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3章
(7)夜明け
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どうやって宿に帰ってきたかよく覚えていない。気づいたらベッドの上で朝を迎えており、隣のベッドを見ると大の字で眠るアンリがいた。
一晩眠ったおかげで、徹夜明けの倦怠感はいくらかマシになった。
まだ日は登りきっていないが、二度目を決める気分じゃない。俺は未練がましくふかふかのベッドに身を預けた後、無気力なまま床に足をつけた。
寝巻きから着替えて、最低限身だしなみを整えてから部屋の外に出る。
ロッシュが紹介してくれた宿屋は広々としており、日本の温泉旅館によく似た外見をしていた。廊下には行灯が置かれており、従業員が丁度光を灯しているところだった。行灯の光源は油皿の灯芯ではなく、バルド村と同じくキノコライトらしい。
俺は幻想的な光に包まれる廊下を抜け、受付の人に挨拶をしながら玄関を潜った。
薄暗いエラムラの街並みは静まり返っていた。朝靄が肌を濡らし、森の匂いを吸った空気が鼻腔に流れ込んでくる。
俺は狭い石畳みの道を眺めた後、特に目的地も決めずにまっすぐ歩き出そうとした。
「どこに行くんだい?」
「……アンリ。寝てたんじゃないのか」
背後からの声に振り返らずに問いかけると、足音が俺の隣に来て止まった。
「君の物音で起きた。こんな時間に一人で出歩くのは危ないんじゃない」
「俺はそこまで弱くないぞ」
歓迎していない風に言ってみるが、アンリが来ただけで俺の中の心細さがあっという間に消えてしまった。現金な自分のメンタルに内心で苦笑しつつ、俺は中途半端に踏み出した足をそのまま進ませた。
道端の瓦礫はほとんどが撤去されており、広場に近づけば近づくほど、更地から建設途中へ、そして再建された建物が並ぶようになる。角を曲がると、ギルドにはすでに灯りが付いていて、受付嬢が入り口付近で小声の挨拶を交わしていた。
「エトロから聞いたよ。俺たち騙されてたんだって?」
「……まぁ、そんな感じ」
景色を眺めながら、アンリの言葉に曖昧な返事をする。エトロとの付き合いが俺より長いはずなのに、アンリの口調はあっけらかんとしていた。
「あいつは後先考えないところが時々あったけど、今回のは流石に驚いたよ」
「驚いただけかよ」
「この程度で俺が怒るわけないだろ。ダウバリフと戦ってる時は絶対殴ろうって思ってたけど、本人は反省してるみたいだし」
「……まぁ、反省はしてたな」
エトロは始終辛そうな表情をしていたし、反省しているのは本当だろう。ただ、俺がエトロに嫌われていたからこうなっただけだ。
迷惑はかけないようにする、とは言ったものの、一晩寝て起きれば人間考えが変わってくるもので、俺は心のどこかでエトロと親睦を深めるのを諦めきれていなかった。酷い悪態を吐かれたのに、なぜエトロに執着しているのか、自分でもよく分からなかった。
「でも、ちょっとエトロらしくなかったよね」
アンリの声に思考が引き戻さたが、俺は深く考えずに頷いた。
「確かに、俺はともかくお前に話さないのはおかしいかもな」
「そっち? まあいいけど。俺はなんとなくレオハニー様に指示されたんだろうなって思ってるよ」
「なんでそこでレオハニーさんが出てくるんだ?」
「え? だってそうでしょ。いくら復讐で盲目になったとしても、エトロがレオハニー様の言いつけを破ってリョーホを危険に晒す真似はしないって」
そう考えれば、確かに変な話だ。ベートに俺が攫われた時、エトロは血相を変えて探し回ったのに、一昨日は戦争が始まっても俺よりベアルドルフと戦うのを優先していた。レオハニーの指示を蔑ろにするような行動をエトロがするはずがないし、あるとすれば、本人から指示があった場合だけだろう。
だが、俺はエトロから掛けられた罵倒の数々に拘泥した。
「でもあいつは俺が嫌いだって言ってたぞ。純粋に嫌悪で耐えられなくなったっていうのもあり得るだろ」
「そこまで嫌いな人間だったら直接手を下すよ。他人に殺させてもスッキリしないでしょ」
「……アンリが言うと説得力がすごいな」
「だろ?」
アンリが茶目っ気たっぷりのウィンクを決めてきたので、俺は思わず肘鉄をした。すぐに二倍の威力で頭を引っ叩かれる。
ジンジンする頭部の痛みを抑えながら、俺は喉の奥から込み上げる苦味を飲み込んだ。
「……あいつにも、事情があったんだろうけど、やっぱり俺は割り切れないな」
「無理に割り切る必要ないよ。俺だって許す気ないし。ま、いがみ合っててもメリットないから普段通りに接するつもりだけどね」
平然と言ってのけるアンリが、急に眩しく感じられる。大人の対応とは少し違うかもしれないが、ずるずる引きずるよりアンリを見習ったほうがいいのかもしれない。
「俺、もう一度エトロと話してみる」
「だね。それがいいよ」
話し込んでいるうちに、無意識にシャルのいるテントのところまで来てしまった。
折角だからついでにシャルの様子を見ようかと一歩踏み出したところで、ふと、別のテントの横から長身の男が歩いてくるのが見えた。カソックに似た服装が暗がりだとあまりにも黒すぎて、一瞬死神のように見えてしまった。
「ロッシュさん?」
「おはようございます。奇遇ですね。宿で疲れは取れましたか?」
音で何もかも分かるくせに奇遇もあるか。
そうツッコミを入れたくなるのをグッと堪え、俺は短く「おかげさまで」とだけ答えた。
「その様子だとまだお疲れのようですね。二人で考え事ですか?」
「あー、はい」
「どうせ全部聞いていたんだろう、とでも言いたそうですね。不可抗力なので、許してもらえると助かります」
胡散臭い笑みでロッシュに言い当てられ、俺は鼻先に皺を寄せた。シャルのテントの周りには監視用の大量の鈴があり、ロッシュからすれば盗み聞きし放題だ。プライベートな話をするなら、もっと歩く場所を考えるべきだったと俺は反省した。
それはそれとして、ロッシュが人気のない場所に来てくれたのは好都合である。
「考え事といえば、貴方に聞きたいことがあったんです。ロッシュさん」
改まった口調で言うと、ロッシュは意外そうに眉を持ち上げた。
「何か気になることでも?」
「一応例え話として聞いて欲しいんですが……もし、ベアルドルフがミカルラ様を殺した事件がトトに仕組まれたことだったとしたら、貴方はシャルのために罪を晴らしてくれるんですか?」
「なぜそのような質問をするのか聞いても?」
「シャルは……俺が引き取るつもりです。けど、シャルがエラムラで暮らしたいと言った時のために、できうる限りの保険を作っておきたいんです」
エラムラの里はこれまでシャルを迫害してきたが、それでもシャルの生まれ故郷であることに変わりはない。彼女に選択肢を作るという意味でも、ベアルドルフの問題は早めに解決してもらいたかった。
あまり期待せずにした質問は、案の定、色良い返事をもらえなかった。
「仮定の話だとしても、難しい問題ですね。ベアルドルフは実際にミカルラ様を殺していますし、やむを得ない事情があったとしても、その罪は贖わなくてはなりません」
「じゃあ、せめてシャルの迫害だけでも止められません? シャルは父親と血のつながりがあること以外は全く関係ないのに」
「僕としても大変心苦しいのですが、そのことに関して手出しをするつもりはありません」
「どうして!」
「シャルをどのように見て、どのように感じるかは個人の主観に頼るしかありません。いくら僕が里長でも、民の意識を強制するわけには行きませんから」
もっともな発言に、俺の怒りはあっという間に萎んでしまった。
結局のところ、ベアルドルフの免罪を証明できても、シャルの迫害はそう簡単に止められはしないのだ。ロッシュが迫害を止めるように里の人々に発令しても、学校の全校集会でいじめを止めるよう説教するのと同じである。
「ままならないな……」
故郷に帰れない苦しみを、俺は痛いほど知っている。まだ年端もいかない少女に故郷を失わせるような思いはさせたくなかった。
こればかりは、この場にいないベアルドルフたちに文句を言いたい。本当に娘を大事に思っていたなら、戦争を始める前に、シャルをスキュリアに連れて行けばよかったのだ。
どいつもこいつも、戦争に気を取られてシャルのことを全く気にかけていない。それが物凄く腹立たしかった。
固く拳を握りしめていると、ロッシュから淡々と問いかけられた。
「リョーホさんは、争いが嫌いですか?」
「……嫌いに決まってます。昨日だって、戦って得られたものなんて何一つないのに、大勢の人が無駄死にしたんですよ」
毎日のように積み重なっていた不満に押され、子供じみた本心が口をついて出た。自ら戦争を引き起こす道を選んだロッシュからしてみれば、俺の意見は取るに足らない雑音でしかないだろう。
しかし、返ってきた言葉は否定ではなかった。
「そうですね。僕も戦争は嫌いです」
俺は思わず呆けてしまった。山から顔を出し始めた朝日を背負うロッシュは、眉の端を僅かに歪めながら仕方なさそうに笑っていた。
「里長としてエラムラを守るために、此度の件は必要なことでした。貴方はこの戦いで何一つ得られなかったと言っていましたが、それは違います。我々は今回、狩人の中でも絶対的覇者と謳われる討滅者に勝利した。これがどれほどの勇気と希望を与えたか、貴方なら分かるはずです」
「……それも結局、次の戦争も勝てるって味方に思わせてるだけだ。そんなんじゃ一生戦争は終わらない」
「ええ。今日の辛勝も、戦争を止めると言う意味では全くの無駄だったかもしれません。相手が戦意喪失するほどの大打撃を与えられなければ、戦いは長引くだけですからね。だとしても、次の一手で完全な勝利を手に入れるために、僕は何度でもこの道を選びますよ」
ロッシュは腕を組むと、灰色の瞳をひたと俺に向けた。
「ベアルドルフがいる限りエラムラに平穏は訪れません。あの男が老衰するのが先か、こちらが潰されるのが先か、僕らは分岐点に来ているのです。誰かが泥を被らねば進めないと言うのなら、僕の代で被ればいいことです。生まれた時代を恨むのは、死んだ後でもできるのですから」
「……でも、やっぱり戦う以外の方法はないのか?」
諦め悪く俺が縋ると、ロッシュではなく、アンリが低く答えた。
「無理だね。家族を殺されたら相手を潰すまで止まれないよ」
痛みをこらえるようなアンリの声を聞いた途端、俺の腰に下がっているエランの双剣が急に重くなった気がした。
復讐心を抱いたことがない俺には、アンリの気持ちを正確には推し量れない。だがもし、俺の両親や友人が目の前で殺されたら、エトロとアンリが殺されたら……俺は復讐ではなく、その場で咽び泣くことしかできない気がする。
俺は奥歯を噛みしめた後、ロッシュの方へ視線を上げた。
「貴方も、復讐したいと思ってるんですか」
「私情を挟むのは民の役目。僕は長として最善を掴み取るだけです」
迷いのない回答に、俺はますます自分の矜持が矮小なものになっていく気がした。
ロッシュは里のために自分の意思を捨てられる人なのだろう。だからと言って情が無いわけではない。日本で安寧と暮らしていた俺では、彼らのような考え方ができそうにない。
背中を丸めるように目を背けると、ロッシュが苦笑しながら補足した。
「僕はリョーホさんの意見を否定するつもりはありませんよ。戦争のない世界……それが当たり前になる世の中はいつか現実になります。世界中は無理でも、せめてエラムラの里の中だけでも僕が実現させてみせますから」
俺は何も言えなかった。ロッシュはそれを寂しそうに眺めた後、少し声の調子を上げた。
「長々と話してしまいましたね。僕も仕事がありますから、これで」
軽く会釈したのち、黒い服が翻る。
俺はロッシュを曲がり角まで見送った後、長々とため息を吐いた。
格の違い、というものか。ロッシュがなぜ里の人々に慕われているのか、その片鱗が垣間見えた。
「すごいな……ロッシュさん」
「君は自分を過小評価しすぎだと思うけどね」
「んなわけないだろ」
その瞬間、いきなり俺の肩に固いものがぶつかってきた。
「おっはよー! おっさん!」
「いってぇ!」
前につんのめりながら振り返れば、兎のように飛び回りながら大爆笑するレブナがいた。
「普通に登場できないのかお前は!」
「この時間からやってるお店あるんだ! 朝ごはん一緒に食べに行こー!」
「聞けよ!」
ずるずると腕を引っ張ってくるレブナに抵抗していると、まあまあとアンリに背中を押された。
「どうせ暇なんだから素直に行こうよ」
「でも」
「シャルちゃんならまだ寝てるよ」
抵抗する理由が一つ減り、俺はグッと喉を詰まらせた後に足から力を抜いた。
「わかったわかった。行くよ。不味かったら許さねーからな」
「へっへっへ。これでもわたしは美食家なんだぜ? さぁこっちこっち! 二名様ごあんなーい!」
レブナは酔っ払いじみたノリで右手を突き出すと、アンリの手も引いて広い坂道の方へ走り出した。
足を取られながら全力疾走しているうちに、俺はなぜだか笑いが込み上げてきて、腹の底に蟠っていた陰気さがすっかり消え失せてしまった。
一晩眠ったおかげで、徹夜明けの倦怠感はいくらかマシになった。
まだ日は登りきっていないが、二度目を決める気分じゃない。俺は未練がましくふかふかのベッドに身を預けた後、無気力なまま床に足をつけた。
寝巻きから着替えて、最低限身だしなみを整えてから部屋の外に出る。
ロッシュが紹介してくれた宿屋は広々としており、日本の温泉旅館によく似た外見をしていた。廊下には行灯が置かれており、従業員が丁度光を灯しているところだった。行灯の光源は油皿の灯芯ではなく、バルド村と同じくキノコライトらしい。
俺は幻想的な光に包まれる廊下を抜け、受付の人に挨拶をしながら玄関を潜った。
薄暗いエラムラの街並みは静まり返っていた。朝靄が肌を濡らし、森の匂いを吸った空気が鼻腔に流れ込んでくる。
俺は狭い石畳みの道を眺めた後、特に目的地も決めずにまっすぐ歩き出そうとした。
「どこに行くんだい?」
「……アンリ。寝てたんじゃないのか」
背後からの声に振り返らずに問いかけると、足音が俺の隣に来て止まった。
「君の物音で起きた。こんな時間に一人で出歩くのは危ないんじゃない」
「俺はそこまで弱くないぞ」
歓迎していない風に言ってみるが、アンリが来ただけで俺の中の心細さがあっという間に消えてしまった。現金な自分のメンタルに内心で苦笑しつつ、俺は中途半端に踏み出した足をそのまま進ませた。
道端の瓦礫はほとんどが撤去されており、広場に近づけば近づくほど、更地から建設途中へ、そして再建された建物が並ぶようになる。角を曲がると、ギルドにはすでに灯りが付いていて、受付嬢が入り口付近で小声の挨拶を交わしていた。
「エトロから聞いたよ。俺たち騙されてたんだって?」
「……まぁ、そんな感じ」
景色を眺めながら、アンリの言葉に曖昧な返事をする。エトロとの付き合いが俺より長いはずなのに、アンリの口調はあっけらかんとしていた。
「あいつは後先考えないところが時々あったけど、今回のは流石に驚いたよ」
「驚いただけかよ」
「この程度で俺が怒るわけないだろ。ダウバリフと戦ってる時は絶対殴ろうって思ってたけど、本人は反省してるみたいだし」
「……まぁ、反省はしてたな」
エトロは始終辛そうな表情をしていたし、反省しているのは本当だろう。ただ、俺がエトロに嫌われていたからこうなっただけだ。
迷惑はかけないようにする、とは言ったものの、一晩寝て起きれば人間考えが変わってくるもので、俺は心のどこかでエトロと親睦を深めるのを諦めきれていなかった。酷い悪態を吐かれたのに、なぜエトロに執着しているのか、自分でもよく分からなかった。
「でも、ちょっとエトロらしくなかったよね」
アンリの声に思考が引き戻さたが、俺は深く考えずに頷いた。
「確かに、俺はともかくお前に話さないのはおかしいかもな」
「そっち? まあいいけど。俺はなんとなくレオハニー様に指示されたんだろうなって思ってるよ」
「なんでそこでレオハニーさんが出てくるんだ?」
「え? だってそうでしょ。いくら復讐で盲目になったとしても、エトロがレオハニー様の言いつけを破ってリョーホを危険に晒す真似はしないって」
そう考えれば、確かに変な話だ。ベートに俺が攫われた時、エトロは血相を変えて探し回ったのに、一昨日は戦争が始まっても俺よりベアルドルフと戦うのを優先していた。レオハニーの指示を蔑ろにするような行動をエトロがするはずがないし、あるとすれば、本人から指示があった場合だけだろう。
だが、俺はエトロから掛けられた罵倒の数々に拘泥した。
「でもあいつは俺が嫌いだって言ってたぞ。純粋に嫌悪で耐えられなくなったっていうのもあり得るだろ」
「そこまで嫌いな人間だったら直接手を下すよ。他人に殺させてもスッキリしないでしょ」
「……アンリが言うと説得力がすごいな」
「だろ?」
アンリが茶目っ気たっぷりのウィンクを決めてきたので、俺は思わず肘鉄をした。すぐに二倍の威力で頭を引っ叩かれる。
ジンジンする頭部の痛みを抑えながら、俺は喉の奥から込み上げる苦味を飲み込んだ。
「……あいつにも、事情があったんだろうけど、やっぱり俺は割り切れないな」
「無理に割り切る必要ないよ。俺だって許す気ないし。ま、いがみ合っててもメリットないから普段通りに接するつもりだけどね」
平然と言ってのけるアンリが、急に眩しく感じられる。大人の対応とは少し違うかもしれないが、ずるずる引きずるよりアンリを見習ったほうがいいのかもしれない。
「俺、もう一度エトロと話してみる」
「だね。それがいいよ」
話し込んでいるうちに、無意識にシャルのいるテントのところまで来てしまった。
折角だからついでにシャルの様子を見ようかと一歩踏み出したところで、ふと、別のテントの横から長身の男が歩いてくるのが見えた。カソックに似た服装が暗がりだとあまりにも黒すぎて、一瞬死神のように見えてしまった。
「ロッシュさん?」
「おはようございます。奇遇ですね。宿で疲れは取れましたか?」
音で何もかも分かるくせに奇遇もあるか。
そうツッコミを入れたくなるのをグッと堪え、俺は短く「おかげさまで」とだけ答えた。
「その様子だとまだお疲れのようですね。二人で考え事ですか?」
「あー、はい」
「どうせ全部聞いていたんだろう、とでも言いたそうですね。不可抗力なので、許してもらえると助かります」
胡散臭い笑みでロッシュに言い当てられ、俺は鼻先に皺を寄せた。シャルのテントの周りには監視用の大量の鈴があり、ロッシュからすれば盗み聞きし放題だ。プライベートな話をするなら、もっと歩く場所を考えるべきだったと俺は反省した。
それはそれとして、ロッシュが人気のない場所に来てくれたのは好都合である。
「考え事といえば、貴方に聞きたいことがあったんです。ロッシュさん」
改まった口調で言うと、ロッシュは意外そうに眉を持ち上げた。
「何か気になることでも?」
「一応例え話として聞いて欲しいんですが……もし、ベアルドルフがミカルラ様を殺した事件がトトに仕組まれたことだったとしたら、貴方はシャルのために罪を晴らしてくれるんですか?」
「なぜそのような質問をするのか聞いても?」
「シャルは……俺が引き取るつもりです。けど、シャルがエラムラで暮らしたいと言った時のために、できうる限りの保険を作っておきたいんです」
エラムラの里はこれまでシャルを迫害してきたが、それでもシャルの生まれ故郷であることに変わりはない。彼女に選択肢を作るという意味でも、ベアルドルフの問題は早めに解決してもらいたかった。
あまり期待せずにした質問は、案の定、色良い返事をもらえなかった。
「仮定の話だとしても、難しい問題ですね。ベアルドルフは実際にミカルラ様を殺していますし、やむを得ない事情があったとしても、その罪は贖わなくてはなりません」
「じゃあ、せめてシャルの迫害だけでも止められません? シャルは父親と血のつながりがあること以外は全く関係ないのに」
「僕としても大変心苦しいのですが、そのことに関して手出しをするつもりはありません」
「どうして!」
「シャルをどのように見て、どのように感じるかは個人の主観に頼るしかありません。いくら僕が里長でも、民の意識を強制するわけには行きませんから」
もっともな発言に、俺の怒りはあっという間に萎んでしまった。
結局のところ、ベアルドルフの免罪を証明できても、シャルの迫害はそう簡単に止められはしないのだ。ロッシュが迫害を止めるように里の人々に発令しても、学校の全校集会でいじめを止めるよう説教するのと同じである。
「ままならないな……」
故郷に帰れない苦しみを、俺は痛いほど知っている。まだ年端もいかない少女に故郷を失わせるような思いはさせたくなかった。
こればかりは、この場にいないベアルドルフたちに文句を言いたい。本当に娘を大事に思っていたなら、戦争を始める前に、シャルをスキュリアに連れて行けばよかったのだ。
どいつもこいつも、戦争に気を取られてシャルのことを全く気にかけていない。それが物凄く腹立たしかった。
固く拳を握りしめていると、ロッシュから淡々と問いかけられた。
「リョーホさんは、争いが嫌いですか?」
「……嫌いに決まってます。昨日だって、戦って得られたものなんて何一つないのに、大勢の人が無駄死にしたんですよ」
毎日のように積み重なっていた不満に押され、子供じみた本心が口をついて出た。自ら戦争を引き起こす道を選んだロッシュからしてみれば、俺の意見は取るに足らない雑音でしかないだろう。
しかし、返ってきた言葉は否定ではなかった。
「そうですね。僕も戦争は嫌いです」
俺は思わず呆けてしまった。山から顔を出し始めた朝日を背負うロッシュは、眉の端を僅かに歪めながら仕方なさそうに笑っていた。
「里長としてエラムラを守るために、此度の件は必要なことでした。貴方はこの戦いで何一つ得られなかったと言っていましたが、それは違います。我々は今回、狩人の中でも絶対的覇者と謳われる討滅者に勝利した。これがどれほどの勇気と希望を与えたか、貴方なら分かるはずです」
「……それも結局、次の戦争も勝てるって味方に思わせてるだけだ。そんなんじゃ一生戦争は終わらない」
「ええ。今日の辛勝も、戦争を止めると言う意味では全くの無駄だったかもしれません。相手が戦意喪失するほどの大打撃を与えられなければ、戦いは長引くだけですからね。だとしても、次の一手で完全な勝利を手に入れるために、僕は何度でもこの道を選びますよ」
ロッシュは腕を組むと、灰色の瞳をひたと俺に向けた。
「ベアルドルフがいる限りエラムラに平穏は訪れません。あの男が老衰するのが先か、こちらが潰されるのが先か、僕らは分岐点に来ているのです。誰かが泥を被らねば進めないと言うのなら、僕の代で被ればいいことです。生まれた時代を恨むのは、死んだ後でもできるのですから」
「……でも、やっぱり戦う以外の方法はないのか?」
諦め悪く俺が縋ると、ロッシュではなく、アンリが低く答えた。
「無理だね。家族を殺されたら相手を潰すまで止まれないよ」
痛みをこらえるようなアンリの声を聞いた途端、俺の腰に下がっているエランの双剣が急に重くなった気がした。
復讐心を抱いたことがない俺には、アンリの気持ちを正確には推し量れない。だがもし、俺の両親や友人が目の前で殺されたら、エトロとアンリが殺されたら……俺は復讐ではなく、その場で咽び泣くことしかできない気がする。
俺は奥歯を噛みしめた後、ロッシュの方へ視線を上げた。
「貴方も、復讐したいと思ってるんですか」
「私情を挟むのは民の役目。僕は長として最善を掴み取るだけです」
迷いのない回答に、俺はますます自分の矜持が矮小なものになっていく気がした。
ロッシュは里のために自分の意思を捨てられる人なのだろう。だからと言って情が無いわけではない。日本で安寧と暮らしていた俺では、彼らのような考え方ができそうにない。
背中を丸めるように目を背けると、ロッシュが苦笑しながら補足した。
「僕はリョーホさんの意見を否定するつもりはありませんよ。戦争のない世界……それが当たり前になる世の中はいつか現実になります。世界中は無理でも、せめてエラムラの里の中だけでも僕が実現させてみせますから」
俺は何も言えなかった。ロッシュはそれを寂しそうに眺めた後、少し声の調子を上げた。
「長々と話してしまいましたね。僕も仕事がありますから、これで」
軽く会釈したのち、黒い服が翻る。
俺はロッシュを曲がり角まで見送った後、長々とため息を吐いた。
格の違い、というものか。ロッシュがなぜ里の人々に慕われているのか、その片鱗が垣間見えた。
「すごいな……ロッシュさん」
「君は自分を過小評価しすぎだと思うけどね」
「んなわけないだろ」
その瞬間、いきなり俺の肩に固いものがぶつかってきた。
「おっはよー! おっさん!」
「いってぇ!」
前につんのめりながら振り返れば、兎のように飛び回りながら大爆笑するレブナがいた。
「普通に登場できないのかお前は!」
「この時間からやってるお店あるんだ! 朝ごはん一緒に食べに行こー!」
「聞けよ!」
ずるずると腕を引っ張ってくるレブナに抵抗していると、まあまあとアンリに背中を押された。
「どうせ暇なんだから素直に行こうよ」
「でも」
「シャルちゃんならまだ寝てるよ」
抵抗する理由が一つ減り、俺はグッと喉を詰まらせた後に足から力を抜いた。
「わかったわかった。行くよ。不味かったら許さねーからな」
「へっへっへ。これでもわたしは美食家なんだぜ? さぁこっちこっち! 二名様ごあんなーい!」
レブナは酔っ払いじみたノリで右手を突き出すと、アンリの手も引いて広い坂道の方へ走り出した。
足を取られながら全力疾走しているうちに、俺はなぜだか笑いが込み上げてきて、腹の底に蟠っていた陰気さがすっかり消え失せてしまった。
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