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<大正:英国大使館の悪魔事件 解決編>

狂気の果てに

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後をお追うと応接室の外に出た所で、待機されていた伍長さんに、諏訪さんが何やら頷く様に合図、すると伍長さんが「ハッ!」と敬礼し、走って行かれたわ……何かしら?
まあ、何かお考えが有るのでしょう。

兎に角、参事官の後を……ノワールとブランの向かった気配は……裏庭の方ね。
あら?
気配を感じて横を見ると、イシャイニシュスさんが再びコヨーテのお姿に。
そして、先に向かうとばかりに、私を見上げ、軽く頷くと裏庭の方に向かって走って行かれた。
そう言えば、コヨーテの姿なら、他の精霊の気配を感じる事が出来たのでしたわ。
参事官は未だ、トーテムをお使いでは無い様だけれど、既に眷属の姿に変異しかかっていましたから、居場所がお分かりに成るのね。


イシャイニシュスさんに続いて、私達も急いで、後を追う。
時折パンパンと乾いた銃声。
警備の方達も応戦されている様子。
手筈では、既に大使館の職員は全員、敷地外に誘導されていると言うお話し。
残っているのは、今まで応接室に居た私達と、大使館の警備の方々、それと、スーツ姿で配備された憲兵と警官のみ。
もし、不審な人物が、外に逃走しようとした場合、裏庭の方に追い詰める事に成っていると諏訪さんが仰っていたわ。
裏庭は結構な広さが有りますから、例え対象者がウェンディゴに成ったとしても、包囲したり、距離を取って戦ったり出来ると言う判断らしいわ。


裏庭に追いつくと、そのほぼ中央で、参事官が複数の銃を構えたスーツ姿の男性達に取り囲まれている。
遠巻きに取り囲む彼らに交じって、黒猫と白猫、それとコヨーテの姿も。
あら?
さらに、あの二本のキンジャールを手にし、仁王立ちに構える燕尾服の後ろ姿は爺ね。
全く……いつの間に大使館の玄関から、私達より先回りしたのかしら……?

参事官は追って来た私達に気付いたのか、私達を制止する様に、手にしている物を突き出す。
布に巻かれたウェンディゴのトーテムですわ。

「参事官殿、取引致しませんこと?」
「取引だと……ケケ」

ケケ?
既に、変形した手には立派な鍵爪が……それに、いつの間にか靴も脱げ、水かきの有る大きな足……。
眷属の姿だわ。

「ええ、参事官殿がトラップの眷属に巻いてらした魔法陣。あれをわたくしがもう少し、完璧な物にして差し上げますわ」
「ケッケ、お嬢さん、それが、どう取引に成ると言うのだね?ケケケ」
「それを何処どこか体に、お巻きに成れば、人として自我を保つことが出来ますわ」
「ケッケッケ、それで、私に人として……ケケ……裁きを受けろと……ケッケ……言うのかね。お嬢さんは……ケケケ」

「良い取引だと思うのだけれど、如何いかがかしら?」
「ケケケ、確かに悪い話では……ケッケ……有りませんね。ケケ、ですが……ケッケ……お断りするのですよ。ケッケッケ、私は知っているのですよ。ケケ、この様な姿に成れば。ケッケ、もう元には戻れない。ケケケ……しかも、捕らえられてしまえば……ケケ、もう食べる事が出来なくなってしまうじゃないですか!ケッケッケ」
人を、と云う事ですわね……。

「ケッケ、もちろん、アナタたちが……ケケ……私に餌を与えてくれると言うのなら……ケッケ……喜んで跪きますよ♪ケッケッケ」

完全に、イカれてらっしゃるわね。
相手にしてられませんわ。
爺の傍まで歩み寄り、小声で囁く。
「殺さない程度にね」
「承知」
爺も小声で端的に、そう返事をする。

「ケケケ、裁きを受けるくらいなら……ケッケ……もう、え無く成るくらいなら……ケッケ……ならば……ケケ……ならば……ケケ……いっそ……いっそ……ケッケッケ。私は神に成るのですよ!!ケケケケケ」
参事官が手にしている、トーテムの頭の部分を布から剥き出しにして、触れようともう片方の手を伸ばす。

刹那、爺の姿が消え、参事官の懐に。
本当に、どう云う身体能力をしているのかしら……。

当然、参事官は対応できず、驚愕する間も与えない。
キンジャールが一閃。
「ウギャッ!」
トーテムを握り締めていた、右手の手首から先が、宙に舞う。

御本人は不本意でしょうけれど、今まで犯して来た罪の代償としては、安すぎる物ですわ♪

えっ!!
突然、参事官の背中から三本の触手。
うち二本が爺を襲う。
爺は容易たやすく、キンジャールで弾き返すが、宙を舞う参事官の右手と、若干の距離が空く。
「抜かった!」
爺の口から、自らを戒める言葉が漏れる。

もう一本の触手が、その隙に右手に巻き付いて絡め取る。
そして……そのまま触手の先端が、布から剥き出しに成ったトーテムの頭に、ピトッと触れる。
「やられましたわ!」

「ケケケケケケケ……グゲ……グゲ……グォゲァァァーーーー!!!」
彼は体をくねらせ、凄まじく肉体を変形させながら、既に人ではない怪物の雄たけびを轟かせている……。
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