19 / 232
1章
(18)彼岸花
しおりを挟む
ソウゲンカの背中に生えた触手が、大縄跳びガチ勢が振り回すようなビュンビュンという音を立てて暴れ回る。
その触手は炭になった樹木を輪切りにするだけでなく、地面を深々と叩き割りながら即死級の威力を発揮しまくっている。
こんな凶悪な攻撃の中をかい潜って、ソウゲンカに殴りかかれと?
実際にそれをやってのけるアンリの超人っぷりに、俺は舌を巻くしかない。
だが俺だって何もしていないわけではない。遠目でアンリ達の戦闘を見守っていたおかげで、ソウゲンカの攻撃モーションがシンビオワールドとほぼ同じなのは確認済みだ。
太刀のモーションと同じように、ソウゲンカの攻撃モーションもしっかり覚えている。
俺はその記憶を駆使して触手の嵐を掻い潜り、そのままソウゲンカの足元に張り付くことに成功した。
キャラクターのように素早い移動ではなかったが、当たり判定が目に見た通りである分、むしろゲーム内よりも難易度が低いかもしれない。
「おらぁ!」
俺は神がかったタイミングでソウゲンカの攻撃を回避しながら、太刀の上段切りをぶち込み、次の攻撃も余裕をもって受け流す。
自分でも驚くぐらい戦えている。装備集めのために散々ソウゲンカを殺しまくった過去の努力が、まさかこんな形で報われる日が来るとは思わなかった。
しかし、触手から降り注いでくる灼熱のせいで安置に長く張り付くのは無理だった。刀のモーションを思い出してぶつけようとしたって、肌を焼かれる痛みのせいで物怖じしてしまうのだ。大きなチャンスが巡ってきても、一歩踏み出そうとするたびに踏み潰されるかもしれないという恐怖で身体がすくむ。
こんなところでビビっていては守護狩人になるなんて夢のまた夢だ。俺は日本に帰らないといけない。こんなすごい体験をしているのに死んでしまったらもったいない。俺はこの世界で英雄になったんだと、家族や友人にいってやならきゃ格好悪いだろう。
だから行ける。やってやれ。かっこいい所を見せてやれ!
「っしゃあああ絶対ぶっ殺す!」
俺は気合いを入れると、刀を下段に構えてソウゲンカの懐へ滑り込んだ。すると、上で触手を切り飛ばしていたエトロが悲鳴じみた声を上げた。
「馬鹿! その位置はやばい!」
知っている。俺もプレイヤーの時、散々こいつのモーションで吹っ飛ばされた。
だから覚えている。初見殺しの攻撃の予備動作も、攻撃が絶対に当たらない絶対安置も!
不意にソウゲンカの上半身が大きく持ち上がる。
後ろ足で仁王立ちになったそいつは、勢いをつけて俺を押し潰そうと迫ってきた。
「リョーホ!」
「大丈夫だアンリ! 俺は死なない!」
ソウゲンカの身体が徐々に俺へと傾いてくる。まるでビルが倒壊してくるような迫力だ。今すぐに逃げたくなる。
だがまだ動いてはいけない。
奴の足が地面に着いている間は、回避行動をとってもホーミングしてくる。早めに避ければ避けるほど、この攻撃は危険なのだ。
後ろ足が浮いた瞬間がチャンスだ。
前足が近づいてくる。
固い地面を長年歩いてきた分厚い皮と、血を吸ったように赤い巨大な蹄が、俺の視界を覆い尽くしていく。
まだダメだ。
目の前の足に意識が向きそうになるのを必死にこらえて、ソウゲンカの後ろ足にすべての意識を集中させる。
あと傾斜三十度、二十度、十度、一度。
今だ。
俺は全力で斜め後ろに飛びながら、ソウゲンカの長い首の真横に張り付いた。
そしてちょうど降りて来た奴の目玉に向け、全力で斬撃を叩き込む。
『ギャオオオオオオオオオ!』
ソウゲンカの右目が完全につぶれる。脈動に合わせて噴き出した鮮血が俺の顔を濡らした。
まさしく会心の一撃だ。
下位ドラゴンの時のように骨を砕くまではいかなかったが上出来である。
勝利への一手に喜んでも油断はしない。
俺の目はすでに次のモーションを追いかけている。
この後、ソウゲンカは俺を吹き飛ばすべく、高確率で回転するだろう。
そしてその攻撃は三歩後ろでしゃがめば避けられる。
俺が予測した通り、ソウゲンカは怒り狂いながら四つ足で地面をかき回し、しっぽを振り回して俺にぶつけようとしてきた。
その時すでに、俺は地面に這いつくばるほどの低さでしゃがんでいた。
俺の背中の上を無骨なしっぽが唸りを上げて通過する。
まだ頭を上げてはいけない。
しっぽがまだ振り子のように揺れており、当たれば首の骨が折れてしまう。
だから代わりに前転して距離を詰め、がら空きのソウゲンカの尻にもう一撃叩き込む。
ズパァン! と心地よい斬撃音が手元から発され、二度目の鮮血が俺の服を濡らした。
ドミラスからもらった大切な一張羅だが、洗えばきっと何とかなるだろう。
「そしてぇ……逃げる!」
俺は太刀を両手で持ちながら全力でとんずらした。
数秒後、ソウゲンカが己の尻付近をまんべんなくしっぽで叩き潰し、地面に深い亀裂を生み出した。それだけに飽き足らず、ソウゲンカはもう一度半回転して俺を見つけるや、喉の奥を光らせて紅炎のブレスを吐き出した。
「よっしゃ当たり! あとは横なぎブレスをフレームかい、ひ?」
疑問。
ゲーム特有、キャラクターの無敵時間を利用したフレーム回避は、はたして現実で再現できるか。
答えは否だ。
「あ、死ぬ──」
白目をむきながら悪あがきで地面に転がる。するといきなり俺とブレスの間に氷塊が落下して、灼熱の息吹をすべて防いでくれた。
「あ?」
「いつまで寝転がっている! さっさと立て!」
「あぶら!?」
脇腹を蹴り上げられて無理やり膝立ちにされながら、俺は目を白黒させた。
俺の真横には、冷気を纏った槍を構えるエトロが立っていた。
「え、エトロか! 助かった!」
「遊んでいる暇はない。次来るぞ!」
警告した矢先、エトロの『氷晶』が騒音を立てながら砕け散り、向こう側からソウゲンカが突進してきた。すぐに回避するべく足に力を込めた瞬間、
「さっさとくたばれ!」
棒高跳びの選手のごとく、アンリがソウゲンカの上に飛翔しながら弓を弾いた。即座に笛のような風切り音が雨あられのごとく降り注ぎ、ソウゲンカの背中で斬風が炸裂した。触手が半ばから千切れ飛び、鱗の破片が甲高い音を立てて砕け散る。遅れて血しぶきが炎の上に飛び散り、俺たちのところまで雨のように降り注いだ。
上から斬風で押さえつけられたソウゲンカは、突進の勢いを殺されて俺の前で跪いた。
だが奴の嘴の中で光が収束しつつあるのが見えて、俺は叫びながら横に飛んだ。
「避けろ──ッ!」
ソウゲンカの嘴が開かれる。
しかしブレスは俺直接ではなく、俺の真下の地面を狙っていた。
ピンクがかった閃光の衝撃を受け、俺の足が地面から離れた。
暴風に呑まれて、上と下が分からない。耳鳴りで音が飛んで、目も光に焼かれて何も見えない。
そのせいで、俺はしばらく空中に打ち上げられたことに気づけなかった。
焼けて鈍色になった網膜で、必死に目を凝らす。
地面が遠い。
ビームから生み出された爆風が、延々と俺を空へ押し上げている。腹に叩きつけられた風圧で息ができない。背骨と腹の皮がくっついてしまいそうだ。
やがて衝撃がすべて抜け切り、浮遊から落下が始まる。ほとんど何も見えないが、ソウゲンカの赤い体があんなにも小さいのだから、高さは学校の屋上ぐらいか。
あと数秒で落下死する。
俺は酸欠になった脳みそを必死に働かせるが、この状況から助かる方法が何一つ思いつかなかった。
パニックになっている間に、もう地面は目の前まで来ている。
不意に突風に襲われて、俺の身体が横に吹っ飛んだ。さらに真下から二度目の風圧が叩き込まれ、ゆるゆると落下速度が落ちていく。それでも致死的速度に変わりはない。
「チッ」
アンリの舌打ちが聞こえた気がする。
風が止んだ瞬間、俺の脇腹に誰かの腕が差し込まれ、ぐるりと一回転したかと思うと斜め上に放り投げられた。そして落下先には氷でできた滑り台があり、背中から斜面に不時着した。冷たい斜面は途中から地面とほぼ水平になっており、地面に足が触れる頃にはもう内臓が浮き上がるような浮遊感が消え失せていた。
視力はいつの間にか戻っている。
俺がマネキンのように呆然としている間に、アンリとエトロが能力を使って助けてくれたのだ。
そうでなければ、今頃俺は地面に衝突して弾け飛んでいた。
冷たい氷に左頬を押し付けたまま、ようやく事態を飲み込んだ俺の身体が激しく震え出した。
「し、ししし、しし死ぬ死ぬ死ぬ……」
視界の端で紅炎が見えた。ブレスだ。
俺はほとんど本能で起き上がると、氷の滑り台の後ろに回って地面に伏せた。
直後に息が詰まるほどの熱気が周囲を満たし、俺の頭上で炎が逆巻く。俺に尻をぶった切られたのが相当屈辱だったようで、ソウゲンカはありったけの殺意でこちらを殺しに来ていた。
ならばこちらも、と太刀を握ろうとしたが、さきほど空に吹き飛ばされたときにどこかに行ってしまったらしく、腰には鞘しか残っていなかった。
「マジかよ!」
ブレスが止んだのを見計らい、俺は溶けていく氷から頭を覗かせた。
アンリとエトロが怒り狂うソウゲンカを攻撃しているが、奴の目はまだ俺を睨んでいる。あの生意気な顔にもう一発マヒガ草爆弾をぶつけてやりたいが、あいにくもう手持ちがない。
素手で戦いを挑むなんて愚か者の極みである。
だが、俺なら拳以外の武器がある。
俺は両頬を叩いて喝を入れると、氷の陰から飛び出してソウゲンカの前へと飛び出した。
「リョーホ! もういい逃げろ!」
「冗談言うな! 俺がこいつを引き付けるからその間にぶっ殺せ!」
なぜか悲痛な表情になるアンリに怒鳴りつけながら、俺はソウゲンカの攻撃を誘発するべく鼻先でわざと立ち止まった。
ここから先は一度捕まれば即ゲームオーバーだ。
予備動作を見たらどんな攻撃か思い出す程度の気力では死ぬだろう。早押しクイズレベルの集中力が必要だ。
ならば記憶を無理やりほじくり返して、すべての攻撃を見切るだけだ。
「噛みつき!」
嘴が凄まじい速度で俺の胴体を真っ二つにしようとする。それをバックステップで回避し、引っ込む首に合わせて前に出る。
「薙ぎ払い!」
ソウゲンカの右前足が鬱陶し気に払われる。それをあえて斜め前に行くことで回避し、ソウゲンカの右側面へ移動する。俺を見失ったソウゲンカは、菌糸能力を使わせて居場所を把握するべく、背中の触手に胞子を纏わせる。
「アンリーッ!」
俺の叫びに応えるように、歓声にも似た風の音色が湧き立った。
『陣風』が矢と共に空へ吸い込まれ、無数の斬撃を従えながらソウゲンカの背中へ落下する。これまで幾度もその背に斬撃を食らっていたソウゲンカにとって、その衝撃はひとたまりもなかった。
ついに分厚い鱗が大きく剥がれ落ち、触手がすべて千切れ飛ぶ。
さらに、中途半端に形成されていた紅の胞子がその場に落下し、ソウゲンカ自身を爆発の海に飲み込んだ。胞子一つ一つが内包した地雷レベルの爆発力は、激しく点滅を繰り返しながらソウゲンカの強靭な手足を打ち砕いていった。
ようやく胞子のすべてが爆発し終え、ソウゲンカが暴風から解放される。
ソウゲンカはボロボロになりながらも、血まみれになった四つ足で立ち上がろうとする。
そこに、純粋な白を纏った冷気が降り注いだ。頭上を見上げれば、ソウゲンカに匹敵するほどの巨大な氷槍が浮かんでおり、その天辺にはエトロが立っていた。
エトロは狭い足場でぐっと足をたわめると、その場で二メートル近く飛び上がった。
前宙、続けて踵落とし。
「落ちろ!」
エトロの後押しを受けた氷晶が目にもとまらぬ速さで打ち出され、ソウゲンカの分厚い胴体を貫通し、深く地面に縫い付けた。
『グゥゥゥルォォオオオオオオオオオオオオ!』
ソウゲンカは激痛で悲鳴を歪ませ、憤怒の叫びで塗り替えながら紅炎のブレスを地面に向けて吐き出した。
再びの眩い閃光に、俺は悲鳴を上げながら強く目をつぶって衝撃に備えた。だが、空へ打ち出されるほどの爆風は起きなかった。
状況を把握するべく、俺はまだ光が消えぬうちに無理やり目をこじ開けた。
ブレスの衝撃波はすべて、ソウゲンカ自身の腹で防がれていた。代わりにエトロの氷槍がブレスで溶けて消えていく。
ソウゲンカは腹から血と水を滴らせながら、力強く地面を踏みしめて立ち上がった。
俺はまだ戦おうとするソウゲンカに度肝を抜かれた。
どこまで執念深いのだ。食物連鎖の頂点に立つものの誇りか。いや、ソウゲンカの目で燃え上がっているのは、全てを焼き尽くさんとする破壊衝動だけだ。たったそれだけのために、ソウゲンカは命を賭して戦い続けている。
ふと、風の唸りを遠くに感じて、俺は咄嗟にアンリの姿を探し回った。
「──っ!」
いた。
燃え盛る樹海の炎を背負って、アンリが双剣と共に落ちてくる。
彼の向かう先には、ソウゲンカの首がある。
「うおおおおおおお!」
大気を震わせるほどの猛々しい怒号と共に、アンリの双剣が回転鋸の如く空気を裂いた。
あまりにも早すぎる斬撃に目が追いきれず、一瞬アンリの姿が消えた。
ソウゲンカの首に片方の刃が食い込む。
しかし、二つ目の刃が傷口を割り広げようとした瞬間、ソウゲンカが激しく首を振り回してアンリを弾き飛ばした。その拍子に彼の手から双剣の片割れが抜けて、クルクルと宙を舞う。
「あ──」
トドメを刺すタイミングが目の前で零れ落ちていく。
アンリは地面を激しく転がっていて、すぐに立ち上がれそうにない。
気づけば俺は走っていた。
短剣はノコギリのように回転し続けており、下手をすれば俺の掌を貫くかもしれなかった。
だが、そんな俺の不安を置いて行ったまま勝手に短剣の元へと手が伸びていく。
何かを考える暇もなく、俺の手はアンリとソウゲンカの血で濡れた片割れの柄を──力強く掴み取った。
「ぁぁぁああああああああ!」
足首、ふくらはぎ、太もも。
下半身のすべての筋肉で大地を蹴飛ばし、身体を前へ前へと押し出す。
つんのめって転びそうな加速にものを言わせ、俺はソウゲンカの傷口へ片割れの剣を振り上げた。
刃の先端がざらついた分厚い皮膚を貫き、柔らかな脂肪に到達する。
『ギャオオオオオオオオオッ!』
噴き出した血で俺の目がつぶれた。だが力を緩めず、暴れまわる首に跨って全体重を掛ける。無我夢中でアンリが突き刺した方の剣も握って、こじ開けるように左右の剣に力を込めた。
「うおおおおおおおあああああああ!」
二つの刃が交差し、左右に剣が振りぬかれる。
血で汚れ切った俺の視界に、見えるはずもないのに双剣の閃光が見えた。
『ギャアアアアアアアアア──ッ!』
これまでと比較にならぬほどの大絶叫が俺の下で迸り、ついに鼓膜がいかれて耳鳴りしか聞こえなくなった。振り落とされまいと足で首を挟み込んでいると、徐々にソウゲンカの動きが弱々しくなっていき、やがて動かなくなった。
緊張と興奮で背筋が震える。
俺は手の甲で目にこびりついた血を拭い、腕の下を見下ろした。
切れ込みが入り、力なくうなだれた亀の首があった。呆然と見守っているうちに、頭の重さに耐えられなくなった傷口が、ずるずると千切れて断面を露わにした。断面には光り輝く謎の球体が心臓のように脈打っており、地面に落ちた頭部の断面に向けて菌糸を伸ばしながら再生しようとしていた。
ドラゴンの核だ。人間の菌糸能力を感知し、小賢しく人里を襲う上位ドラゴンにしか持ちえない不死身の元。または、毒素を振りまく諸悪の根源。
「今だ、リューホ!」
「お、おおおおおお!」
エトロの声に背中を押され、俺は恐怖をねじ伏せるように雄叫びをあげ、双剣を叩きつけた。
ガツン! と鉄にぶつかったような衝撃が腕から肩に伝わり、胴体ががくんと前のめりになった。
柄を握る手が熱い。柄と掌が擦れて肉刺がつぶれたのだろう。
だが数秒後、その痛みすら忘れてしまうぐらいの凄絶な現象が起きた。
双剣で貫かれた球体から、ガラスを溶かしたような真っ赤な液体が流れ出し、菌糸を伸ばしながら俺にまとわりついてきたのだ。
異常を察知したエトロがすぐにソウゲンカの背中から飛び降りて駆け寄ってきた。
「リョーホ! 動くなよ、すぐに切り離して──」
「いや、大丈夫!」
俺はすぐにエトロを制止し、努めて冷静に状況を見守った。エトロも俺が落ち着いているのを見て一度瞬きをすると、槍を構えながらじりじりと俺の腕を包む菌糸を眺めた。
「こいつ、まだ生きてるのか?」
「でも、核を潰したらドラゴンって死ぬんだろ?」
謎の現象に俺も混乱していたが、腕にまとわりつくソウゲンカの菌糸からは不思議と敵意を感じられなかった。エトロが引きはがそうと脇から手を伸ばしてくるが、菌糸の放つ熱で触るに触れないらしい。俺は全く熱くないというのに。
「これは装備の加工と同じ反応だね」
額から血を流したボロボロのアンリが、左腕の傷を押さえながらそう言った。
「装備の加工って……あれか。ドラゴンの素材で狩人用装備を作るやつ」
「そう」
しかし、装備を作るには専用の炉と鋼と、武器にドラゴンの素材をなじませる菌糸能力が必要なはずだ。
余計に意味が分からなくなった俺をしり目に、ソウゲンカの赤い菌糸は俺の腕刀ごと双剣を飲み込んでしまった。ここまでされても、やはり恐怖はない。むしろ大切に育てていた朝顔が花開く瞬間を目の当たりにしたような気分だ。
柔らかく俺の手首に巻き付いていた赤い菌糸が、ふいにきゅっと引き締まる。すると、みるみる俺の皮膚と同化して、アンリやドミレスと同じ菌糸模様が浮かび上がった。
同時に双剣にも異変が起きた。淡い黄緑色に光っていた双剣の鍔に、ソウゲンカを思わせる紅の鱗が浮かび上がる。さらに刀身部分には彼岸花の模様が浮かび上がり、武器全体が炎を映し出したかのようにギラギラと輝いた。
「錬成だ……」
ドラゴンの部位を武器と合成しより強くする、職人にしかできない技法。この双剣の姿は間違いなく、ソウゲンカの部位と合成されて以前より強くなっていた。
ソウゲンカの核はもう消えている。俺はそっと腕を動かして双剣を軽く振るってみた。
すると、斬撃の軌道を追うように紅炎が吹き上がった。これでは、錬成というよりソウゲンカの能力を丸ごと奪って閉じ込めてしまったかのようだ。
「──あ」
そこでふと俺はドミラスの言葉を思い出して、すっかり血で真っ赤になってしまった自分の装備を見下ろした。この装備をくれた時、ドミラスは俺の能力次第でこの装備の性能も決まると言っていた。ならばこの現象が俺の菌糸能力によるものだとしたら、装備にも何らかの変化が起きている可能性がある。
上着のあちこちを探してみれば、右二の腕の辺りに、双剣に刻まれたものと同じ彼岸花の模様が浮かんでいた。つまり、先ほどの謎現象は俺の菌糸能力が働いた結果だと証明された。
これで俺の菌糸能力がようやくはっきりした。
討伐したドラゴンの核を破壊、あるいは武器を叩き込むことで、ドラゴンの能力を自分の菌糸能力にすることができる。多分、きっとそのような能力だ。ゲームでは確実に登場していなかったし、これが一回きりなのか、それとも他の菌糸能力も追加で手に入れられるのかはまだ分からない。
それでも、これまで無能力だった俺にようやく齎された圧倒的な力だ。
「いよっしゃああああああああああ!」
ようやくシンビオワールドの狩人らしくなれた喜びのまま、俺は青空を仰いで叫びまくった。
その触手は炭になった樹木を輪切りにするだけでなく、地面を深々と叩き割りながら即死級の威力を発揮しまくっている。
こんな凶悪な攻撃の中をかい潜って、ソウゲンカに殴りかかれと?
実際にそれをやってのけるアンリの超人っぷりに、俺は舌を巻くしかない。
だが俺だって何もしていないわけではない。遠目でアンリ達の戦闘を見守っていたおかげで、ソウゲンカの攻撃モーションがシンビオワールドとほぼ同じなのは確認済みだ。
太刀のモーションと同じように、ソウゲンカの攻撃モーションもしっかり覚えている。
俺はその記憶を駆使して触手の嵐を掻い潜り、そのままソウゲンカの足元に張り付くことに成功した。
キャラクターのように素早い移動ではなかったが、当たり判定が目に見た通りである分、むしろゲーム内よりも難易度が低いかもしれない。
「おらぁ!」
俺は神がかったタイミングでソウゲンカの攻撃を回避しながら、太刀の上段切りをぶち込み、次の攻撃も余裕をもって受け流す。
自分でも驚くぐらい戦えている。装備集めのために散々ソウゲンカを殺しまくった過去の努力が、まさかこんな形で報われる日が来るとは思わなかった。
しかし、触手から降り注いでくる灼熱のせいで安置に長く張り付くのは無理だった。刀のモーションを思い出してぶつけようとしたって、肌を焼かれる痛みのせいで物怖じしてしまうのだ。大きなチャンスが巡ってきても、一歩踏み出そうとするたびに踏み潰されるかもしれないという恐怖で身体がすくむ。
こんなところでビビっていては守護狩人になるなんて夢のまた夢だ。俺は日本に帰らないといけない。こんなすごい体験をしているのに死んでしまったらもったいない。俺はこの世界で英雄になったんだと、家族や友人にいってやならきゃ格好悪いだろう。
だから行ける。やってやれ。かっこいい所を見せてやれ!
「っしゃあああ絶対ぶっ殺す!」
俺は気合いを入れると、刀を下段に構えてソウゲンカの懐へ滑り込んだ。すると、上で触手を切り飛ばしていたエトロが悲鳴じみた声を上げた。
「馬鹿! その位置はやばい!」
知っている。俺もプレイヤーの時、散々こいつのモーションで吹っ飛ばされた。
だから覚えている。初見殺しの攻撃の予備動作も、攻撃が絶対に当たらない絶対安置も!
不意にソウゲンカの上半身が大きく持ち上がる。
後ろ足で仁王立ちになったそいつは、勢いをつけて俺を押し潰そうと迫ってきた。
「リョーホ!」
「大丈夫だアンリ! 俺は死なない!」
ソウゲンカの身体が徐々に俺へと傾いてくる。まるでビルが倒壊してくるような迫力だ。今すぐに逃げたくなる。
だがまだ動いてはいけない。
奴の足が地面に着いている間は、回避行動をとってもホーミングしてくる。早めに避ければ避けるほど、この攻撃は危険なのだ。
後ろ足が浮いた瞬間がチャンスだ。
前足が近づいてくる。
固い地面を長年歩いてきた分厚い皮と、血を吸ったように赤い巨大な蹄が、俺の視界を覆い尽くしていく。
まだダメだ。
目の前の足に意識が向きそうになるのを必死にこらえて、ソウゲンカの後ろ足にすべての意識を集中させる。
あと傾斜三十度、二十度、十度、一度。
今だ。
俺は全力で斜め後ろに飛びながら、ソウゲンカの長い首の真横に張り付いた。
そしてちょうど降りて来た奴の目玉に向け、全力で斬撃を叩き込む。
『ギャオオオオオオオオオ!』
ソウゲンカの右目が完全につぶれる。脈動に合わせて噴き出した鮮血が俺の顔を濡らした。
まさしく会心の一撃だ。
下位ドラゴンの時のように骨を砕くまではいかなかったが上出来である。
勝利への一手に喜んでも油断はしない。
俺の目はすでに次のモーションを追いかけている。
この後、ソウゲンカは俺を吹き飛ばすべく、高確率で回転するだろう。
そしてその攻撃は三歩後ろでしゃがめば避けられる。
俺が予測した通り、ソウゲンカは怒り狂いながら四つ足で地面をかき回し、しっぽを振り回して俺にぶつけようとしてきた。
その時すでに、俺は地面に這いつくばるほどの低さでしゃがんでいた。
俺の背中の上を無骨なしっぽが唸りを上げて通過する。
まだ頭を上げてはいけない。
しっぽがまだ振り子のように揺れており、当たれば首の骨が折れてしまう。
だから代わりに前転して距離を詰め、がら空きのソウゲンカの尻にもう一撃叩き込む。
ズパァン! と心地よい斬撃音が手元から発され、二度目の鮮血が俺の服を濡らした。
ドミラスからもらった大切な一張羅だが、洗えばきっと何とかなるだろう。
「そしてぇ……逃げる!」
俺は太刀を両手で持ちながら全力でとんずらした。
数秒後、ソウゲンカが己の尻付近をまんべんなくしっぽで叩き潰し、地面に深い亀裂を生み出した。それだけに飽き足らず、ソウゲンカはもう一度半回転して俺を見つけるや、喉の奥を光らせて紅炎のブレスを吐き出した。
「よっしゃ当たり! あとは横なぎブレスをフレームかい、ひ?」
疑問。
ゲーム特有、キャラクターの無敵時間を利用したフレーム回避は、はたして現実で再現できるか。
答えは否だ。
「あ、死ぬ──」
白目をむきながら悪あがきで地面に転がる。するといきなり俺とブレスの間に氷塊が落下して、灼熱の息吹をすべて防いでくれた。
「あ?」
「いつまで寝転がっている! さっさと立て!」
「あぶら!?」
脇腹を蹴り上げられて無理やり膝立ちにされながら、俺は目を白黒させた。
俺の真横には、冷気を纏った槍を構えるエトロが立っていた。
「え、エトロか! 助かった!」
「遊んでいる暇はない。次来るぞ!」
警告した矢先、エトロの『氷晶』が騒音を立てながら砕け散り、向こう側からソウゲンカが突進してきた。すぐに回避するべく足に力を込めた瞬間、
「さっさとくたばれ!」
棒高跳びの選手のごとく、アンリがソウゲンカの上に飛翔しながら弓を弾いた。即座に笛のような風切り音が雨あられのごとく降り注ぎ、ソウゲンカの背中で斬風が炸裂した。触手が半ばから千切れ飛び、鱗の破片が甲高い音を立てて砕け散る。遅れて血しぶきが炎の上に飛び散り、俺たちのところまで雨のように降り注いだ。
上から斬風で押さえつけられたソウゲンカは、突進の勢いを殺されて俺の前で跪いた。
だが奴の嘴の中で光が収束しつつあるのが見えて、俺は叫びながら横に飛んだ。
「避けろ──ッ!」
ソウゲンカの嘴が開かれる。
しかしブレスは俺直接ではなく、俺の真下の地面を狙っていた。
ピンクがかった閃光の衝撃を受け、俺の足が地面から離れた。
暴風に呑まれて、上と下が分からない。耳鳴りで音が飛んで、目も光に焼かれて何も見えない。
そのせいで、俺はしばらく空中に打ち上げられたことに気づけなかった。
焼けて鈍色になった網膜で、必死に目を凝らす。
地面が遠い。
ビームから生み出された爆風が、延々と俺を空へ押し上げている。腹に叩きつけられた風圧で息ができない。背骨と腹の皮がくっついてしまいそうだ。
やがて衝撃がすべて抜け切り、浮遊から落下が始まる。ほとんど何も見えないが、ソウゲンカの赤い体があんなにも小さいのだから、高さは学校の屋上ぐらいか。
あと数秒で落下死する。
俺は酸欠になった脳みそを必死に働かせるが、この状況から助かる方法が何一つ思いつかなかった。
パニックになっている間に、もう地面は目の前まで来ている。
不意に突風に襲われて、俺の身体が横に吹っ飛んだ。さらに真下から二度目の風圧が叩き込まれ、ゆるゆると落下速度が落ちていく。それでも致死的速度に変わりはない。
「チッ」
アンリの舌打ちが聞こえた気がする。
風が止んだ瞬間、俺の脇腹に誰かの腕が差し込まれ、ぐるりと一回転したかと思うと斜め上に放り投げられた。そして落下先には氷でできた滑り台があり、背中から斜面に不時着した。冷たい斜面は途中から地面とほぼ水平になっており、地面に足が触れる頃にはもう内臓が浮き上がるような浮遊感が消え失せていた。
視力はいつの間にか戻っている。
俺がマネキンのように呆然としている間に、アンリとエトロが能力を使って助けてくれたのだ。
そうでなければ、今頃俺は地面に衝突して弾け飛んでいた。
冷たい氷に左頬を押し付けたまま、ようやく事態を飲み込んだ俺の身体が激しく震え出した。
「し、ししし、しし死ぬ死ぬ死ぬ……」
視界の端で紅炎が見えた。ブレスだ。
俺はほとんど本能で起き上がると、氷の滑り台の後ろに回って地面に伏せた。
直後に息が詰まるほどの熱気が周囲を満たし、俺の頭上で炎が逆巻く。俺に尻をぶった切られたのが相当屈辱だったようで、ソウゲンカはありったけの殺意でこちらを殺しに来ていた。
ならばこちらも、と太刀を握ろうとしたが、さきほど空に吹き飛ばされたときにどこかに行ってしまったらしく、腰には鞘しか残っていなかった。
「マジかよ!」
ブレスが止んだのを見計らい、俺は溶けていく氷から頭を覗かせた。
アンリとエトロが怒り狂うソウゲンカを攻撃しているが、奴の目はまだ俺を睨んでいる。あの生意気な顔にもう一発マヒガ草爆弾をぶつけてやりたいが、あいにくもう手持ちがない。
素手で戦いを挑むなんて愚か者の極みである。
だが、俺なら拳以外の武器がある。
俺は両頬を叩いて喝を入れると、氷の陰から飛び出してソウゲンカの前へと飛び出した。
「リョーホ! もういい逃げろ!」
「冗談言うな! 俺がこいつを引き付けるからその間にぶっ殺せ!」
なぜか悲痛な表情になるアンリに怒鳴りつけながら、俺はソウゲンカの攻撃を誘発するべく鼻先でわざと立ち止まった。
ここから先は一度捕まれば即ゲームオーバーだ。
予備動作を見たらどんな攻撃か思い出す程度の気力では死ぬだろう。早押しクイズレベルの集中力が必要だ。
ならば記憶を無理やりほじくり返して、すべての攻撃を見切るだけだ。
「噛みつき!」
嘴が凄まじい速度で俺の胴体を真っ二つにしようとする。それをバックステップで回避し、引っ込む首に合わせて前に出る。
「薙ぎ払い!」
ソウゲンカの右前足が鬱陶し気に払われる。それをあえて斜め前に行くことで回避し、ソウゲンカの右側面へ移動する。俺を見失ったソウゲンカは、菌糸能力を使わせて居場所を把握するべく、背中の触手に胞子を纏わせる。
「アンリーッ!」
俺の叫びに応えるように、歓声にも似た風の音色が湧き立った。
『陣風』が矢と共に空へ吸い込まれ、無数の斬撃を従えながらソウゲンカの背中へ落下する。これまで幾度もその背に斬撃を食らっていたソウゲンカにとって、その衝撃はひとたまりもなかった。
ついに分厚い鱗が大きく剥がれ落ち、触手がすべて千切れ飛ぶ。
さらに、中途半端に形成されていた紅の胞子がその場に落下し、ソウゲンカ自身を爆発の海に飲み込んだ。胞子一つ一つが内包した地雷レベルの爆発力は、激しく点滅を繰り返しながらソウゲンカの強靭な手足を打ち砕いていった。
ようやく胞子のすべてが爆発し終え、ソウゲンカが暴風から解放される。
ソウゲンカはボロボロになりながらも、血まみれになった四つ足で立ち上がろうとする。
そこに、純粋な白を纏った冷気が降り注いだ。頭上を見上げれば、ソウゲンカに匹敵するほどの巨大な氷槍が浮かんでおり、その天辺にはエトロが立っていた。
エトロは狭い足場でぐっと足をたわめると、その場で二メートル近く飛び上がった。
前宙、続けて踵落とし。
「落ちろ!」
エトロの後押しを受けた氷晶が目にもとまらぬ速さで打ち出され、ソウゲンカの分厚い胴体を貫通し、深く地面に縫い付けた。
『グゥゥゥルォォオオオオオオオオオオオオ!』
ソウゲンカは激痛で悲鳴を歪ませ、憤怒の叫びで塗り替えながら紅炎のブレスを地面に向けて吐き出した。
再びの眩い閃光に、俺は悲鳴を上げながら強く目をつぶって衝撃に備えた。だが、空へ打ち出されるほどの爆風は起きなかった。
状況を把握するべく、俺はまだ光が消えぬうちに無理やり目をこじ開けた。
ブレスの衝撃波はすべて、ソウゲンカ自身の腹で防がれていた。代わりにエトロの氷槍がブレスで溶けて消えていく。
ソウゲンカは腹から血と水を滴らせながら、力強く地面を踏みしめて立ち上がった。
俺はまだ戦おうとするソウゲンカに度肝を抜かれた。
どこまで執念深いのだ。食物連鎖の頂点に立つものの誇りか。いや、ソウゲンカの目で燃え上がっているのは、全てを焼き尽くさんとする破壊衝動だけだ。たったそれだけのために、ソウゲンカは命を賭して戦い続けている。
ふと、風の唸りを遠くに感じて、俺は咄嗟にアンリの姿を探し回った。
「──っ!」
いた。
燃え盛る樹海の炎を背負って、アンリが双剣と共に落ちてくる。
彼の向かう先には、ソウゲンカの首がある。
「うおおおおおおお!」
大気を震わせるほどの猛々しい怒号と共に、アンリの双剣が回転鋸の如く空気を裂いた。
あまりにも早すぎる斬撃に目が追いきれず、一瞬アンリの姿が消えた。
ソウゲンカの首に片方の刃が食い込む。
しかし、二つ目の刃が傷口を割り広げようとした瞬間、ソウゲンカが激しく首を振り回してアンリを弾き飛ばした。その拍子に彼の手から双剣の片割れが抜けて、クルクルと宙を舞う。
「あ──」
トドメを刺すタイミングが目の前で零れ落ちていく。
アンリは地面を激しく転がっていて、すぐに立ち上がれそうにない。
気づけば俺は走っていた。
短剣はノコギリのように回転し続けており、下手をすれば俺の掌を貫くかもしれなかった。
だが、そんな俺の不安を置いて行ったまま勝手に短剣の元へと手が伸びていく。
何かを考える暇もなく、俺の手はアンリとソウゲンカの血で濡れた片割れの柄を──力強く掴み取った。
「ぁぁぁああああああああ!」
足首、ふくらはぎ、太もも。
下半身のすべての筋肉で大地を蹴飛ばし、身体を前へ前へと押し出す。
つんのめって転びそうな加速にものを言わせ、俺はソウゲンカの傷口へ片割れの剣を振り上げた。
刃の先端がざらついた分厚い皮膚を貫き、柔らかな脂肪に到達する。
『ギャオオオオオオオオオッ!』
噴き出した血で俺の目がつぶれた。だが力を緩めず、暴れまわる首に跨って全体重を掛ける。無我夢中でアンリが突き刺した方の剣も握って、こじ開けるように左右の剣に力を込めた。
「うおおおおおおおあああああああ!」
二つの刃が交差し、左右に剣が振りぬかれる。
血で汚れ切った俺の視界に、見えるはずもないのに双剣の閃光が見えた。
『ギャアアアアアアアアア──ッ!』
これまでと比較にならぬほどの大絶叫が俺の下で迸り、ついに鼓膜がいかれて耳鳴りしか聞こえなくなった。振り落とされまいと足で首を挟み込んでいると、徐々にソウゲンカの動きが弱々しくなっていき、やがて動かなくなった。
緊張と興奮で背筋が震える。
俺は手の甲で目にこびりついた血を拭い、腕の下を見下ろした。
切れ込みが入り、力なくうなだれた亀の首があった。呆然と見守っているうちに、頭の重さに耐えられなくなった傷口が、ずるずると千切れて断面を露わにした。断面には光り輝く謎の球体が心臓のように脈打っており、地面に落ちた頭部の断面に向けて菌糸を伸ばしながら再生しようとしていた。
ドラゴンの核だ。人間の菌糸能力を感知し、小賢しく人里を襲う上位ドラゴンにしか持ちえない不死身の元。または、毒素を振りまく諸悪の根源。
「今だ、リューホ!」
「お、おおおおおお!」
エトロの声に背中を押され、俺は恐怖をねじ伏せるように雄叫びをあげ、双剣を叩きつけた。
ガツン! と鉄にぶつかったような衝撃が腕から肩に伝わり、胴体ががくんと前のめりになった。
柄を握る手が熱い。柄と掌が擦れて肉刺がつぶれたのだろう。
だが数秒後、その痛みすら忘れてしまうぐらいの凄絶な現象が起きた。
双剣で貫かれた球体から、ガラスを溶かしたような真っ赤な液体が流れ出し、菌糸を伸ばしながら俺にまとわりついてきたのだ。
異常を察知したエトロがすぐにソウゲンカの背中から飛び降りて駆け寄ってきた。
「リョーホ! 動くなよ、すぐに切り離して──」
「いや、大丈夫!」
俺はすぐにエトロを制止し、努めて冷静に状況を見守った。エトロも俺が落ち着いているのを見て一度瞬きをすると、槍を構えながらじりじりと俺の腕を包む菌糸を眺めた。
「こいつ、まだ生きてるのか?」
「でも、核を潰したらドラゴンって死ぬんだろ?」
謎の現象に俺も混乱していたが、腕にまとわりつくソウゲンカの菌糸からは不思議と敵意を感じられなかった。エトロが引きはがそうと脇から手を伸ばしてくるが、菌糸の放つ熱で触るに触れないらしい。俺は全く熱くないというのに。
「これは装備の加工と同じ反応だね」
額から血を流したボロボロのアンリが、左腕の傷を押さえながらそう言った。
「装備の加工って……あれか。ドラゴンの素材で狩人用装備を作るやつ」
「そう」
しかし、装備を作るには専用の炉と鋼と、武器にドラゴンの素材をなじませる菌糸能力が必要なはずだ。
余計に意味が分からなくなった俺をしり目に、ソウゲンカの赤い菌糸は俺の腕刀ごと双剣を飲み込んでしまった。ここまでされても、やはり恐怖はない。むしろ大切に育てていた朝顔が花開く瞬間を目の当たりにしたような気分だ。
柔らかく俺の手首に巻き付いていた赤い菌糸が、ふいにきゅっと引き締まる。すると、みるみる俺の皮膚と同化して、アンリやドミレスと同じ菌糸模様が浮かび上がった。
同時に双剣にも異変が起きた。淡い黄緑色に光っていた双剣の鍔に、ソウゲンカを思わせる紅の鱗が浮かび上がる。さらに刀身部分には彼岸花の模様が浮かび上がり、武器全体が炎を映し出したかのようにギラギラと輝いた。
「錬成だ……」
ドラゴンの部位を武器と合成しより強くする、職人にしかできない技法。この双剣の姿は間違いなく、ソウゲンカの部位と合成されて以前より強くなっていた。
ソウゲンカの核はもう消えている。俺はそっと腕を動かして双剣を軽く振るってみた。
すると、斬撃の軌道を追うように紅炎が吹き上がった。これでは、錬成というよりソウゲンカの能力を丸ごと奪って閉じ込めてしまったかのようだ。
「──あ」
そこでふと俺はドミラスの言葉を思い出して、すっかり血で真っ赤になってしまった自分の装備を見下ろした。この装備をくれた時、ドミラスは俺の能力次第でこの装備の性能も決まると言っていた。ならばこの現象が俺の菌糸能力によるものだとしたら、装備にも何らかの変化が起きている可能性がある。
上着のあちこちを探してみれば、右二の腕の辺りに、双剣に刻まれたものと同じ彼岸花の模様が浮かんでいた。つまり、先ほどの謎現象は俺の菌糸能力が働いた結果だと証明された。
これで俺の菌糸能力がようやくはっきりした。
討伐したドラゴンの核を破壊、あるいは武器を叩き込むことで、ドラゴンの能力を自分の菌糸能力にすることができる。多分、きっとそのような能力だ。ゲームでは確実に登場していなかったし、これが一回きりなのか、それとも他の菌糸能力も追加で手に入れられるのかはまだ分からない。
それでも、これまで無能力だった俺にようやく齎された圧倒的な力だ。
「いよっしゃああああああああああ!」
ようやくシンビオワールドの狩人らしくなれた喜びのまま、俺は青空を仰いで叫びまくった。
7
お気に入りに追加
33
あなたにおすすめの小説
祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活
空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。
最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。
――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に……
どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。
顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。
魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。
こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す――
※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。
25歳のオタク女子は、異世界でスローライフを送りたい
こばやん2号
ファンタジー
とある会社に勤める25歳のOL重御寺姫(じゅうおんじひめ)は、漫画やアニメが大好きなオタク女子である。
社員旅行の最中謎の光を発見した姫は、気付けば異世界に来てしまっていた。
頭の中で妄想していたことが現実に起こってしまったことに最初は戸惑う姫だったが、自身の知識と持ち前の性格でなんとか異世界を生きていこうと奮闘する。
オタク女子による異世界生活が今ここに始まる。
※この小説は【アルファポリス】及び【小説家になろう】の同時配信で投稿しています。
せっかくのクラス転移だけども、俺はポテトチップスでも食べながらクラスメイトの冒険を見守りたいと思います
霖空
ファンタジー
クラス転移に巻き込まれてしまった主人公。
得た能力は悪くない……いや、むしろ、チートじみたものだった。
しかしながら、それ以上のデメリットもあり……。
傍観者にならざるをえない彼が傍観者するお話です。
基本的に、勇者や、影井くんを見守りつつ、ほのぼの?生活していきます。
が、そのうち、彼自身の物語も始まる予定です。
死霊王は異世界を蹂躙する~転移したあと処刑された俺、アンデッドとなり全てに復讐する~
未来人A
ファンタジー
主人公、田宮シンジは妹のアカネ、弟のアオバと共に異世界に転移した。
待っていたのは皇帝の命令で即刻処刑されるという、理不尽な仕打ち。
シンジはアンデッドを自分の配下にし、従わせることの出来る『死霊王』というスキルを死後開花させる。
アンデッドとなったシンジは自分とアカネ、アオバを殺した帝国へ復讐を誓う。
死霊王のスキルを駆使して徐々に配下を増やし、アンデッドの軍団を作り上げていく。
異世界キャンパー~無敵テントで気ままなキャンプ飯スローライフ?
夢・風魔
ファンタジー
仕事の疲れを癒すためにソロキャンを始めた神楽拓海。
気づけばキャンプグッズ一式と一緒に、見知らぬ森の中へ。
落ち着くためにキャンプ飯を作っていると、そこへ四人の老人が現れた。
彼らはこの世界の神。
キャンプ飯と、見知らぬ老人にも親切にするタクミを気に入った神々は、彼に加護を授ける。
ここに──伝説のドラゴンをもぶん殴れるテントを手に、伝説のドラゴンの牙すら通さない最強の肉体を得たキャンパーが誕生する。
「せっかく異世界に来たんなら、仕事のことも忘れて世界中をキャンプしまくろう!」
ぐ~たら第三王子、牧場でスローライフ始めるってよ
雑木林
ファンタジー
現代日本で草臥れたサラリーマンをやっていた俺は、過労死した後に何の脈絡もなく異世界転生を果たした。
第二の人生で新たに得た俺の身分は、とある王国の第三王子だ。
この世界では神様が人々に天職を授けると言われており、俺の父親である国王は【軍神】で、長男の第一王子が【剣聖】、それから次男の第二王子が【賢者】という天職を授かっている。
そんなエリートな王族の末席に加わった俺は、当然のように周囲から期待されていたが……しかし、俺が授かった天職は、なんと【牧場主】だった。
畜産業は人類の食文化を支える素晴らしいものだが、王族が従事する仕事としては相応しくない。
斯くして、父親に失望された俺は王城から追放され、辺境の片隅でひっそりとスローライフを始めることになる。
30年待たされた異世界転移
明之 想
ファンタジー
気づけば異世界にいた10歳のぼく。
「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」
こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。
右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。
でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。
あの日見た夢の続きを信じて。
ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!
くじけそうになっても努力を続け。
そうして、30年が経過。
ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。
しかも、20歳も若返った姿で。
異世界と日本の2つの世界で、
20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。
完結【進】ご都合主義で生きてます。-通販サイトで異世界スローライフのはずが?!-
ジェルミ
ファンタジー
32歳でこの世を去った相川涼香は、異世界の女神ゼクシーにより転移を誘われる。
断ると今度生まれ変わる時は、虫やダニかもしれないと脅され転移を選んだ。
彼女は女神に不便を感じない様に通販サイトの能力と、しばらく暮らせるだけのお金が欲しい、と願った。
通販サイトなんて知らない女神は、知っている振りをして安易に了承する。そして授かったのは、町のスーパーレベルの能力だった。
お惣菜お安いですよ?いかがです?
物語はまったり、のんびりと進みます。
※本作はカクヨム様にも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる