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3章 長い雨の紫陽花と晴れ間の朝顔
3.姫、降臨
しおりを挟む30分程後、予熱完了の子気味良い音が鳴った。
……我が家のオーブンは予熱が遅い。ちょっと年代物なのもあるけど、かなり時間がかかる。
一旦本を置いて、再度料理に戻っていく。
冷凍庫で寝かしたクッキー生地を取り出して、薄力粉をまぶしながらまな板の上に置く。
それを組み飴を切っていくように均等に、1cmほどの厚さで切っていき、クッキングシートを敷いた天板に並べた。
(ちょっと冷やしの時間少なめだけど、冷凍庫のツマミ強にしておいたし、多分大丈夫……なはず)
いつもはそれで大丈夫だから、今回も信じよう。触った感じの温度も大丈夫だったし。
緊張してるとどうにも不安になってくるからよくない。
手早くオーブンにセットして、170度で29分焼く。
待ちの間は、また読書タイムに入る事にした。
お茶会の時間まで、あと一時間弱。
問題なければ、盛り付け作業を入れても余裕でいい感じにお出しできる。
ここまできて、やっと少しだけ安心できた。
(さてさて、わからなかった単語をおさらいしてと……)
本と一緒にまた新しく買い足してもらった絵付きの単語帳を使って確認していく。
ちょっと難しい言い回しや、特殊な動詞の変化がまだまだスムーズに訳しきれなくて、その分は読み返しながら反復して内容を整理する。
……今回も、細かなところで間違えていて、正しい物語から大分外れた内容で解釈してしまっていた。
(いやぁこればっかりは慣れかなぁ……自分のペースでがんばろう)
ミスにぶつかったら適宜確認と修正をして、同じ事を繰り返さないようにするしかない。
気を取り直して再度本を読み進めていると、
「イオリ」
ヒースクリフさんが、庭とキッチンを繋ぐドアをノックした。
ん、予定よりだいぶ早い……?
「こんにちは! どうかしましたか?」
「すまない、姫が予定よりも早くこちらへ……」
「え」
クッキー、全く焼き上がってないんですけど……
お姫様はこの日を甚く楽しみにしてくれていたらしく、ヒースクリフさんの進言も虚しく、我儘を押し通して来てしまったという。
気持ちは嬉しいけど、色々と泣きそうだ……
オーブンの残り時間分を設定したキッチンタイマーをポケットに入れて、一先ずはお茶の準備をして庭に向かうことにする。
ガーデンテーブルにお茶セットと、前もって用意しておいた杏子グラッセと金平糖を置いたところで、
「……今、いらっしゃったようだ。
俺は職務だから跪くが、イオリはやらなくていい」
ヒースクリフさんが使うものとは違い、ドアノブが紫陽花の形をした【二つ目のドア】が現れ……
キィと音を立てた。
まず、上品に光り輝くヒールが、カツンと敷石を打った後、そこからふわりと花が開くように、薄紫のドレスが広がる。
徐々に視線を上に移していけば、凛々しく伸びた背筋、白くて透き通るような肌、氷のような冷たくも美しい美貌に青を基調としたメイク。
うねる銀の髪を後ろに流して、シンプルだけど磨き抜かれた美しい装飾品を見にまとう姿はまさに、
(女王様……?)
うっかり、そう思ってしまった。
ヒースクリフさん程ではないけど高い背丈や、美しくも厳かだと感じさせる威圧感がすごい。
想像していたお姫様より、随分強そうだと、失礼ながら思ってしまった。
「……久方ぶりだが、やはりここは良い」
その言葉から、ここに来たことがあるとは知れたけど、
「そこの娘」
「は、はい‼︎」
優雅で高圧的な言葉に萎縮して、動けなくなってしまった。
お辞儀もできなければ、膝から崩れ落ちる事もできない。
ともかく緊張感がすごい。
「イオリ……大丈夫か……?」
お姫様の側に控えて跪いているヒースクリフさんが、こっそりと心配してくれて、何とか持ち直すものの、冷や汗が止まらなかった。
あぁ……いつも通りで良いと言われたとはいえ、何でマナーの勉強しとこうとか、思いつかなかったんだろう……
「楽にしろ。必要以上の気遣いは無用」
「は、はい‼︎ わかかかりました……
わた、私は、加賀美イオリと申します……今日は、お越しくださりありがとうございます‼︎」
何とか挨拶を捻り出したものの、最初にヒースクリフさんと出会ったときよりも酷くどもってしまった上、優雅さのカケラもない感じになってしまった。
「……フフッ、よろしい。その調子で頼むぞ。
我が名はシェラーナ・ロサ・ベルディグリ。
ヒースクリフがいつも世話になっているな」
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