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眠りを誘う甘い芳香

#8

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 昨晩から雪が穏やかに降り続けており、地面の積雪に足を取られます。
 しかし私の歩みを遅らせているのは雪のせいだけではありません。
 向かっている先が、かの帝国の別邸だからでもあります。

 先日開店してすぐに制服姿のネストレ様がご来店され、本日の午後から行われる例の交流会の招待状を渡してくださいました。
 ネストレ様は私がソニカハマルと名乗ったのをご覧になってますので、招待状に書かれた名前を見ても何もお聞きになりませんでした。
 ただ、ビャンコ様の事をエルミーニ様から聞いていたようで、交流会に必ず参加して欲しいと力強く言われました。

 お気持ちはよく分かりますが、結局私は避け続けていた方々と会わなければならなくなりました。
 ビャンコ様は心配ですが、どうしても歩みは遅くなってしまいます。

 影の中にいるリィが私の不安を少し解消してくれます。
 今より悪いことが起きない事を願うばかりです。

​───────

 噂の別邸はリモワを出てすぐの場所にありましたが、想像を遥かに超えた大きなものでした。
 シオ様のお話では中規模なホテルアルベルゴ程との事でしたが、外観だけなら大規模なものに見えます。

 入口で招待状をお見せした後、会場内へ案内されました。
 到着した会場もかなり広く、高い天井から豪奢な照明が輝いています。
 これらを見せたいがために交流会を開いたのでしょう。

 それから指定された席に座ったのは良いのですが、会場は何か異様な雰囲気に包まれています。
 目立つところにあるからか、一段高い位置にある主催者の貴族のテーブルに目が行きます。
 その内の一際ひときわ華やかなご婦人の隣に、今日の雪のような白い舞台衣装の男がいます。
 足を組んで斜めに腰かけ、頬杖と不機嫌な表情が相まって退屈を体現しているように見えます。
 私達には見知った誰かに見えますが、帝国の貴族と肩を並べて座ってる上に招待客に笑顔の一つも見せません。
 この異様な雰囲気の原因は彼にあるように思います。

「なぁ、あれビャンコさんだよな?」
「そうだよね、席はともかく無愛想なのはなんでだろう?」

 小さめの声で話す私達に対して、白い男の隣にいるご婦人が少し苛立っているように見えます。
 場の空気を変えるためか、ご婦人は立ち上がり笑顔で開会の挨拶を始めました。

「本日は栄えある交流会を開催できたこと、主催の聖獣局の局長であるビャンコ様には感謝いたしますわ」
「はいはーい、な上にで名前貸す羽目になった局長のビャンコと申しまーす」
「こ、今回は帝国貴族と女神ソレイユ様の深い慈愛により、身分の差を問わず楽しむ趣旨といたしました」
「わっかりやすーく態度悪いヤツは退場させるそうでーす、オレみたいなのだよー」

 白い男がご婦人の発言に言葉を重ねますが、明らかに悪意があります。
 ご婦人は一睨みしてから大きく咳払いをし、言葉を続けます。

「皆様に帝国の文化を広めるため、今回特別に建設した大使館へご招待させていただきました」
「オイ、ここ大使館じゃないよな? 適当なこと言うとマジで」
「とにかく楽しんでくださいねっ」

 ご婦人は白い男の言葉を遮るように挨拶を終え、足早に元の席に戻り白い男を睨みつけます。
 それに対して白い男、ビャンコ様がご婦人に舌を出して煽ります。

「本当にビャンコさん主催か……でもなんだこの状況?」
「あの服すごいね、似合ってるけど彼の趣味とは違うような」

 私のテーブルにはドゥイリオ様、ミケーノ様、ジャン様のご両親のマルキーナ夫妻がいらっしゃいます。
 一つ空席があるのが気になりますが、知ってる方が多いのは嬉しい誤算です。

「えー……ソニカハマル? か?」
「はい」
「来ても良かったのか?」
「ネストレ様から是非と言われましたので」

 ビャンコ様の様子を見るに、誘拐されたわけではなさそうです。
 むしろあのご婦人の様子から考えると、滞在していた間にも何かしていたようですね。

「でもなんで僕とキー……ソニ君呼ばれたんだろうね」
「シアン様が私達を紹介したのではないでしょうか」
「そのシアンってどんな奴だ?」
「一言で言うと泣き虫? よく泣くよね彼」
「泣き虫の貴族?」
「あとは、すごく丁寧に手入れされた髪と泣きぼくろ?」

 彼は平民を装おうとしていましたが、立ち振る舞いなどですぐに貴族と分かります。
 私に会った時はそれをドゥイリオ様から指摘された後のようで、最初から男爵と名乗ったそうです。

「泣きぼくろって」

 ミケーノ様が一段高い位置にある貴族のテーブルに視線をやります。

「青い髪だったりしねぇか?」
「それ多分彼だけど」
「ならアイツだろ? ほら、横顔しか見えねぇけど」

 ミケーノ様があちらには分からないように、壇上の貴族の男性を指します。

「まぁ、ここに入った時から気にはなってたけど……目を合わせてくれなくて。だから声をかけてくれるの待ってるんだよね」
「泣き虫には見えねぇけど」
「そうだね、貴族らしく振る舞うなら色々違うのかもしれないね」

 今日の交流会に参加してる皆様は礼服を着用しております。
 ミケーノ様とドゥイリオ様もネクタイクラヴァッタを身につけ、髪の毛も出来るだけ整えていらっしゃいます。
 ただあくまでオランディにおける礼服で、あちらでは今日ビャンコ様が着ているような服がそれに当たるように思います。

「しかしお前のそれ変装か?」
「はい。特徴は誤魔化せているかと思いますが、ミケーノ様とドゥイリオ様はすぐお気付きになりましたね」
「すぐには分からないけど、顔は同じだからすぐ分かるよ」
「だな、そんな顔のヤツが二人もリモワにいるワケねぇし」
「違うタイプの美形になっただけだから意味ないよね」
「正体隠せてねぇってかそういうことじゃねぇっていうか」
「はは、それ言えてるね。キー君が変装するなら仮面でも被らないと」
「……やはり特徴的なのですね」
「何を隠したいかなんだろうけどな、その変装じゃ分かるやつにはすぐ分かるぞ」

 サチ様と同じ事を言われてしまいました。
 ミケーノ様とドゥイリオ様は本当は千里眼リコノシェーレの使い手なのでしょうか、そのはずはないのに同じ事を言われてしまうと少し不安になります。

 しばらく私達は雑談とテーブルに並んだお菓子をお茶と共に楽しんでおりましたが、貴族のテーブルに座っていた彼らが立ち上がり移動を始めました。
 しかしビャンコ様だけはそのまま動こうとしませんし、テーブルの様子を見るに何かを召し上がっている様子もありません。

 その中からシアン様がこちらへいらっしゃいますが、ドゥイリオ様のお店でお会いした時より表情が険しいものに見えます。
 彼はテーブルの前に来ると、洗練された仕草で一礼されます。
 私達は立ち上がり同じように頭を少し下げます。
 その様子に彼はにこりと笑い、ご挨拶をなさいます。

「本日はご来訪誠にありがとうございます、僕はリュンヌ帝国で侯爵の爵位を賜っておりますグラシアン・ド・ボイヤーと申します」

 ……色々と辻褄が合ったように思いました。
 私が困惑してる間に、同じテーブルの他の方が自己紹介をされ、シアン様はその方の前へ行き握手をして回っています。
 ミケーノ様と挨拶を交わした後は私の前に立ち、微笑みながら私の言葉を待っているようです。

「薬草店『ベラル』でお世話になっております、カマルプール出身のソニカハマルと申します」
「ソニカハマルさん……へぇ、どうも初めまして。カマルプールの人とは馴染みが無くてね、失礼があったら指摘してほしい」

 シアン様……改めボイヤー侯爵はやや冷めた目で私を見ます。
 恐らくソニカハマルの名に記憶になかったから警戒されているのでしょう。
 彼は私に顔を寄せ、耳元で囁きます。

「キーノスさんですね。大丈夫です、今はこのまま通します」

 そう言って握手をし、私の手に小さな紙片を握らせました。
 彼は元の位置に戻り、作られた笑顔で私達に座るように促しました。
 彼は空いていた椅子に腰掛け、少し姿勢を崩します。

「帝国の作法に則ると退屈させてしまいますよね、僕の立場は気にせず楽に話して頂けるととても嬉しいです」
「それは敬語なんかも必要ないってことかな?」
「はい! ……というか、俺、この席では素でいたいので」

 そう言って悲しそうな表情になり、目尻に光るものが浮かびます。
 先程までの立ち振る舞いから一転してよく知る姿へと変わります。

「もうやだ……恥ずかしい……無理……」

 細切れに聞こえてくる単語だけを聞いていると、男爵と名乗った彼と同じ姿に見えます。
 ドゥイリオ様はその姿を察してか、同じテーブルの私達に声をかけます。

「彼はお薬や紅茶の話に詳しいし、ハーブもよく知っているので楽しく話せますよ」
「あのモウカハナにも行ったことがあるみたいだし、オランディの文化に理解はあるぞ! 多分」

 ミケーノ様がドゥイリオ様に便乗するように言葉を重ねますが、当店を引き合いに出しても何も

「え、モウカハナってリモワ七つの謎の一つの……」
「シッ、それを言うと呪われるよっ」

 何か不穏な単語が聞こえましたが、もしかして

「とにかく、侯爵はいい人みたいだな!」

 私の思考を遮るようにミケーノ様が明るい声で仰います。
 その言葉を聞いたからか、ボイヤー侯爵の表情が少し明るくなります。

「ありがとう。リュンヌの他の人はともかく、俺に関しては楽に接してくれると嬉しい、かな」

 先程までの険しい表情とは異なり、私の知るシアン様と同じ姿になったことを少し嬉しく思います。

 しかし、彼はわざわざ誰にも気づかれないように紙片を渡してきました。
 内容が少し気になります、折を見てレストルームへのご案内を頼むことにしましょう。
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