受け止められるほど偉くない。
「リョーホ兄ちゃんは、もっと自信持っていいっす」
「カーヌマ?」
「竜王討伐で一人も死者が出なかったのは、リョーホさんのお陰です。ゼンさんから聞いたっすよ、塔が足りなくてもヤツカバネを倒せたのは、リョーホ兄ちゃんの作戦があったからだって。だから、ハインキーさんの言葉をちゃんと受け止めてください。俺たちはもう村の仲間なんすから」
真剣に語られた意味を咀嚼して、ゆっくりと嚥下してみる。それから俺は、今にも泣き出してしまいそうな顔でハインキーを見つめた。
ハインキーはそれに応えるように、詰まりそうになる声を振り絞ってくれた。
「リョーホ。何度でも言わせてくれ。死を覚悟していた俺を家族にまた会わせてくれてありがとう。お前がいなかったら、俺はここにいられなかった。本当に、感謝してもしきれねぇ……」
一拍間を置いて、俺の目からぶわりと涙が溢れ出した。
俺はただの高校生で、戦争に出たこともない弱虫だ。漫然と学校で勉強をサボって好きなことだけをして、将来の夢もないつまらない人間だった。これから先ずっと生きていても、誰かに心から感謝されるようなことはないと思っていたのだ。
周りに英雄の卵だと言われても、俺がそんなものになれるわけがないとずっと否定してきた。けど今は、ハインキーは俺を認めてくれた。俺は成長していたんだ。俺はちゃんと、生きていて価値のある人間だった。大事な人やその家族を守れたんだ。
誇らしさで胸がいっぱいになり、俺はぐしゃぐしゃに泣きながら、詰まりそうな喉を広げて精一杯に声を上げた。
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