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第三十三話 ありがとう

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「子供の頃の俺は、都合のいい操り人形だったんだろうな──」

 比翼の鳥を解除する為にヘルミーネへの説得を試みていたグロリエンは、いま己の昔話を始めている。
 説得とは何の関係もない迂遠なアプローチの様にも見えるが、グロリエンはその遠回りこそが説得成功の鍵となると信じていた。

「勇者の加護持ちという宿命と王国の期待。俺の気持ちとは関係のないこの二つの思惑が、俺を覇王にさせようとしていたんだ」

 淡々と話しながらも何処か痛々しさを感じるグロリエンに、ヘルミーネの胸はちりりと痛む。
 それは子供の頃のグロリエンを思い出していたせいかもしれない。

「もちろん加護や人々の期待に悪意があったわけではない。操り人形になったのも、要するに俺自身が何も考えない馬鹿なガキだったからだ」
「グロリエン様……」
「そんな馬鹿なガキの鼻っ柱を叩き折って、ちょっとはマシなガキにしてくれたのがお前だよ、ヘルミーネ」
「私がですか?」

 心当たりのないヘルミーネは僅かに狼狽した様子を見せたが、そんな彼女に「ありがとうな」と謝辞を述べたグロリエンの言葉には嘘偽りはなかった。
 どうやら自分より年下の女の子で、しかも筋力強化という下級加護しか持たぬヘルミーネに負け続けた事が、グロリエンの傲慢さを粉々にしたらしい。

「ですが私、そんなつもりじゃなくて。子供の頃はただグロリエン様にかまって貰える事が嬉しかっただけで……」

 意図せぬ事で感謝され、ヘルミーネはその気まずさに困惑してしまう。
 しかしグロリエンはそんな困惑さえも愛おしげに、ヘルミーネを見つめて言った。

「お前はいつだって俺を勇者としては見ていなかったもんな」
「そ、そんなこと! ……あったかも」
「ハハ、いいんだ。それでこそヘルミーネだ。そのおかげで俺は、ありのままの自分を受け入れて変われたんだと思う」

 するとヘルミーネは少し不思議そうな顔をする。

「子供の頃のグロリエン様も、今のグロリエン様も、私にはずっと変わっていないように思えますけど?」
「なにっ!?」
「だ、だって。確かにちょっぴり意地悪でしたけれど、とてもじゃないですが覇王になれる様な子供ではありませんでしたから」
「うぐっ……。ま、まあ、お前からしてみれば、俺は年下の少女にも負ける様な勇者だったしな。それが覇王になろうっていうのもお笑いぐさか……フッ、ですよねぇ」

 グロリエンが顔を引き攣らせて落ち込むのを見たヘルミーネは、慌てて手のひらを横に動かし否定の手振りをする。

「あっ、そうじゃなくて。グロリエン様は最初から変わらず心の優しい方だったので、覇王なんかになるはずが無いなって」
「俺が優しい?」
「はい」
「それは違う。さっきも言ったが覇王になるのをやめた理由だって、お前に嫌われたくないからだ。優しさとか関係ない」
「それ、やっぱり本当なんですか?」
「俺が覇王をやめた理由のことか? だったら本当だぞ」
「そうですか……何か、すみません」
「どうしてお前が謝る?」
「だって。幼い私が何も考えずに言った言葉で、グロリエン様の将来を決めさせてしまったなんて……」

 ようするにヘルミーネは怖気づいたのだ。思いも寄らないところで、他人の人生の重要な決断に関わっていたことに。
 そうと気づいたグロリエンはきわめて真面目な態度でヘルミーネに尋ねた。

「戦争をしたがる覇王が大嫌いだと言ったお前の気持ちは嘘だったのか?」
「嘘ではありませんわ! 今だって同じ気持ちのままです」
「じゃあそんな顔するなよ。俺だって覇王になってお前に嫌われるのは御免だと思った気持ちに嘘はない。二人の気持ちに嘘がないなら、何の問題もないだろ」
「グロリエン様……」
「とにかく俺はお前に嫌われたくないんだ。俺がお前より強くありたいと、必死で勝負を挑み続けているのを見れば分かるだろ」

 そう言って微かに優しく微笑んだグロリエンに、ヘルミーネは首を捻った。

「ちょっと意味分からないです」
「な、なんで!?」
「だ、だって。嫌われたくないという気持ちと、私より強くあろうとする気持ちが結びつかないんですもの」

 グロリエンにしてみれば、至極明解な気持ちの成り行きであったのだろう。だからヘルミーネが彼の気持ちが分からない事に、戸惑ってしまった。

「あ、いや、単純な話だぞ? 強者であるお前に相応しい男となるには、俺自身も強者となり対等となる必要があるって事だ。お前だってお前に勝てないような男に好かれても、迷惑なだけじゃないか?」
「は? いえ、ぜんぜん」
「え? 全然?」
「はい、ぜんぜん」
「…………」

 無言で見つめ合う二人であったが、もちろんその内心はそれぞれに違う。
 会話が途切れたゆえにただ黙っているヘルミーネに対し、グロリエンのそれは言葉を失っていたに近い。というのも頭の中が混乱しきっていたからだ。

(全然って。どういう事だよっ!?)

 何を混乱していたかと言えば、ヘルミーネにフラれた理由についてである。
 フラれたと勘違いしたままのグロリエンにとって、心の傷はいまだ生々しい。

 それでも未練な男でいたくはなかったグロリエンは、自分がフラレた理由を考えた。
 結果グロリエンは、ヘルミーネより弱い自分がフラれるのは当然だという、単純明快な理由にたどり着いたのである。

 それなのに──

「ちょ、ちょっと待ってくれヘルミーネ! じゃあなぜお前は俺をフッたんだ!?」

 するとヘルミーネは訝しそうにグロリエンを見た。彼が何を言っているのかまったく分からなかったからだ。

「私、グロリエン様をフッてなんかいませんけど……」
「いや、フッただろ」
「フッてませんわ」
「たしかにフッたぞ!」
「フッてませんったらフッてません!」

 比翼の鳥の問題解決のため、説得に来ているはずのグロリエンなのである。
 グロリエンとしては、子供の頃からの自分の素直な気持ちをヘルミーネに打ち明け、長い年月二人で培ってきた友情の絆を確かめ合おうとしていた。そうする事で信頼を強めれば、ヘルミーネも戦いに応じてくれると思ったのだ。

 だというのに当初の目的をすっかり忘れたグロリエンは、友情の絆どころか痴話喧嘩に夢中になってしまっている。

「おのれっ。ついさっきお前は俺をフッたではないか! それで俺がどんなに辛い思いをしたことか……」
「はあ? 夢でも見ていたんじゃございませんの!?」

 だが実は、この痴話喧嘩が災い転じて福となす──

「だいたい私がグロリエン様をふるわけないじゃない! 私だってグロリエン様のことを愛しているのですものっ!」

 興奮したヘルミーネは思わず本心をぶち撒けてしまったのだ。
 比翼の鳥に捕らわれた以上もはや叶わぬ恋だと思い定め、一生秘めたままでいようとしていた恋心だったのに。

「あっ! えっと……今のはナシでっ!」

 当然ながらグロリエンがナシにするはずもなく、それどころかヘルミーネのその言葉さえ届いている様には見えない。
 呆然として立ち尽くし、ワナワナと唇を震わせているグロリエンは「あー、あー」と変な声を出していた。

 ようやくまともに声が出せるようになると、グロリエンは開口一番ヘルミーネへと言ったのである。
 ぽろりと涙をこぼしながら、今日二度目の「ありがとう」を。

 ヘルミーネは思わず胸をキュンとさせてしまった。グロリエンのその様子が、なんとも愛おしく思えてしまったからだ。

「ま、まったく! グロリエン様ったら、何を勘違いして私にふられたと思ったのかしらっ。バ、バカみたい」

 ほとんど照れ隠しのようにして、ヘルミーネはそっぽを向きながら悪態をついた。
 そんな彼女にグロリエンは鼻をすすって口をへの字にしたようだ。

「だってお前、会議場で言ったじゃないか。俺との恋愛は無理だって」
「私が会議場で?」
「そうだよ、俺とお前との恋愛で比翼の鳥を消すのは無理って言ったぞ。つまり俺からの愛情は受け取れないって事だろ」
「ああ! 確かに言いましたわね。だってその通りですもの」
「そ、その通りぃ!?」

 素っ頓狂な声を上げたグロリエンが、また変な誤解をしそうだと思ったヘルミーネは、慌ててその理由を話した。
 あの時そう言ったのは、互いの愛情が両想いであることを確認できたにもかかわらず、比翼の鳥に消える様子が無かったからだと。

「だから私は恋愛では無理だと申したのですわ」
「なるほどな。俺はそれを勘違いしたというワケか……」

 するとグロリエンは「むう」と唸って考え込んでしまった。だがそれはほんの僅かな時間である。ハッとして顔を上げたグロリエンは、その目を輝かせてヘルミーネの両手を握りしめた。

「ヘルミーネ! やっぱり俺はニセ者のお前と恋愛したいッ」
「なんですって!?」

 間髪入れずに放たれたヘルミーネのアッパーカットが、グロリエンの顎へと突き刺さる。乙女心からの鉄拳制裁であった。

「グエッ!!」

 だというのに、悶絶するグロリエンの顔はどこか嬉しそうで、「やはり間違いではなかったか……」とあえぎながら呟いた。

「き、き、聞いてくれ……ヘルミーネ」
「浮気の言い訳を聞けと?」
「ち、違うよ! 俺はお前との勝負に、ようやく勝てる確信が持てた」
「ほほう。どうやらブッ飛ばされたいようですわね!」
「だ、だからそうじゃなくて! くそっ、ややこしいなあ……」

 つまりグロリエンの言った勝てる確信とは、会議場でニセ者のヘルミーネから食らったパンチを指しての事らしい。
 その時受けた攻撃には、本物のヘルミーネのような破壊力が無かったのだ。だからニセ者との戦いならば勝てるとグロリエンは踏んだのである。

「──ほんとかしら」

 正直ヘルミーネとしては半信半疑である。意識は違えど筋力強化を使うのは同じ自分なのだ、変化があるとは思えない。
 しかしグロリエンは自信満々にして、「伊達にお前との勝負で負け続けてはおらん!」と胸を張ったのであった。
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