小悪魔とダンス

キリノ

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3章 小悪魔ロッキン

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 大の字になって倒れてしまった圭の傍らで、伸は
「ブレイキンは身体使うからな。あんまり長くやればいいってもんじゃないんだよ」
と、慰めてくれる。
 本来、相当な負けず嫌いなのだ。哀しくて、圭はくすんと鼻をならした。
 仰向けに大の字で転がったまま、拗ねている圭の傍らに、伸はしゃがみこんだ。子供をあやすように、大きな掌で圭の髪を梳く。そして徐にこう言った。
「これから、毎日、ブレイキン教えてやろうか」
「え? 伸ちゃん、それホント!?」
 慌てて飛び起きる。現金なやつだな、と伸は苦笑したが、なんと言われても平気だった。
 伸に、毎日見てもらえたら、絶対に技は完成する。
 華麗な技を披露している自分が、活き活きとしたイメージで浮かび上がってきた。
「だけど、条件がある」
 突然伸の口調が、真面目なものにかわる。
「え?」
 圭は、はしゃぐのやめて首を傾げた。
「桔梗と、別れるなんて、言わないでくれよ」
 真剣な声。圭は、伸と向き合った。
「俺のために、別れないでくれ」
「伸ちゃん……」
 伸は照れくさそうに、上向き加減で続けた。
「俺、お前達がじゃれてんのが、大好きなんだ。見ているだけで、胸があったかくなるというか……幸せな気分になる」
「…………」
「お前達が落ち込んでる姿なんて見たくないよ。二人の関係がぎくしゃくしてたら、俺も、ちょっとだけ、不幸になる。だから、俺を助けると思って、桔梗とつきあってくれないか。そのかわり、ヘッドスピンは、まかせろ。責任もって、最後まで面倒みてやるから」
「伸ちゃん……」
「駄目かな」
 覗き込まれて、圭は顔を下を向く。つんとこみあげてきた涙が、今にもこぼれそうだった。
「無理だよ……」
 圭は言った。
「なんで」
「桔梗、浮気は許さないって、ずっと前に言ってたもん……。俺が先輩と寝たって知ったら、きっと俺の事嫌いになるよ」
「だから黙ってろって、言ったろ」
「俺、嘘って、下手なんだもん。こないだだって……先輩とホテルに行った事、黙ってようって思ってたんだ。だけど結局ばれちゃった。それに、あの時と今とじゃ、全然違う……俺、完璧に桔梗を裏切ったんだもん。なのに、平気な顔をして、桔梗とつきあうなんて、そんなの大嘘じゃんか。無理だよ。俺には……出来ない」
「大丈夫、圭なら出来るよ」
 伸は、励ますように圭の肩に両手を置いた。
「ロックだよ。心にロックをかけるんだ」
「……?」
「圭が一番得意な事だろ……ほら、これ」
 伸は、高速で肘から両手をくるりと上下に回し、一瞬でぴたりと動きを止めた。
 圭の一番得意なロックダンス。
 鍵をカチャリとかけるような、止めが印象的なオールドスタイルだった。
 しばらく二人で技の練習をした後、別な曲で、簡単なコンビネーションを作ってしまった。
 ブレイキンとロックダンスが入り混じった、サビの振りが印象的なかっこいいやつ。
 音楽を止め、額の汗を片手で拭いながら、圭はずっと気になっていた事を口にした。
「ねえ、伸ちゃんは好きな子いないの」
「いるよ」
「誰」
「笹田沙緒」
 あっさりと、伸は、2つ上の可愛い先輩の名を告げる。
 二人は幼馴染のはずだった。
 モテるくせに女っけのない伸には、やっかみ半分な噂が後を立たない。中でも最も有名なのが、「浮田伸は、笹田沙緒を追って、この学園にやってきた」という、浮田伸片思い説。どうやらそれは真実だったらしい。
 確かに沙緒先輩は綺麗だ。品があって、努力家で、伸が好きになるのも無理はない気がする。
「告白しないの」
 圭の問いに、伸は肩をすくめた。
「今まで何度も告白したけど、玉砕しまくり。あの人俺の事なんて眼中にないから。あんまりしつこくて、泣かしたことだってあるよ」
「えー、伸ちゃんが?」
 意外すぎる話に圭は目を丸くする。こんなに強くて優しい伸だって、振られる事があるという事実も意外なら、振られてもめげないバイタリテテイを持っていたことも意外だった。
「あの人は、俺をずっと小さな子供だと思っているんだよ。だけど、いつか今よりもっといい男になって、あの人に認められたい、それが叶わなかったとしても、あの人の一番近くにいて、守ってあげたいんだ。しっかりしてる様で、案外寂しがりやだからな。沙緒さんは。それが俺のささやかな夢の一つ」
 伸は照れたようにほくりと笑った。笑うと、真っ白な歯が品のいい唇からこぼれて、菩薩のような顔がたちまちあどけなくなる。
 圭は、端正な横顔を見つめながら、大きなため息をついた。
「沙緒さんって贅沢だよね。伸ちゃん、こんなにかっこいいのに。俺、自分が女の子だったら伸ちゃんみたいな優しい彼氏がいいな」
「はっ。何言ってんの」
 そう言うと伸は下を向いた。照れた顔が、妙に可愛い。圭は伸ににじり寄る。
「ねえ、今から、寮長室遊びに行っていい?俺一人ぼっちなんだもん。伸ちゃんの部屋に泊まりたいな。駄目?」
 鍛えられた腕に自分のそれを絡ませてみた。
「遊びに来るのはいいけどお泊りは駄目」
「なんで? なんか用事でもあんの」
 今日は一人になりたくなかったのに、としょんぼりする圭の頭をぽんと叩きながら伸は
「圭を泊めたりしたら、俺、何するかわからんよ? お前の第三の男になる可能性100パーセント」
といたずらっぽく笑う。
 圭はびくりと、体を離した。伸はそんな圭をにやにやと笑いながら見ている。
「今沙緒さんが好きって言ったじゃん」
 つい咎めるような口調になってしまったが、伸は
「ああ、好きだよ。だけど、俺だって男なんだぜ。こんな可愛い圭と一晩同じ屋根の下で過ごして、手出ししないはずがないだろう」
 しれっと怖い事を言う。
「……何だよ、それ」
 むっとしている圭に、伸は
「圭は、天性の魔性の男なのさ」
 いたずらっぽく片目をつぶってみせた。
 ぴゅーっと、背中の後ろを、乾いた夏の風が吹き抜けていく。
 魔性……どこか懐かしい響きのその言葉に、胸がきゅんと締め付けられた。
 同じ言葉を口にしたもう一人の男は、今頃、たった一人の部屋で、一体何をしているのだろうか。
 多分まだ、圭の匂いが残っている、あの、部屋で。
 その時、夏の始まりの季節にぴったりな、活きのいいメロディーが圭の耳に飛び込んできた。
「メールだ」
 伸はスポーツバックから携帯電話を取り出すと、ざっと画面に目を走らせた。にっこりと圭に笑いかける。
「あいつ、帰ってきてるぜ。今正門についたところらしい」
「あいつって?」
 心臓が、期待に、どくりと跳ね上がった。
「桔梗だよ。お婆ちゃん、大丈夫だったって」
 桔梗。
 良かったな、と笑いかける伸の目の前で、圭は勢いよく立ち上がった。
「伸ちゃん、俺、行ってくる」
「ああ。あいつによろしくな」
「うん」
 ベンチにくしゅりと置かれたリュックを掴むと、圭はくるりと学園の方角へ走り出した。すぐに大声で名前を呼ばれる。
 振り向くと、伸が立ち上がってこちらを見ていた。
「忘れんなよ。ロックだぜ。鍵をかけろよ」
 片手だけのトゥエルの後、ひらひらと逞しい腕を振っている伸に、圭は口に両手をあてて大声で
「わかんないー」
 と叫び返した。
 そう。これから桔梗に会って、どうするかなんて、何も考えられなかった。
 ただ、桔梗に会いたい。あの笑顔に早く会いたい。それだけだった。
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