上 下
130 / 185
海辺の桜が夜に舞う

#4

しおりを挟む
 昨日まで降っていた雪が止み、今日は久しぶりの快晴です。 
 冷えた屋外の空気は少し乾いたものに感じますが、出掛けるには悪いものではありません。

 今朝帰宅してすぐにリィとフィルマから外出の申し出がありました。
 寒くならないようにとお二方の首輪に周辺の温度を上げるための変化カンビャメントを掛けさせていただきました。
 一日は戻らないと言われましたが、今日は私も用事がございます。

 先日の昼頃、私の部屋の窓に一羽の鳩がとまっていました。
 ビャンコ様からの召喚状かと思いましたが、外務局のエルミーニ様からのものでした。

 現在拘留中の貴族への処遇が決まり、その中で被害者の私への謝罪が盛り込まれているとの事です。
 正直どうでも良いですし、出来れば会いたくはありませんが、謝罪を私が受け入れた場合に限り制約の再交渉をする話で一旦受け入れさせたとの事で。
 聞くだけ聞いて、許すかどうかは私に委ねると書かれていました。

 これから向かう憂鬱な用事さえ終われば、楽しみにしていた事へ集中したいです。
 来月の上旬にケータ様とギュンター様がこちらに遊びにいらっしゃるはずです。
 遊びにと書かれてはいましたが、実際のところは留学の時にあった件か殿下とのきちんとした顔合わせでしょう。
 留学から半年も経過しておりませんが、また会えるのがとても楽しみです。

​───────

 庁舎に着いてからイザッコの案内で応接室に通されました。
 部屋の中にはエルミーニ様、お茶会で拝見した公爵夫人とその左右に騎士が二名いらっしゃいます。
 テーブルを挟んだ夫人の向かい側に椅子がありますが、そこには誰も座っておりません。

「会いたかったわ、あの時の想いをやっと、やっと告げる事ができますわ!」

 夫人が座ったままで甲高い声で私に言ってきます、その想いとやらが謝罪と考えても良いのでしょうか?
 相変わらずボリュームのあるスカートと過剰なレースと装飾、アクセサリーにも大きなルビーがたくさん使われています。
 仮にも毒を盛った主犯かと思いますが、とてもそうは見えません。
 この場にいる全員の表情が固く、隣のイザッコもいつにも増して険しい顔をしています。

「今回の趣旨は分かっていますよね?」

 エルミーニ様が冷たい声で夫人に言います。

「分かってるわよ、謝れば良いんでしょ? 謝れば!」

 夫人が怒りながらエルミーニ様に言いますが、とても謝罪する態度には見えません。
 どうせこんな事だろうと思っていました。

「彼はオランディの国王が特別に招集したので来てくれています。ここでの発言を間違えたら、このような機会は二度とないとお考え下さい」

 今回の招集状には陛下の印が押されていました。
 全く会いたくはありませんでしたが、陛下とエルミーニ様からのご依頼でしたのでここへ参りました。
 私は遅ばせながらエルミーニ様へ一礼します。

 少ししてから夫人が小さく咳払いをし、気を取り直したかのように姿勢を正します。

「帝国で会った時のことを覚えているかしら? あの時は貴方を情夫にしてた女のせいで引き裂かれたけど、今の私はあの女と近い年齢、あの女もいないと聞いたわ」

 サチ様の事を言っているのでしょう。
 今の短い言葉の中だけでも腹立たしい内容が多く、謝罪云々以前の問題に思えます。
 私は入室から全く動いておりませんが、そこは気にならないようです。
 あの頃からこの人は何も変わっていませんね。

「あの日の貴方は……私の心に咲いた、一輪の銀のアネモネアンネモーヌ

 感極まったかのように立ち上がり、近寄る動きを見せたためかイザッコが私の横から一歩歩み出ます。
 あのイザッコがこの私に気を使ってくれた事に驚き、血が上っていた頭が少し冷えたようです。
 夫人が一瞬だけイザッコを睨みつけますが、再び私を見て微笑みます。

「銀のアネモネアンネモーヌの君、今の名を捨ててミヌレを名乗りなさい。公爵家の男子となり、私と共に帝国へ帰りましょう」

 養子になれということでしょうか、そもそも相手が同じテーブルについていない意味が彼女には理解できないようです。
 それにしても先程も出したこの銀と花の組み合わせ、最近何処かで見たように思い不思議な既視感を覚えます。

「貴方の望むものは全て与えます。財、地位、土地、そして私からの無限のアンッムールェ!」

 どれも望んでませんし、一番出さなければいけない謝罪はありません。
 これは本当に聞く価値が無さそうですね。
 来月いらっしゃる予定のケータ様達へお出しする料理でも考えた方が有意義です。

アンッムールェ……なんて甘美な響きでしょうか、二人で育てる アンッムールェはどんなに美しい物になるか……」

 カレーライスはもちろんとして、アンコ使用した甘味なども良いかもしれません。

「荒野に咲いた麗しい銀のアネモネアンネモーヌ、貴方は私の心に舞い降りた天使ィアンンジェ!」

 時折手振りを加え大仰に言葉を続けるせいで、無視できずどうしても耳に入ってきます。
 先程から出ている天使や銀の花といった比喩表現、そう言えばケータ様の手紙で似た内容が書かれていたように思います。

「いつまでも荒野の中で舞いながら私の愛を待つ、孤独な銀のアネモネアンネモーヌ

 荒野もそうです、彼女はケータ様からの手紙を読んだのでしょうか?

「悪魔のような魅惑の笑みで惑わし、私の元を去ったあの日から、私の心は荒れた大地に変わり果てたわ……」

 ケータ様のお手紙にあったのは確かこうです。

 ーー貴方は荒れ果てた地に咲く孤高の銀の百合
 ーー漆黒の翼と共に華麗に舞い降りた天使が優しく俺に微笑んだ

「ここで再会したのはソレイユ様のお導きよ! さぁ、私の手を取って踊りましょう」

 ーー蠱惑的な笑みを浮かべた貴方は神の調べ、導かれた運命に俺は再び天使と踊る

アンッムールェの、ワルツヴァールスゥを……」

 ーー共に踊ろう、闇の輪舞曲ロンドを……

 夫人が自分の言葉に陶酔しているのか、熱病を発症した顔色で手を私に差し伸べてきます。
 今のような様子でケータ様も仰っていたのでしょうか。
 これが半年ほど前、イザッコの家では毎日……

「ふっ……」

 途中までは我慢しましたが、堪えきれませんでした。

「さぁ、手を」

 夫人が言葉を続けます。
 私は表情を消し、一応質問をしてみます。

「謝罪とお伺いしてこちらに来たのですが、今のがそうですか?」
「謝罪など誉高いリュンヌ帝国の公爵家の私がすることではありませんわ。それよりも私からの愛の言葉の方が、数倍価値があるのがお分かりにならないかしら?」
「承知致しました、ではご用件はお済みということでよろしいですね」

 私はエルミーニ様の方を見て一礼します。

「それでは私は失礼します」

 エルミーニ様が不敵な笑みを浮かべています。

「はい、ありがとうございます」
「何を言っているの? 銀のアネモネアンネモーヌの君は私の手を取ってないわ」

 エルミーニ様の言葉に重ねるように夫人が言いますが、謝罪をなさらないと宣言された以上私がここにいる理由はありません。

 私は背後の扉を開け部屋を後にします。
 それに続いてイザッコも部屋を出て、背後の扉を閉じます。
 扉の向こうでは何か喚くような声が聞こえますが、気にせず外へ向かいます。

 しばらくして、扉から充分距離が取れた辺りでイザッコが声を掛けてきます。

「お前、なんで笑ったんだ?」

 怪訝な雰囲気の声で質問をされます。

「気持ち悪ぃなとは思ったが笑えるもんじゃねぇだろ」

 当然の反応かもしれません。

「年明けにケータ様からお手紙が届きませんでしたか?」
「あぁ来たな、なんとも難解な……あ」

 イザッコが気付いたようで、一度吹き出した後で大袈裟な咳払いをします。

「あぁ、まぁ……、ふっ」
「ケータ様と夫人が会話なさったらどうなるのでしょうね」
「おま、止めろ言うな」

 イザッコが再び咳き込みます。
 私は表情に出さないようにしています。

「お前はまだ良いぞ、俺は留学生本人がダリアに言ってたとこ見てんだぞ」
「彼らの比喩は難解ですね、私はアネモネなのか天使なのかどちらなのでしょうか」
「ふっ……!」
「それにお二人共荒地がお好きなのは、どちらもお住いなのが鉱石の産出国だからでしょうか」
「おい」
「私は荒地で既に踊ってるそうですから、更に誘われる意味が分かりません」
「ホント、止めろ」

 ここまで言って私の気も少し晴れてきました。

「とりあえず謝罪を受け入れるかどうかと言われましたが、謝罪されない以上受け入れるものもありません」
「まぁそうだな、無いものは仕方ねぇよ。エルミーニも分かってるだろうから帰っていいぞ」
「承知いたしました」

 イザッコに小さく目配せをして、私は立ち去ろうとしました。

「おい」

 帰ろうとした私にイザッコが声をかけます。
 無言で向き直る私に、目線を下に向けて首に手をやります。

「無事で……何よりだよ」

 まるで気遣いか心配かをするような事を言います。
 過去にこんな事は経験がありません、彼に何があったのでしょうか?
 何も返せずに固まった私に、イザッコが苛立ったように顔を赤くして激昂します。

「……帰れ!」

 そう言って背中を見せて足早に立ち去って行きました。
 ……今のはなんだったのでしょうか。
とりあえず帰れと言われましたし、市場に寄ってから帰宅することにしましょう。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

【完結】7年待った婚約者に「年増とは結婚できない」と婚約破棄されましたが、結果的に若いツバメと縁が結ばれたので平気です

岡崎 剛柔
恋愛
「伯爵令嬢マリアンヌ・ランドルフ。今日この場にて、この僕――グルドン・シルフィードは君との婚約を破棄する。理由は君が25歳の年増になったからだ」  私は7年間も諸外国の旅行に行っていたグルドンにそう言われて婚約破棄された。  しかも貴族たちを大勢集めたパーティーの中で。  しかも私を年増呼ばわり。  はあ?  あなたが勝手に旅行に出て帰って来なかったから、私はこの年までずっと結婚できずにいたんですけど!  などと私の怒りが爆発しようだったとき、グルドンは新たな人間と婚約すると言い出した。  その新たな婚約者は何とタキシードを着た、6、7歳ぐらいの貴族子息で……。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

処理中です...