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第二話 たった一人の物好き
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ヘルミーネの足元には婚約破棄を願い出た見知らぬ男性が、震えながら「ヘルミーネ様お許しを!」と命乞いをしていた。
なんとも外聞の悪いこの状況に、ヘルミーネは狼狽を隠せない。
(あわわわわ……これではまるで男女の修羅場のようだわっ!)
果たして夜会に参加している大勢の貴族たちも、この状況を男女の修羅場だと受け取っていたようだ。
彼らはその目を輝かせ、興味津々という体で二人の成り行きを見守っている。
「一体なにが始まるんだ?」
「ヘルミーネ様をフッた男が懲罰されるらしいぞ!」
「頑張ってヘルミーネ様! 無礼な殿方はすべて女の敵ですわよっ」
「古今無双の公爵令嬢ヤベェ!」
さらには野次馬たちの勝手な期待までが膨らんでいく有り様で、事態の収拾はもはや絶望的であるように見える。
いまや不本意ながらも夜会の主人公となってしまったヘルミーネは、正直もう夜会から逃げ出したかった。
(でもいま逃げたら、後でとんでもないゴシップになっていそう……)
社交界は魔境なのである。根も葉もないゴシップでロックス公爵家の名誉に傷がつくとも限らない。
それだけは避けねばならないと思ったヘルミーネは、その使命感から弁明の言葉を発しようとしたのだが。
「我らが同志ヘッタレンっ! 君を一人で逝かせたりはしないぞッ」
それより先に悲壮感たっぷりな声で、ヘルミーネの弁明を遮った者がいたのである。
正確には者たちだ。どこからともなく集まった十数人の貴族の男性たちが、震えながら平伏している謎の婚約者を守るようにして突然登場したのであった。
「ヘルミーネ様っ! どうかヘッタレンへの懲罰をお許し下さい。我ら一同からもこの通りお願い申しあげますッ!」
「えっ? 懲罰なんかしませんけど!?」
彼らの言動にヘルミーネがギョッとしたのは言うまでもない。しかも全員が彼女に平伏し出したのであるから尚更だ。
一人の女性の前に十数人の平伏した男性がズラリと並ぶ光景はなかなかに壮観である。野次馬の中には拍手する者までいたほどだ。
「ちょっ、えええっ!? やめて下さい!」
「どうか今一度この哀れなヘッタレンにも、我らに与えて下さったルミーネ様のお慈悲を賜りたく存じます!」
「い、今一度って?」
動揺していたヘルミーネは最初気が付かなかったのだが、彼らの事をよく見てみると全員見覚えのある顔をしていた。
「あっ。もしかして皆さんは、以前私の婚約者であった……?」
「仰る通りでございます!」
その会話が示した通り、彼らは皆ヘルミーネの元婚約者たちである。そしてその全員がヘルミーネに婚約破棄をお願いした者たちでもあた。
要するにヘルミーネの兄に無理矢理婚約者にさせられた被害者たちなのだ。
「我らはヘルミーネ様の婚約者となれた栄誉を忘れまいと、皆で『元婚約者被害者の会』を結成し──」
「おいっ馬鹿っ! そっちじゃないッ!」
「えっ? アッ! わ、わ、我らは『元婚約者栄誉の会』を結成したのでありまふっ!」
そう言い切って滝のような冷や汗を垂れ流している男性に、ヘルミーネは眉根を寄せて小首を傾げた。
「えっと……被害者の会?」
「栄誉の会でございますッ!」
「でもいま被害者の会って……」
「言ってませんっ、栄誉の会ですッ!!」
「そ、そうですか……」
必死な形相で否定する男性が気の毒に思えてきたヘルミーネは、とりあえず聞かなかった事にしてあげた。
それよりもこれはチャンスではないかとヘルミーネは思った。この収拾のつかない状況を、彼らに丸投げしてしまえばいいのではないかと。こう見えてヘルミーネはなかなかに抜け目がないのだ。
「ところで皆さま」
「はいっ! 何でございましょう」
「皆さまには兄上がご迷惑をお掛けして、本当に申し訳なく思っていたのです。そして今回もまた兄上が仕出かした事でご迷惑をお掛けしてしまった様です」
「と、と、とんでもない! 我々は迷惑などとは思っておりません、むしろ大変な栄誉を授かったと思っております!」
「ええ、分かっていますわ。ですがフッタレン様が──」
「ヘッタレンでございます!」
「失礼。ヘッタレン様が兄上に無理を押し付けられたのも事実です。私はこれから急ぎ兄上に婚約の撤回をするよう申し付けて参りますので、この場の収拾を皆さまにお任せしても宜しいでしょうか?」
「おおっ喜んでッ。またもやお慈悲を頂けるとは感謝感激!! 後の事は我らにお任せ下さいッ」
まあこんな具合にしてヘルミーネは夜会での窮地を脱したワケである。
とはいえそれでホッとして万事解決などとは到底思えない。むしろ乙女心は傷だらけだ。恥ずかしさのあまり、もう二度と夜会には出席できないとさえ思っている。
(もう泣きそうっ! 殿方にフラれるだけでも恥ずかしのに、その上みんなで私をオモチャにして酷すぎるッ!)
ヘルミーネは夜会の会場から離れた王宮内の長い廊下で、一人地団駄を踏んでいた。何度も何度も踏んでいた。
感情が昂ると筋肉に力を込めてしまう例の悪癖が、バキッベキッと床の大理石を粉々にしている。むろん筋力強化の加護が発揮されての事だ。
(何が古今無双の公爵令嬢よ、私だってもっと貴族令嬢に相応しい素敵な加護が欲しかったわよ!)
この様子をみれば、ヘルミーネを恐れて婚約破棄を願った者たちの気持ちも分かるというものである。
彼女と結婚したら日常の中に爆弾を抱えて生活するようなものだろう。元婚約者被害者の会、じゃなくて元婚約者栄誉の会の者たちが婚約破棄を願った判断は正しかったと言わざるを得ない。
だがヘルミーネにも同情の余地はあるのだ。彼女は生まれつき持っている加護を普通に使っているに過ぎないのである。
例えば超速力の加護を持つ者が走る時、わざわざ加護の異能を自制してゆっくり走る事はしない。ヘルミーネの場合もそれと同じで、興奮すれば自然と筋力が強化されてしまうだけなのだ。
つまり加護とは先天的なものであり、個人はその異能ありきで生きていた。この世界ではそれで日常が成り立っている。
あとこれはヘルミーネ以外の者にとって、特に男性にとっては公然の秘密ともいえる話なのだが──少々下世話な話、もしヘルミーネと夫婦になり閨を共にしたとする……
その時に婚約者たちの身に起こる悲劇を想像すれば、彼らがあんなにもヘルミーネを恐れていた理由も分かると言うものだ。なにせ感情の昂りで、人体のあらゆるところにある筋肉が強化されてしまうのだから。
となると、つまりはチョン切れる。
まあそういう理由もあって上覧武術大会二年連続優勝者であり、古今無双の公爵令嬢であるヘルミーネは、この世の男性たちから恐れられていたのである。
当然、彼女を妻に迎えたいと思うような物好きな者などはいるはずもない。
「よおヘルミーネ。なんか知らんけどずいぶんと荒れているようじゃないか」
いや、そうじゃない。ここにその物好きな男性が一人だけ存在していた。
長い廊下の向こう側から歩いてきた、若くて逞しい肉体と精悍な顔をしたこの青年たけは違う────
「これはグロリエン王太子殿下。今から夜会にご参加ですの?」
「何だその他人行儀な呼び方は? まあいいや、俺は公務で遅れてしまってな。それより何でお前は荒れているんだ。また婚約者にフラれたのか? まさかな、ははは」
途端、ヘルミーネは恥ずかしさのあまり真っ赤にしたその顔を引きつらせる。
「わ、私急いでますの。ごめんあそばせ」
「えっ? ちょっヘルミーネ、本当にそうだったのかよ!?」
「だったらなんですのっ? そこをおどきになって下さいまし!」
「いや、そうはいかないっ!」
通せんぼをするように前を塞いだグロリエンをキッと睨み付けたヘルミーネは、その歩みを止めようとはしなかった。
大股でしかも乱暴に突き進むと、ヘルミーネの肩がグロリエンの二の腕にもろにぶつかる。
むろんただの衝突ではない。なんと今回のヘルミーネは意識的に筋力強化をしている。彼女は何故グロリエンにそんな無慈悲な真似をしたのだろうか。
ともあれ普通の人間であれば、衝撃で吹き飛ばされ怪我を負うことは間違いない。
だが「ドコンッ」という振動音を発してぶつかったヘルミーネの肩は、グロリエンの二の腕にめり込むようにしてその場に止められてしまう。
微動だにしないグロリエンは大きく息を吐くと、顔色ひとつ変えずにヘルミーネを見て言ったのであった。
「ヘルミーネ、俺は待てと言っているぞ」
「私はおどきになってと申してます」
二人の肩と二の腕はギシギシと音を立てさせながらも、その力のせめぎ合いは双方一歩も譲らなかった。
なんとも外聞の悪いこの状況に、ヘルミーネは狼狽を隠せない。
(あわわわわ……これではまるで男女の修羅場のようだわっ!)
果たして夜会に参加している大勢の貴族たちも、この状況を男女の修羅場だと受け取っていたようだ。
彼らはその目を輝かせ、興味津々という体で二人の成り行きを見守っている。
「一体なにが始まるんだ?」
「ヘルミーネ様をフッた男が懲罰されるらしいぞ!」
「頑張ってヘルミーネ様! 無礼な殿方はすべて女の敵ですわよっ」
「古今無双の公爵令嬢ヤベェ!」
さらには野次馬たちの勝手な期待までが膨らんでいく有り様で、事態の収拾はもはや絶望的であるように見える。
いまや不本意ながらも夜会の主人公となってしまったヘルミーネは、正直もう夜会から逃げ出したかった。
(でもいま逃げたら、後でとんでもないゴシップになっていそう……)
社交界は魔境なのである。根も葉もないゴシップでロックス公爵家の名誉に傷がつくとも限らない。
それだけは避けねばならないと思ったヘルミーネは、その使命感から弁明の言葉を発しようとしたのだが。
「我らが同志ヘッタレンっ! 君を一人で逝かせたりはしないぞッ」
それより先に悲壮感たっぷりな声で、ヘルミーネの弁明を遮った者がいたのである。
正確には者たちだ。どこからともなく集まった十数人の貴族の男性たちが、震えながら平伏している謎の婚約者を守るようにして突然登場したのであった。
「ヘルミーネ様っ! どうかヘッタレンへの懲罰をお許し下さい。我ら一同からもこの通りお願い申しあげますッ!」
「えっ? 懲罰なんかしませんけど!?」
彼らの言動にヘルミーネがギョッとしたのは言うまでもない。しかも全員が彼女に平伏し出したのであるから尚更だ。
一人の女性の前に十数人の平伏した男性がズラリと並ぶ光景はなかなかに壮観である。野次馬の中には拍手する者までいたほどだ。
「ちょっ、えええっ!? やめて下さい!」
「どうか今一度この哀れなヘッタレンにも、我らに与えて下さったルミーネ様のお慈悲を賜りたく存じます!」
「い、今一度って?」
動揺していたヘルミーネは最初気が付かなかったのだが、彼らの事をよく見てみると全員見覚えのある顔をしていた。
「あっ。もしかして皆さんは、以前私の婚約者であった……?」
「仰る通りでございます!」
その会話が示した通り、彼らは皆ヘルミーネの元婚約者たちである。そしてその全員がヘルミーネに婚約破棄をお願いした者たちでもあた。
要するにヘルミーネの兄に無理矢理婚約者にさせられた被害者たちなのだ。
「我らはヘルミーネ様の婚約者となれた栄誉を忘れまいと、皆で『元婚約者被害者の会』を結成し──」
「おいっ馬鹿っ! そっちじゃないッ!」
「えっ? アッ! わ、わ、我らは『元婚約者栄誉の会』を結成したのでありまふっ!」
そう言い切って滝のような冷や汗を垂れ流している男性に、ヘルミーネは眉根を寄せて小首を傾げた。
「えっと……被害者の会?」
「栄誉の会でございますッ!」
「でもいま被害者の会って……」
「言ってませんっ、栄誉の会ですッ!!」
「そ、そうですか……」
必死な形相で否定する男性が気の毒に思えてきたヘルミーネは、とりあえず聞かなかった事にしてあげた。
それよりもこれはチャンスではないかとヘルミーネは思った。この収拾のつかない状況を、彼らに丸投げしてしまえばいいのではないかと。こう見えてヘルミーネはなかなかに抜け目がないのだ。
「ところで皆さま」
「はいっ! 何でございましょう」
「皆さまには兄上がご迷惑をお掛けして、本当に申し訳なく思っていたのです。そして今回もまた兄上が仕出かした事でご迷惑をお掛けしてしまった様です」
「と、と、とんでもない! 我々は迷惑などとは思っておりません、むしろ大変な栄誉を授かったと思っております!」
「ええ、分かっていますわ。ですがフッタレン様が──」
「ヘッタレンでございます!」
「失礼。ヘッタレン様が兄上に無理を押し付けられたのも事実です。私はこれから急ぎ兄上に婚約の撤回をするよう申し付けて参りますので、この場の収拾を皆さまにお任せしても宜しいでしょうか?」
「おおっ喜んでッ。またもやお慈悲を頂けるとは感謝感激!! 後の事は我らにお任せ下さいッ」
まあこんな具合にしてヘルミーネは夜会での窮地を脱したワケである。
とはいえそれでホッとして万事解決などとは到底思えない。むしろ乙女心は傷だらけだ。恥ずかしさのあまり、もう二度と夜会には出席できないとさえ思っている。
(もう泣きそうっ! 殿方にフラれるだけでも恥ずかしのに、その上みんなで私をオモチャにして酷すぎるッ!)
ヘルミーネは夜会の会場から離れた王宮内の長い廊下で、一人地団駄を踏んでいた。何度も何度も踏んでいた。
感情が昂ると筋肉に力を込めてしまう例の悪癖が、バキッベキッと床の大理石を粉々にしている。むろん筋力強化の加護が発揮されての事だ。
(何が古今無双の公爵令嬢よ、私だってもっと貴族令嬢に相応しい素敵な加護が欲しかったわよ!)
この様子をみれば、ヘルミーネを恐れて婚約破棄を願った者たちの気持ちも分かるというものである。
彼女と結婚したら日常の中に爆弾を抱えて生活するようなものだろう。元婚約者被害者の会、じゃなくて元婚約者栄誉の会の者たちが婚約破棄を願った判断は正しかったと言わざるを得ない。
だがヘルミーネにも同情の余地はあるのだ。彼女は生まれつき持っている加護を普通に使っているに過ぎないのである。
例えば超速力の加護を持つ者が走る時、わざわざ加護の異能を自制してゆっくり走る事はしない。ヘルミーネの場合もそれと同じで、興奮すれば自然と筋力が強化されてしまうだけなのだ。
つまり加護とは先天的なものであり、個人はその異能ありきで生きていた。この世界ではそれで日常が成り立っている。
あとこれはヘルミーネ以外の者にとって、特に男性にとっては公然の秘密ともいえる話なのだが──少々下世話な話、もしヘルミーネと夫婦になり閨を共にしたとする……
その時に婚約者たちの身に起こる悲劇を想像すれば、彼らがあんなにもヘルミーネを恐れていた理由も分かると言うものだ。なにせ感情の昂りで、人体のあらゆるところにある筋肉が強化されてしまうのだから。
となると、つまりはチョン切れる。
まあそういう理由もあって上覧武術大会二年連続優勝者であり、古今無双の公爵令嬢であるヘルミーネは、この世の男性たちから恐れられていたのである。
当然、彼女を妻に迎えたいと思うような物好きな者などはいるはずもない。
「よおヘルミーネ。なんか知らんけどずいぶんと荒れているようじゃないか」
いや、そうじゃない。ここにその物好きな男性が一人だけ存在していた。
長い廊下の向こう側から歩いてきた、若くて逞しい肉体と精悍な顔をしたこの青年たけは違う────
「これはグロリエン王太子殿下。今から夜会にご参加ですの?」
「何だその他人行儀な呼び方は? まあいいや、俺は公務で遅れてしまってな。それより何でお前は荒れているんだ。また婚約者にフラれたのか? まさかな、ははは」
途端、ヘルミーネは恥ずかしさのあまり真っ赤にしたその顔を引きつらせる。
「わ、私急いでますの。ごめんあそばせ」
「えっ? ちょっヘルミーネ、本当にそうだったのかよ!?」
「だったらなんですのっ? そこをおどきになって下さいまし!」
「いや、そうはいかないっ!」
通せんぼをするように前を塞いだグロリエンをキッと睨み付けたヘルミーネは、その歩みを止めようとはしなかった。
大股でしかも乱暴に突き進むと、ヘルミーネの肩がグロリエンの二の腕にもろにぶつかる。
むろんただの衝突ではない。なんと今回のヘルミーネは意識的に筋力強化をしている。彼女は何故グロリエンにそんな無慈悲な真似をしたのだろうか。
ともあれ普通の人間であれば、衝撃で吹き飛ばされ怪我を負うことは間違いない。
だが「ドコンッ」という振動音を発してぶつかったヘルミーネの肩は、グロリエンの二の腕にめり込むようにしてその場に止められてしまう。
微動だにしないグロリエンは大きく息を吐くと、顔色ひとつ変えずにヘルミーネを見て言ったのであった。
「ヘルミーネ、俺は待てと言っているぞ」
「私はおどきになってと申してます」
二人の肩と二の腕はギシギシと音を立てさせながらも、その力のせめぎ合いは双方一歩も譲らなかった。
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