家に帰りたい狩りゲー転移

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1章

(4)最強の狩人

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 狩人には四つの種類がいる。

 一つ目は最下級の見習い。
 村の中で訓練を重ね、自分の体内にある菌糸の能力や武器の扱いを学ぶ、いわゆる学生のようなものである。

 二つ目は採集狩人。
 見習いから昇格する階級で、村の外に出ることを許され、食料や建築材料を集めながら雑魚ドラゴンを倒す下級狩人だ。

 三つ目は守護狩人。
 採集狩人より活動範囲が広く、村を守護するために近隣地域のドラゴンを狩り続ける者たちである。

 四つ目は最上級、討滅者。
 最上位ドラゴン『マガツビ』を討伐した狩人に与えられる称号だ。討滅者たちの強さはゲーム内でも最強と謡われ、ドラゴン百体をものの数分で狩り終えるという化け物級の超人である。シンビオワールドをクリアしたプレイヤーは軒並み討滅者となってオンライン通信で暴れまくっていたものだが、実物のドラゴンを見た後だと、俺にはとてもなれる気がしない別次元の話である。

 エトロは採集狩人、アンリは守護狩人らしく、二人とも今日は休日らしい。
 俺たちは暇つぶしという名目で、村の中を散策することになった。

 崖沿いにあるバルド村は高低差が激しく階段も多い。移動するだけで足がパンパンだ。貧弱帰宅部の俺ともなれば、ものの数分でぜえはあと荒い息を吐いて、へっぴり腰で階段を上らなければならなかった。しかも階段の隙間からは遥か下で流れる川が見えるから、高所への恐怖も手伝って神経まで磨り減った。

 もはや崖周辺に広がる自然の絶景なんて気にしていられない。バルド村の景色なんて、所詮はフランスのエトルタの崖の劣化版だ。そして壁面にツリーハウスを張り付けただけ。何にも面白くない。やけくその俺の思考では何もかもが面白くない。家に帰ってゲームしたい。疲労で死ぬ。

「か弱すぎない? 今までどうやって生きてきたの」

 俺より数段先で、汗一つ掻いていないアンリが可哀想なものを見る目になった。俺はその視線を睨むように受け止めて、息を切らしながら言い訳を並べた。

「俺は箱入りちゃんなんだよ。こんな危ない階段ばっかりの場所じゃなくて、もっと平坦な道で車に乗って過ごしてたからな!」
「クルマ? なにそれ」
「乗り物だよ。言っても分からないだろうけどな!」

 もやは誰に対する弁明なのか分からない台詞を吐く。
 すると、一番先頭を歩いていたエトロが腕を組みながら俺を振り返った。

「お前に理解できて。私にできないわけがない。クルマとやらを説明してみろ」
「横暴だなぁ。まあいいよ、ゆっくり聞き給え」

 俺は階段の隅っこにどっかりと腰を下ろして、呼吸を整えながらたどたどしく説明を始めた。

「車はエンジンがあって、燃料を入れてアクセル踏むと勝手に走ってくれる鉄の箱だ。運転するときは椅子に座ってハンドル握って、ちょっと手足を動かすだけで勝手に曲がったり進んでくれる。一キロ走るのもあっという間だぜ」

 言いながらハンドルを動かすように腕を動かしてみるが、上で話を聞いていた二人の反応は虚無だった。

 数秒ほど気まずい沈黙が流れた後に、エトロが一言。

「説明がヘタクソすぎる」
「マジで見たら伝わるって! 実際こんな感じなの! 肉体労働なんか必要ない天才的発想なの!」
「じゃあその天才的発想のクルマを自分で作ればいいじゃないか」
「作れるか!」

 即座に反論すると、エトロは小馬鹿にしたように目を細めた。

「なんだ、他人のものを借りて威張り散らしているだけじゃないか」
「ぐぅ……そうなんだけどぉ、俺が発明したわけじゃないけどぉ!」

 膝の上で拳を握りしめながらぐっしゃぐしゃに顔をゆがめると、アンリが手を叩いて笑いながら無邪気に言い放った。

「はははは! リョーホ君ってばいきなり泣いたり怒ったり愉快な人だなぁ」
「誰がそうさせてると思ってんだよ? こちとらめっちゃ疲れるんだけどぉ!」
「じゃあ怒らなければいいじゃない」
「そういう問題じゃねえんだよおおおおお!」

 俺は座ったまま地団太を踏んだ。アンリはマリーアントワネットの逸話のごとくふんぞり返っているだけで、エトロに至っては冷笑すら浮かべている。

 バルド村の住人は性格が悪すぎる。いや、この二人だけが特別イイ根性をしているのか。どちらにしろ、村で知り合った人間がこんな奴ばかりで俺は自分の不運を呪うしかなかった。

 ふと、二人の気配が変わった気がした。俺を馬鹿にすることすら飽きたのかと、拍子抜けしたような気持ちで階段から立ち上がってみる。だが、二人とも俺ではなく階段の上の方を見つめたまま動かなかった。

 少し横に移動して二人の視線の先を追うと、黒いコートの女性が踊り場に佇んでいるのが見えた。

「師匠!」

 エトロの臀部に大型犬のしっぽが一瞬見えた。随分親しい人が来たらしい。
 俺は疎外感を覚えながらエトロたちと同じ階段の高さまで登って、謎の闖入者を改めて視界に収めた。

 渓間の風で乱れる長い黒髪の隙間から、彫刻のように白く美しすぎる顔が露になる。

 見覚えのありすぎる彼女を認識した途端、また息が止まった。だが死地から外れた安全地帯に身を置いているおかげか、あの時のようにずっと呼吸が止まるような事態にはならなかった。むしろ、命の恩人に再び会えた喜びを感じる余裕すらあった。

 俺は自分でも驚くほど表情筋が動くのを感じながら大声を発した。

「あの時助けてくれた人!」
「うん。起きたんだね」

 俺が気絶する前に出会った異様なオーラを持つ女性は、ハスキーボイスで微笑んでくれた。今は武装を解除しているため、背中には禍々しい大剣もなく、衣服から鼻の曲がりそうな血の匂いも消えている。そのせいか、初めて会ったときよりも彼女の人間らしさが際立っていて恐怖を全く感じなかった。

 そして、冷静になった今だからこそ気づいた。彼女の胸元には、討滅者しか付けることが許されない金色の胸章が煌めている。胸章の中にはゲームと同じく、リデルゴア国の象徴である大鷲の翼が刻まれていた。

 本物のシンビオワールドで、ドラゴンを百体軽々と殲滅できる討滅者。
 あるいは──英雄。

 俺が彼女と出会ったときに圧倒された畏怖は、勘違いではなく本物だった。生ける伝説と言葉を交わしている奇跡を自覚した瞬間、こめかみが沸騰したように熱くなる。

「すごい、レオハニーさんが喋ってる」
「貴重な師匠の声が聞こえないから黙ってろ」

 目を輝かせたアンリの口に、べちっと痛そうな音を立ててエトロの平手が押し付けられる。そんなやり取りも目に入らないぐらい、俺は英雄に釘付けだった。

 レオハニーと呼ばれたその人は、わざわざ階段を下りて俺の横まで降りてくると、じっと品定めするかのように鋭い目を向けてきた。赤く光る瞳はドラゴンのような光彩を持っており、瞳孔の中にもう一枚ステンドグラスを織り込んだような複雑な色合いがあった。傷一つない玉のような肌も、まとめられていない黒い髪も神秘的すぎて現実感が薄い。汗、涙、血、それら生物としての汚れとは無縁さを感じ、彼女と同じ息を吸うのも烏滸がましく思えてくる。

 近くで見ると改めて、同じ人間か疑わしくなる。なのに、絶対的に守ってもらえるという安心感を抱かせるカリスマがあった。
 ちぐはぐな感覚に眩暈を覚えながら、俺は微動だにしないレオハニーへとようやく声を発せられた。

「ぁ……あの、まだお礼言ってませんでした、よね。助けてくださってありが──」
「君は強くなる」

 滑らかに動いた桜色の唇に気を取られて、言葉を読み込むのに時間がかかった。

「は……はい?」

 俺が、強くなるわけない。ただの高校生だぞ。
 至極当然な俺の常識が、脳を伝達して言葉にする寸前──。




「守護狩人になったら、君の故郷について教えよう」




 レオハニーはそれだけ告げて、俺の横を通り過ぎていった。

 こつ、こつ、という背後から聞こえる足音を耳にしてようやく頭が再起動する。
 俺は階段を踏み外しそうになりながら彼女の背中を呼び止めた。

「なんッ……貴方は日本を知ってるんですか!?」
「君が狩人になったら話そう。それまでその質問はナシ」

 足を止めてくれない。

 なぜ、ゲームの世界の住人が日本を知っているのだろう。もしや、シンビオワールドと地球は何らかの形で繋がっているのか。それとも彼女も日本から来た転移者なのか。

 家に帰れるかもしれない。
 故郷を諦めなくていい。
 俺の居場所が残されている。

 だんだんと遠ざかっていく英雄の姿に胸が戦慄いた。

 恐怖、衝撃、感動、どれも正しくはない。

 じっとしていられないほどの激情が俺の中で荒れ狂い、気づけば叫んでいた。


「俺は! 絶対日本に帰る! だから必ず、守護狩人になってやる!」


 ようやく、足が止まった。
 レオハニーの無機質な横顔がこちらを向いて、赤く光る瞳が柔らかく微笑んだ気がした。
 俺は途端に誇らしくなって、笑みをこらえきれずに歪んだ口から絞り出すように付け足した。

「今の約束、忘れるなよ。……です」

 彼女は何も言わない代わりに小さく頷いた。長い髪が風になびいて、扇状に広がりながら背を向ける。レオハニーはそのまま、ヒールの音を響かせながら階段の下へと去っていった。

 レオハニーの足音が聞こえなくなったところで、ようやく俺は全身が震えていることに気づいた。興奮で狭まっていた視界が一気に広がって、胸の奥底から熱いものが込み上げてくる。

 今なら何でもできそうだ。ドラゴンに殺される恐怖よりも、強くなってあの人の隣に立ちたいという思いが、これでもかと俺のやる気を掻き立ててくれた。

 俺はようやく、大地を踏みしめている感覚を思い出した。

「エトロ、アンリ! 俺に稽古をつけてくれないか!?」
「お、おおいきなりだね。さっきまで死にそうだったのに」

 振り返りざまにお願いすると、アンリは困ったように笑いながらも拒否しなかった。

 虫の良い話だとは自覚している。なんの役にも立たない、しかも他人でしかない俺のような凡人に、狩人の二人が肩入れする義理はない。むしろ、バルド村の平穏のために殺したいぐらいだろう。俺を連れ帰ったのがレオハニーでなければ、ベッドで目覚める前に川に沈められていてもおかしくなかった。

 アンリ達に稽古のお願いをしておきながら、俺は遅まきながら不安を抱いた。もし断られたらどうするべきなのだろう。許してもらえるまで誠心誠意謝り倒すか、それとも独学で強くなるしかないのか。下手を打てばバルド村から追い出されかねないので、できれば二人に受け入れてもらいたいのだが……。

 涙目になってじっと返答を待っていると、アンリは顎に手を当ててこれ見よがしに考え込んだ。

「まぁ、レオハニーさんが強くなるって言ったんだから、貴重な村の戦力になるのかもしれないけれどねぇ。ドラゴン化の危険がある以上、そう簡単に協力してあげられいないなぁ。殺すときに情が湧いたらやりにくいしね」
「じゃあ、俺がドラゴン化の危険がないって分かったらでいい! 俺を強くしてくれ! 頼む!」

 俺は深く頭を下げて歯を食いしばった。土下座してもいい勢いだったが、異文化の中で日本流の誠意が伝わるかは未知数だ。逆に無礼に当たるということはなさそうだが、俺は大きな賭けに走りたくなかった。これ以上アンリとエトロの警戒を煽りたくない。

 息が詰まるほどの沈黙で溺れかけていると、小さな布ずれの音と、深いため息が聞こえてきた。

「分かった。俺は付き合ってあげるよ。レオハニーさんに恩も売れるかもしれないからね」
「ほ……本当か!?」
「ただし、ドミラス先生に君の身体を診察してもらってからだ。けど診断が終わった後でも、何かのきっかけで君からドラゴン化の兆候が見られたら殺すよ。怪しいことをしても殺す」
「そ、そこまで警戒する……?」
「だって俺たち『ニホン』なんて聞いたことがないからね。出身地を偽った賊のスパイかもしれないんだし、殺さないだけかなりの温情だと思わない?」
「うぐ……」

 言われてみたらそうだ。俺は生き残ることに夢中だったから、バルド村の人間がどうしてここまで警戒しているのかまで思慮が回らなかった。

 ドラゴン化の危険があろうとなかろうと、出所のしれぬ余所者を歓迎するなんて早々できることではないだろう。常にドラゴンの危険に晒されている極限の生活なら、猶更だ。

 ゲーム内でも里同士の対立がストーリーで描かれており、戦国時代のように領地を奪い合った歴史も語られていた。だから、いかに俺がレオハニーの権威に守られていたのかもより明瞭に自覚させられた。

 俺は乾ききった喉に唾を流し込むと、一度深呼吸をして頷いた。

「……分かった。俺が怪しいと思ったら殺してもいい。できれば死にたくないけど、でも俺は故郷に帰りたいんだ。だから改めて頼むよ」
「──私は反対だ」

 一拍間をおいて、エトロが途方に暮れたように言った。

「お前のことは……信用できない。たった一人の余所者のために村の皆を危険に晒したくない」
「でもエトロ、彼はレオハニーさんに期待されているんだよ。わざわざ村に連れ帰ってきたのにもきっと訳がある。さっきも言ったけれど、ぎりぎりまで生かしておいた方がいいよ」
「そんなことは分かっている!」

 エトロは目じりを吊り上げながら烈火のごとく怒鳴ると、真っ青な瞳で俺に憎悪を向けてきた。あまりの迫力に全身から血の気が引いたが、涙で煌めきながら黒々と渦巻く青い瞳が、夜空のように美しく感じられた。

 俺の心拍数が緊張で急上昇する。恐ろしいのに目が離せなかった。

 やがてエトロは俺から目を逸らすと、俯きがちになって細々と掠れた声を吐き出した。

「なんでお前みたいな奴が、師匠のお言葉を貰えるんだ……私には一言も……」

 上手く聞き取れなかった。だが、俺が聞き返すより早く彼女は上の階へ走り出した。

「エトロ、どこに行くんだい」

 アンリが呼び止めるが、エトロはこちらを振り返りもせずにそのまま行ってしまった。

 流石のエトロも、出会ったばかりのもやしに愛想が尽きてしまったのかもしれない。仲良くなれそうだと思っていた俺は少しショックを覚えながら、エトロが消えてしまった階段の方を見つめた。

「リョーホ君、気にしなくていい。しばらく一人にしてあげなよ」
「……分かった」

 俺が追いかけても、きっとエトロを傷つけるだけだ。せっかく助けてくれた彼女に恩を仇で返す仕打ちをしでかしてしまった気がして、羞恥と自己嫌悪で頭が重くなった。

 謝りたいと思うが、何が悪かったのかも俺は理解できていない。それにお互いのことをよく知らないのだから、エトロとの付き合いが長いアンリの言葉に従った方がいいに決まっている。

 頭でそうと分かっていても、俺の胸で溢れ続ける罪悪感は止められなかった。

 なかなか動き出せない俺の姿を見て、アンリは仕方ないなぁとため息交じりに腕を引っ張ってきた。

「稽古をつけるのはいいけど、今日はもう休んだ方がいいよ。レオハニーさんのことだから君の部屋も用意してくれてるだろうし、さっそく見に行こう。付き合ってあげるよ」
「……へ、部屋? あるの? っていうか一緒にいていいのか?」
「いいよ。どうせ君すぐ死ぬだろうし、部屋が空いたらすぐに俺のものにできるようにしとこうかなって」
「なっ性格悪すぎだろ!」
「あれ、寝床いらない?」
「あ、いやいや、冗談ですって。道案内頼みますね。あ、荷物持ちますぅ?」
「ぷっくくくく……君本当に面白い子だね。仲良くなれそうだよ」

 笑みを堪えながらバシバシと背中を叩いてくるアンリを、俺は恨みがまし気に睨みながら歯ぎしりした。大変嬉しくないことに、アンリの悪ふざけのおかげで俺の罪悪感も多少なりともマシになってしまった。
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