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2章
(12)戦
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ダウバリフの大剣は廊下の壁を上下真っ二つに横断した。
間一髪、アンリに頭を押さえられて斬撃を回避できた俺は、視界の端で点滴スタンドが切断されながら壁に叩きつけられるのを見た。俺の腕に刺さった点滴のチューブも衝撃で引き抜かれ、傷口が鋭く痛んだ。
暴風が止んで数秒後、分断された壁が不気味な音を立てながら次々に崩れ始める。避難しなければ時期に俺たちも建物に押しつぶされてしまうだろう。
頭では何が起きているのか理解できている。
だが俺の感情が、未だに殺されかけたという事実を容認できていなかった。
俺は、戦争が起きるかもしれないと口にしておきながら、自分が殺される可能性を全く考えていなかったのだ。
極度の緊張に陥ってしまい、俺は床に跪いたまま動けなかった。
そこへ、ダウバリフの両腕から大剣の突き技が繰り出される。
電車が突っ込んでくるような死の迫力。
俺は反射的に目を瞑った。
「目をつぶるなって何度言やぁ分かんだよ!」
攻撃は俺に直撃することなく、アンリが双剣で下へ受け流した。
瞼の裏で火花が散る。
軌道を逸らされた大剣の威力は床を圧し砕いた後、すぐに引き抜かれて二度目の薙ぎ払いを巻き起こした。即座にアンリが俺を抱えながら後ろに飛び退く。
俺は恐怖で引き攣る瞼を必死にこじ開けながら声を張り上げた。
「ダウバリフ! ここにはシャルがいるんだぞ!?」
「知っておるわい!」
ダウバリフはお構いなしに大剣を振るい、狭いギルドの壁や天井を破壊しながらなおも襲い来る。アンリは双剣の片方を俺に投げ寄越すと、余った短剣と弓だけでダウバリフに応戦した。短剣から風の斬撃が駆け、それに追随するように弓の弦が高らかに唸る。
アンリの『陣風』は建物の破片を切り刻みながらダウバリフに殺到したが、すべて大剣の一振りで相殺されてしまった。
アンリは舌打ちを零すと、俺を振り返らずに叫んだ。
「リョーホ! シャルと一緒に逃げろ!」
でも、と言いかけたが、右腕を使えない俺は完全な足手まといだ。
アンリが双剣の片方を俺に投げよこしたのは護身用のため。
俺がしなければならないのは、ここから無事に生き残ること。
「わ、悪いアンリ、ここは頼んだ!」
アンリからの返事はなかった。代わりに、エランの剣がダウバリフの大剣を大きく弾き飛ばした。
瞬間、俺は荒れ狂う斬撃を抜けて医務室へ走った。
ようやく強くなってきたと思ったらすぐにこれだ。いつまでたっても俺は、肝心な時に逃げることしかできない。
胸中を満たす負い目に足を取られないよう、俺はいつしか叫び声を上げていた。
「──追わないんだね」
アンリは暴雨風の如き切り合いの中で呟く。
ダウバリフは指の欠けた右手で大剣を握り直すと、白い髭の下で悪辣な笑みを浮かべた。
「なに、もう手遅れじゃ」
・・・―――・・・
ダウバリフが俺たちを襲撃して間もなく、あちこちで激しい爆発音が断続的に轟いた。すぐに煙の臭いが漂ってきて、天井も黒い煙で覆われ始める。
爆弾テロと同じ、計画的な犯行だ。
俺が予想していた通り、ダウバリフは密偵としてエラムラの里に残り、反撃の狼煙を上げる日を待ち続けていたのだろう。先ほどの爆発音も、きっとダウバリフが引き入れた隣里の者たちが引き起こしたのだ。
止められなかった、と後悔する暇はない。
しかし、この世界の人間なら、俺のゲーム知識に照らし合わせずとも、戦争の可能性に真っ先に思い至るんじゃないか?
特にエラムラの里は、ヨルドの里に代わってドラゴン狩り最前線を支える大拠点だ。そう簡単に隣里からの襲撃を許すとは思えない。
もしかしたら、ダウバリフとエラムラの対立にはもっと大きな裏があるのではないか。そんな憶測が脳裏をよぎるが、俺の頭では答えを出せるわけもない。
今はただ、悲鳴がこだます廊下を駆け抜けるだけだ。
ギルド内は大混乱だった。
戦えない受付嬢たちは血相を変えて出口に走り、反対に戦える狩人たちがギルド内に飛び込んでくるせいで、狭い通路に一気に人が溢れかえっている。緊急マニュアルに沿って避難案内をする人間も中にはいたが、怒号と悲鳴にかき消されて上手く行き届いていないようだった。
俺は医務室から出てきた入院患者たちを見つけて、まだ冷静そうな男に声をかけた。
「なぁ、シャルは一緒か!?」
「い、いや、見てない! 急に爆発が起きて何も見えなくなって」
「マジかよ!」
俺は短く悪態をついて、開け放たれたままの医務室の中を見た。そこからは、爆発で巻き起こったであろう真っ黒な煙がもくもくと流れ出ており、床に触れる寸前まで充満していた。
ドアに近づくだけでも熱気を感じて、俺は一瞬医務室に入るのを躊躇った。だが頬を叩いて気合を入れると、高校での避難訓練の内容を思い出しながら部屋の中へ飛び込んだ。
腰を屈めながら煙の中に入った途端、顔中にひりひりとした痛みが生まれる。目が燻されて開けにくく視界も悪い。なるべく煙を割けるように床を這うが、吸い込む息はどれも苦く気道が溶けるようだった。あまり長くはいられない。
数分もしないうちに、俺はシャルが寝かされていたベッドへとたどり着いた。
「シャル!」
声を掛けながらベッドの上に上体を持ち上げるが、そこで眠っていたはずの褐色肌の少女は忽然と姿を消していた。
「シャル! どこだ!?」
ベッドの下を覗き込んだり別のベッドを見て回ったりするが、シャルの姿はどこにもない。ここに入院していた人たちはすでに避難した後のようで、医務室の中からは誰の返事も出なかった。
誰かがシャルを先に連れて行ってくれたのだろうか。
しかし、シャルを嫌っている里の人間が、親切心でそんなことをしてくれるとは思えない。
──シャルのためじゃ。許せよ。
ダウバリフが口にした言葉。
本当にダウバリフ達がシャルのために戦いを仕掛けてきたのなら、シャルは真っ先に保護されているはずだ。ならばエラムラの人が連れて行ったと考えるより、ダウバリフの仲間が連れ去ったと考える方が自然である。
不意に、ギルド全体が大きく揺れた。
ダウバリフとアンリの戦闘と爆発の余波で建物が倒壊しかけているのだ。
「くそ、とにかく外だ!」
俺は疑念を打ち払うように素早く踵を返し、ギルドの裏口から外へと飛び出した。
外で俺を出迎えたのは火柱だった。
空気が熱い。夏の蒸し暑さとは違う焼け付くような熱気だ。
けぶる視界の向こうでは悲鳴が上がり、激しく金属が打ち合う音が俺の鼓膜を揺らす。
煙を吸わぬよう口に手の甲を当てながら、俺は炎の向こうに目を凝らした。
エラムラの里はまさに阿鼻叫喚だった。
どの方角からも火の手が上がり、連鎖的な爆発が起きて建物が吹っ飛んでいく。焦げ付いた空気にカエン岩の匂いが混ざっていたので、あの爆発はすべて人為的なものだ。
美しかったエラムラの街並みが崩れ去っていくたび、俺の身体の中に冷たいものが降り積もった。
逃げ惑う群衆の中に目を凝らせば、エラムラの狩人と殺し合う浅黄色のマントを羽織った複数の狩人がいた。彼らは襲い掛かってくる狩人たちを無力化しながら一般人を里の中央広場に集め、着々と制圧を進めている。
俺が予想した通りなら、あのマントたちは別の里の狩人たちだ。
浅黄色のマントたちを扇動したのは討滅者ベアルドルフ。
彼らを里の中まで手引きしたのはダウバリフ。
ならばシャルは、浅黄色のマントたちによって安全な場所に寝かされているはず。
里のあちこちで火の手が上がっているのなら、シャルは確実にエラムラの外にいる。おそらく敵の拠点もそこにあるはずだ。
だが、しらみつぶしに里の外を探し回るのは得策ではない。里の外はドラゴンがおり、人間の血の匂いでドドックスやその他中位ドラゴンが集まっている可能性がある。最短距離でシャルを助けに行けなければ、俺がドラゴンの餌になって終わるだろう。
しかし敵の手掛かりは少なく、周囲を山で覆われているせいでここからでは敵拠点の位置も把握できない。
エラムラの中で、唯一外を一望できる場所は──。
「薄明の塔……!」
見上げる先には、延々と山の天辺まで続く逢魔落としの階段がある。
双剣の片方はアンリが持っており、右腕も骨折しているため『紅炎』で空を飛んでショートカットできない。今俺に残されているのは、バルド村の階段で散々鍛え上げた二本の足だけだ。
俺の身体は今、死滅した菌糸のせいでいつエネルギー切れで気絶してもおかしくない。下手をすれば死ぬと医者に宣告された。
それでも、他に選択肢はない。
俺は深呼吸をして覚悟を決めようとしたが、迷いが過ぎってなかなか決められずにいた。
別に俺がシャルを助けずとも、誰かが彼女を助けてくれるかもしれない。
ダウバリフがシャルのために戦争を引き起こしたのなら、このままシャルを浅黄色のマントたちに任せた方が彼女のためになるのかもしれない。
俺がなにも足掻くことなく、成り行きに身を任せていた方が……あの子は幸せになれるのではないか?
そもそも俺は、どうして今日会ったばかりの女の子にここまで必死になっているんだ。俺が一番優先すべきは故郷の家に帰ること。守護狩人になるのも手段でしかない。だから、日本に帰る前に死んでしまったら今までの努力も水の泡だ。
俺は英雄でも主人公でもない、ただの高校生だ。シャルを助けられるわけがない。
こうして立ちすくむ間にも、自分が死ぬかもしれない恐怖が際限なく膨らんでいる。安全な場所で蹲って、誰かが何とかしてくれるのを待っていたい。レオハニーのような強い狩人が颯爽と現れて、何もかも全部丸く収めてくれるのを期待したい。
だが……だが、格好悪いじゃないか。
自分より幼い女の子を見殺しにして、自分だけ幸せになろうだなんて格好悪い。一生後悔するに決まっている。
それに、他人に任せても何も解決しないことは、この三か月の異世界生活で散々思い知ったはずだ。
俺の知っている狩人たちは、他人任せな戦いをしない。一人が手を抜くだけで全員が死ぬかもしれないから、仲間と共に知恵を絞り補い合い、各々が出せる力を振り絞って討伐する。
その分、討伐が成功した時の喜びは何にも代えがたい。
ゲームでもそうだったはずだ。
ドラゴンを倒すことで救われる人がいる。
共闘の喜びが焼き付いている。
自分が貢献できた時の楽しさも思い出せる。
何より、強い狩人に俺は憧れていた。
憧れた狩人になれる千載一遇のチャンス。
これはシャルのためじゃない。俺のための戦い。
元より俺がシンビオワールドを手に取った理由は、なんとなく楽しそうだったから以外に何もない。ゲーム、曲、動画など、溢れかえった娯楽を選択するときに深く考える人はいない。
なら、シャルを助ける理由もなんとなくでいい。
俺がシャルを助けたい。
俺がみんなを救いたい。
俺が動いた方が、全部上手く行くはず。
そうなるように走ればいい。
「──ッ!」
不意に、俺の上空で何かが横切った。
まさかドラゴンかと武器を構えるが、そいつは想像していたよりも小さい外見だった。辛うじて黒服を纏った人間に見えたが、あまりにも早すぎて敵か味方か判別もつかない。
そいつは空中でさらに速度を上げる。
向かう先には、広場で住人たちを捕縛する浅黄マントたちがいる。
その中心地へ、そいつは隕石のごとく落下した。
轟音。
尋常ではないほどの砂埃が舞い上がり、捕縛された住人たちから恐怖の悲鳴が上がる。同時に大勢の人間が倒れる音がして、砂埃の中から次々と人が吹き飛ばされてくる。
地面を転がってきたのは、どれも浅黄マントであった。
砂埃から黒服の人間が歩み出てくると、住人は恐怖から一転して歓声を上げた。
間一髪、アンリに頭を押さえられて斬撃を回避できた俺は、視界の端で点滴スタンドが切断されながら壁に叩きつけられるのを見た。俺の腕に刺さった点滴のチューブも衝撃で引き抜かれ、傷口が鋭く痛んだ。
暴風が止んで数秒後、分断された壁が不気味な音を立てながら次々に崩れ始める。避難しなければ時期に俺たちも建物に押しつぶされてしまうだろう。
頭では何が起きているのか理解できている。
だが俺の感情が、未だに殺されかけたという事実を容認できていなかった。
俺は、戦争が起きるかもしれないと口にしておきながら、自分が殺される可能性を全く考えていなかったのだ。
極度の緊張に陥ってしまい、俺は床に跪いたまま動けなかった。
そこへ、ダウバリフの両腕から大剣の突き技が繰り出される。
電車が突っ込んでくるような死の迫力。
俺は反射的に目を瞑った。
「目をつぶるなって何度言やぁ分かんだよ!」
攻撃は俺に直撃することなく、アンリが双剣で下へ受け流した。
瞼の裏で火花が散る。
軌道を逸らされた大剣の威力は床を圧し砕いた後、すぐに引き抜かれて二度目の薙ぎ払いを巻き起こした。即座にアンリが俺を抱えながら後ろに飛び退く。
俺は恐怖で引き攣る瞼を必死にこじ開けながら声を張り上げた。
「ダウバリフ! ここにはシャルがいるんだぞ!?」
「知っておるわい!」
ダウバリフはお構いなしに大剣を振るい、狭いギルドの壁や天井を破壊しながらなおも襲い来る。アンリは双剣の片方を俺に投げ寄越すと、余った短剣と弓だけでダウバリフに応戦した。短剣から風の斬撃が駆け、それに追随するように弓の弦が高らかに唸る。
アンリの『陣風』は建物の破片を切り刻みながらダウバリフに殺到したが、すべて大剣の一振りで相殺されてしまった。
アンリは舌打ちを零すと、俺を振り返らずに叫んだ。
「リョーホ! シャルと一緒に逃げろ!」
でも、と言いかけたが、右腕を使えない俺は完全な足手まといだ。
アンリが双剣の片方を俺に投げよこしたのは護身用のため。
俺がしなければならないのは、ここから無事に生き残ること。
「わ、悪いアンリ、ここは頼んだ!」
アンリからの返事はなかった。代わりに、エランの剣がダウバリフの大剣を大きく弾き飛ばした。
瞬間、俺は荒れ狂う斬撃を抜けて医務室へ走った。
ようやく強くなってきたと思ったらすぐにこれだ。いつまでたっても俺は、肝心な時に逃げることしかできない。
胸中を満たす負い目に足を取られないよう、俺はいつしか叫び声を上げていた。
「──追わないんだね」
アンリは暴雨風の如き切り合いの中で呟く。
ダウバリフは指の欠けた右手で大剣を握り直すと、白い髭の下で悪辣な笑みを浮かべた。
「なに、もう手遅れじゃ」
・・・―――・・・
ダウバリフが俺たちを襲撃して間もなく、あちこちで激しい爆発音が断続的に轟いた。すぐに煙の臭いが漂ってきて、天井も黒い煙で覆われ始める。
爆弾テロと同じ、計画的な犯行だ。
俺が予想していた通り、ダウバリフは密偵としてエラムラの里に残り、反撃の狼煙を上げる日を待ち続けていたのだろう。先ほどの爆発音も、きっとダウバリフが引き入れた隣里の者たちが引き起こしたのだ。
止められなかった、と後悔する暇はない。
しかし、この世界の人間なら、俺のゲーム知識に照らし合わせずとも、戦争の可能性に真っ先に思い至るんじゃないか?
特にエラムラの里は、ヨルドの里に代わってドラゴン狩り最前線を支える大拠点だ。そう簡単に隣里からの襲撃を許すとは思えない。
もしかしたら、ダウバリフとエラムラの対立にはもっと大きな裏があるのではないか。そんな憶測が脳裏をよぎるが、俺の頭では答えを出せるわけもない。
今はただ、悲鳴がこだます廊下を駆け抜けるだけだ。
ギルド内は大混乱だった。
戦えない受付嬢たちは血相を変えて出口に走り、反対に戦える狩人たちがギルド内に飛び込んでくるせいで、狭い通路に一気に人が溢れかえっている。緊急マニュアルに沿って避難案内をする人間も中にはいたが、怒号と悲鳴にかき消されて上手く行き届いていないようだった。
俺は医務室から出てきた入院患者たちを見つけて、まだ冷静そうな男に声をかけた。
「なぁ、シャルは一緒か!?」
「い、いや、見てない! 急に爆発が起きて何も見えなくなって」
「マジかよ!」
俺は短く悪態をついて、開け放たれたままの医務室の中を見た。そこからは、爆発で巻き起こったであろう真っ黒な煙がもくもくと流れ出ており、床に触れる寸前まで充満していた。
ドアに近づくだけでも熱気を感じて、俺は一瞬医務室に入るのを躊躇った。だが頬を叩いて気合を入れると、高校での避難訓練の内容を思い出しながら部屋の中へ飛び込んだ。
腰を屈めながら煙の中に入った途端、顔中にひりひりとした痛みが生まれる。目が燻されて開けにくく視界も悪い。なるべく煙を割けるように床を這うが、吸い込む息はどれも苦く気道が溶けるようだった。あまり長くはいられない。
数分もしないうちに、俺はシャルが寝かされていたベッドへとたどり着いた。
「シャル!」
声を掛けながらベッドの上に上体を持ち上げるが、そこで眠っていたはずの褐色肌の少女は忽然と姿を消していた。
「シャル! どこだ!?」
ベッドの下を覗き込んだり別のベッドを見て回ったりするが、シャルの姿はどこにもない。ここに入院していた人たちはすでに避難した後のようで、医務室の中からは誰の返事も出なかった。
誰かがシャルを先に連れて行ってくれたのだろうか。
しかし、シャルを嫌っている里の人間が、親切心でそんなことをしてくれるとは思えない。
──シャルのためじゃ。許せよ。
ダウバリフが口にした言葉。
本当にダウバリフ達がシャルのために戦いを仕掛けてきたのなら、シャルは真っ先に保護されているはずだ。ならばエラムラの人が連れて行ったと考えるより、ダウバリフの仲間が連れ去ったと考える方が自然である。
不意に、ギルド全体が大きく揺れた。
ダウバリフとアンリの戦闘と爆発の余波で建物が倒壊しかけているのだ。
「くそ、とにかく外だ!」
俺は疑念を打ち払うように素早く踵を返し、ギルドの裏口から外へと飛び出した。
外で俺を出迎えたのは火柱だった。
空気が熱い。夏の蒸し暑さとは違う焼け付くような熱気だ。
けぶる視界の向こうでは悲鳴が上がり、激しく金属が打ち合う音が俺の鼓膜を揺らす。
煙を吸わぬよう口に手の甲を当てながら、俺は炎の向こうに目を凝らした。
エラムラの里はまさに阿鼻叫喚だった。
どの方角からも火の手が上がり、連鎖的な爆発が起きて建物が吹っ飛んでいく。焦げ付いた空気にカエン岩の匂いが混ざっていたので、あの爆発はすべて人為的なものだ。
美しかったエラムラの街並みが崩れ去っていくたび、俺の身体の中に冷たいものが降り積もった。
逃げ惑う群衆の中に目を凝らせば、エラムラの狩人と殺し合う浅黄色のマントを羽織った複数の狩人がいた。彼らは襲い掛かってくる狩人たちを無力化しながら一般人を里の中央広場に集め、着々と制圧を進めている。
俺が予想した通りなら、あのマントたちは別の里の狩人たちだ。
浅黄色のマントたちを扇動したのは討滅者ベアルドルフ。
彼らを里の中まで手引きしたのはダウバリフ。
ならばシャルは、浅黄色のマントたちによって安全な場所に寝かされているはず。
里のあちこちで火の手が上がっているのなら、シャルは確実にエラムラの外にいる。おそらく敵の拠点もそこにあるはずだ。
だが、しらみつぶしに里の外を探し回るのは得策ではない。里の外はドラゴンがおり、人間の血の匂いでドドックスやその他中位ドラゴンが集まっている可能性がある。最短距離でシャルを助けに行けなければ、俺がドラゴンの餌になって終わるだろう。
しかし敵の手掛かりは少なく、周囲を山で覆われているせいでここからでは敵拠点の位置も把握できない。
エラムラの中で、唯一外を一望できる場所は──。
「薄明の塔……!」
見上げる先には、延々と山の天辺まで続く逢魔落としの階段がある。
双剣の片方はアンリが持っており、右腕も骨折しているため『紅炎』で空を飛んでショートカットできない。今俺に残されているのは、バルド村の階段で散々鍛え上げた二本の足だけだ。
俺の身体は今、死滅した菌糸のせいでいつエネルギー切れで気絶してもおかしくない。下手をすれば死ぬと医者に宣告された。
それでも、他に選択肢はない。
俺は深呼吸をして覚悟を決めようとしたが、迷いが過ぎってなかなか決められずにいた。
別に俺がシャルを助けずとも、誰かが彼女を助けてくれるかもしれない。
ダウバリフがシャルのために戦争を引き起こしたのなら、このままシャルを浅黄色のマントたちに任せた方が彼女のためになるのかもしれない。
俺がなにも足掻くことなく、成り行きに身を任せていた方が……あの子は幸せになれるのではないか?
そもそも俺は、どうして今日会ったばかりの女の子にここまで必死になっているんだ。俺が一番優先すべきは故郷の家に帰ること。守護狩人になるのも手段でしかない。だから、日本に帰る前に死んでしまったら今までの努力も水の泡だ。
俺は英雄でも主人公でもない、ただの高校生だ。シャルを助けられるわけがない。
こうして立ちすくむ間にも、自分が死ぬかもしれない恐怖が際限なく膨らんでいる。安全な場所で蹲って、誰かが何とかしてくれるのを待っていたい。レオハニーのような強い狩人が颯爽と現れて、何もかも全部丸く収めてくれるのを期待したい。
だが……だが、格好悪いじゃないか。
自分より幼い女の子を見殺しにして、自分だけ幸せになろうだなんて格好悪い。一生後悔するに決まっている。
それに、他人に任せても何も解決しないことは、この三か月の異世界生活で散々思い知ったはずだ。
俺の知っている狩人たちは、他人任せな戦いをしない。一人が手を抜くだけで全員が死ぬかもしれないから、仲間と共に知恵を絞り補い合い、各々が出せる力を振り絞って討伐する。
その分、討伐が成功した時の喜びは何にも代えがたい。
ゲームでもそうだったはずだ。
ドラゴンを倒すことで救われる人がいる。
共闘の喜びが焼き付いている。
自分が貢献できた時の楽しさも思い出せる。
何より、強い狩人に俺は憧れていた。
憧れた狩人になれる千載一遇のチャンス。
これはシャルのためじゃない。俺のための戦い。
元より俺がシンビオワールドを手に取った理由は、なんとなく楽しそうだったから以外に何もない。ゲーム、曲、動画など、溢れかえった娯楽を選択するときに深く考える人はいない。
なら、シャルを助ける理由もなんとなくでいい。
俺がシャルを助けたい。
俺がみんなを救いたい。
俺が動いた方が、全部上手く行くはず。
そうなるように走ればいい。
「──ッ!」
不意に、俺の上空で何かが横切った。
まさかドラゴンかと武器を構えるが、そいつは想像していたよりも小さい外見だった。辛うじて黒服を纏った人間に見えたが、あまりにも早すぎて敵か味方か判別もつかない。
そいつは空中でさらに速度を上げる。
向かう先には、広場で住人たちを捕縛する浅黄マントたちがいる。
その中心地へ、そいつは隕石のごとく落下した。
轟音。
尋常ではないほどの砂埃が舞い上がり、捕縛された住人たちから恐怖の悲鳴が上がる。同時に大勢の人間が倒れる音がして、砂埃の中から次々と人が吹き飛ばされてくる。
地面を転がってきたのは、どれも浅黄マントであった。
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