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<大正:英国大使館の悪魔事件 解決編>

暴食の魔獣

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諏訪さんの魔力が高まっていくのが分かる。
いいえ、魔力では無く霊力と諏訪さんは仰っていたわ。
あの手にした薙鎌なぎがまが、神を降ろす為の神具。

成るほど……ですわ。
確か、諏訪大社の神器は薙鎌なぎがま……諏訪さんは、諏訪大社ゆかりのかんなぎでらしたのね。

トランス状態に入った、諏訪さんの祝詞のりとは続く。
「いのらむことの かなわぬはなし
のべにすむ けだものまでも えにしあれば
くらきやみじも まよわざらまし
わがみ まもりたまえ さきわえたまえ」

諏訪大社の主祭神は二柱ふたはしら
でも、この祝詞のりとで、降りる神は……
古きいくさの神。

「たけみなかたのおおかみ
たけみなかたのおおかみ
たけみなかたのおおかみ
かむながら たまちはえませ いやさかましませ」

建御名方神たけみなかたのかみですわ!

溢れる凄まじい霊力を放ちながら、諏訪さんがウェンディゴに歩み寄る。
ウェンディゴの触手が左右から切り掛かる。
カン、カンと触手を弾く音。
諏訪さんの斬撃が見えませんわ!

それを合図に、曹長さんや爺達もウェンディゴに切り掛かる。
パン、パン、パン、パン、パン、と後方からは援護射撃の音。

建御名方神たけみなかたのかみは古事記では、建御雷神タケミカヅチ相手に、チョット残念なやられ役の様な書かれ方をされていますけれど、本来は勝るとも劣らない日本最強クラスの武神。
諏訪さんのあの自信と言うか確信は、こう言う事でしたのね♪

諏訪さんは、ウェンディゴが繰り出す7,8本の触手を見切る様に、見えない程の斬撃で弾き、紙一重でかわし、そして切り裂いていく。

それにしても……凄まじいですわね……いけませんわ。
見とれている暇は有りませんわ。

諏訪さんは一分と仰いましたわ。
あれ程の凄まじい神を一分も降ろすと言うのは、並大抵の事では無い筈よ。
だから、降ろしていられる時間は一分と云う事だわ。

「行くわよ!」
ニャー!ニャー!ニャー!
と、猫達を引き連れて死地に飛び込む。

右手で結んだ刀印で、魔法陣をえがく。
一発で決めて見せるわ。
「暴食の陣!」
V字型の鶴翼の陣形から、ウェンディゴを囲む様に猫達が走り出す。

両手を合わせ、セクメトの慧眼けいがんを輝かせ、氷柱つららを放って、触手から猫達を護る。
異変を感じたのか、ウェンディゴがターゲットを猫達に変えて来たわ。

カーン、カーンと曹長さんが、爺が、妖精猫ケット・シー達が猫達を護って触手を弾く。
イシャイニシュスさんも、挑発する様に、触手の攻撃を自身に向け、翻弄する。
そして、荒ぶる武神と成った諏訪さんが、縦横無尽に触手と刃を交える。

諏訪さんの薙鎌なぎがまは、一本、また一本と、触手を切り裂き切断するけれど、瞬時に再生され、再び猫達を襲う。

陣が完成するまで、あともう少し!

だけれど、此方こちらの陣形に隙が出来る。
不味いわ。
上手くさばけていた様で、その実、触手に誘導されていたのだわ!
私達の囲みに、ほんの少しだけ開いた隙間、そこに触手が群がる。

「ハァッ!」
その掛け声とともに、一瞬諏訪さんの霊力が爆発的に膨れ上がり、刹那、諏訪さんの姿が消える。
いえ!群がる触手の前よ!
瞬間移動したかの様に触手の前に現れた諏訪さんが、触手の束を薙鎌なぎがまで一閃、全てを切り裂く。

でも、諏訪さんが!
今のでトランス状態が解けたのか、ガクリと膝をつく。

さらに、そのすきを付いて、曹長さんや爺と切り結んでいた触手が、一斉に諏訪さんを襲う。
「させませんわ!」

「斬撃!」
猫手の御札で、その触手を切り裂く。

その時、「ギャーーー!」「ギャーーー!」「ギャーーー!」「ギャーーー!」「ギャーーー!」「ギャーーー!」と、猫達の激しく威嚇する様な絶叫が轟く!

陣が完成したのだわ!
「皆さん、今ですわ!!」
私の合図と同時に、皆さん魔法陣の外へ……いえ、お一人……諏訪さんが膝をついたまま、反応出来ていませんわ!

一瞬ためらいかける私の横を、素早い影が横切る。
イシャイニシュスさんが、体当たりする様な勢いで、諏訪さんを掬い上げ、背に乗せて魔法陣の外へ。

今よ!
右手に刀印を結ぶ。
「捕食!!」

その声と同時に、触手が猫達を襲い、一瞬にして数十匹の猫達が、紫の粒子へと変わる。
「あっ!猫ちゃん達が!」
「諏訪さん、もう勝負は付きましたわ……あれを御覧に成って」

暴食の陣は、その魔法陣の中に有る者を、猫達が全て喰らいつくす凶悪で危険な術。
だから、それに巻き込まれない様に、発動前に全員がその魔法陣の外に出る必要が有る。
でも、敢えて、その中に残ったモノ達が居るわ。

「ギャャャーーーーー!」
「ぎゃゃゃーーーーー!」
ノワールとブランの鎧や装備が、弾ける様に紫の粒子へと変わり、妖精猫ケット・シー達の体に吸収される。
それだけでは無いわ。
ウェンディゴの触手の攻撃を受け、たおされた猫達の粒子も。

妖精猫ケット・シー達は四つん這いの体制を取り、尾と毛を逆立たせ牙をむき出しに……。
「小町ちゃん……妖精猫あのこ達の姿が大きく……」
姿は、二本足の妖精猫ケット・シーから、再び猫のフォルムに戻っていますけれど、体長三メートル近くはあるかしら。
もうあの巨体は、猫では有りませんわね。
獰猛な、黒と白の二体の魔獣。
「アレがあの子達の四つ目の姿。暴食の陣の中でのみ、あの姿に。そして……あの子達も、他の猫達と同様……」

触手の攻撃を免れた猫達およそ二百匹超が、そして、二体の魔獣が一斉にアラカシに飲み込まれ身動きの取れないウェンディゴに襲い掛かる。
ウェンディゴは触手で応戦しようとするが、もう自由に動き回れる猫達を捕らえる事は出来ない。

猫達の小さい牙が、アラカシの幹から露出しているウェンディゴの体に食い込み、食いちぎる。
二体の魔獣の爪が、牙が、ウェンディゴさえ封じたアラカシの幹ごと、その体を切り裂き、噛み砕く。

ウェンディゴは幹が砕かれたことで、自由に成った左腕の鍵爪でノワールを切り裂こうと、腕を振り下ろすが、逆にその手首から先を食いちぎられる。
「グゥォォォーーーーー!」
為す術の無い、ウェンディゴの断末魔の絶叫が響き渡る……。
ノワールが、ブランが、猫達が、ウェンディゴを喰らい尽くしていく。

そして……喰い荒らされ、あれ程巨体で有ったウェンディゴは、まさしく見る影も無く、肉片一つ見当たらないわ。
残っているのは、巨木だった二本のアラカシの木の根元だけ……。

「全て、終わりましたわね」
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