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けものへん【全二話】 / 奇妙な日記
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とある資産家の中年男性が失踪した。
男の名前は小山田弘苗(おやまだ ひろなり)、都内に幾つもの不動産を持ち働かずに暮らしていける身分らしい。
なんでも、株や仮想通貨の取引で財を成し、郊外に豪邸を建て、家族と悠々自適の生活を送っていたと云うことだ。
何とも、羨ましい御身分だ……。
失踪届けは、彼の両親から出されている。
一年ほど前から姿を見なくなり、連絡も取れなくなったという話だ。
ただ、彼の妻はそれを否定していると云う。
先日、事情を聴きに行った巡査の話では、旦那の失踪を否定し、その居場所も知ってそうな口ぶりだったらしいが、のらりくらりとはぐらかされて、聞き出せなかったらしい。
まあ、そんな訳で、俺は上からの指示を受け、その郊外の豪邸とやらに向かっている。
つまるところ、上手くはぐらかされたその巡査の尻ぬぐいと云う分けだ。
失踪届けを出した両親の話では、夫婦仲は最悪だったとの事だ。
のみならず、高校生と中学生の娘からも蔑ろにされていたらしい。
一代で巨万の富を稼いだ凄腕の投資家が、家族には蔑ろにされるとはな……何とも冴えない話だ……。
まあ、それも有って両親は、妻が資産を独り占めする為に旦那を監禁、若しくは最悪、既に殺害されているのではと疑っている。
で、その豪邸が見えて来た。
長く続く壁に和風の、それなりに豪勢な門がそびえている。
如何にも、資産家の家と言う雰囲気だ。
その門をくぐり、石畳にそって敷地に入っていく。
家も純和風な二階建ての豪邸。
庭も広く、良く手入れされている。
ピンポーーン。
チャイムを鳴らし暫く待つと、ガラガラと玄関の引き戸が滑り、黒猫を抱いた美女が姿を現す。
俺は警察手帳を見せ、名を名乗り、昨日電話した旨を話すと、「お待ちしておりましたわ」と快く中へ通してくれる。
失踪した旦那は45歳、その妻である彼女は42歳と聞いているが……どう見ても四十代には見えない。
色白の美人で若々しく、小じわ一つ無い。
三十代前半か、二十代後半だと言われても納得してしまうだろう。
その彼女に促されて、応接室に通される。
応接室は、純和風な家の外見とは打って変わって洋風だな。
調度品も如何にも高そうだ。
まあ、安月給な刑事には縁遠い物だし、その価値などは知らんが……。
ソファーに腰を掛けると、淹れられた紅茶を勧められ、そして一息入れてからゆっくりと話を始める。
先ずは、改めて旦那のご両親が失踪届けを出している事を話し、そして先日巡査が伺った時、奥さんが旦那さんの失踪を否定した件に付いて尋ねる。
しかし彼女は、考え込む様にただ膝の上の猫を撫で続ける。
そんな彼女に単刀直入に尋ねてみる。
もし、旦那の連絡先が分かるなら教えてくれるようにと。
彼女の沈黙は続く。
俺は焦らずに、カップを手に取り、紅茶を啜る。
暫く考え込んでいた彼女が口を開く。
「そうですわね……あの人が失踪していないと言うのは本当のこと。それは間違いない事ですわ。でも、あの人の居場所を御説明するのはとても難しい事ですの。いえ、単に言葉で説明すること自体は簡単な事なのですけれど、刑事さんにご理解頂けるかどうかは、また別の話ですわ……」
彼女は落ち着いた様子でそう話す。
焦って取り繕おうとしている様にも見えないし、そのしぐさや口調に後ろめたさも感じ取ることは出来ない。
「弱りましたわ……どう御説明すれば…………あ、そうだわ。アレをお見せすれば良いのかしら。刑事さん、少々お待ちになって」
彼女はそう言葉を残し、応接室を出て暫くして何かを手に戻って来た。
「こちらを御覧に成って頂けるかしら」
そうテーブルに置かれたのは、一冊のノートと液晶にひびが入った古いスマホ。
「日記帳と、以前あの人が使っていたスマホですわ。もう契約の切れた物ですけれど」
ノートを手に取る。
表紙に去年の年号が西暦で書かれている。
それと無く、裏表紙を確認すると……ん、律儀にも小山田弘苗と名前が書かれて…………いや、何だこれは?
弘と苗の間に無理やりけものへんが書き込まれていて小山田弘猫に成っている。
ペンネームの積りか?
日記に?
……な、訳けは無いか。
まあ単に、何気なくイタズラ書きしただけだろう。
手にした日記帳を開き何ページか読むが、普通の日記だ。
書かれている内容も特に不思議な事は無い。
彼の両親の話通り、妻や娘達との不和を愚痴るか、退屈な日々を退屈な文章で書き連ねただけの物に過ぎない。
詰まらなさそうに読む俺を見かねたのか、彼女が日付を指定する。
今から約一年と三か月ほど前の日付に成る。
そのページを開く。
その日、二階の自室の窓から見知らぬ猫が侵入し、抱き上げようとして右手の甲を引っかかれた旨が書かれている。
猫はそのまま外に逃げたらしい。
ただ、それだけだ……。
確かに、退屈な日々を送っていた彼に取っては、少々変化のあるイベントの様では有るが、彼の失踪と結びつくものとも思えない。
訝しみながらも、取り合えず読み進める。
他に書く事も無いのか、それとも余程気になるのか、猫に引っかかれた傷の経過観察が書かれている。
どうやら、化膿でもしたのか、三日たっても疼くらしい。
猫に引っかかれて四日目、ん?
”傷口から細かい毛が生えて来た。抜こうとしたが、痛くて諦める。気になる”
そう書かれている。
そう言えば……稀にそう云う事が有ると聞いた事が有る。
確か、傷を治そうと血流が良く成って、傷口やその周りの毛が濃く成るとかなんとか。
まあ、大した事では無いと思うが……。
そして、数日後。
どうやら、症状が悪化している様だ。
当初は傷口の周辺にだけ生えていた細かい毛が広がり、さらに掌にも水泡の様なできものができたと。
できものは特に痛みは無い様だが……何か感染症だろうか?
「何度かあの人に、医者に見せる様に言ったのですけれど、突っぱねられてしまって……あの頃は未だ夫婦仲も良く無かったもので……」
日記はそれ以降、傷の経過観察のみと成る。
症状は依然改善されることは無く、より悪化していく。
それから十日程経って更に異変に気付いたらしい。
”日記を書いていてペンが握り辛くて気付いたが、右手の指が左手に比べて短く成ってきている。やはり何か深刻な病気なのだろうか。だが、医者に見せるのは億劫だし、怖くもあり躊躇われる”
一週間後。
”右手の指は一段と短く成り、手の甲から手首にかけ、細かく黒い毛で覆われる。右手の爪が全て剥がれ落ちた。痛みは無いが不安が募る”
文字は更に歪に成り、解読する様にしてなんとか読める状態だ。
再度、彼女に確認するが、結局彼は医者に見せる事は無かったらしい。
その三日後を最後に日記は白紙に成っている。
最後の記述は次の通りだ。
”部屋にノミがわいている。からだ中刺されて酷くかゆい。あの猫が持ち込んだノミだろう。もう右手でペンを持つのは無理だ。明日からはスマホに録画する”
-------------------------------------------------------
現在こちらの動画は有りませんが、
是非、YouTubeにて"異界劇場"とご検索下さい。
男の名前は小山田弘苗(おやまだ ひろなり)、都内に幾つもの不動産を持ち働かずに暮らしていける身分らしい。
なんでも、株や仮想通貨の取引で財を成し、郊外に豪邸を建て、家族と悠々自適の生活を送っていたと云うことだ。
何とも、羨ましい御身分だ……。
失踪届けは、彼の両親から出されている。
一年ほど前から姿を見なくなり、連絡も取れなくなったという話だ。
ただ、彼の妻はそれを否定していると云う。
先日、事情を聴きに行った巡査の話では、旦那の失踪を否定し、その居場所も知ってそうな口ぶりだったらしいが、のらりくらりとはぐらかされて、聞き出せなかったらしい。
まあ、そんな訳で、俺は上からの指示を受け、その郊外の豪邸とやらに向かっている。
つまるところ、上手くはぐらかされたその巡査の尻ぬぐいと云う分けだ。
失踪届けを出した両親の話では、夫婦仲は最悪だったとの事だ。
のみならず、高校生と中学生の娘からも蔑ろにされていたらしい。
一代で巨万の富を稼いだ凄腕の投資家が、家族には蔑ろにされるとはな……何とも冴えない話だ……。
まあ、それも有って両親は、妻が資産を独り占めする為に旦那を監禁、若しくは最悪、既に殺害されているのではと疑っている。
で、その豪邸が見えて来た。
長く続く壁に和風の、それなりに豪勢な門がそびえている。
如何にも、資産家の家と言う雰囲気だ。
その門をくぐり、石畳にそって敷地に入っていく。
家も純和風な二階建ての豪邸。
庭も広く、良く手入れされている。
ピンポーーン。
チャイムを鳴らし暫く待つと、ガラガラと玄関の引き戸が滑り、黒猫を抱いた美女が姿を現す。
俺は警察手帳を見せ、名を名乗り、昨日電話した旨を話すと、「お待ちしておりましたわ」と快く中へ通してくれる。
失踪した旦那は45歳、その妻である彼女は42歳と聞いているが……どう見ても四十代には見えない。
色白の美人で若々しく、小じわ一つ無い。
三十代前半か、二十代後半だと言われても納得してしまうだろう。
その彼女に促されて、応接室に通される。
応接室は、純和風な家の外見とは打って変わって洋風だな。
調度品も如何にも高そうだ。
まあ、安月給な刑事には縁遠い物だし、その価値などは知らんが……。
ソファーに腰を掛けると、淹れられた紅茶を勧められ、そして一息入れてからゆっくりと話を始める。
先ずは、改めて旦那のご両親が失踪届けを出している事を話し、そして先日巡査が伺った時、奥さんが旦那さんの失踪を否定した件に付いて尋ねる。
しかし彼女は、考え込む様にただ膝の上の猫を撫で続ける。
そんな彼女に単刀直入に尋ねてみる。
もし、旦那の連絡先が分かるなら教えてくれるようにと。
彼女の沈黙は続く。
俺は焦らずに、カップを手に取り、紅茶を啜る。
暫く考え込んでいた彼女が口を開く。
「そうですわね……あの人が失踪していないと言うのは本当のこと。それは間違いない事ですわ。でも、あの人の居場所を御説明するのはとても難しい事ですの。いえ、単に言葉で説明すること自体は簡単な事なのですけれど、刑事さんにご理解頂けるかどうかは、また別の話ですわ……」
彼女は落ち着いた様子でそう話す。
焦って取り繕おうとしている様にも見えないし、そのしぐさや口調に後ろめたさも感じ取ることは出来ない。
「弱りましたわ……どう御説明すれば…………あ、そうだわ。アレをお見せすれば良いのかしら。刑事さん、少々お待ちになって」
彼女はそう言葉を残し、応接室を出て暫くして何かを手に戻って来た。
「こちらを御覧に成って頂けるかしら」
そうテーブルに置かれたのは、一冊のノートと液晶にひびが入った古いスマホ。
「日記帳と、以前あの人が使っていたスマホですわ。もう契約の切れた物ですけれど」
ノートを手に取る。
表紙に去年の年号が西暦で書かれている。
それと無く、裏表紙を確認すると……ん、律儀にも小山田弘苗と名前が書かれて…………いや、何だこれは?
弘と苗の間に無理やりけものへんが書き込まれていて小山田弘猫に成っている。
ペンネームの積りか?
日記に?
……な、訳けは無いか。
まあ単に、何気なくイタズラ書きしただけだろう。
手にした日記帳を開き何ページか読むが、普通の日記だ。
書かれている内容も特に不思議な事は無い。
彼の両親の話通り、妻や娘達との不和を愚痴るか、退屈な日々を退屈な文章で書き連ねただけの物に過ぎない。
詰まらなさそうに読む俺を見かねたのか、彼女が日付を指定する。
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その日、二階の自室の窓から見知らぬ猫が侵入し、抱き上げようとして右手の甲を引っかかれた旨が書かれている。
猫はそのまま外に逃げたらしい。
ただ、それだけだ……。
確かに、退屈な日々を送っていた彼に取っては、少々変化のあるイベントの様では有るが、彼の失踪と結びつくものとも思えない。
訝しみながらも、取り合えず読み進める。
他に書く事も無いのか、それとも余程気になるのか、猫に引っかかれた傷の経過観察が書かれている。
どうやら、化膿でもしたのか、三日たっても疼くらしい。
猫に引っかかれて四日目、ん?
”傷口から細かい毛が生えて来た。抜こうとしたが、痛くて諦める。気になる”
そう書かれている。
そう言えば……稀にそう云う事が有ると聞いた事が有る。
確か、傷を治そうと血流が良く成って、傷口やその周りの毛が濃く成るとかなんとか。
まあ、大した事では無いと思うが……。
そして、数日後。
どうやら、症状が悪化している様だ。
当初は傷口の周辺にだけ生えていた細かい毛が広がり、さらに掌にも水泡の様なできものができたと。
できものは特に痛みは無い様だが……何か感染症だろうか?
「何度かあの人に、医者に見せる様に言ったのですけれど、突っぱねられてしまって……あの頃は未だ夫婦仲も良く無かったもので……」
日記はそれ以降、傷の経過観察のみと成る。
症状は依然改善されることは無く、より悪化していく。
それから十日程経って更に異変に気付いたらしい。
”日記を書いていてペンが握り辛くて気付いたが、右手の指が左手に比べて短く成ってきている。やはり何か深刻な病気なのだろうか。だが、医者に見せるのは億劫だし、怖くもあり躊躇われる”
一週間後。
”右手の指は一段と短く成り、手の甲から手首にかけ、細かく黒い毛で覆われる。右手の爪が全て剥がれ落ちた。痛みは無いが不安が募る”
文字は更に歪に成り、解読する様にしてなんとか読める状態だ。
再度、彼女に確認するが、結局彼は医者に見せる事は無かったらしい。
その三日後を最後に日記は白紙に成っている。
最後の記述は次の通りだ。
”部屋にノミがわいている。からだ中刺されて酷くかゆい。あの猫が持ち込んだノミだろう。もう右手でペンを持つのは無理だ。明日からはスマホに録画する”
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