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2章
(16)敵拠点
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バロック山岳。
そこはラビルナ貝高原と同じく、螺鈿色の断層が隆起した刺々しい印象のフィールドだった。
地表には樹氷のような岩の突起物が無造作に並んでおり、遠目から見ると兵馬俑の出来損ないに見えた。樹氷ならぬ樹岩は、大きいもので十メートル近くあり、木に張り付いた岩の重さでアーチ状に伸びたり、隣の樹岩と寄り添うように倒れたりしている。
樹岩のせいで見通しの悪い斜面を下ること数分。俺たちは樹岩の森に紛れ込むように建てられたスキュリアの拠点を見つけた。
拠点の内部にはベルテントが並んでおり、垂れ布は雄黄色の迷彩柄に染め抜かれている。開かれたままの入口からは忙しなく狩人たちが出入りしており、ざっと二十人ぐらいが駐屯しているらしい。日が暮れて見通しが悪いが、ベルテントの中ではキノコライトが焚かれているようだ。
「見つけたな」
俺はレブナの肩から降ろしてもらいながらそう呟く。
「おっさん運ばれるの慣れてきた感じ?」
「おっさんじゃないっての!」
小声で怒鳴りつけながら、俺とレブナは身を寄せ合って樹岩の影に隠れた。
想像していたよりも少人数の拠点で拍子抜けしたが、戦えない俺からすれば全くハンデにならない戦力差である。ベアルドルフの姿は見当たらないのが気になるが、それはそれで好都合だ。ベアルドルフが来る前に、さっさとシャルを救出したい。
俺は敵の方へ意識を向けたままレブナに問う。
「ロッシュは拠点を見つけたら報告しろって言ってたけど、どうすればいい?」
「あ、もう連絡した」
「はやっ!」
「ロッシュ様は鈴があるところなら全部聞こえてるし居場所も分かるんだよ? 超便利でしょ」
「それはそれでゾッとしないけどなぁ」
鈴があればどこでも聞こえるのなら、四六時中盗聴されているようなものだ。プライバシーもへったくれもない変態行為なのにロッシュが里の人々から尊敬されているのは、まさに人徳の成せる技なのだろう。
「そんで、ロッシュさんから返事はあったのか?」
「うん。増援送るからしばらくそこで待ってて、だって」
「仕事早いな」
ロッシュには現在進行形で鈴を持っている人々から膨大な情報が雪崩れ込んでいるだろうに、それを聞き分けて即座に最適解を出すなんて普通の人間にはできない。まるで聖徳太子である。
「なあ、増援はいつ来るんだ?」
「もうすぐ来ると思うよー」
数秒後、背後でどこかで聞き覚えのある女性の声がした。
「レブナ……」
「お姉ちゃん!」
レブナは目を輝かせながら無邪気に飛び跳ね、声の主の下へ飛び込んでいった。その先には、金髪のアンニュイフェイスの女性職員が立っており、難なくレブナを腹で受け止めていた。
あの眠そうな顔、どう見てもドドックスの眼球を鑑定してくれた換金所の人だ。
俺は一瞬思考停止した後、吃りながら目を見開いた。
「え、か、換金所にいたおねーさん!?」
「覚えていただけて光栄です……シュイナと申します。お見知りおきを……」
シュイナは腹に抱き着いたレブナの頭を撫でながら、ゆっくりと俺にお辞儀をした。全く気力がなさそうなシュイナの態度に、緊張していた俺の肩からもつい力が抜けた。
「えっと、俺はリョーホです。こちらこそよろしくお願いします?」
流れで自己紹介をしてみたが、名も知らぬクラスメイトと対面しているような気まずさでつい挙動不審になってしまった。シュイナは興味がないのか気にしていないのか、俺に会釈をするだけで黙り込んでしまった。
このままでは話が進みそうにないので、俺はおずおずとシュイナに質問を重ねた。
「その、シュイナさんはなんでこんなところに? もしかして避難してる途中で迷子になったとか?」
シュイナの格好はギルドで見かけた時よりも動きやすそうな格好をしているが、薄い長袖から浮き上がる華奢な体格は明らかに非戦闘員だ。言っては何だが、俺よりも弱そうである。
そんな失礼な思考を読まれたわけではないだろうが、シュイナは眠そうな顔をほんの少しだけ不満そうにしかめた。
「ロッシュ様からあなたと合流するように言われております……」
「俺と?」
「敵の拠点を潰すためです……」
「じゃあ、増援ってもしかして?」
「ええ……私一人です」
「ばっ」
バカじゃねーの!?
と叫びたくなるのをぐっとこらえ、俺は顎に手を当てて必死に思考を巡らせた。
たった一人の増援だが、ロッシュがそう決めたのなら何かしらの思惑があるに違いない。見た目に反してシュイナはかなりすごい狩人なのかもしれない。そうでなければ困る。
「いや、でもシュイナさんって戦えんの?」
いまいち納得できずに首を傾げる。
すると、シュイナにベタベタに甘えていたレブナが、心底蔑むような目で俺を見てきた。
「何馬鹿なこと言ってんの馬鹿じゃないのこの馬鹿」
「レブナにだけは言われたくなかった!」
「それってあたしが馬鹿って言いたいの!?」
「そうだよ!」
「むかーっ!」
レブナは癇癪を起こしながらシュイナの背中に回りこむと、びしりと人差し指を俺に向けた。
「お姉ちゃんはねぇ、あたしよりずっっっと強い狩人なんだよ!」
「……ってレブナは言ってるけど、本当なのか?」
と、シュイナに問いかければ、彼女は控えめに頷きながら、右手の手袋をきゅっと引き絞った。
「訳あって、今はギルド職員ですが、腕は落ちていませんよ……」
言うや否や、素人目でも分かる闘気がシュイナから漲った。
シュイナの菌糸能力『保持』は、指定した物体の時間の流れを遅くするものだ。能力の範囲は能力者の実力に依存するが、ロッシュとレブナから太鼓判を押されている上に、これほどの威圧感を放てるのなら増援として頼っていい、はず。
しかし、このメンバーだけで全てを無力化するのは至難だろう。相手は二十人近く。こちらは三人、うち一人は戦えない。
「あー、一応言っておくけど、俺は拠点を潰す手伝いはできないぞ」
場違い感に萎縮しながら、俺は折れた右腕を軽く振った。シュイナはそれを見て馬鹿にするでもなく、従者のように黙礼した。
「存じております……あなたが動けるよう補助するためにも、わたしが選ばれたのですから」
「俺の、補助?」
「わたしの菌糸能力で、あなたの菌糸の活動を鈍らせます。……多少動きにくくはなりますが、能力を使っても走り回っても、いきなり気絶する危険がなくなりますから……」
「じゃあ、シュイナさんがいれば俺も暴れ回れるんだな?」
「そう言うことです……ただ、激しく動き回れば、それだけ菌糸も活性化します。いくらわたしが抑えたとしても、活性速度を完全に止められるわけではありません。ですから、戦闘になった場合の効果時間は、持って五分程度かと……」
「五分か……」
たった五分で拠点を潰せる自信はない。ならば途中で俺が戦線を離脱するのは確実。今はできるだけ戦いを避けながら『保持』の時間を引き延ばし、シャルを抱えてエラムラまで走るのが関の山だ。
戦力外通知に黙り込む俺に、シュイナはレブナの肩を抱きながら小さく告げた。
「……あなたは戦わなくても構いませんよ。この程度の拠点はレブナ一人で十分です……」
「いや、そんなこと言われても、一人で戦わせるわけにはいかないだろ?」
「レブナはエラムラの里の精鋭部隊の一角を担っています……この程度楽勝です。ね?」
「うん! こんなの楽勝だよ?」
二人はアイコンタクトを取って頷き合い、揃ってそっくりな笑顔を俺に向けた。二人とも笑顔が下手くそである。
「本当に任せても大丈夫なんだよな? 何かあった時、俺じゃ一人しか助けられないぞ?」
真剣な面持ちで忠告したというのに、二人は俺を凝視しながら鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
「おっさんってさぁ。よくお人好しって言われるでしょ」
「いや、初めて言われた」
「うっそだぁ」
レブナがジト目で見てきたが、俺は肩をすくめるしかない。
そうこうしているうちに、シュイナがレブナの手を引きながら拠点近くの樹岩の後ろに回った。
「そろそろ行きましょう。二人とも……」
ふざけた様子から一転、レブナは腰に下げていた折畳式の大鎌に手をかけて臨戦体制をとった。
いよいよ戦闘が始まりそうな気配に、俺の心拍数が一気に引き上げられる。生唾をこっそり飲み込む俺の耳元に、シュイナがそっと耳打ちした。
「わたし達姉妹が陽動に回ります。その間に、あなたにはシャルを探してください……」
「わ、わかった」
「では……レブナ」
「あいあいさー!」
奇襲できる状況を思いっきり大声でぶち壊したレブナは、大鎌を振り回しながら拠点の中心部へ特攻した。遠心力であっという間に組み替えられた大鎌が唸りを上げ、手前にいた狩人たちの首を振り払う。
三人の狩人の首が宙を舞う──姿を幻視した。
レブナがぶつけたのは大鎌の柄部分だけだった。狩人たちは頸椎を殴られて昏倒しただけであり出血はしていなかった。
崩れ落ちた三人の前でレブナは仁王立ちになると、大鎌を天に掲げてドヤ顔になった。汚れ一つない双刃の大鎌が黄昏を吸い込んで、水滴のように先端を光らせる。
突然現れた銀髪の子供に、狩人たちは驚愕のあまり咄嗟に動けないようだった。
そこへレブナは音がするほど大きく息を吸い込み、
「スキュリアー! きさまらの企みもここまでだぁー! あたしはエラムラの銀士鬼レブナ! いざ尋常に、成敗!」
ものすごく頭の悪い前口上を叫んで、レブナは大袈裟に動き回りながら敵陣へ突っ込んでいった。
すぐに敵襲を知らせる笛が拠点中に響き渡り、狩人たちがわらわらとベルテント内から出てくる。どれもエラムラの狩人と負けず劣らず頑健そうな外見で、多少足並みを乱していながらも素早くレブナを包囲した。
だが機敏性で言えばレブナの方が何枚も上手だった。
レブナは踊り子のような軽やかさでテントの上を飛び回り、血を流すことなく次々と敵を無力化させていく。遠距離から攻撃をしようものなら、シュイナの菌糸能力が発動して時間をずらされ、狙いを定める暇もなくレブナに気絶させられていった。
流石姉妹、見事な連携だ。
「くそ、化け物どもめ!」
突然俺の背後から声がした。
咄嗟に振り返った俺の視界に、シュイナの金髪が翻る。同時に鈍い打撃音がして、スキュリアの狩人らしき男がきりもみ回転しながら俺の後ろから吹っ飛んでいった。
「な、なん……」
素手で敵をぶん殴ったシュイナに驚きすぎて、俺は顎が外れそうになった。
シュイナは右手を握ったり広げたりしながら眠そうに俺を見る。
「今のうちに……」
「あ、おう!」
俺は左手をついて立ち上がると、レブナが暴れる激戦区を迂回するように拠点の奥へ走り抜けた。
狩人の大部分はレブナとシュイナに集中しているため、大量にある遮蔽物を使えばベルテントに侵入するのは容易かった。
ステルス系ミッションは苦手だが、シュイナのチート能力のおかげでどうにか敵に見つからずに済んでいる。だが見つかりそうになってもシュイナが敵の時間を遅らせてくれるので逃げられるし、レブナが突っ込んでテントごと破壊するので隠れる必要があるのかどうかも怪しくなってきた。
俺はヒロインになったような気分でシャルの捜索を続けていたが、結果は芳しくなかった。
一つ目のテントも、その後も、またさらに奥のテントを覗いてもシャルはいなかった。
食料や備品をまとめたテントが二つ。
野戦病院に使えそうな大きめのテントが二つ。
火薬や武器がまとめて置かれたテントが三つ。
ベッドはあれど、シャルはおろか、寝かされている人間すらいない。拠点の規模は大きいというのにハリボテである。
「残りのテントは、あと一つか……」
もしそこにもシャルがいなければ、すでにスキュリアの里に連れて行かれたということになる。そうなってしまっては、今の俺ではシャルを取り返せない。
もっと最悪なのは、ニヴィがシャルを見つけてしまった場合だ。
ニヴィはベアルドルフを表舞台に引き摺り出すために必ずシャルを利用する。散々痛めつけられたあげくシャルが死ぬぐらいなら、いっそスキュリアに保護されていて欲しい。
俺は焦りを覚えながら、ついに一番大きなベルテントに辿り着いた。
とっくに日が暮れたバロック山岳は、テントから漏れ出るキノコライト以外に光源がない。大きなベルテントの周辺は樹岩に囲まれているせいで特に暗く、隔離されているような印象を覚えた。
俺はしつこいぐらいに周囲を捜索し他の狩人がいないことを確認すると、入口からそっと中を覗き込んだ。
テントの中には、この拠点のリーダーらしきトサカ頭の男がハンツチェアに座っていた。男の足元には大きな棍棒が置かれており、腕を組みながら瞑目しているようである。羽毛付きの鎧は冬国の騎士のような雰囲気で、顔には血管のような菌糸能力が浮かんでいた。
トサカ頭から放たれるプレッシャーに俺の足が震える。森の中で熊と出くわしてしまったかのような緊張で、目を離そうとするだけでも相当の勇気がいる。
俺はこみ上げてくる恐怖を必死にねじ伏せながら、できるだけ素早くテントの中を視線で探った。
テントの奥には簡易ベッドが置かれていたが、そこはすでにもぬけの殻になっていた。使われた形跡があるのでシャルは一度ここに運び込まれたのかも知れないが、一足遅かったらしい。
「…………」
もう俺がやるべきことはなくなった。ここはトサカ頭を放置して、ひとまずレブナたちの加勢に戻った方がいいだろう。
結局、何もできないままだった。
俺は一体何のために走っていたのだろう。クラトネールから守ってくれたシャルを助け出せず、レブナたちの足を引っ張って、あとは逃げ帰るだけか。
自責の念に打ちひしがれながら、俺は来た道を引き返す。
しかし、その背に向けてバリトンボイスを投げかけられた。
「……来ているんだろう」
そこはラビルナ貝高原と同じく、螺鈿色の断層が隆起した刺々しい印象のフィールドだった。
地表には樹氷のような岩の突起物が無造作に並んでおり、遠目から見ると兵馬俑の出来損ないに見えた。樹氷ならぬ樹岩は、大きいもので十メートル近くあり、木に張り付いた岩の重さでアーチ状に伸びたり、隣の樹岩と寄り添うように倒れたりしている。
樹岩のせいで見通しの悪い斜面を下ること数分。俺たちは樹岩の森に紛れ込むように建てられたスキュリアの拠点を見つけた。
拠点の内部にはベルテントが並んでおり、垂れ布は雄黄色の迷彩柄に染め抜かれている。開かれたままの入口からは忙しなく狩人たちが出入りしており、ざっと二十人ぐらいが駐屯しているらしい。日が暮れて見通しが悪いが、ベルテントの中ではキノコライトが焚かれているようだ。
「見つけたな」
俺はレブナの肩から降ろしてもらいながらそう呟く。
「おっさん運ばれるの慣れてきた感じ?」
「おっさんじゃないっての!」
小声で怒鳴りつけながら、俺とレブナは身を寄せ合って樹岩の影に隠れた。
想像していたよりも少人数の拠点で拍子抜けしたが、戦えない俺からすれば全くハンデにならない戦力差である。ベアルドルフの姿は見当たらないのが気になるが、それはそれで好都合だ。ベアルドルフが来る前に、さっさとシャルを救出したい。
俺は敵の方へ意識を向けたままレブナに問う。
「ロッシュは拠点を見つけたら報告しろって言ってたけど、どうすればいい?」
「あ、もう連絡した」
「はやっ!」
「ロッシュ様は鈴があるところなら全部聞こえてるし居場所も分かるんだよ? 超便利でしょ」
「それはそれでゾッとしないけどなぁ」
鈴があればどこでも聞こえるのなら、四六時中盗聴されているようなものだ。プライバシーもへったくれもない変態行為なのにロッシュが里の人々から尊敬されているのは、まさに人徳の成せる技なのだろう。
「そんで、ロッシュさんから返事はあったのか?」
「うん。増援送るからしばらくそこで待ってて、だって」
「仕事早いな」
ロッシュには現在進行形で鈴を持っている人々から膨大な情報が雪崩れ込んでいるだろうに、それを聞き分けて即座に最適解を出すなんて普通の人間にはできない。まるで聖徳太子である。
「なあ、増援はいつ来るんだ?」
「もうすぐ来ると思うよー」
数秒後、背後でどこかで聞き覚えのある女性の声がした。
「レブナ……」
「お姉ちゃん!」
レブナは目を輝かせながら無邪気に飛び跳ね、声の主の下へ飛び込んでいった。その先には、金髪のアンニュイフェイスの女性職員が立っており、難なくレブナを腹で受け止めていた。
あの眠そうな顔、どう見てもドドックスの眼球を鑑定してくれた換金所の人だ。
俺は一瞬思考停止した後、吃りながら目を見開いた。
「え、か、換金所にいたおねーさん!?」
「覚えていただけて光栄です……シュイナと申します。お見知りおきを……」
シュイナは腹に抱き着いたレブナの頭を撫でながら、ゆっくりと俺にお辞儀をした。全く気力がなさそうなシュイナの態度に、緊張していた俺の肩からもつい力が抜けた。
「えっと、俺はリョーホです。こちらこそよろしくお願いします?」
流れで自己紹介をしてみたが、名も知らぬクラスメイトと対面しているような気まずさでつい挙動不審になってしまった。シュイナは興味がないのか気にしていないのか、俺に会釈をするだけで黙り込んでしまった。
このままでは話が進みそうにないので、俺はおずおずとシュイナに質問を重ねた。
「その、シュイナさんはなんでこんなところに? もしかして避難してる途中で迷子になったとか?」
シュイナの格好はギルドで見かけた時よりも動きやすそうな格好をしているが、薄い長袖から浮き上がる華奢な体格は明らかに非戦闘員だ。言っては何だが、俺よりも弱そうである。
そんな失礼な思考を読まれたわけではないだろうが、シュイナは眠そうな顔をほんの少しだけ不満そうにしかめた。
「ロッシュ様からあなたと合流するように言われております……」
「俺と?」
「敵の拠点を潰すためです……」
「じゃあ、増援ってもしかして?」
「ええ……私一人です」
「ばっ」
バカじゃねーの!?
と叫びたくなるのをぐっとこらえ、俺は顎に手を当てて必死に思考を巡らせた。
たった一人の増援だが、ロッシュがそう決めたのなら何かしらの思惑があるに違いない。見た目に反してシュイナはかなりすごい狩人なのかもしれない。そうでなければ困る。
「いや、でもシュイナさんって戦えんの?」
いまいち納得できずに首を傾げる。
すると、シュイナにベタベタに甘えていたレブナが、心底蔑むような目で俺を見てきた。
「何馬鹿なこと言ってんの馬鹿じゃないのこの馬鹿」
「レブナにだけは言われたくなかった!」
「それってあたしが馬鹿って言いたいの!?」
「そうだよ!」
「むかーっ!」
レブナは癇癪を起こしながらシュイナの背中に回りこむと、びしりと人差し指を俺に向けた。
「お姉ちゃんはねぇ、あたしよりずっっっと強い狩人なんだよ!」
「……ってレブナは言ってるけど、本当なのか?」
と、シュイナに問いかければ、彼女は控えめに頷きながら、右手の手袋をきゅっと引き絞った。
「訳あって、今はギルド職員ですが、腕は落ちていませんよ……」
言うや否や、素人目でも分かる闘気がシュイナから漲った。
シュイナの菌糸能力『保持』は、指定した物体の時間の流れを遅くするものだ。能力の範囲は能力者の実力に依存するが、ロッシュとレブナから太鼓判を押されている上に、これほどの威圧感を放てるのなら増援として頼っていい、はず。
しかし、このメンバーだけで全てを無力化するのは至難だろう。相手は二十人近く。こちらは三人、うち一人は戦えない。
「あー、一応言っておくけど、俺は拠点を潰す手伝いはできないぞ」
場違い感に萎縮しながら、俺は折れた右腕を軽く振った。シュイナはそれを見て馬鹿にするでもなく、従者のように黙礼した。
「存じております……あなたが動けるよう補助するためにも、わたしが選ばれたのですから」
「俺の、補助?」
「わたしの菌糸能力で、あなたの菌糸の活動を鈍らせます。……多少動きにくくはなりますが、能力を使っても走り回っても、いきなり気絶する危険がなくなりますから……」
「じゃあ、シュイナさんがいれば俺も暴れ回れるんだな?」
「そう言うことです……ただ、激しく動き回れば、それだけ菌糸も活性化します。いくらわたしが抑えたとしても、活性速度を完全に止められるわけではありません。ですから、戦闘になった場合の効果時間は、持って五分程度かと……」
「五分か……」
たった五分で拠点を潰せる自信はない。ならば途中で俺が戦線を離脱するのは確実。今はできるだけ戦いを避けながら『保持』の時間を引き延ばし、シャルを抱えてエラムラまで走るのが関の山だ。
戦力外通知に黙り込む俺に、シュイナはレブナの肩を抱きながら小さく告げた。
「……あなたは戦わなくても構いませんよ。この程度の拠点はレブナ一人で十分です……」
「いや、そんなこと言われても、一人で戦わせるわけにはいかないだろ?」
「レブナはエラムラの里の精鋭部隊の一角を担っています……この程度楽勝です。ね?」
「うん! こんなの楽勝だよ?」
二人はアイコンタクトを取って頷き合い、揃ってそっくりな笑顔を俺に向けた。二人とも笑顔が下手くそである。
「本当に任せても大丈夫なんだよな? 何かあった時、俺じゃ一人しか助けられないぞ?」
真剣な面持ちで忠告したというのに、二人は俺を凝視しながら鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
「おっさんってさぁ。よくお人好しって言われるでしょ」
「いや、初めて言われた」
「うっそだぁ」
レブナがジト目で見てきたが、俺は肩をすくめるしかない。
そうこうしているうちに、シュイナがレブナの手を引きながら拠点近くの樹岩の後ろに回った。
「そろそろ行きましょう。二人とも……」
ふざけた様子から一転、レブナは腰に下げていた折畳式の大鎌に手をかけて臨戦体制をとった。
いよいよ戦闘が始まりそうな気配に、俺の心拍数が一気に引き上げられる。生唾をこっそり飲み込む俺の耳元に、シュイナがそっと耳打ちした。
「わたし達姉妹が陽動に回ります。その間に、あなたにはシャルを探してください……」
「わ、わかった」
「では……レブナ」
「あいあいさー!」
奇襲できる状況を思いっきり大声でぶち壊したレブナは、大鎌を振り回しながら拠点の中心部へ特攻した。遠心力であっという間に組み替えられた大鎌が唸りを上げ、手前にいた狩人たちの首を振り払う。
三人の狩人の首が宙を舞う──姿を幻視した。
レブナがぶつけたのは大鎌の柄部分だけだった。狩人たちは頸椎を殴られて昏倒しただけであり出血はしていなかった。
崩れ落ちた三人の前でレブナは仁王立ちになると、大鎌を天に掲げてドヤ顔になった。汚れ一つない双刃の大鎌が黄昏を吸い込んで、水滴のように先端を光らせる。
突然現れた銀髪の子供に、狩人たちは驚愕のあまり咄嗟に動けないようだった。
そこへレブナは音がするほど大きく息を吸い込み、
「スキュリアー! きさまらの企みもここまでだぁー! あたしはエラムラの銀士鬼レブナ! いざ尋常に、成敗!」
ものすごく頭の悪い前口上を叫んで、レブナは大袈裟に動き回りながら敵陣へ突っ込んでいった。
すぐに敵襲を知らせる笛が拠点中に響き渡り、狩人たちがわらわらとベルテント内から出てくる。どれもエラムラの狩人と負けず劣らず頑健そうな外見で、多少足並みを乱していながらも素早くレブナを包囲した。
だが機敏性で言えばレブナの方が何枚も上手だった。
レブナは踊り子のような軽やかさでテントの上を飛び回り、血を流すことなく次々と敵を無力化させていく。遠距離から攻撃をしようものなら、シュイナの菌糸能力が発動して時間をずらされ、狙いを定める暇もなくレブナに気絶させられていった。
流石姉妹、見事な連携だ。
「くそ、化け物どもめ!」
突然俺の背後から声がした。
咄嗟に振り返った俺の視界に、シュイナの金髪が翻る。同時に鈍い打撃音がして、スキュリアの狩人らしき男がきりもみ回転しながら俺の後ろから吹っ飛んでいった。
「な、なん……」
素手で敵をぶん殴ったシュイナに驚きすぎて、俺は顎が外れそうになった。
シュイナは右手を握ったり広げたりしながら眠そうに俺を見る。
「今のうちに……」
「あ、おう!」
俺は左手をついて立ち上がると、レブナが暴れる激戦区を迂回するように拠点の奥へ走り抜けた。
狩人の大部分はレブナとシュイナに集中しているため、大量にある遮蔽物を使えばベルテントに侵入するのは容易かった。
ステルス系ミッションは苦手だが、シュイナのチート能力のおかげでどうにか敵に見つからずに済んでいる。だが見つかりそうになってもシュイナが敵の時間を遅らせてくれるので逃げられるし、レブナが突っ込んでテントごと破壊するので隠れる必要があるのかどうかも怪しくなってきた。
俺はヒロインになったような気分でシャルの捜索を続けていたが、結果は芳しくなかった。
一つ目のテントも、その後も、またさらに奥のテントを覗いてもシャルはいなかった。
食料や備品をまとめたテントが二つ。
野戦病院に使えそうな大きめのテントが二つ。
火薬や武器がまとめて置かれたテントが三つ。
ベッドはあれど、シャルはおろか、寝かされている人間すらいない。拠点の規模は大きいというのにハリボテである。
「残りのテントは、あと一つか……」
もしそこにもシャルがいなければ、すでにスキュリアの里に連れて行かれたということになる。そうなってしまっては、今の俺ではシャルを取り返せない。
もっと最悪なのは、ニヴィがシャルを見つけてしまった場合だ。
ニヴィはベアルドルフを表舞台に引き摺り出すために必ずシャルを利用する。散々痛めつけられたあげくシャルが死ぬぐらいなら、いっそスキュリアに保護されていて欲しい。
俺は焦りを覚えながら、ついに一番大きなベルテントに辿り着いた。
とっくに日が暮れたバロック山岳は、テントから漏れ出るキノコライト以外に光源がない。大きなベルテントの周辺は樹岩に囲まれているせいで特に暗く、隔離されているような印象を覚えた。
俺はしつこいぐらいに周囲を捜索し他の狩人がいないことを確認すると、入口からそっと中を覗き込んだ。
テントの中には、この拠点のリーダーらしきトサカ頭の男がハンツチェアに座っていた。男の足元には大きな棍棒が置かれており、腕を組みながら瞑目しているようである。羽毛付きの鎧は冬国の騎士のような雰囲気で、顔には血管のような菌糸能力が浮かんでいた。
トサカ頭から放たれるプレッシャーに俺の足が震える。森の中で熊と出くわしてしまったかのような緊張で、目を離そうとするだけでも相当の勇気がいる。
俺はこみ上げてくる恐怖を必死にねじ伏せながら、できるだけ素早くテントの中を視線で探った。
テントの奥には簡易ベッドが置かれていたが、そこはすでにもぬけの殻になっていた。使われた形跡があるのでシャルは一度ここに運び込まれたのかも知れないが、一足遅かったらしい。
「…………」
もう俺がやるべきことはなくなった。ここはトサカ頭を放置して、ひとまずレブナたちの加勢に戻った方がいいだろう。
結局、何もできないままだった。
俺は一体何のために走っていたのだろう。クラトネールから守ってくれたシャルを助け出せず、レブナたちの足を引っ張って、あとは逃げ帰るだけか。
自責の念に打ちひしがれながら、俺は来た道を引き返す。
しかし、その背に向けてバリトンボイスを投げかけられた。
「……来ているんだろう」
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勇者召喚に巻き込まれた俺はのんびりと生活したいがいろいろと巻き込まれていった
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俺は勇者召喚に巻き込まれた
勇者ではなかった俺は王国からお金だけを貰って他の国に行った
だが、俺には特別なスキルを授かったがそのお陰かいろいろな事件に巻き込まれといった
この物語は主人公がほのぼのと生活するがいろいろと巻き込まれていく物語
完結【進】ご都合主義で生きてます。-通販サイトで異世界スローライフのはずが?!-
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32歳でこの世を去った相川涼香は、異世界の女神ゼクシーにより転移を誘われる。
断ると今度生まれ変わる時は、虫やダニかもしれないと脅され転移を選んだ。
彼女は女神に不便を感じない様に通販サイトの能力と、しばらく暮らせるだけのお金が欲しい、と願った。
通販サイトなんて知らない女神は、知っている振りをして安易に了承する。そして授かったのは、町のスーパーレベルの能力だった。
お惣菜お安いですよ?いかがです?
物語はまったり、のんびりと進みます。
※本作はカクヨム様にも掲載しております。
ぐ~たら第三王子、牧場でスローライフ始めるってよ
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現代日本で草臥れたサラリーマンをやっていた俺は、過労死した後に何の脈絡もなく異世界転生を果たした。
第二の人生で新たに得た俺の身分は、とある王国の第三王子だ。
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そんなエリートな王族の末席に加わった俺は、当然のように周囲から期待されていたが……しかし、俺が授かった天職は、なんと【牧場主】だった。
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