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第十話 奪われた穏やかな日々

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 ラフィンドルが人間の気配に気が付いたのは、昼になる少し前の事であった。

「……誰か来る、それも大勢だな」

 もうすぐ空の散歩に行けるのだと浮き立つ思いでいたアリシアは、急に不吉な予感にとらわれてしまう。

「なにか悪いことでしょうか?……」

「さて……念のためアリシアは洞窟の奥に隠れていなさい、俺はちょっと様子を見てくるよ」

「はい……どうかお気をつけて」

 アリシアは言われた通り、わずかに入口が覗ける奥まった場所にその身を隠す。

 入口の近くまで来たラフィンドルは、そこで魔法の目を使って周囲の様子をうかがった。
 数名の騎士と多数の兵士たち。物騒な気配が隠しようもなく立ち込める。

 万が一にもアリシアに危害が加えられてはならないと、魔法防御の結界を張ってからラフィンドルは彼らに向かって語りかけた。

「人間たちよ、俺に何か用かね?」

 突然のドラゴンの声にブロイドは一瞬緊張を表す。しかしすぐに冷静さを取り戻したところを見ると、王国騎士団の正騎士というのが伊達ではない事がわかる。

「あなたというより、アリシアという娘に用があります。花嫁と言った方が分かりやすいですかね?」

「ふむ、確かにアリシアはここにいるが……」

「まだ生きているのですね」

 ブロイドのその不躾ぶしつけなもの言いにラフィンドルは少しムッとして答えた。

「むろんだ。彼女に用があるのなら俺から伝えよう」

「いえ、それには及びません。アリシアを返して頂ければ我々は大人しく帰りますので」

 慇懃無礼いんぎんぶれいとはまさにこの人間のためにある言葉だなとラフィンドルは思ったが、それで腹を立てることはなかった。

「とにかくアリシアに聞いてこよう。しばし待て」

 そう言葉を残したラフィンドルは、アリシアにその用件を伝えてみたのだが……

「いやですっ! 私はラフィさまの花嫁なんです。帰る場所はここ以外にはもうありませんッ!」

 そう酷く興奮して拒絶したのは当然だったといえるのだ。
 生きて帰るより死んでしまった方がいいとまで思い詰めていたその姿を、ラフィンドルは忘れてはいない。

「そうか分かった。では帰ってもらうこととしようかね。だからもう何も心配しないでいいよ」

 身体を震わせて無言で頷いたアリシアを、心配そうに何度も振り返りながら、ラフィンドルはブロイドのいる場所へと戻ってきた。

「アリシアは帰らないと言っている。人間よ、今後は俺の花嫁には関わらないでもらいたい。我らはただ静かに暮らしていたいだけなのだ」

「えっ? ええ? ドラゴンさん、いまあなた俺の花嫁といいましたか? こいつは驚いた! アリシアが本当に花嫁になってしまったと!?」

 そう笑ったはずのブロイドの目は微塵も笑ってはいない。すぐさま片手をあげると、後ろに控えた魔術師たちに合図を送る。

「──撃て」

 魔術師たちの放った爆炎が魔法防御の結界に阻まれ、轟音だけを残して散ってゆく。
 それが三回、四回と繰り返された後、突如として兵士たちが洞窟の中へとなだれ込んだ。

 人間たちによる突然の攻撃であったが、ラフィンドルはべつに驚いてもいない。ありふれた事なのだ。人間はドラゴンに対してこういう事を平気でする。

 ただラフィンドルはアリシアの前で人間を殺したくはなかった。しかし最早そうも言ってはいられまい。
 ブロイドたちから敵対の意思を見せられた以上、反撃するより他ない状況なのだから。

 群がって押し寄せてくる兵士たちを、ラフィンドルはその鋭く凶暴な尾で凪払なぎはらった。奥にはアリシアがいる、通すわけにはいかないのだ。

「人間たちよ、馬鹿な真似はよせ」

 ラフィンドルの忠告は、ドラゴンの尾に切り裂かれた兵士たちの叫び声にかき消され、虚しく洞窟の闇に溶けていく。

 魔術師たちは攻撃魔法を諦めて、今度は閃光による視覚の妨害を試みた。
 その閃光の中から兵士たちと共に三人の騎士が剣を抜く。騎士たちは巧みにラフィンドルの尾の攻撃から身を躱し、ついに二本の剣がその白銀の鱗を斬りつけた。

──愚かな。

 その刃は無残にも、ラフィンドルの鱗に傷ひとつ作れずに弾かれてしまった。

 だが……

 三本目の騎士の剣は確かに効果的な一撃をラフィンドルに与えることとなる。

 そうブロイドの剣だけはラフィンドルを素通りし、アリシアの首筋に突き付けられていたのだから────
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