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第三十話 エリスティア登場

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「あぁ~もぅ、めんどくさいなぁー」

 山間に敷かれた街道を走る馬車に揺られていたエリスティアは、うんざりした様にしてそう独り言ちた。

「シャキっとなさいまし王女殿下。もう間もなくでバリアの自治都市へと到着するのですよ。くれぐれも王国の威厳を損なう事の無い様にお願います」
「はいはい、分かってるってばぁー」

 向かいに座る筆頭女官の老女に釘を刺されたエリスティアは、ますますうんざりした顔になって溜め息を吐く。
 そもそも彼女は馬車での旅が好きではない。こんな面倒な思いをするのなら、マッドリーとの取引なんかに応じなければよかったと、今更ながらに後悔している。

(マジでぇ最悪ぅー)

 エリスティアがどういう経緯でバリアに向かっているかと言えば、ヘルミーネの兄であるマッドリーから妹の安全を見守って欲しいと懇願されたというのがその理由だ。
 マッドリーはヘルミーネが帝国に狙われていると信じている。ゆえに今回の平和友好会議にヘルミーネが出席する事が心配でたまらなかった────

『どうか、どうかお願いします王女殿下! 我が妹のヘルミーネの側にいてやって下さりませッ!』

 ヘルミーネがバリアへ出立すると直ぐに、マッドリーは先の懇願をしにエリスティアに謁見したのだ。
 当然エリスティアは断った。面倒が大嫌いな彼女が承知するはずもない。

『自分で行けばぁ? それかぁ家臣に行かせればいいじゃんかぁー』
『むろん仕事が無ければ自分で行っております。それに家臣では駄目なのです。王女殿下という最高級の権力がヘルミーネの側にいてこそ、帝国への抑止力となるのですから』

 不敬にも王女を用心棒のように使おうとするマッドリーを、エリスティアはまったく気にしてはいない。
 二人は旧知の間柄なのだ。シスコンマッドリーの異常性は心得ている。

『てかさぁ、そもそもヘルミン自身が抑止力じゃん。帝国一の騎士でもぉ、絶対ヘルミンには勝てないよぉ』
『その油断が危ういのですっ!』 
『とにかくぅ、わたしはイヤですぅー』

 始めエリスティアは断固拒否する姿勢でいた。しっしっと手を振って、マッドリーに帰れと促してもいる。
 そんな取りつく島もない態度のエリスティアであったが、マッドリーには彼女の気持ちを動かす為の奥の手があった。

『うーむ、仕方ありませんな。ならば王女殿下、私と取引を致しましょう』

 マッドリーは王太子の従者になった日から今日までの、グロリエンに関する恥ずかしい過去をすべて記憶していた。それは王太子の黒歴史として厳に秘匿されてもいる。
 その歴史の一部をエリスティアにだけ公開するという交換条件を、マッドリーは提示したのである。

『そんなのズルぃーー!』

 エリスティアにとってその提案はあまりにも魅力的すぎた。兄グロリエンをからかう事に至上の悦びを覚える妹なのだ。見逃せるワケがない。
 結局エリスティアはグロリエンをからかうネタを手に入れる誘惑に負けて、マッドリーとの取引に応じてしまったのだった。

「ハァ、お兄様への愛が深すぎるぅー」
「王女殿下、何か仰いましたか?」
「べつにぃ、退屈って言ったんだよぉー」

 エリスティアは筆頭女官を誤魔化すと、プイッと窓の外を見た。
 結果的にはマッドリーの心配が的中し、ヘルミーネは帝国の毒牙にかかってしまったワケだ。現在バリアの平和友好会議は、グロリエンの暗殺事件によって大変な事態となっている。

 だがその事をマッドリーはもちろん、エリスティアが知る由もなく、彼女は長閑に続く山の景色をぼけっと眺めていた。
 山道では時おり野生の動物が現れては旅人の退屈を紛らわすというが、今のエリスティアがまさにそれである。

(ん、鹿だぁ……。えっ、猿ぅ!?)

 前方に見える樹木の間から、野生動物の影がエリスティアの馬車にと振り向く。
 その瞳がキラリと光ったかと思うと、凄まじい跳躍力でその野生動物が飛び出して来た。そして隊列を通せんぼするかの様にして立ちはだかったのだ。

(違っ! ウソぉッ、野人っ??)

 前を行く騎馬四騎が急停止するのに続き、エリスティアの乗っている馬車とその他の護衛の騎馬も急停止した。
 当然ながらすぐさま護衛は襲撃を警戒して、防御陣形をとったのだが──

「お静かに皆様ッ! 私はフェンブリア王国がロックス公爵家息女、ヘルミーネ・ロックスと申します。こちらに敵意はございませんわ!」

 なんと、エリスティアが野人と思った生物は、正真正銘のヘルミーネであった。
 こんな劇的すぎる親友との会遇でなければ、エリスティアは喜んでヘルミーネの側へと駆け寄ったであろう。しかし今の彼女は呆然として窓から覗いているのが精一杯だ。

「わ、我らはフェンブリア王国が王女殿下、エリスティア・フェンバード様の馬車一行である。な、な、何用にて我らがバリアへと行く道を遮りなさるのか」

 この衛兵がヘルミーネを知らないワケがない。彼女は古今無双の公爵令嬢と謳われる、王国最強の乙女なのだから。
 ゆえにヘルミーネの行動を問い質すだけでも、相当に勇気が必要だっただろう。現に彼の顔に流れる汗の量がすごい事になっている。 

「まあ! 王女殿下の馬車でしたのね。これは幸運でしたわ。私、バリアへと帰りたかったのですが山道を迷ってしまって──」

 よかったら一緒にバリアまで連れて行って欲しいと、ヘルミーネは衛兵に願い出た。
 エリスティアはこのやり取りの一部始終を聞きながら、何とも言えない違和感を覚えている。理由は分からないが、ヘルミーネがヘルミーネでない気がするのだ。

(このヘルミンってぇ、一体誰って感じぃ)

 色々と不審な点はあるものの同行を許可しない理由もない。それに違和感はあるとはいえヘルミーネである事は間違いないのだ。
 困っている親友を見過ごせるような薄情さを、エリスティアは持ち合わせてはいなかった。

 しかし実際に馬車の中でヘルミーネと話してみると、エリスティアはますます違和感を強く感じるようになる。

「エリスティア殿下、私の我が儘を聞いて下さってありがとうございます。持つべきはやっぱり親友ですわね」
「ヘルミン、なんか他人行儀すぎるぅー」
「そうでしょうか?」
「というかぁ、もはや他人?」
「フフ、ご冗談を。ところで殿下はどうしてバリアへ?」
「内緒ぉー。ヘルミンこそなんで山道なんかで迷ってたのぉ? 今日は会議の初日じゃなかったっけぇ」
「そ、それは……」

 エリスティアの何でもない質問にヘルミーネは、「だって、だって」と唇を震わす。
 やがて暗い目をしたヘルミーネが、突如として不穏な空気を車内に撒き散らした。

「ヘルミン?」

 かつて一度も見た事のない親友の態度にエリスティアは少し驚くが、同席していた筆頭女官にとっては少しだけで済む驚きではなかった。
 エリスティアは気づいていない。その不穏な空気の正体が殺気だった事に。

 筆頭女官の老女にはそれが分かったのだろう。懐に忍ばせている短剣を震える手で密かに握りしめると、生唾をゴクリと飲み込んで冷たい汗を流した。

「グロリエン様が悪いのですわ。あの人が私を愛してくれないのだもの……」

 ヘルミーネの言葉は質問に答えているというよりは、独り言のように聞こえる。
 正直エリスティアは今のヘルミーネが不気味であった。だがそれ以上に心配でもあったのだ。まるで別人の様になってしまっているヘルミーネに一体何があったのだろうかと。

「どうしたのぉヘルミン。何かあったのぉ? お兄様に嫌な事でもされたとかぁ?」

 するとヘルミーネはハッとしたふうな顔をして、エリスティアにと振り向いた。

「お兄様……? そうだわ、グロリエン様はエリスティア殿下の兄上でいらしたわね! なら殿下からも私を愛するようにと、グロリエン様を説得してください!」
「えっとぉ、何かヘルミン変だよぉ。愛するようにってどういう意味なのぉ?」

 しかしヘルミーネはエリスティアの問い掛けを無視し、血走った目で「親友なら私の味方になってくれますわよね!?」と彼女に迫った。

「へ、ヘルミン!?」

 戸惑いで返事の出来ないエリスティアに焦れたヘルミーネは、さらに彼女へと迫るとその肩を掴んで「どうですの?」と答えを催促する。
 すると「そ、その手をお離し下さい」と言う、筆頭女官の震え声が車内に響いた。

「王女殿下への無礼は許しませぬ!」

 筆頭女官の手に握られた短剣が、彼女の本気を示している。
 だからこそヘルミーネの癇に障ったのだろう、グロリエンとの愛の妨げになる者は何者であれ見過ごせない。

「女官風情が、邪魔をしないでッ!」

 この期に及び、エリスティアにもはっきりとヘルミーネの殺気を感じる事が出来た。
 そして確信したのだ。目の前にいるヘルミーネは、ヘルミーネでは無いと。

「あなたは誰ぇ? ヘルミンはどこぉ!?」
「あら。親友の貴女まで惚けて話をはぐらかすのね。つまり私の味方になるつもりはないという事かしら?」

 一層殺気を膨らますヘルミーネに、恐怖を覚えたエリスティアであった。
 しかし親友を騙る見知らぬ者への怒りが、その恐怖をも上回る。

「ヘルミンを返してぇっ!」

 その途端、ヘルミーネはエリスティアの顔面に狙いを定めた拳を振り上げた。
 殺される! エリスティアは咄嗟に加護隠形を使って姿を消すが、実体が無くなるワケではない。闇雲にでも拳が当たれば命はないだろう。

(もう駄目かもぉーーっ)

 だがヘルミーネが拳を振った気配は一向に訪れない。なぜなら──

「ふぅ……間一髪だったあ」

 エリスティアは思わず瞑った両目を、片方だけ開いて車内を見る。
 すると拳を振り上げたまま大きく息を吐いた、彼女のよく知るヘルミーネの姿がそこにあった。
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