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3章
(29)討伐戦
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雨が降り始め、戦闘の余波で平らに均された樹海がじわじわとぬかるんでいく。カーヌマは指に絡めたセスタスを祈るように握りしめ、落雷の逆光に照らされる遠大な影を見上げた。
生温い鼻息。蠢く巨大な鱗。大地が震えるほどの質量。すべてが規格外すぎて、カーヌマがこれまで相対してきたドラゴンが可愛く思えてくる。巨大なドラゴンと比べたら、人間とはなんとちっぽけなのか。自分が尊敬してやまないハインキーすら瀕死に追いやった理不尽の権化は、己の血で汚れてもなお高貴な佇まいを崩さなかった。
レビク村で初めてヤツカバネを見た時、カーヌマは圧倒されるあまり逃げ惑うことしかできなかったが、今は違う。瘧に掛ったように震えているものの、同時に胸が熱くなるような言葉にしがたい感情が、神経の隅々まで冴え渡っている。
塔もなく、人数も少なく、勝てる可能性は限りなく低い。それでも討伐隊の全員が、雨粒を蒸発させるほどの闘気を身に纏っていた。
「おおおおお!」
雄たけびが平地に際限なく拡散し、振るわれる菌糸能力がヤツカバネの足を割り砕く。その隙に別動隊が上空からヤツカバネに飛び乗り、捜索部隊が生み出した弱点へと食らい付いた。まるで掘削機で掘り起こしているかのような凄まじい破砕音が連続で響き渡り、ヤツカバネは背中の狩人たちを振り落とそうともがきながら膝を折った。
リョーホがもたらしたヤツカバネのスタン攻略は、四人だけでこなすには厳しい手段だったが、約二十人程度の狩人がいれば完全にこちらが有利であった。
「第二班! おれに続けぇッ!」
アークの指示に合わせ、カーヌマは上がった息を騙しながら全力で走る。
討伐隊の総指揮を執っているのはゼンのはずだが、各班の長であるアンリ、アーク、レブナの三人は、ゼンから口頭の指示がなくとも通じ合っているかのように的確に動いている。カーヌマには何も見えないが、おそらくゼンの『幻惑』が三人の班長を導いているのだろう。
ゆえに、アークの指示はゼンの指示に等しく、遅れれば他の班の動きに支障が出る。カーヌマの身体は疲労のピークに達しており短時間の休憩を欲していたが、仲間を死なせないためにも決して遅れるわけにはいかなかった。
「向かう先は真東の塔だ! ヤツカバネの下を潜り抜けるぞ!」
「了解!」
ベテランの狩人が大声で返事をするが、カーヌマは掠れた声しか上げられない。どちらかというと、アークの口から発せられた進行方向に抗議の声を上げたかった。猛スピードで状況が変化する戦場で敵を迂回するなんて悠長な選択肢はないとしても、ヤツカバネの足元は自殺行為だ。
「お前ら! 走り抜けるついでに叩き切ってやれ!」
しかも勇ましく攻撃指示まで飛ばしてくるアークに、カーヌマはもう何とでもなれと覚悟を決めた。仲間の気配に押し出されるようにして地面を蹴飛ばすたびに、ヤツカバネの巨木のような足が猛スピードで近づいていく。カーヌマは上から叩き潰されrんじゃないかと鳥肌を立てながら、眼前に迫る黒い足に向けてセスタスを振りかぶった。
「おお、りゃああああ!」
拳が直撃した瞬間、セスタスの先端にオレンジ色の光が収束し、笛のような甲高い音を立てながら爆発が起きた。カーヌマの菌糸能力の『誘爆』だ。セスタスに伝わった衝撃を全て相手に返す能力であり、単純に言えば一撃が二倍の威力になる。ヤツカバネの固い装甲の前では雀の涙程度の力しか発揮できないが、それは一人の場合だ。
カーヌマが拳を引きながらヤツカバネの足横を走り抜けた直後、後続の仲間の斬撃が全く同じ場所に次々と重ねられていく。連続で与えられた衝撃が、『誘爆』で罅割れた鱗を着実に剥ぎ取り、最後の一人が大剣を叩きつけた瞬間、火花と血しぶきが荒々しく噴出した。
ヤツカバネにとっては指先を切った程度の負傷だが、陽動には十分な威力だ。別の足がカーヌマ達を払いのけようと動き出した瞬間、レブナ率いる第三班がヤツカバネの後方から奇襲を仕掛けた。
「にゃははー! ファイアファイア! ファイアー!」
気が抜けてしまいそうな可愛らしい掛け声の後、遠隔から炎や水の塊が飛来し、ヤツカバネの尾の付け根で大爆発を引き起こした。誰かの能力が炎と混ざり合ったか、狩人たちの方から歓声にも似た驚きの声が上がる。
「今だ走れ! 踏まれるなよ!」
カーヌマはハッとして、アークの声に導かれるように足の合間を走り抜ける。だが一瞬だけ気を抜いてしまった脳は上手く運動を伝達できず、抜かるんだ地面に思い切り転んでしまった。
「カーヌマ!」
「ダメだ戻るな!」
知り合いの狩人が即座に引き返そうとし、アークがその襟首を掴んで塔の方へと投げ飛ばす。カーヌマは一瞬絶望したものの、なぜアークが助けに入らなかったのかすぐに察した。起き上がろうとしたカーヌマの頭上には、すでにヤツカバネの足が振り下ろされんとしていたからだ。
カーヌマは咄嗟に地面を殴りつけ『誘爆』の風圧で横に吹き飛んだが、勢いよく落ちてきたヤツカバネの足は落盤じみた破壊力を生み出し、余波だけでカーヌマの全身を殴打してきた。
「がふっ!?」
胸を潰され、残っていた空気が根こそぎ吐き出される。激しく地面を転がった拍子に、皮膚の内側で肋骨が砕ける。回転する視界がようやく停止した時、強風で巻き上げられた砂がばらばらとカーヌマの頬に降り注いだ。
眩暈と激痛で脳細胞がスパークし、思考が飛び飛びになる。訓練で叩き込まれた回避行動を無意識に取るが、酸欠になった手足は地面を掻くだけで力が入らなかった。
「は──」
血生臭い息を吐きながら目を開けた時、ヤツカバネの足が再びカーヌマに狙いを定める。次こそは避けられない。アメリアの笑顔やハインキーたちと過ごした狩りの思い出が脳裏を駆け巡り、処刑を待つだけの絶望的な時間が引き延ばされていく。
竜王討伐で死者が出ないなんてことはあり得ない。今回はたまたま、カーヌマが死者名簿を飾る一人になっただけだ。諦念の思考が結論づけるが、本心は火中に放り込まれた獣のように激しくもがくき苦しんでいた。
死にたくない。まだ生きていたい。何も残せないまま死んだら、自分自身を裏切ることになる。
ハインキーの敵討をすると決めたのだ。アメリアを守れるように強くなりたいのだ。地べたを這いつくばっている場合じゃない。
「ぐ、おお……」
アメリアに触れたい。声を聞きたい。その一心で鉛のように重い腕を引き起こし、セスタスでもう一度地面を殴りつける。力がこもっていない衝撃はカーヌマを真横に転がしただけで、とても逃げ切れるものではない。ならもう一度生き残るまで殴るだけだ。
大気を切り裂きながら落ちてくるヤツカバネの足を睨みながら、カーヌマは最後の力を振り絞った。
「うおおおお!」
その時、視界が青白い光に包まれた。ぬかるんだ地面にへばりついた背中が浮き上がり、強風と雨粒が容赦なく顔面に押し寄せる。ぎゅっと目を瞑ってから、カーヌマは誰かに担がれていることに気づいた。
「……はっ!?」
カーヌマは思い切り声を出して、慌てて折れた肋骨の辺りをまさぐる。息すら吸えないほどの激痛だったのに、青白い光を浴びてからは嘘のように痛みがない。疲労困憊だった肉体も。朝目覚めた時のようにスッキリしていた。
まさか死んでしまったのか!? ときょろきょろ顔を動かすと、カーヌマを肩に担いだ何者かが朗らかな声を上げた。
「よかった。まだ生きてるな!」
「リョーホ兄ちゃん!?」
カーヌマの脇腹の横には、トトと交戦しながら離脱したはずのリョーホの頭があった。一狩人として情けない担がれ方をされており、カーヌマは堪らず手足をばたつかせた。
「お、下ろして!」
「地面に降りてからな」
「え? わ、わあああああ!?」
リョーホが梢を蹴った瞬間、早送りのように左右の景色が流れ去り、急上昇と落下で内臓が掻き回される。重力の変化に鳥肌を立てながらリョーホにしがみつくと、ようやく着地の衝撃が伝わり、少々雑に地面に降ろされた。
移動中に周りを見ている余裕はなかったが、おそらくカーヌマたちは空中を走り回っていたのだと思う。二度とあのような体験はごめんだと、カーヌマは二、三歩距離を取ってから頭を下げた。
「た、助かった。ありがと」
「なんか俺のこと避けてない? まだ痛いところとかある?」
「な、ない! 全然、超元気!」
全力で手を振りながらカーヌマが後ずさると、ヤツカバネの忌々しげな咆哮が嵐を巻き起こした。カーヌマたちを見失ってくれたようだが、その分怒り心頭で暴れ回っているらしい。
「カーヌマは自分の持ち場に戻ってくれ。少し休んだ後でもいいから」
「リョーホ兄ちゃんはどうするんだ?」
「これから囮になる。怪我したらすぐに助けに行くけど、もう無茶すんなよ!」
リョーホはカーヌマの背を軽く叩いてから『雷光』でその場を立ち去った。微かに残った青い軌道を追いかければ、リョーホはヤツカバネの眼前に躍り出て、身の丈を超えるハンマーで鼻先を殴りつけていた。
自分より後に狩人になった男が、守護狩人も顔負けの洗練された動きで前線を支えている。
エラムラ防衛戦の話を聞いた後でも、リョーホが英雄の卵と言われてもピンとこなかったが、今なら分かる。
彼は間違いなく英雄だ。
負傷者をものの数秒で完治させてしまった手腕もさることながら、囮役を一手に引き受けて死戦を超えていく姿は、超越者としか表現できない。
リョーホの戦いぶりを見上げているうちに、カーヌマの胸中に悔しさが込み上げてきた。数か月前までは戦うのが恐ろしいと震えていた男が、いつの間にか自分を越え、なおも遥か高みを目指している。ヤツカバネにいきなり襲われて村人と一緒に逃げ惑うことしかできなかったカーヌマと大違いだ。
「俺だって……まだ戦える!」
最初はアメリアに振り向いてほしいだけに狩人になったカーヌマだが、今はもっとたくさんの強くなりたい理由がある。守られるだけの子供ではないのだと、胸を張ってハインキーを出迎えられる男になるのだ。
カーヌマはリョーホの後ろ姿を目に焼き付けると、バネのように素早く走り出した。
生温い鼻息。蠢く巨大な鱗。大地が震えるほどの質量。すべてが規格外すぎて、カーヌマがこれまで相対してきたドラゴンが可愛く思えてくる。巨大なドラゴンと比べたら、人間とはなんとちっぽけなのか。自分が尊敬してやまないハインキーすら瀕死に追いやった理不尽の権化は、己の血で汚れてもなお高貴な佇まいを崩さなかった。
レビク村で初めてヤツカバネを見た時、カーヌマは圧倒されるあまり逃げ惑うことしかできなかったが、今は違う。瘧に掛ったように震えているものの、同時に胸が熱くなるような言葉にしがたい感情が、神経の隅々まで冴え渡っている。
塔もなく、人数も少なく、勝てる可能性は限りなく低い。それでも討伐隊の全員が、雨粒を蒸発させるほどの闘気を身に纏っていた。
「おおおおお!」
雄たけびが平地に際限なく拡散し、振るわれる菌糸能力がヤツカバネの足を割り砕く。その隙に別動隊が上空からヤツカバネに飛び乗り、捜索部隊が生み出した弱点へと食らい付いた。まるで掘削機で掘り起こしているかのような凄まじい破砕音が連続で響き渡り、ヤツカバネは背中の狩人たちを振り落とそうともがきながら膝を折った。
リョーホがもたらしたヤツカバネのスタン攻略は、四人だけでこなすには厳しい手段だったが、約二十人程度の狩人がいれば完全にこちらが有利であった。
「第二班! おれに続けぇッ!」
アークの指示に合わせ、カーヌマは上がった息を騙しながら全力で走る。
討伐隊の総指揮を執っているのはゼンのはずだが、各班の長であるアンリ、アーク、レブナの三人は、ゼンから口頭の指示がなくとも通じ合っているかのように的確に動いている。カーヌマには何も見えないが、おそらくゼンの『幻惑』が三人の班長を導いているのだろう。
ゆえに、アークの指示はゼンの指示に等しく、遅れれば他の班の動きに支障が出る。カーヌマの身体は疲労のピークに達しており短時間の休憩を欲していたが、仲間を死なせないためにも決して遅れるわけにはいかなかった。
「向かう先は真東の塔だ! ヤツカバネの下を潜り抜けるぞ!」
「了解!」
ベテランの狩人が大声で返事をするが、カーヌマは掠れた声しか上げられない。どちらかというと、アークの口から発せられた進行方向に抗議の声を上げたかった。猛スピードで状況が変化する戦場で敵を迂回するなんて悠長な選択肢はないとしても、ヤツカバネの足元は自殺行為だ。
「お前ら! 走り抜けるついでに叩き切ってやれ!」
しかも勇ましく攻撃指示まで飛ばしてくるアークに、カーヌマはもう何とでもなれと覚悟を決めた。仲間の気配に押し出されるようにして地面を蹴飛ばすたびに、ヤツカバネの巨木のような足が猛スピードで近づいていく。カーヌマは上から叩き潰されrんじゃないかと鳥肌を立てながら、眼前に迫る黒い足に向けてセスタスを振りかぶった。
「おお、りゃああああ!」
拳が直撃した瞬間、セスタスの先端にオレンジ色の光が収束し、笛のような甲高い音を立てながら爆発が起きた。カーヌマの菌糸能力の『誘爆』だ。セスタスに伝わった衝撃を全て相手に返す能力であり、単純に言えば一撃が二倍の威力になる。ヤツカバネの固い装甲の前では雀の涙程度の力しか発揮できないが、それは一人の場合だ。
カーヌマが拳を引きながらヤツカバネの足横を走り抜けた直後、後続の仲間の斬撃が全く同じ場所に次々と重ねられていく。連続で与えられた衝撃が、『誘爆』で罅割れた鱗を着実に剥ぎ取り、最後の一人が大剣を叩きつけた瞬間、火花と血しぶきが荒々しく噴出した。
ヤツカバネにとっては指先を切った程度の負傷だが、陽動には十分な威力だ。別の足がカーヌマ達を払いのけようと動き出した瞬間、レブナ率いる第三班がヤツカバネの後方から奇襲を仕掛けた。
「にゃははー! ファイアファイア! ファイアー!」
気が抜けてしまいそうな可愛らしい掛け声の後、遠隔から炎や水の塊が飛来し、ヤツカバネの尾の付け根で大爆発を引き起こした。誰かの能力が炎と混ざり合ったか、狩人たちの方から歓声にも似た驚きの声が上がる。
「今だ走れ! 踏まれるなよ!」
カーヌマはハッとして、アークの声に導かれるように足の合間を走り抜ける。だが一瞬だけ気を抜いてしまった脳は上手く運動を伝達できず、抜かるんだ地面に思い切り転んでしまった。
「カーヌマ!」
「ダメだ戻るな!」
知り合いの狩人が即座に引き返そうとし、アークがその襟首を掴んで塔の方へと投げ飛ばす。カーヌマは一瞬絶望したものの、なぜアークが助けに入らなかったのかすぐに察した。起き上がろうとしたカーヌマの頭上には、すでにヤツカバネの足が振り下ろされんとしていたからだ。
カーヌマは咄嗟に地面を殴りつけ『誘爆』の風圧で横に吹き飛んだが、勢いよく落ちてきたヤツカバネの足は落盤じみた破壊力を生み出し、余波だけでカーヌマの全身を殴打してきた。
「がふっ!?」
胸を潰され、残っていた空気が根こそぎ吐き出される。激しく地面を転がった拍子に、皮膚の内側で肋骨が砕ける。回転する視界がようやく停止した時、強風で巻き上げられた砂がばらばらとカーヌマの頬に降り注いだ。
眩暈と激痛で脳細胞がスパークし、思考が飛び飛びになる。訓練で叩き込まれた回避行動を無意識に取るが、酸欠になった手足は地面を掻くだけで力が入らなかった。
「は──」
血生臭い息を吐きながら目を開けた時、ヤツカバネの足が再びカーヌマに狙いを定める。次こそは避けられない。アメリアの笑顔やハインキーたちと過ごした狩りの思い出が脳裏を駆け巡り、処刑を待つだけの絶望的な時間が引き延ばされていく。
竜王討伐で死者が出ないなんてことはあり得ない。今回はたまたま、カーヌマが死者名簿を飾る一人になっただけだ。諦念の思考が結論づけるが、本心は火中に放り込まれた獣のように激しくもがくき苦しんでいた。
死にたくない。まだ生きていたい。何も残せないまま死んだら、自分自身を裏切ることになる。
ハインキーの敵討をすると決めたのだ。アメリアを守れるように強くなりたいのだ。地べたを這いつくばっている場合じゃない。
「ぐ、おお……」
アメリアに触れたい。声を聞きたい。その一心で鉛のように重い腕を引き起こし、セスタスでもう一度地面を殴りつける。力がこもっていない衝撃はカーヌマを真横に転がしただけで、とても逃げ切れるものではない。ならもう一度生き残るまで殴るだけだ。
大気を切り裂きながら落ちてくるヤツカバネの足を睨みながら、カーヌマは最後の力を振り絞った。
「うおおおお!」
その時、視界が青白い光に包まれた。ぬかるんだ地面にへばりついた背中が浮き上がり、強風と雨粒が容赦なく顔面に押し寄せる。ぎゅっと目を瞑ってから、カーヌマは誰かに担がれていることに気づいた。
「……はっ!?」
カーヌマは思い切り声を出して、慌てて折れた肋骨の辺りをまさぐる。息すら吸えないほどの激痛だったのに、青白い光を浴びてからは嘘のように痛みがない。疲労困憊だった肉体も。朝目覚めた時のようにスッキリしていた。
まさか死んでしまったのか!? ときょろきょろ顔を動かすと、カーヌマを肩に担いだ何者かが朗らかな声を上げた。
「よかった。まだ生きてるな!」
「リョーホ兄ちゃん!?」
カーヌマの脇腹の横には、トトと交戦しながら離脱したはずのリョーホの頭があった。一狩人として情けない担がれ方をされており、カーヌマは堪らず手足をばたつかせた。
「お、下ろして!」
「地面に降りてからな」
「え? わ、わあああああ!?」
リョーホが梢を蹴った瞬間、早送りのように左右の景色が流れ去り、急上昇と落下で内臓が掻き回される。重力の変化に鳥肌を立てながらリョーホにしがみつくと、ようやく着地の衝撃が伝わり、少々雑に地面に降ろされた。
移動中に周りを見ている余裕はなかったが、おそらくカーヌマたちは空中を走り回っていたのだと思う。二度とあのような体験はごめんだと、カーヌマは二、三歩距離を取ってから頭を下げた。
「た、助かった。ありがと」
「なんか俺のこと避けてない? まだ痛いところとかある?」
「な、ない! 全然、超元気!」
全力で手を振りながらカーヌマが後ずさると、ヤツカバネの忌々しげな咆哮が嵐を巻き起こした。カーヌマたちを見失ってくれたようだが、その分怒り心頭で暴れ回っているらしい。
「カーヌマは自分の持ち場に戻ってくれ。少し休んだ後でもいいから」
「リョーホ兄ちゃんはどうするんだ?」
「これから囮になる。怪我したらすぐに助けに行くけど、もう無茶すんなよ!」
リョーホはカーヌマの背を軽く叩いてから『雷光』でその場を立ち去った。微かに残った青い軌道を追いかければ、リョーホはヤツカバネの眼前に躍り出て、身の丈を超えるハンマーで鼻先を殴りつけていた。
自分より後に狩人になった男が、守護狩人も顔負けの洗練された動きで前線を支えている。
エラムラ防衛戦の話を聞いた後でも、リョーホが英雄の卵と言われてもピンとこなかったが、今なら分かる。
彼は間違いなく英雄だ。
負傷者をものの数秒で完治させてしまった手腕もさることながら、囮役を一手に引き受けて死戦を超えていく姿は、超越者としか表現できない。
リョーホの戦いぶりを見上げているうちに、カーヌマの胸中に悔しさが込み上げてきた。数か月前までは戦うのが恐ろしいと震えていた男が、いつの間にか自分を越え、なおも遥か高みを目指している。ヤツカバネにいきなり襲われて村人と一緒に逃げ惑うことしかできなかったカーヌマと大違いだ。
「俺だって……まだ戦える!」
最初はアメリアに振り向いてほしいだけに狩人になったカーヌマだが、今はもっとたくさんの強くなりたい理由がある。守られるだけの子供ではないのだと、胸を張ってハインキーを出迎えられる男になるのだ。
カーヌマはリョーホの後ろ姿を目に焼き付けると、バネのように素早く走り出した。
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