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2章 桜色の春と菫色の空

閑話4.良く知る少女の知らない笑顔

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※時系列は、2章開始直前です。


 花屋は休日でも忙しい。
 宅配の仕事を一通り終えて、次はどうするかと思案していると、ばあちゃんの家のすぐ近くまで来ていた事に気付く。
 帰る前にイオリの様子を見ておこうと本人に連絡すれば、いつも通り明るく了承してくれた。


「葵太さん、いらっしゃい」


 柔らかな笑顔で出迎えてくれる妹分は、今日もとても愛らしい。


「これ、土産だ」
「わぁすごい! ありがとうございます……!」


 春の色を楽しめるようにと作った小さな花束に、笑みをさらに深くしてくれる。
 上がって食卓で寛いでいって下さいと言われたから、そのお言葉に甘える事にした。

 いつ来ても綺麗に整頓されていて、ばあちゃんが住んでいた頃とまるで変わらない。
 椅子に座って一息ついていると、花瓶に生けられた花束が食卓に置かれていった。
 イオリはそのままパタパタとキッチンへ向かい、紅茶を入れ始める。


「お砂糖なしでよかったですか?」

「あぁ、エルダーフラワーコーディアルちょっと多めで」


 明るく了承しつつ、蒸らし終わったオレの分の紅茶に、エルダーフラワーコーディアルをふた垂らししてくれた。
 簡単なお菓子と一緒に出してくれた紅茶を、ゆっくりと、火傷しないように味わう。
 この爽やかな甘い香りが、ばあちゃんとの思い出に浸らせてくれる。味もどこか懐かしくて安らぐ。


「ありがとうな。やっぱ落ち着くよ」

「よかった。お仕事はお忙しい感じですか?」

「ぼちぼちだな。そっちはどうだ?
 学校やバイトは無理なくやれてるか?」

「今年卒業だから学校は忙しめだけど、バイトも継続してやれているし、それなりですね」


 言葉に嘘はなさそうだ。元気に忙しなくやっているが、心に余裕があるように見える。
 無事にばあちゃんの死を乗り越えてくれて、日常の生活感に戻せてきているようだ。


「庭の方はどうだ? また手が必要そうだったら遠慮なく言ってくれ」

「ありがとうございます! 今のところは大丈夫ですよ。
 夏場がすごいんで、また遠慮なく頼らせてもらいますね」


 ばあちゃん家の庭は、御伽噺つきの不思議な庭だ。
 よく聞かせてくれていた【別の世界のお客さん】の他にも、多少水やりを怠っても問題なく植物が育つとか、植えた草花の寿命が異様に長いとか、手入れをしなくても土の状態が常に良いだとか、害虫の類が発生しないだとか……

(花屋としてはそっちの方が気になるんだよなぁ)

 ゆくゆくはその秘密を知りたいとは思うが、まぁそれは置いておこう。


「そういえば【お客さん】には会えたのか?」

「あっえっと、その、会えました」

「そうかそうか…… ……え?」


 まじか。御伽噺だと思っていた存在に会えたのか。
 何か悪い幻覚でも見てるんじゃなかろうかと心配になったが、イオリはいたって普通だ。健康そうだ。


「それは、楽しくやれてるか?」

「うん。とても楽しくやれてます。
 いろんな話をしてもらって、お茶会したり、ちょっとお昼ご飯を一緒にしたり……」


 イオリはとても嬉しそうに、幸せがこちらにも伝わってくるような笑顔を浮かべていた。

 ……この子の、こんな笑顔を見たのは初めてかもしれない。
 楽しい時、嬉しい時の笑顔はよく知っていたはずだ。

 大体今から10年前、両親を亡くして塞ぎ込んでいたイオリに、何とか元気を出して欲しくて奮闘した。
 会うたびになるべく目をかけて、遊びに連れてって、本を読んで……段々と笑ったり泣いたり、いろんな表情を見せてくれるようになったのが、昨日の事のように思い出される。
 そうして、目をかけ続けて今に至るが……

 この、花のようなと例えればいいんだろうか、そんな笑顔ははじめてで、

(庭に来ている誰かさんか……)

 この子がこんな幸せそうな顔できるのもアンタのおかげか。

 最近のイオリが元気に振る舞えるのも、そうか。
 普段自分が構いきれない分、誰かが傍にいてやってくれているのか。

(どんな奴なのか見てみたいな……会えたら一言礼を言いたい……)

 変に突っつく事は絶対にしない。イオリが自分から紹介してくれるのを待って、良い機会が来れば。
 そうして、いつかの事に想いを馳せながら紅茶を啜って、舌を思い切り火傷した。
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