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3章
(15)腐葉土
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レビク村はカーヌマたちが滞在しているはずの場所だった。
ガルラ環洞窟を少し南下した位置に、レビク村はある。そこは最前線のバルド村とも比較的距離が近いため、ドラゴンから頻繁に襲撃を受ける過酷な土地だった。
一方で、レビク村は遺跡研究に携わる学者たちの聖地でもあった。中央都市でも著名な学者が定期的に訪れ、その護衛に選ばれる狩人も優秀だ。そのため、上位ドラゴンの襲撃ぐらいなら簡単にあしらえる戦力があった。
そんな強者ぞろいのレビク村から救援要請が出されたのは、まさしく前代未聞だった。しかも相手が竜王となれば、大惨事は免れないだろう。
バルド村からレビク村までは徒歩で十時間かかる。移動系の菌糸能力がなければ、走っても二時間以上はかかるだろう。
一先ず状況を確認するため、一番早い俺が一人で現場へ急行することになった。
『雷光』を駆使しながら、最低限の支援物資だけを抱えて北上する。今の俺ならば、六十キロの距離を十数分程度で走破できるが、飛行中の寒さを『紅炎』で補う特性上、誰かを抱えて移動するのは不可能だった。
俺が現場でできることといえば、周囲の安全確保と負傷者の治療だけである。後続にはドミラスとシャルがいるので、怪我人の運搬は二人に任せるつもりだ。
数分ほど進んでいくと、急に高冠樹海が消滅している箇所が現れた。急ブレーキをかけてそこに降りてみると、べちゃりと足裏に粘液が張り付いた。次いで、葡萄とブルーチーズを混ぜたような濃密な腐臭が鼻腔を濁した。
俺は眼前に広がる光景に絶句した。
見渡す限りの黒い地平。ガルラ環洞窟のある山から、俺の立っている場所まで真っ平らだ。洞窟の手前にあるはずのレビク村すら姿形も残っていない。
あまりにも衝撃的な地形の変化に、瞳孔が細かく振動する。俺は生唾を飲み込むと、恐る恐る黒い地面に触れてみた。熱で溶けたゴムのように粘着質だが、石のように冷たい。それらが地面に覆い被さり、凹凸の隅々まで埋め尽くしている。
「なんだこれ……なんなんだよ……」
そう口に出したものの、俺の知識はすでに答えを打ち出していた。
土の王、ヤツカバネの仕業だ。
竜王の中でも大食漢であるそのドラゴンは、背中にある透明な皮膜で魂を捕食する。残された被害者の肉体は数時間で腐敗し、跡形もなくなってしまう。
俺の足元を満たす黒い物体は、かつて生き物だった何かの残骸だ。
俺は酸味のある熱が込み上げてくるのを感じ、口を覆う寸前に嘔吐した。
「平気か」
ふと後ろから声をかけられ、涙目になりながら振り返る。そこには、平然と佇んでいるドミラスがいた。
「ど、ドクター、どうやってこんな早く……」
「糸を使えばどうとでもなる。しかしこれは……想像以上だな」
そこで初めてドミラスは顔を顰め、粘性のある地面に足を取られながら歩き出した。俺もじっとしているより気が紛れるだろうと、口を押さえたままドミラスの後に続いた。
「救援要請を出した人間がいるのなら、どこかに生き残りがいるはずだ。狼煙を見つけたら言え」
「う……分かった」
俺はくぐもった返事をしながら、できるだけ足元を見ないよう、樹海が残る東西を交互に見た。残念ながら、救援でよく使われる赤い狼煙はどこにも見当たらない。
レビク村の周辺は中位ドラゴンの根城だ。一刻も早く保護しなければ手遅れになる。
焦りを覚えながら足場の悪い地面を進み続けていると、夕焼けを切り裂くように、真っ赤な彩光弾が打ちあがった。
花火にも似た甲高い音が鼓膜を揺らす。
「あ、あそこだ!」
俺はすかさず『雷光』の菌糸を光らせ、一瞬で斜め前へ飛び上がった。
森の上から正確な位置を把握。勢いを殺しながら、彩光弾の発射地点へ落下する。
「うわああ!?」
遭難者はいきなり降ってきた俺に驚いて背を丸めた。その時、派手な赤いドレッドヘアーが見えて、俺は思わず大きな声を上げた。
「カーヌマ! 無事だったの……か……」
震えるカーヌマの腕の中に、真っ黒な液体を被った大柄な人形がいた。
いや、人形ではなかった。アメリアによく似た亜麻色の癖毛がある。半分崩れ落ちた傷だらけの顔も見覚えがある。
「は……ハインキーさん……?」
昼頃にカーヌマ達を迎えに行ったはずの、アメリアの父だ。顔色は土気色を通り越し、もはや生物だったのかも怪しいぐらい変色しているが、間違いなかった。
「……おい、嘘だろ」
後から追いついてきたドミラスが、ハインキーを見るなり絶望した声を上げた。彼がこれほど狼狽えるのも珍しい、と他人事な思考が浮かんでくる。
カーヌマはドミラスを見上げると、ようやく冷静になってきたのか、震えた声で話し出した。
「さ、さっきドラゴンがいきなり村に来て……ゼンさんが、おれたちを逃がしてくれて……でもおれが、逃げ遅れて、ハインキーさんが、身代わりに!」
「……っ待ってろ!」
言い訳を最後まで聞く余裕はなかった。俺はカーヌマの腕をどけて、自分の膝にハインキーを移した。そして、中身を全く感じられない重さに息を呑む。
すぐに『雷光』を使って治療を試みる。青い光が黒い液体と失われた部位に吸い込まれると、数秒遅れてハインキーの全身が輝き始めた。やがて、黒い液体が拭われ、露になった肉の断面がみるみる盛り上がり、筋肉を編み込み始める。
治療の間、俺の額からは絶えず冷や汗が零れ落ち、背筋では波打つように鳥肌が立っていた。時間にして数十秒程度の出来事だったが、俺には何十時間も祈りを捧げているように感じられた。
ついにハインキーの身体が完全に治る。だがまだ油断はできない。
「ハインキーさん。起きてください!」
強く肩を揺さぶってみるが、固く閉じられたハインキーの瞼はぴくりともしなかった。まるで博物館の剥製を相手にしているようだ。
カーヌマは俺がハインキーに呼びかけ始めたのを見て、堰を切ったように話しかけた。
「起きてくれ! 頼む! あんたのお陰で村の皆は逃げ切れたんだ! ゼンさんもミッサさんもすぐに来てくれる! あんたは死んだらダメだ! アメリが待ってるんだ!」
カーヌマの悲痛な叫びが高冠樹海にこだまする。この時ばかりは、ドラゴンを呼んでしまうリスクを考えている暇はなかった。
不意に、俺のすぐ近くの木が蜃気楼のように歪んだ。瞬間、紫色の粒子を纏いながら、桃色の髪の少女が俺の元へ飛び込んできた。
「シャル! 来てくれたのか!」
どうやらカーヌマの放った赤い彩光弾を見て、急いで『重力操作』で来てくれたらしい。
シャルの能力なら、負傷者を最速で村まで送り届けられる。さっそくそれを頼もうとしたところで、一足早くドミラスの冷え切った声がした。
「シャル。この男の魂はどうなっている」
シャルは言われてすぐにハインキーを見つめ、すぐに顔を歪めた。痛みを堪えるように俯いた後、シャルは首から下げていたリングノートに文字を書き、一瞬躊躇ってから、俺たちにページを向けた。
『ない』
「…………」
魂が見えるシャルの目には、何も映らなかった。それが何を意味するか、俺は瞬時に理解して、必死に否定しようと頭を働かせた。
俺の能力では肉体の損傷しか治せない。だがクラトネールの超常的な回復があれば、生き返ってくれたっていいじゃないか。こんなに綺麗に身体が治っているのだから、何かの間違いだと──。
「リョーホ。分かっているな」
肩に強く手を置かれ、俺は無意識に使い続けていた『雷光』を止めた。自然と周囲も薄暗くなり、代わりに赤々とした夕日が木漏れ日の合間に差し込んだ。
「待てよ、なんで諦めた風にしてんだよ!」
「……カーヌマ」
「なんなんだこいつは! いきなりここに来たと思ったら、なにがないって? ただの子供に、怪我人の何が分かるんだよ! おれにも分かるように言ってくれよ!」
俺の胸ぐらを掴んで喚き散らすカーヌマを、ドミラスが淡々と嗜めた。
「この子はベアルドルフの娘だ。そして父親と同じく、生物の魂を見ることが出来る。聡いお前なら、これで理解できるはずだ」
カーヌマは喉が詰まったような音を出すと、子供のように首を振りながら唇を震わせた。
「……迷信だ。魂が見えるわけない。ハインキーさんはまだ死んでない!」
カーヌマは立ち上がると、俺の両肩を掴んで激しく揺らした。
「リョーホ兄ちゃん! さっきの青い光をもう一回出してくれ! まだ中身が治ってないかもしれないだろ!頼むよ、起きるまで治療してくれ!」
「……無理だ」
「疲れたのか? なら少し休んでくれていいから!」
「カーヌマ。いい加減にしろ」
歯を食いしばる俺の代わりに、ドミラスが止めに入る。カーヌマはなおも噛みつこうとしたが、血の気が失せたドミラスの顔を見て、見ているだけで苦しいほどに瞳孔を収縮させた。
「くそ! くそぉ! 納得できるかよ!」
カーヌマは膝から崩れ落ちると、何度も拳を地面に叩きつけた。衝撃で皮膚が裂け、血がハインキーの衣服にまで飛び散る。見かねたシャルが止めに入ると、カーヌマは振り払おうと一瞬暴れたが、肩に触れる幼い手を見て弱々しく項垂れた。
「嘘だ……この人がそんな簡単に死ぬはずがない……アメリアはどうするんだよ……今日だって、ずっと帰りを待ってるのに……」
壊れたように涙を流すカーヌマを、俺は見守ることしかできない。魂まで取り返せなかった力不足の俺が、一体どんな慰めの言葉をかけられるというのか。
「……シャル、カーヌマの二人は生存者を集めろ。俺は抜け殻を集めてくる。リョーホはここでハインキーを見ていてやれ」
ドミラスの指示を聞いて、俺は呆然としながら顔を上げた。
「でもカーヌマは……」
「悲しむなら後でいくらでもできる。ハインキーが命がけで救った人間を見殺しにしたいのなら、話は別だがな」
「そんな言い方ないだろ……!」
「言葉を取り繕おうが事実は変わらん。慰めに甘えるな」
切り落とすような言い方に俺が怯んでいる間に、ドミラスはさっさと樹海の奥へ消えてしまった。カーヌマは荒く涙を拭うと、ドミラスの消えていった方向を睨みつけてから、反対方向へと迷いなく走り出した。
残されたシャルはカーヌマを見送った後、俺に目くばせをしてからペンを走らせた。
「……シャル?」
みっともなく震えた声で名を呼んでみると、ばざりとノートを見せられた。
『いとがみえる』
「糸?」
ぐるりと周囲を見渡すが、シャルが指し示す糸は全く見えない。こんな状況で嘘を言う子ではないので、きっと魂に類する何かが糸として見えているのだろう。
「──もしかして」
俺がぽつりと声を漏らすと、シャルは決意をにじませるような強い瞳で頷き、カーヌマの後を追いかけていった。一人取り残された俺は、膝の上で動かないハインキーを見下ろしながら、静かに思考を巡らせ続けた。
もしかしたら、まだハインキーは助けられるかもしれない。
・・・―――・・・
ドミラスが運んできた抜け殻を修復し、カーヌマが連れてきた生存者の傷も治療しているうちに、完全に日が暮れてしまった。
生存者は、レビク村の住人が七人と、地方から来た学者四人。護衛の狩人が三人。
魂を食われてもなお抜け殻が残った人は、ハインキーを含めてたったの五人。
そして死者を含む行方不明者の数は、およそ二百十六名。遺体の確認はできていないが、ほぼ確実に全員死んでいる。誰もがそう思っていただろうが、指摘する人は一人もいなかった。
後続のエトロや他の狩人も到着した後、粛々と抜け殻の運搬が始まった。生存者はすでに先にバルド村へ移送済みのため、現場には顔見知りと学者の護衛をしていた狩人だけが残っている。
抜け殻の輸送は船で行われた。ガルラ環洞窟からバルド村までうねりながら続くガルラ川を、一艘の大きな船で下っていく。ドラゴン避けのお香を焚いているため、水中のドラゴンに警戒するだけでよかった。
月明かりの乏しい渓谷は真っ暗だ。カンテラの灯りがなければ、隣の人の顔すら見えない。川の流れる音は穏やかだが、それがむしろ俺の不安を増長させた。
ふと、渓谷の狭間にぽつぽつと光が見えてきた。見慣れたバルド村の夜灯りだ。
ぎぃ、と船首から舵を切る音がして、じわじわと船着場の方へ向きを変える。
街灯に照らされた浮き桟橋の上では、アメリアが寒そうに身体を震わせながら俺たちを待っていた。
船が止まるや、アメリアはカーヌマに駆け寄った。
「カーくん……無事でよかった……!」
カーヌマは飛び込んできたアメリアを受け止めるだけで、抱きしめ返さなかった。アメリアは不思議そうな顔をして、キョロキョロと船の面々を見渡した。
「ねぇ、お父さんは?」
「ハインキーさんは……そこにいる」
と、カーヌマが指差した方向には、布で包まれたハインキーが横たわっていた。アメリアは道端の花を見つめるような無垢な顔で近づくと、布からはみ出したハインキーの右手を握った。
「冷たい……なんで、あれ? 今日帰ってくるって、ねぇ、なんで……」
「ごめん……アメリ……ハインキーさんはおれを庇ったせいで……」
それ以上言葉は続かず、カーヌマはその場に跪いた。
そこでついに、アメリアも状況が呑み込めたらしい。愛らしい顔が一気に悲痛なものになった。
「カーくん……手、握って。お願い」
すぐにアメリアの手がカーヌマに優しく包まれる。しばらくすると、カンテラの温かな光の中で、アメリアの頬から水滴が落ちるのが見えた。
「ふっ……うぅ……カーくん……」
今にも叫び出しそうな彼女の嗚咽を聞くだけで、俺は錐で貫かれるように胸が痛かった。
頭の中ではすでにハインキーの魂を取り戻す方法が浮かんでいる。だが今それを口にしても、二人をぬか喜びさせるだけかもしれず、下手なことは言えなかった。
「絶対に、なんとかするから」
拳を握りしめながらそれだけを呟き、俺は揺れる船の上から静かに降りた。
ガルラ環洞窟を少し南下した位置に、レビク村はある。そこは最前線のバルド村とも比較的距離が近いため、ドラゴンから頻繁に襲撃を受ける過酷な土地だった。
一方で、レビク村は遺跡研究に携わる学者たちの聖地でもあった。中央都市でも著名な学者が定期的に訪れ、その護衛に選ばれる狩人も優秀だ。そのため、上位ドラゴンの襲撃ぐらいなら簡単にあしらえる戦力があった。
そんな強者ぞろいのレビク村から救援要請が出されたのは、まさしく前代未聞だった。しかも相手が竜王となれば、大惨事は免れないだろう。
バルド村からレビク村までは徒歩で十時間かかる。移動系の菌糸能力がなければ、走っても二時間以上はかかるだろう。
一先ず状況を確認するため、一番早い俺が一人で現場へ急行することになった。
『雷光』を駆使しながら、最低限の支援物資だけを抱えて北上する。今の俺ならば、六十キロの距離を十数分程度で走破できるが、飛行中の寒さを『紅炎』で補う特性上、誰かを抱えて移動するのは不可能だった。
俺が現場でできることといえば、周囲の安全確保と負傷者の治療だけである。後続にはドミラスとシャルがいるので、怪我人の運搬は二人に任せるつもりだ。
数分ほど進んでいくと、急に高冠樹海が消滅している箇所が現れた。急ブレーキをかけてそこに降りてみると、べちゃりと足裏に粘液が張り付いた。次いで、葡萄とブルーチーズを混ぜたような濃密な腐臭が鼻腔を濁した。
俺は眼前に広がる光景に絶句した。
見渡す限りの黒い地平。ガルラ環洞窟のある山から、俺の立っている場所まで真っ平らだ。洞窟の手前にあるはずのレビク村すら姿形も残っていない。
あまりにも衝撃的な地形の変化に、瞳孔が細かく振動する。俺は生唾を飲み込むと、恐る恐る黒い地面に触れてみた。熱で溶けたゴムのように粘着質だが、石のように冷たい。それらが地面に覆い被さり、凹凸の隅々まで埋め尽くしている。
「なんだこれ……なんなんだよ……」
そう口に出したものの、俺の知識はすでに答えを打ち出していた。
土の王、ヤツカバネの仕業だ。
竜王の中でも大食漢であるそのドラゴンは、背中にある透明な皮膜で魂を捕食する。残された被害者の肉体は数時間で腐敗し、跡形もなくなってしまう。
俺の足元を満たす黒い物体は、かつて生き物だった何かの残骸だ。
俺は酸味のある熱が込み上げてくるのを感じ、口を覆う寸前に嘔吐した。
「平気か」
ふと後ろから声をかけられ、涙目になりながら振り返る。そこには、平然と佇んでいるドミラスがいた。
「ど、ドクター、どうやってこんな早く……」
「糸を使えばどうとでもなる。しかしこれは……想像以上だな」
そこで初めてドミラスは顔を顰め、粘性のある地面に足を取られながら歩き出した。俺もじっとしているより気が紛れるだろうと、口を押さえたままドミラスの後に続いた。
「救援要請を出した人間がいるのなら、どこかに生き残りがいるはずだ。狼煙を見つけたら言え」
「う……分かった」
俺はくぐもった返事をしながら、できるだけ足元を見ないよう、樹海が残る東西を交互に見た。残念ながら、救援でよく使われる赤い狼煙はどこにも見当たらない。
レビク村の周辺は中位ドラゴンの根城だ。一刻も早く保護しなければ手遅れになる。
焦りを覚えながら足場の悪い地面を進み続けていると、夕焼けを切り裂くように、真っ赤な彩光弾が打ちあがった。
花火にも似た甲高い音が鼓膜を揺らす。
「あ、あそこだ!」
俺はすかさず『雷光』の菌糸を光らせ、一瞬で斜め前へ飛び上がった。
森の上から正確な位置を把握。勢いを殺しながら、彩光弾の発射地点へ落下する。
「うわああ!?」
遭難者はいきなり降ってきた俺に驚いて背を丸めた。その時、派手な赤いドレッドヘアーが見えて、俺は思わず大きな声を上げた。
「カーヌマ! 無事だったの……か……」
震えるカーヌマの腕の中に、真っ黒な液体を被った大柄な人形がいた。
いや、人形ではなかった。アメリアによく似た亜麻色の癖毛がある。半分崩れ落ちた傷だらけの顔も見覚えがある。
「は……ハインキーさん……?」
昼頃にカーヌマ達を迎えに行ったはずの、アメリアの父だ。顔色は土気色を通り越し、もはや生物だったのかも怪しいぐらい変色しているが、間違いなかった。
「……おい、嘘だろ」
後から追いついてきたドミラスが、ハインキーを見るなり絶望した声を上げた。彼がこれほど狼狽えるのも珍しい、と他人事な思考が浮かんでくる。
カーヌマはドミラスを見上げると、ようやく冷静になってきたのか、震えた声で話し出した。
「さ、さっきドラゴンがいきなり村に来て……ゼンさんが、おれたちを逃がしてくれて……でもおれが、逃げ遅れて、ハインキーさんが、身代わりに!」
「……っ待ってろ!」
言い訳を最後まで聞く余裕はなかった。俺はカーヌマの腕をどけて、自分の膝にハインキーを移した。そして、中身を全く感じられない重さに息を呑む。
すぐに『雷光』を使って治療を試みる。青い光が黒い液体と失われた部位に吸い込まれると、数秒遅れてハインキーの全身が輝き始めた。やがて、黒い液体が拭われ、露になった肉の断面がみるみる盛り上がり、筋肉を編み込み始める。
治療の間、俺の額からは絶えず冷や汗が零れ落ち、背筋では波打つように鳥肌が立っていた。時間にして数十秒程度の出来事だったが、俺には何十時間も祈りを捧げているように感じられた。
ついにハインキーの身体が完全に治る。だがまだ油断はできない。
「ハインキーさん。起きてください!」
強く肩を揺さぶってみるが、固く閉じられたハインキーの瞼はぴくりともしなかった。まるで博物館の剥製を相手にしているようだ。
カーヌマは俺がハインキーに呼びかけ始めたのを見て、堰を切ったように話しかけた。
「起きてくれ! 頼む! あんたのお陰で村の皆は逃げ切れたんだ! ゼンさんもミッサさんもすぐに来てくれる! あんたは死んだらダメだ! アメリが待ってるんだ!」
カーヌマの悲痛な叫びが高冠樹海にこだまする。この時ばかりは、ドラゴンを呼んでしまうリスクを考えている暇はなかった。
不意に、俺のすぐ近くの木が蜃気楼のように歪んだ。瞬間、紫色の粒子を纏いながら、桃色の髪の少女が俺の元へ飛び込んできた。
「シャル! 来てくれたのか!」
どうやらカーヌマの放った赤い彩光弾を見て、急いで『重力操作』で来てくれたらしい。
シャルの能力なら、負傷者を最速で村まで送り届けられる。さっそくそれを頼もうとしたところで、一足早くドミラスの冷え切った声がした。
「シャル。この男の魂はどうなっている」
シャルは言われてすぐにハインキーを見つめ、すぐに顔を歪めた。痛みを堪えるように俯いた後、シャルは首から下げていたリングノートに文字を書き、一瞬躊躇ってから、俺たちにページを向けた。
『ない』
「…………」
魂が見えるシャルの目には、何も映らなかった。それが何を意味するか、俺は瞬時に理解して、必死に否定しようと頭を働かせた。
俺の能力では肉体の損傷しか治せない。だがクラトネールの超常的な回復があれば、生き返ってくれたっていいじゃないか。こんなに綺麗に身体が治っているのだから、何かの間違いだと──。
「リョーホ。分かっているな」
肩に強く手を置かれ、俺は無意識に使い続けていた『雷光』を止めた。自然と周囲も薄暗くなり、代わりに赤々とした夕日が木漏れ日の合間に差し込んだ。
「待てよ、なんで諦めた風にしてんだよ!」
「……カーヌマ」
「なんなんだこいつは! いきなりここに来たと思ったら、なにがないって? ただの子供に、怪我人の何が分かるんだよ! おれにも分かるように言ってくれよ!」
俺の胸ぐらを掴んで喚き散らすカーヌマを、ドミラスが淡々と嗜めた。
「この子はベアルドルフの娘だ。そして父親と同じく、生物の魂を見ることが出来る。聡いお前なら、これで理解できるはずだ」
カーヌマは喉が詰まったような音を出すと、子供のように首を振りながら唇を震わせた。
「……迷信だ。魂が見えるわけない。ハインキーさんはまだ死んでない!」
カーヌマは立ち上がると、俺の両肩を掴んで激しく揺らした。
「リョーホ兄ちゃん! さっきの青い光をもう一回出してくれ! まだ中身が治ってないかもしれないだろ!頼むよ、起きるまで治療してくれ!」
「……無理だ」
「疲れたのか? なら少し休んでくれていいから!」
「カーヌマ。いい加減にしろ」
歯を食いしばる俺の代わりに、ドミラスが止めに入る。カーヌマはなおも噛みつこうとしたが、血の気が失せたドミラスの顔を見て、見ているだけで苦しいほどに瞳孔を収縮させた。
「くそ! くそぉ! 納得できるかよ!」
カーヌマは膝から崩れ落ちると、何度も拳を地面に叩きつけた。衝撃で皮膚が裂け、血がハインキーの衣服にまで飛び散る。見かねたシャルが止めに入ると、カーヌマは振り払おうと一瞬暴れたが、肩に触れる幼い手を見て弱々しく項垂れた。
「嘘だ……この人がそんな簡単に死ぬはずがない……アメリアはどうするんだよ……今日だって、ずっと帰りを待ってるのに……」
壊れたように涙を流すカーヌマを、俺は見守ることしかできない。魂まで取り返せなかった力不足の俺が、一体どんな慰めの言葉をかけられるというのか。
「……シャル、カーヌマの二人は生存者を集めろ。俺は抜け殻を集めてくる。リョーホはここでハインキーを見ていてやれ」
ドミラスの指示を聞いて、俺は呆然としながら顔を上げた。
「でもカーヌマは……」
「悲しむなら後でいくらでもできる。ハインキーが命がけで救った人間を見殺しにしたいのなら、話は別だがな」
「そんな言い方ないだろ……!」
「言葉を取り繕おうが事実は変わらん。慰めに甘えるな」
切り落とすような言い方に俺が怯んでいる間に、ドミラスはさっさと樹海の奥へ消えてしまった。カーヌマは荒く涙を拭うと、ドミラスの消えていった方向を睨みつけてから、反対方向へと迷いなく走り出した。
残されたシャルはカーヌマを見送った後、俺に目くばせをしてからペンを走らせた。
「……シャル?」
みっともなく震えた声で名を呼んでみると、ばざりとノートを見せられた。
『いとがみえる』
「糸?」
ぐるりと周囲を見渡すが、シャルが指し示す糸は全く見えない。こんな状況で嘘を言う子ではないので、きっと魂に類する何かが糸として見えているのだろう。
「──もしかして」
俺がぽつりと声を漏らすと、シャルは決意をにじませるような強い瞳で頷き、カーヌマの後を追いかけていった。一人取り残された俺は、膝の上で動かないハインキーを見下ろしながら、静かに思考を巡らせ続けた。
もしかしたら、まだハインキーは助けられるかもしれない。
・・・―――・・・
ドミラスが運んできた抜け殻を修復し、カーヌマが連れてきた生存者の傷も治療しているうちに、完全に日が暮れてしまった。
生存者は、レビク村の住人が七人と、地方から来た学者四人。護衛の狩人が三人。
魂を食われてもなお抜け殻が残った人は、ハインキーを含めてたったの五人。
そして死者を含む行方不明者の数は、およそ二百十六名。遺体の確認はできていないが、ほぼ確実に全員死んでいる。誰もがそう思っていただろうが、指摘する人は一人もいなかった。
後続のエトロや他の狩人も到着した後、粛々と抜け殻の運搬が始まった。生存者はすでに先にバルド村へ移送済みのため、現場には顔見知りと学者の護衛をしていた狩人だけが残っている。
抜け殻の輸送は船で行われた。ガルラ環洞窟からバルド村までうねりながら続くガルラ川を、一艘の大きな船で下っていく。ドラゴン避けのお香を焚いているため、水中のドラゴンに警戒するだけでよかった。
月明かりの乏しい渓谷は真っ暗だ。カンテラの灯りがなければ、隣の人の顔すら見えない。川の流れる音は穏やかだが、それがむしろ俺の不安を増長させた。
ふと、渓谷の狭間にぽつぽつと光が見えてきた。見慣れたバルド村の夜灯りだ。
ぎぃ、と船首から舵を切る音がして、じわじわと船着場の方へ向きを変える。
街灯に照らされた浮き桟橋の上では、アメリアが寒そうに身体を震わせながら俺たちを待っていた。
船が止まるや、アメリアはカーヌマに駆け寄った。
「カーくん……無事でよかった……!」
カーヌマは飛び込んできたアメリアを受け止めるだけで、抱きしめ返さなかった。アメリアは不思議そうな顔をして、キョロキョロと船の面々を見渡した。
「ねぇ、お父さんは?」
「ハインキーさんは……そこにいる」
と、カーヌマが指差した方向には、布で包まれたハインキーが横たわっていた。アメリアは道端の花を見つめるような無垢な顔で近づくと、布からはみ出したハインキーの右手を握った。
「冷たい……なんで、あれ? 今日帰ってくるって、ねぇ、なんで……」
「ごめん……アメリ……ハインキーさんはおれを庇ったせいで……」
それ以上言葉は続かず、カーヌマはその場に跪いた。
そこでついに、アメリアも状況が呑み込めたらしい。愛らしい顔が一気に悲痛なものになった。
「カーくん……手、握って。お願い」
すぐにアメリアの手がカーヌマに優しく包まれる。しばらくすると、カンテラの温かな光の中で、アメリアの頬から水滴が落ちるのが見えた。
「ふっ……うぅ……カーくん……」
今にも叫び出しそうな彼女の嗚咽を聞くだけで、俺は錐で貫かれるように胸が痛かった。
頭の中ではすでにハインキーの魂を取り戻す方法が浮かんでいる。だが今それを口にしても、二人をぬか喜びさせるだけかもしれず、下手なことは言えなかった。
「絶対に、なんとかするから」
拳を握りしめながらそれだけを呟き、俺は揺れる船の上から静かに降りた。
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第二の人生で新たに得た俺の身分は、とある王国の第三王子だ。
この世界では神様が人々に天職を授けると言われており、俺の父親である国王は【軍神】で、長男の第一王子が【剣聖】、それから次男の第二王子が【賢者】という天職を授かっている。
そんなエリートな王族の末席に加わった俺は、当然のように周囲から期待されていたが……しかし、俺が授かった天職は、なんと【牧場主】だった。
畜産業は人類の食文化を支える素晴らしいものだが、王族が従事する仕事としては相応しくない。
斯くして、父親に失望された俺は王城から追放され、辺境の片隅でひっそりとスローライフを始めることになる。
30年待たされた異世界転移
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気づけば異世界にいた10歳のぼく。
「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」
こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。
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20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。
完結【進】ご都合主義で生きてます。-通販サイトで異世界スローライフのはずが?!-
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32歳でこの世を去った相川涼香は、異世界の女神ゼクシーにより転移を誘われる。
断ると今度生まれ変わる時は、虫やダニかもしれないと脅され転移を選んだ。
彼女は女神に不便を感じない様に通販サイトの能力と、しばらく暮らせるだけのお金が欲しい、と願った。
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お惣菜お安いですよ?いかがです?
物語はまったり、のんびりと進みます。
※本作はカクヨム様にも掲載しております。
勇者召喚に巻き込まれた俺はのんびりと生活したいがいろいろと巻き込まれていった
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俺は勇者召喚に巻き込まれた
勇者ではなかった俺は王国からお金だけを貰って他の国に行った
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