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四話 カフェにて

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「なるほど。アドニス様が正真正銘の遊び人である事を、改めて思い出しましたわ」

 アドニスを中心にしてそこに居る彼の取り巻きたちをめ付けながら、サブリナは冷たい声音こわねで言い放った。

「みなさまを連れてのご登場も、アドニス様のお遊びというわけですのね……。観客付きでの婚約破棄の打合せなど前代未聞ですが、よろしいでしょう! いつも通りのアドニス様で私は構いません」

「え? あ、うん。分かった、いつも通りの僕でいる事にしよう!」

 アドニスのその返事を聞いたサブリナはほんの僅かに口角を上げると、一瞬だけ彼と視線を交わす。

「なんか地味令嬢のくせして、無駄に強気な態度よね」

「二度とない婚約を破棄されて、自棄やけっぱちになっちゃったとか?」

「同情するよ。恨み辛みは人の性格を歪めてしまうからね、こわいこわい」

 サブリナへ聞こえよがしに皮肉を言う彼らの立場は、アドニスにとって知人や友人のようなものではない。
 父親のネスラン侯爵に命じられて、息子に取り巻いている者たちだ。

(はあ。なんだか婚約破棄して以来、急に私への風当たりが強くなってきたわ)

 サブリナは婚約破棄の理由に、アドニスの女友だちへの虐待を選んだのだから仕方ないとは思っている。事実はなくとも人の噂とはそういうものだ。
 それでも影が薄いと無視されていた頃が、何だか懐かしく思えてしまう。

(でもまあいっか。大した事じゃないし)

 身分で言えば彼らはみな子爵家や男爵家の子女たちばかりなので、伯爵令嬢のサブリナに面と向かって罵倒を浴びせるような事は出来ない。
 だからこうしてネチネチと遠巻きに皮肉を言っているのである。

 その身分差でサブリナが守られていたからこそ、アドニスはギリギリのところで我慢が出来たのだ。
 もしサブリナが罵倒されるような事にでもなれば、彼の堪忍袋の緒はぶつりと切れていたであろう。それくらいアドニスはいま現在も、彼らに腹を立てていた。しかし──

(サブリナは僕にいつも通りの遊び人であるようにと言っている。きっと考えがあっての事なんだ、彼女の計画の邪魔をしないようにしなければ!)

 そう自分に言い聞かせたアドニスは大きく息を吸うと、サブリナに薄ら笑いを浮かべて言ったのである。

「僕の我が儘を許しておくれ。退屈な君との話し合いだよ? 少しは派手な演出をしないと僕とて君を楽しませてあげられる自信がなかったんだ」

「そうですか。そのお気遣いに感謝いたします、アドニス様」

「あっはは、大した事じゃないさ。それよりサブリナ、いつまでもこんな道端にいてもつまらない。洒落たカフェにでも行こう」

 アドニスは大袈裟な身振りでサブリナをエスコートしようとする。しかしサブリナがその手を取ることはなかった。

「お気持ちだけで結構です。自分の足だけで歩けますので」

 途端、アドニスの顔が泣きそうになったが、それはほんの瞬きするあいだだけの事だった。だから誰も気付いてはいない。

「そ、そうかい、それは残念だ。じゃあ君たち二人をエスコートさせて貰おうかな。僕の両腕が寂しがっているんでね」

 アドニスは自分の横にいた取り巻きの中の二人の令嬢に、ウィンクしてお願いした。

「はーい!」「やったあ!」

 嬉々とした二人の令嬢は、アドニスの両腕を左右に分けてがっしりとしがみつく。
 すると今度はサブリナが泣きそうな顔をする番となる。だがやはりそれもほんの瞬間の出来事であったので、誰も気付きはしなかったようであった。



 ◇*◇*◇*◇*◇


 それから数日ののち、王都の平民街にあるさびれたカフェで、サブリナとアドニスは二人だけの逢瀬をやり直すことが出来た。

「サブリナっ! サブリナごめんよお! 間抜けな僕に罰を与えてくれえッ!」

「こ、声が大きいわアドニス様!」

「す、すまない。だけど僕は自分を許せないんだっ。取り巻き連中の目を盗めなかっただけでも失態なのに、君との逢瀬まで白状する事になってしまって──」

(えっ!?)

 そこでサブリナはアドニスの言葉を遮ると、少し緊張した様子で質問した。

「それって、私たちの事を怪しまれて自白させられたのですか?」

「そうじゃないんだ。奴らが待ち合わせ場所に突然現れたものだから、言い逃れできなくてね。君と婚約破棄の打合せをすると正直に話してしまったんだよ……」

「はぁ、なら良かった。それでいいのですわ。誰かに見つかったらそう話そうと、あらかじめ決めていたのですもの」

「良くないよっ! 結局サブリナだけが一方的に嫌な思いをするはめになってしまったじゃないかっ。僕が何とか上手く対処できていたのなら……」

 だがそれは無理だろうとサブリナは思った。もちろんアドニスにその能力がないからという意味ではない。
 アドニスの父親から息子のお目付け役として付けられている彼らが、普通の子女から選ばれているとは思えないからだ。

 サブリナがアドニスと出会った頃には、すでにそういう者たちが彼には付いていた。そしてその取り巻きからはいつも監視されている様な視線を感じてきた。
 そんな普通ではない彼らがアドニスの言い繕い程度を簡単に信じるはずがない。それをアドニスも知っているからこそ白状する事にしたのだろう。

 幸いまだ自分たちの計画が彼らに気付かれているとは思わないが、アドニスの態度如何では疑われかねないとサブリナは思っている。

(だからこそあの時は、アドニス様にいつも通りの遊び人でいてくれとお伝えしたのだもの……)

「アドニス様、大丈夫です。私はちっとも嫌な思いなんてしていないので」

「でも僕は嫌だったんだ! くそうっ、遊び人なんて大嫌いだッ!」

 アドニスは興奮しながら自分の髪を掴むと、いやズラを掴むと、力任せにそれを頭から引き剥がした。

 ベリッ!!

「ちょっ! アドニス様っ!?」

「痛っ──」

「なんて無茶なことを! ご覧なさい、こんなに頭皮が真っ赤になって……」

 サブリナはアドニスの禿げ頭をまじまじと見ながら、赤くなった皮膚にフーフーと息をかける。

「ふーふーしてくれてありがとう。だけど僕はそろそろ限界かもしれない。弱音は吐きたくはないけれど、でもこれ以上遊び人を演じ続けていたら僕は気が変になってしまいそうで……」

「何かあったのですか?」

「……うん。あまり君には聞かせたくはないし、君も聞きたい話ではないと思うのだけれど」

 そう歯切れが悪く話すアドニスであったが、結局躊躇しながらも昨夜の夜会での出来事をサブリナに語った。

 一言でいうならば、それは夜のお相手の話であった。
 だが別に驚く話ではあるまい。遊び人のアドニスがまさか清廉潔白な紳士であるとは、誰も思ってはいないのだから。

 昨夜も彼はある侯爵夫人の誘いを受けて、彼女と寝室を共にしたのだ。
 婚約してからはそういう機会も減り、滅多にある事ではなくなっていた。しかしアドニスが大々的に婚約破棄をしたものだから、今までの分まで纏めたようにして誘惑の機会が急増してしまったのだ。

 それゆえアドニスの精神は誘惑の数に比例して、加速度的に追い詰められていった。

「こんなのもう嫌だっ。僕は本当に気が狂いそうなんだ……。いくらこれがネスラン家の仕事だとはいえ、君を、君だけを愛している僕には拷問でしかないよッ!」

「アドニス様……」

 サブリナにとってもそれは辛い話であった。しかしアドニスはもっと辛いに違いないのだ。
 それなのにと自分の心を持て余していたサブリナは、拳を強く握りしめた。
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