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1章
(15)チュートリアル
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見習いから採集狩人への昇格試験にはルールがある。
一つ。
守護狩人、および採集狩人を一人ずつ同伴し監督すること。
二つ。
下位ドラゴンの十体討伐、あるいは中位ドラゴン一体の討伐。
狩りの証としてドラゴンの牙を一個体に一つ必ず持ち帰ること。
三つ。
トドメは必ず、見習いが刺すこと。
今回の狩りは、ゲームで言えば初級クエスト。プレイヤーが初めて村の外へ出て武器の振り回し方を実戦で覚えるチュートリアルだ。
しかし、シンビオワールドが現実となった異世界において、実戦で武器の使い方を学ぶのは愚の骨頂である。いくら強靭な兵士とて、正しい武器の使い方も知らずに戦場に放り出されれば敵に蹂躙されるしかない。今の俺もそれと同じぐらい無謀なことをしている自覚はあった。
昇格試験の目的地はバルド村を囲う高冠樹海の奥にあるらしい。俺が最初に異世界で目覚めた例のフィールドだ。
武器を持っての長距離移動は、俺が想像していた以上に厳しいものだった。ただ持つだけなら楽な太刀も、腰に下げてしまえばかなり邪魔になる。身体の重心が否応なく片方に崩れて、走るだけでも無駄な体力を使わされた。
しかも木の根で隆起した地面のせいで高低差が激しく、数メートル進むだけでジャンプと着地を二回ずつ繰り返さなければいけなかった。苔で滑りやすくなっている分、その疲労感は平地の比ではない。
そしてアンリ達が選ぶ道はどれもドラゴンが踏み鳴らした獣道ばかりだ。巨体に押しつぶされた根株の残骸や、地面をえぐる巨大な爪跡のそばを通り過ぎるたびに、否応なく樹海に潜むドラゴンの巨体を想像させられる。俺が初日にあった赤鱗のドラゴンはまだ序の口サイズだったようだ。
いつドラゴンと遭遇してもおかしくないというのに、アンリとエトロは表情一つ変えずに颯爽と進んでいく。あまりの速さに、俺は警戒する余裕もなく二人に追いつくのに必死だった。
「お、見えてきたぞ」
唐突に、木漏れ日も差さぬほど暗い森の中にミステリーサークルのような開けた場所に出た。麗らかな日差しが差し込むその広場は、一面が青々とした芝生に覆われており、学校のグラウンドが二つ収まりそうな広大さだ。外側には樹木が高密度で並び、巨大な自然の壁を築き上げている。地平に立つ俺の視点だから判然としないが、空高くからここを見下ろせば、この場所だけ丸くくり抜かれているように見えるはずだ。
巨人が踏み鳴らしたのか、それとも人工的に伐採した結果なのか。樹海の激しい日照権争奪と無縁なこの広場だけは、明らかに自然の摂理を外れてるように見えた。
「ここは、ネガモグラの庭と呼ばれているんだ」
「ネガモグラ……だからここだけ木が生えないのか」
エトロが口にした獣の名を聞いてようやく俺にも得心がいった。
ネガモグラは名前の通りモグラであり、見た目もサイズもほぼお馴染みのものだ。ただし、地球に生息する連中と違って、連中は地面の奥深くに巨大な巣を形成し、蟻のように巨大なコロニーを作る習性がある。
彼らは根株を主食としており、一匹で大木を根元から倒壊させるほど食欲旺盛だ。一週間もあれば、樹海の大木でもあっというまに食い荒らされるだろう。そんな大食漢が百匹以上のコロニーを形成し、朝晩ほぼ休まず木の根を齧っているから、山一つを丸裸にするのに一年もかからない。この広場だけ木が生えていないのも、ネガモグラが徹底的に森を削った後だからだろう。
一見すると害獣でしかないネガモグラだが、彼らの垂れ流す糞尿は荒れ果てた大地に豊穣をもたらす。どんな砂漠地帯であっても一か月で森になり、そこで畑を耕せば毎日のように野菜が取り放題だ。俺たちが歩いてきた高冠樹海がとんでもなく日照度が低いくせに高々と育ちまくっているのは、ネガモグラの恩恵を直に受けてきたからなのだろう。
そこまで考えが及んだところで、俺は眉を持ち上げながらアンリを振り返った。
「ん? 待てよ、ネガモグラがいるってことは、ここって下位ドラゴンの巣窟ってことじゃ……」
ドラゴンはみなネガモグラが大好物である。どれぐらい大好き化というと、ネガモグラが一匹でも地上に出れば飢えたドラゴンたちが一斉に襲い掛かってくるほどの耽溺具合だ。
「うん。リョーホの言う通りここはドラゴンの食事会場だよ」
アンリが諦めに満ちた顔で頷いた瞬間、地面が揺れた。
足元で巨大なものが蠢いている。
しかしよく耳を澄ましてみれば、それは無数の雑踏で構成されているようだ。
足音は大地を揺り動かしながらじわじわと地上へと近づいていき、やがてぽす、と間抜けな音を出して、芝生の中央に頭一つ分の穴を開けた。そこから次々と氷の膜を泡で穴を開けていくように芝生が崩れていく。やがて土俵ぐらいに広がった大穴の中から、ひょっこりと大きなモグラが顔を出した。
サイズは人間の子供ほどだ。真っ黒な毛皮はふわふわで触り心地が良さそうだ。ピンク色の鼻先が愛らしくひくひくして、つぶらな瞳で周囲を警戒している姿は単純にかわいい。額にカブトムシのような角が生えている以外には普通のモグラだ。
『キィ!』
ネガモグラが甲高く鳴いた。
瞬間、蟻の巣をひっくり返したがごとく、わらわらと無数のモグラが地表へ飛び出してきた。
「おわっ!? くっさぁ!?」
カブトムシの苦い香りを何倍にも濃くした悪臭が吹き上がり、俺はのけ反りながら鼻をつまんだ。
ゲームでは分からなかったが、ドラゴンたちがなぜネガモグラをすぐに見つけられるのかよく分かった。この匂いこそがドラゴンを引き付ける要因であり、起爆剤なのだ。
『グオオオオオオオオオ!』
樹海の向こうでドラゴンたちの恐ろしい咆哮が立て続けに響く。これだけのネガモグラがいるのだから、俺たちが目的とする下位ドラゴンどころか、中位の群れが押し寄せてきてもおかしくない。
「ちょっと、ヤバいんじゃないか!?」
「うーんヤバいかも! 運悪いね、今日は大食期だったみたい」
「大食期って!?」
「ああ、ネガモグラが子作りに合わせて群れで森を食い荒らす時期だよ。いやー大変だ!」
現実を直視しているのかいないのか、アンリは笑いながら虚空を見上げた。守護狩人のくせに頼りないアンリの反応に俺は震えながら武器を構えるしかない。ネガモグラの庭を囲う樹海の壁は分厚いが、巨大なドラゴンに掛かれば障害物なんて無いようなものだ。いつドラゴンが飛び出してくるか見えない上に、四方八方から迫る地響きが俺の恐怖に拍車をかけた。
脳裏に、俺を食べようとした赤鱗のドラゴンの姿がちらつく。今の俺ではまだあいつに勝てない。ゲーム内にも登場していなかったドラゴンなので、モーションを知っているとか、どこが弱点だとかの情報は皆無だ。あいつが来たら試験を捨てて逃げるしかない。
やはり来るんじゃなかったと後悔で溺れそうになっていると、エトロがネガモグラの海を眺めながら余裕そうに笑った。
「ドラゴンを殺しに来たんだから、やっぱりたくさん殺しておかないとな」
「エトロさん!? 俺ビギナーだけど! 若葉狩人をいきなり激戦区に放り込んでますよ!?」
「喜んでもらえて何よりだ。大声で奴らを呼び寄せるとはやるじゃないか」
「あっ」
慌てて口をふさぐと、エトロは小馬鹿にするように鼻を鳴らして歩き出した。彼女の向かう先には樹海を食いつぶさんと荒れ狂うネガモグラの群れがある。
エトロは静かに背中から槍を引き抜くと、アンリの方を振り返りながら片頬で笑った。
「後ろは任せたぞ」
「りょーかい!」
さわやかな笑顔でアンリは弓を背中から抜き放ち、振り返りざまに矢を引いた。
ぱしゅん、と小気味良い音を立てて飛んでいった矢を目で追いかけると、暗い樹海の向こうから突進してくる小型ドラゴンの手勢があった。炎属性の下位ドラゴン、サランドだ。赤いワニの首と手足を引き延ばしたような見た目で、ほぼ神話や書物に出てくるドラゴンそのままである。
アンリの放った矢は綺麗にサランドの脳天を貫いた。
「やるなぁ!」
「まだ来るよ」
言うが早いか、暗い樹海の向こうで赤が犇めいた。
見渡す限り、赤、赤、赤。オーストラリア沿岸で見られるというクモガニの群れを連想する凄まじい光景だ。徐々に全体像を露にする群れの数を見て、俺の喉は一瞬で干上がった。
「あ、アンリ!」
「余裕だよ!」
アンリの指から二発目の矢が放たれる。一本の矢でどうにかできるものか、と俺はますます絶望したが、その心配は杞憂で終わった。
鈍色に光る矢はアンリと群れのちょうど中間までくると、突然糸で引かれたように真上に軌道を変え、急傾斜の放物線を描き出した。矢の周辺では空が歪むほど高密度に空気が圧縮されており、アンリの指先に合わせて、一瞬で目に負えない加速をつける。
バァン! と地雷がさく裂したような破裂音が鳴り響き、サランドの群れの最前列が叩き潰された。
風属性の菌糸能力『陣風』だ。武器を中心に風を巻き起こし、攻撃速度を上げたり敵を風の刃で切り刻むなど、用途多彩なスキルである。矢一本だけで一気に五、六体近く瞬殺できてしまうのだから、弓との相性が抜群の能力だ。
しかしアンリの武器はこれだけではない。
「退路ぐらいは作ってあげるよ!」
アンリの左右の腰から翡翠の双剣が走る。
刃渡りおよそ三十センチの双剣がアンリの手の中でくるくる回ると、枯れ枝が空に舞い上がるほどのつむじ風が生まれた。
「せい!」
堂に入った掛け声と共に双剣が振るわれる。
刹那、刃の間合いに入っていないにも関わらずサランドたちの首がおもちゃのように宙を舞った。風を纏った斬撃が、目に見えぬ刃となってサランドたちへ飛来したのだ。
割れたスイカのごとく散らばる肉片が生々しく俺の視覚を彩ったが、恐怖より先に興奮で胸が震えた。
ゲーム画面のように派手なエフェクトも音響もない戦闘なのに、想像通り、いや想像以上だ。アンリの研鑽を重ねた菌糸能力は、ゲームのキャラクターが使っていたものと比べ物にならないほど美しく大迫力だった。
「すっげー! すごいぞアンリ!」
「ずっと撃てるわけじゃないけどね。ほら、次は君の番だよ!」
「え?」
俺が間抜け面を晒すや否や、後続のサランドの一体が仲間の死体を踏みつぶしながら突進してきた。アンリがわざとうち漏らしたらしく、他のサランドたちはアンリに怯えて二の足を踏んでいる。
初の実戦だ。猛然と迫りくるサランドの迫力に気圧されながらも、俺は太刀を正眼に構えた。
握りしめすぎて痛む掌を一度広げ、脇を締めるようにしながら改めて柄を指で包む。こうしている間にもサランドの凶悪な顔が距離を縮めてくるが、不思議と心の奥底に安心感があった。何かあっても、アンリなら殺される前にどうにかしてくれるだろう。
脳内に刻まれたシンビオワールドの太刀モーションを思い出す。
正眼の構えからは小攻撃、中攻撃、強攻撃の三種を選べる。
この間合いであれば、行ける。
強攻撃──兜割。
固い頭蓋を打ち砕く感触がした。
鋼がサランドの首の根元までするりと真っ二つにし、胴を抜けて刃が地面すれすれで停止する。
サランドはひしゃげた顔から血しぶきを上げ、俺の前であっけなく地面に倒れ伏した。
「や、やった……」
たった今一つの命を奪ってしまった。あまり気分のよいものではないはずだが、ついに報われたような達成感がどうしても抑えきれない。
喜んでいいのだろうか。いいよな。初めてにしては快挙だし。よし──。
「はい次いくよー」
「少しは感動する暇くれたっていいんじゃないのぉ!?」
俺の心からの叫びは綺麗に無視されて、アンリは一メートル近く跳躍しながら双剣を振り回した。風の斬撃が再びサランドの群れを打ち据えて、今度は二匹の生き残りがこちらに走ってくる。
「一匹増えてるんですけど!」
「いけるっしょ」
「鬼!」
勝利の美酒なんてものはない。俺は涙目になりながら再び太刀を構え、一匹に狙いを定めながら一閃を放った。
一つ。
守護狩人、および採集狩人を一人ずつ同伴し監督すること。
二つ。
下位ドラゴンの十体討伐、あるいは中位ドラゴン一体の討伐。
狩りの証としてドラゴンの牙を一個体に一つ必ず持ち帰ること。
三つ。
トドメは必ず、見習いが刺すこと。
今回の狩りは、ゲームで言えば初級クエスト。プレイヤーが初めて村の外へ出て武器の振り回し方を実戦で覚えるチュートリアルだ。
しかし、シンビオワールドが現実となった異世界において、実戦で武器の使い方を学ぶのは愚の骨頂である。いくら強靭な兵士とて、正しい武器の使い方も知らずに戦場に放り出されれば敵に蹂躙されるしかない。今の俺もそれと同じぐらい無謀なことをしている自覚はあった。
昇格試験の目的地はバルド村を囲う高冠樹海の奥にあるらしい。俺が最初に異世界で目覚めた例のフィールドだ。
武器を持っての長距離移動は、俺が想像していた以上に厳しいものだった。ただ持つだけなら楽な太刀も、腰に下げてしまえばかなり邪魔になる。身体の重心が否応なく片方に崩れて、走るだけでも無駄な体力を使わされた。
しかも木の根で隆起した地面のせいで高低差が激しく、数メートル進むだけでジャンプと着地を二回ずつ繰り返さなければいけなかった。苔で滑りやすくなっている分、その疲労感は平地の比ではない。
そしてアンリ達が選ぶ道はどれもドラゴンが踏み鳴らした獣道ばかりだ。巨体に押しつぶされた根株の残骸や、地面をえぐる巨大な爪跡のそばを通り過ぎるたびに、否応なく樹海に潜むドラゴンの巨体を想像させられる。俺が初日にあった赤鱗のドラゴンはまだ序の口サイズだったようだ。
いつドラゴンと遭遇してもおかしくないというのに、アンリとエトロは表情一つ変えずに颯爽と進んでいく。あまりの速さに、俺は警戒する余裕もなく二人に追いつくのに必死だった。
「お、見えてきたぞ」
唐突に、木漏れ日も差さぬほど暗い森の中にミステリーサークルのような開けた場所に出た。麗らかな日差しが差し込むその広場は、一面が青々とした芝生に覆われており、学校のグラウンドが二つ収まりそうな広大さだ。外側には樹木が高密度で並び、巨大な自然の壁を築き上げている。地平に立つ俺の視点だから判然としないが、空高くからここを見下ろせば、この場所だけ丸くくり抜かれているように見えるはずだ。
巨人が踏み鳴らしたのか、それとも人工的に伐採した結果なのか。樹海の激しい日照権争奪と無縁なこの広場だけは、明らかに自然の摂理を外れてるように見えた。
「ここは、ネガモグラの庭と呼ばれているんだ」
「ネガモグラ……だからここだけ木が生えないのか」
エトロが口にした獣の名を聞いてようやく俺にも得心がいった。
ネガモグラは名前の通りモグラであり、見た目もサイズもほぼお馴染みのものだ。ただし、地球に生息する連中と違って、連中は地面の奥深くに巨大な巣を形成し、蟻のように巨大なコロニーを作る習性がある。
彼らは根株を主食としており、一匹で大木を根元から倒壊させるほど食欲旺盛だ。一週間もあれば、樹海の大木でもあっというまに食い荒らされるだろう。そんな大食漢が百匹以上のコロニーを形成し、朝晩ほぼ休まず木の根を齧っているから、山一つを丸裸にするのに一年もかからない。この広場だけ木が生えていないのも、ネガモグラが徹底的に森を削った後だからだろう。
一見すると害獣でしかないネガモグラだが、彼らの垂れ流す糞尿は荒れ果てた大地に豊穣をもたらす。どんな砂漠地帯であっても一か月で森になり、そこで畑を耕せば毎日のように野菜が取り放題だ。俺たちが歩いてきた高冠樹海がとんでもなく日照度が低いくせに高々と育ちまくっているのは、ネガモグラの恩恵を直に受けてきたからなのだろう。
そこまで考えが及んだところで、俺は眉を持ち上げながらアンリを振り返った。
「ん? 待てよ、ネガモグラがいるってことは、ここって下位ドラゴンの巣窟ってことじゃ……」
ドラゴンはみなネガモグラが大好物である。どれぐらい大好き化というと、ネガモグラが一匹でも地上に出れば飢えたドラゴンたちが一斉に襲い掛かってくるほどの耽溺具合だ。
「うん。リョーホの言う通りここはドラゴンの食事会場だよ」
アンリが諦めに満ちた顔で頷いた瞬間、地面が揺れた。
足元で巨大なものが蠢いている。
しかしよく耳を澄ましてみれば、それは無数の雑踏で構成されているようだ。
足音は大地を揺り動かしながらじわじわと地上へと近づいていき、やがてぽす、と間抜けな音を出して、芝生の中央に頭一つ分の穴を開けた。そこから次々と氷の膜を泡で穴を開けていくように芝生が崩れていく。やがて土俵ぐらいに広がった大穴の中から、ひょっこりと大きなモグラが顔を出した。
サイズは人間の子供ほどだ。真っ黒な毛皮はふわふわで触り心地が良さそうだ。ピンク色の鼻先が愛らしくひくひくして、つぶらな瞳で周囲を警戒している姿は単純にかわいい。額にカブトムシのような角が生えている以外には普通のモグラだ。
『キィ!』
ネガモグラが甲高く鳴いた。
瞬間、蟻の巣をひっくり返したがごとく、わらわらと無数のモグラが地表へ飛び出してきた。
「おわっ!? くっさぁ!?」
カブトムシの苦い香りを何倍にも濃くした悪臭が吹き上がり、俺はのけ反りながら鼻をつまんだ。
ゲームでは分からなかったが、ドラゴンたちがなぜネガモグラをすぐに見つけられるのかよく分かった。この匂いこそがドラゴンを引き付ける要因であり、起爆剤なのだ。
『グオオオオオオオオオ!』
樹海の向こうでドラゴンたちの恐ろしい咆哮が立て続けに響く。これだけのネガモグラがいるのだから、俺たちが目的とする下位ドラゴンどころか、中位の群れが押し寄せてきてもおかしくない。
「ちょっと、ヤバいんじゃないか!?」
「うーんヤバいかも! 運悪いね、今日は大食期だったみたい」
「大食期って!?」
「ああ、ネガモグラが子作りに合わせて群れで森を食い荒らす時期だよ。いやー大変だ!」
現実を直視しているのかいないのか、アンリは笑いながら虚空を見上げた。守護狩人のくせに頼りないアンリの反応に俺は震えながら武器を構えるしかない。ネガモグラの庭を囲う樹海の壁は分厚いが、巨大なドラゴンに掛かれば障害物なんて無いようなものだ。いつドラゴンが飛び出してくるか見えない上に、四方八方から迫る地響きが俺の恐怖に拍車をかけた。
脳裏に、俺を食べようとした赤鱗のドラゴンの姿がちらつく。今の俺ではまだあいつに勝てない。ゲーム内にも登場していなかったドラゴンなので、モーションを知っているとか、どこが弱点だとかの情報は皆無だ。あいつが来たら試験を捨てて逃げるしかない。
やはり来るんじゃなかったと後悔で溺れそうになっていると、エトロがネガモグラの海を眺めながら余裕そうに笑った。
「ドラゴンを殺しに来たんだから、やっぱりたくさん殺しておかないとな」
「エトロさん!? 俺ビギナーだけど! 若葉狩人をいきなり激戦区に放り込んでますよ!?」
「喜んでもらえて何よりだ。大声で奴らを呼び寄せるとはやるじゃないか」
「あっ」
慌てて口をふさぐと、エトロは小馬鹿にするように鼻を鳴らして歩き出した。彼女の向かう先には樹海を食いつぶさんと荒れ狂うネガモグラの群れがある。
エトロは静かに背中から槍を引き抜くと、アンリの方を振り返りながら片頬で笑った。
「後ろは任せたぞ」
「りょーかい!」
さわやかな笑顔でアンリは弓を背中から抜き放ち、振り返りざまに矢を引いた。
ぱしゅん、と小気味良い音を立てて飛んでいった矢を目で追いかけると、暗い樹海の向こうから突進してくる小型ドラゴンの手勢があった。炎属性の下位ドラゴン、サランドだ。赤いワニの首と手足を引き延ばしたような見た目で、ほぼ神話や書物に出てくるドラゴンそのままである。
アンリの放った矢は綺麗にサランドの脳天を貫いた。
「やるなぁ!」
「まだ来るよ」
言うが早いか、暗い樹海の向こうで赤が犇めいた。
見渡す限り、赤、赤、赤。オーストラリア沿岸で見られるというクモガニの群れを連想する凄まじい光景だ。徐々に全体像を露にする群れの数を見て、俺の喉は一瞬で干上がった。
「あ、アンリ!」
「余裕だよ!」
アンリの指から二発目の矢が放たれる。一本の矢でどうにかできるものか、と俺はますます絶望したが、その心配は杞憂で終わった。
鈍色に光る矢はアンリと群れのちょうど中間までくると、突然糸で引かれたように真上に軌道を変え、急傾斜の放物線を描き出した。矢の周辺では空が歪むほど高密度に空気が圧縮されており、アンリの指先に合わせて、一瞬で目に負えない加速をつける。
バァン! と地雷がさく裂したような破裂音が鳴り響き、サランドの群れの最前列が叩き潰された。
風属性の菌糸能力『陣風』だ。武器を中心に風を巻き起こし、攻撃速度を上げたり敵を風の刃で切り刻むなど、用途多彩なスキルである。矢一本だけで一気に五、六体近く瞬殺できてしまうのだから、弓との相性が抜群の能力だ。
しかしアンリの武器はこれだけではない。
「退路ぐらいは作ってあげるよ!」
アンリの左右の腰から翡翠の双剣が走る。
刃渡りおよそ三十センチの双剣がアンリの手の中でくるくる回ると、枯れ枝が空に舞い上がるほどのつむじ風が生まれた。
「せい!」
堂に入った掛け声と共に双剣が振るわれる。
刹那、刃の間合いに入っていないにも関わらずサランドたちの首がおもちゃのように宙を舞った。風を纏った斬撃が、目に見えぬ刃となってサランドたちへ飛来したのだ。
割れたスイカのごとく散らばる肉片が生々しく俺の視覚を彩ったが、恐怖より先に興奮で胸が震えた。
ゲーム画面のように派手なエフェクトも音響もない戦闘なのに、想像通り、いや想像以上だ。アンリの研鑽を重ねた菌糸能力は、ゲームのキャラクターが使っていたものと比べ物にならないほど美しく大迫力だった。
「すっげー! すごいぞアンリ!」
「ずっと撃てるわけじゃないけどね。ほら、次は君の番だよ!」
「え?」
俺が間抜け面を晒すや否や、後続のサランドの一体が仲間の死体を踏みつぶしながら突進してきた。アンリがわざとうち漏らしたらしく、他のサランドたちはアンリに怯えて二の足を踏んでいる。
初の実戦だ。猛然と迫りくるサランドの迫力に気圧されながらも、俺は太刀を正眼に構えた。
握りしめすぎて痛む掌を一度広げ、脇を締めるようにしながら改めて柄を指で包む。こうしている間にもサランドの凶悪な顔が距離を縮めてくるが、不思議と心の奥底に安心感があった。何かあっても、アンリなら殺される前にどうにかしてくれるだろう。
脳内に刻まれたシンビオワールドの太刀モーションを思い出す。
正眼の構えからは小攻撃、中攻撃、強攻撃の三種を選べる。
この間合いであれば、行ける。
強攻撃──兜割。
固い頭蓋を打ち砕く感触がした。
鋼がサランドの首の根元までするりと真っ二つにし、胴を抜けて刃が地面すれすれで停止する。
サランドはひしゃげた顔から血しぶきを上げ、俺の前であっけなく地面に倒れ伏した。
「や、やった……」
たった今一つの命を奪ってしまった。あまり気分のよいものではないはずだが、ついに報われたような達成感がどうしても抑えきれない。
喜んでいいのだろうか。いいよな。初めてにしては快挙だし。よし──。
「はい次いくよー」
「少しは感動する暇くれたっていいんじゃないのぉ!?」
俺の心からの叫びは綺麗に無視されて、アンリは一メートル近く跳躍しながら双剣を振り回した。風の斬撃が再びサランドの群れを打ち据えて、今度は二匹の生き残りがこちらに走ってくる。
「一匹増えてるんですけど!」
「いけるっしょ」
「鬼!」
勝利の美酒なんてものはない。俺は涙目になりながら再び太刀を構え、一匹に狙いを定めながら一閃を放った。
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