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3章:私だけのガラスの靴

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 嵐が去った後のカフェキュエンティンは、静かなものだった。
 正確に言うと、お客はテイクアウトのみで店内の客は幸人だけ。
 先程までいた猿投山とベリルは原稿と、ベリルに説教するために帰っていった。


「まだ痛みますか?」

「頬はいいんですけど、口の中がですね……ちょっと切っちゃって」


 参った参ったと、口癖を呟きながら今理は叩かれた頬をアイジングしている。
 血の味は引いたが、まだひりひりと痛む。気を付けていても確実に口内炎になるだろうと、今から少し憂鬱そうにしていた。
 幸人がここに残ったのは、今理の怪我の手当てと会話のためだ。
 当初の目的は謝罪がメインだったが、それは彼女によって「もう大丈夫ですから、これ以上は禁止」と咎められてしまった。
 喉を潤すための珈琲を二人分淹れて、幸人の前にマグカップを置いたところで、


「……引きましたか?」


 今理は静かに尋ねてきた。


「何にです?」

「……宇津川さんの事、今日あったばっかりの人なのに、何もかも知ってるような感じで言い当てて、ストーカーかよみたいな」


 ゆっくりと、慎重に、幸人から返って来るであろう言葉を恐れつつも茶化しながら、強がりの笑顔を浮かべた。
 感情を隠そうとする仮面のような笑顔だ。
 想像しうる言葉よりももっと酷いものが返って来ても動じないように、諦めと理解の心で流せるようにと、今理は幸人の視線から逃げるよう少しだけ目を伏せる。


「あ、あぁ、何か魔法を使ったのかなと思ったくらいで」

「幸人さんの過去、未来、経歴、思考……諸々、読み取ってしまうかもとは?」


 ゆるい感想を戒めるように聞き返す。
 
 今までいいように使われ、気味悪がられてきた自分の力。
 そうしようと思っただけで気軽に、誰かの情報を断りなく閲覧して知ることができる事の万能さと恐ろしさ。
 良かれと思って力を使い、取り返しのつかない失敗をしてきた過去の数々。

(本当なら宇津川さんの事とやかく言う事はできない……)

 自分だって酷いものだと自嘲した。
 今回はその力で厄介な客を追い払ったため、見栄えだけはよかったと思うが、本質に気づいたのならどうだろう。

(……あぁ、だめだ。それは聞けない)

 聞き返してしまった手前だが、その奥にある更に恐ろしい本質は言及できなかった。
 本当は、酷い言葉じゃない方がいい。幸人に気味悪がられたくない。
 卑しく浅ましいが、こう返ってくればいいのにと願う言葉があった。
 心からそう言ってくれるだろうと想像ができる、暖かな言葉が。


「今理さんは、しないでしょう?」


 幸人は、淀みなくそう言い切ってみせた。


(……幸人さんはほんと、そういう)


 一瞬、今理の時を止めてしまえる程の魔法のような言葉。
 しかし、投げかけられるとそれはそれで気恥ずかしく、どっとこみ上げるものがあり、


「……どうも!」


 自分勝手ながら、今理はこみ上げる感情を持て余しカウンターに身を隠すよう沈んでった。


「え、どうもって……だ、大丈夫ですか」

「……あんたのせいですよあんたの」

「す、すみません……?」


 幸人はあまり気の利いた事が言えない。お世辞も苦手だ。
 猿投山とのやり取りや今までの事を見てそう認識していたが、それ故に今理は彼を信頼していた。
 嘘をついても可愛げあり、本当に思う事なら心が籠っている。
 今もよくわからないと思いながらもしおらしく、心からの謝罪を述べていた。


「謝るの禁止」

「えぇ……」

「……おかげさまで暫く使い物になりませんが、安心したからなのでお気になさらず」


 事務的に淡々と呟かれたはずの言葉が、不自然に揺れてしまった。
 嬉しさと安堵とで、腫れた頬の上に一筋涙が流れ落ちる。


「今日は魔女らしく、かっこよかったです。
 本当にありがとうございます」

「……いいえ」


 机とカウンターの隔たりが邪魔だ。なければどれだけ良かったか。
 再び今理がカウンターから顔を出して、恨み言をぶつけられるようになるまで、幸人は静かに珈琲を飲みながら待つ事にした。
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