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第十六話 アスマンの陰謀

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 ペイルディス帝国の皇帝ブチェンコ三世は謁見の間にある玉座に座りながら、そわそわとした様子で目を泳がせていた。

「そう御心配なさいますな。今回の件は皇帝陛下がお気を煩わせるほどの問題ではございません」
「いやそうは言うがなアスマン伯よ……」

 相も変わらず小心な皇帝にアスマンはうんざりし、心の中で舌打ちをする。
 もっともその小心を利用して皇帝からの寵愛を得てきたのである。アスマンの出世は皇帝が小心者であったおかげともいえるのだ、非難できる立場ではない。

「フェンブリア王国での誘拐事件を、帝国と結びつけて考える者などおりませんよ。事実王国でも、身代金目当ての犯行だと結論づけられております」
「うぅむ……」

 皇帝はひとつ唸ってからアスマンを恨めしそうに睨む。そもそも平和友好会議の調整準備を口実に、裏で情報収集するのがアスマンの任務であったはずだ。
 それなのに予定にない誘拐を独断専行したあげく、それを失敗させている。むろん皇帝自身がアスマンに全権委任した結果であるが、今ではそれを多少後悔していた。

「しかし捕縛された我が国の諜報員どもが、白状してしまったらどうするのだ?」
「その心配はございません。もし白状などしたら家族がどうなるかを、彼らは良く心得ておりますので」
「そうか、なら良いが……」

 皇帝は歯切れ悪くそう頷くと、アスマンへ溜め息混じりに不満を述べる。

「アスマン伯よ、フェンブリアには例の勇者の加護を持つ王太子がおる。いまは平和主義を標榜している様だが、いつ心変わりするとも限らぬのだ。ゆえに余計な刺激は与えぬようにせよ」

 無言で低頭したアスマンは、この弱腰な態度の皇帝に苛つきを覚えた。
 ペイルディス帝国は大陸一の版図をもつ強大国なのである。たかが中堅国家のフェンブリア王国にとるべき態度ではない。

(皇帝のグロリエン王太子に対する警戒心は、いささか度が過ぎる)

 確かに勇者の加護を持つ隣国の王太子が、危険な存在であるのは間違いない。だが所詮は個人の持つ異能に過ぎないのだ。
 将来グロリエンが本当に覇王となるかは、加護以外の力による処の要因も大きいはずである。ならば強大国である帝国が過度に恐れる理由はない。

 だと言うのに皇帝はすっかり王太子の存在に怖じ気づいていた。

(まったく目の上の瘤とはこのことだな。いや、ならばいっそ切除してしまおうか)

 もちろん目の上の瘤とはグロリエンの事だ。そしてアスマンは自分ならそれが出来ると密かに思い始めていた。
 やがてその瞳が妖しく光る──

(そうだ。俺なら出来るに違いない!)

 その確信はアスマンの顔を不敵な笑みで歪ませた。と同時に彼の口からは、踊るようにして皇帝への進言が溢れ出る。

「恐れながら皇帝陛下。今回の誘拐で我が国の諜報員たちを倒したという公爵令嬢、ヘルミーネの事をどう思われますか?」
「古今無双の公爵令嬢とやらの事か。ふん、どうもこうも嘘に決まっておるわ」
「私もそう思いました。下級加護の筋力強化しか持たぬ女が、秘密諜報部の精鋭たちを倒せるわけがないのです」
「当たり前だ」

 皇帝は玉座の肘掛けを指先で神経質そうに叩きながらそう言った。
 今日はこれ以上話したくはない。そんな彼の気持ちが指先に表れであろう。しかしアスマンはそれを無視して話を続けた。

「では、ヘルミーネが彼の国の武術大会で、王太子に勝って優勝したという話はどう思われますか?」
「茶番に決まっておる。どうせ王太子が公爵家の女に華を持たせてやったのであろうよ。勇者の加護が筋力強化の加護なんかに負けるはずがなかろう」

 鼻で笑ってそう言った皇帝は、端からヘルミーネの強さなど信じていない様であった。常識で考えればその判断は妥当だといえるだろう。
 なのにアスマンはゆっくりと首を横に振り、「しかしながら陛下」と演技がかった大げさな所作で皇帝の考えを否定した。

「ヘルミーネについての情報は、すべて事実だと今の私は確信しております」
「なんだと!? 正気かアスマン伯」
「むろん正気です。私の直感もまたそれが事実だと告げておりますゆえ」
「ま、またお前の直感の話か……」
「直感だけではありません。思えば王太子の右腕とも言われる側近のマッドリーが、ヘルミーネを王国随一の女性だと言ったのはそういう事だったのです」
「だがその側近とやらは件の女と兄妹と聞いたぞ。たんなる身贔屓ではないのか?」
「マッドリーは不正を嫌う事で有名な男です。身贔屓するなどあり得ません」

 ところがマッドリーは身贔屓をする男なのであった。極度のシスコンゆえ身贔屓どころか、ヘルミーネの事は神のように崇めて人類の頂点だとさえ思っている。
 とはいえヘルミーネの強さに関する限りは、アスマンの確信は正鵠を射ていた。

「ならば我が帝国にとっては、また一つ頭痛の種が増えた事になるの……」

 小心者らしくがっくりと肩を落とした皇帝にアスマンは、本当に操りやすい御方だと心の中でほくそ笑む。

「そうとも言えませんぞ皇帝陛下。むしろ我ら帝国にとっては天祐かもしれません」
「天祐だと? どういう意味だ」
「唯一無二であるはずの勇者の加護に匹敵する力を持つ者が現れたのです。もしその二人が命の遣り取りをするような、本気の戦いをしたとすれば?」
「そんな事をすれば両者とも甚大な深手を負うか、いずれかの者が死ぬ事になろう」
「仰る通りでございます」

 すると皇帝はどことなく気分良さげに鼻を鳴らし、「読めたぞアスマン。だがお前らしくもない」と身を乗り出した。

「王太子と公爵令嬢の戦う理由がどこにある。そんな都合よく二人を戦わせる事など出来るワケがなかろう」

 日頃からアスマンの強引さにやや辟易しながらも、その才能に頼らざるを得ない皇帝であった。
 それゆえかアスマンの浅慮を指摘出来ることに卑屈な喜びを感じている。

「こればかりは無理な相談だな、諦めよ。他にもっとマシな具申はないか」
「恐れながら陛下。無理ならばその無理を通せばよいのですよ」
「くどい。帝国の力を持ってしても、今回はそれが出来ぬから諦めよと言っておるのだ」
「それが出来るのです。私の加護、比翼の鳥を使う事で」
「おぬしの加護を?」

 当然ながら皇帝はアスマンの加護がどういうものかを知っている。だからこそつい失笑してしまったのだろう。

「はは、冗談はよせ。アスマン伯の加護は、他人同士を強制的に恋愛関係にさせる異能ではないか」
「その通りにございます」
「まさか比翼の鳥の加護で、王太子と公爵令嬢を恋人同士にでもするつもりか? バカバカしい」
「はい、そのまさかをするのです」
「はぁ?」

 皇帝が怪訝な顔をしたのは無理もない。アスマンが神から授かった加護比翼の鳥の異能は、確かに他人を強制恋愛させるだけの加護なのだ。
 珍しい加護ではあるが、非常に限定的な状況でしか役には立たない。

 まあ片想いの相手との恋の成就や、倦怠期の夫婦の関係改善と言った事を商売にするのなら役には立とう。
 だがはっきり言ってアスマンのような政治的野心の強い者にとっては、無用の長物でしかない加護であった。

 しかしその無用の長物なはずの加護を、アスマンは陰謀に利用しようとしている。

「やれやれ話にならん。戦うどころか二人を仲良しにして何の意味があるのだ」
「意味はございます。ただし状態異常無効化を持つ勇者の加護には、当然ながら私の加護は効きません。従って王太子には全くの無意味です」
「効かない加護を使ってどうする!」

 人を食ったような話ばかりするアスマンに、皇帝はいよいよ不愉快になってきた。
 だがそれもアスマンの思惑通りなのだ。強引に話を進めるには相手の感情を揺さぶる必要がある。それでこそ誘導がしやすい。

「王太子には効果が無くとも、もう一方のヘルミーネには効果がございます。比翼の鳥はお互いが無くては生きられぬほど、強い情愛を抱かせる異能です」
「説明はもうよい、さっさと核心について話さんか!」
「要するに私が加護を使った結果、その効果はヘルミーネだけに現れて一方的な恋愛感情が生じるわけです」
「それがどうした」
「陛下ほど女性の扱いに慣れた御方なら、そういう女の行く末がどこにあるか、よくご存知なのでは?」
「むっ? 確かに儂は女の扱いには慣れておるが……。そうだな、儂からの寵愛を得られぬ女は大抵嫉妬に狂って往生させられる」
「さすがは陛下、仰る通りでございます」

 アスマンは皇帝をいよいよ上手に操りだした。皇帝もまんまと満更ではない顔をさせられているのだから単純である。

「ヘルミーネも同様にして嫉妬に狂うのです。愛して止まないグロリエン王太子からの愛を得られないヘルミーネが、その愛を得る為に最後にとる手段は──」
「なんだ、早く言え」
「王太子を殺してでも愛という名の片翼を手に入れようとするのです。比翼の鳥の異能はその愛を得るまで消えません」 

 皇帝がゴクリと生唾を飲んだ音が、謁見の間にと響く。

「つまり、古今無双の公爵令嬢と勇者の加護を持つ王太子が殺し合うという事か……」
「御意にございます」

 深々と低頭したアスマンは皇帝のその顔を見る事はできない。だが分かっているのだ、いま皇帝がどんな顔をしているのかを。
 床を見つめながら浮かべたアスマンの微笑みが、如実にそれを表していた。
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